書評って誰が読んでいるんだろう?
noteにいくつか読書に関する記事を投稿してみて、ふと「書評って誰が読むんだろう?」ということを考えました。
「誰が書くか」は重要です。
例えば私が、小説の感想文を書いたら読まれるでしょうか?
小説自体が人気の作品であれば、もしかするとちょっとだけ読んでみようかな思ってくれる人もいるかもしれませんが、多分ほとんど読まれないでしょう。
これは私に知名度とか実績とか、信頼といったものが無いだからです。
「いじわる魔女の猫が小説の感想文を書いてる。読もう!」って思ってくれる人はおそらく皆無です。
私の書評が読まれるとしたら、読み手が何かしらの「問題意識」を持っているケースが考えられます。
例えばヒオカさんの「死ねない理由」は、貧困家庭出身である著者のエッセイです。日本の貧困問題に対して全く無関心という人は私のこの記事を読まないと思います。
また「贅沢の定義」の記事は、贅沢について書かれた本を何冊か読み、まとめたものです。
贅沢という言葉の意味について、ちょっとだけ考察してみようというのがこの記事の趣旨になります。
ブログなどを書く上で大事なことは「読み手を明確にイメージすること」であると言われます。
広く浅く、誰にでも読まれるような記事を書くのではなく、具体的に特定の誰かに向けて文章を書くことが大事と。
しかしこれがやってみると意外と難しい。
私ははてなブログで「時空覇王伝」というオンラインゲームの記事をよく書いています。協力プレイした仲間だったり、対戦したプレイヤーなどを思い浮かべながら記事を書くことが多いです。
そういう意味ではオンラインゲームの記事は「特定の誰か」に向けて記事を書きやすいです。
しかし書評はどうでしょう?
身近な誰かを思い浮かべて、その人に読まれることをイメージしながら記事を書いてみましょうか?
身近に読書好きな人がいればいいですが、そうでないと難しいかもしれませんね。
noteに記事を書くなら、noteを利用する誰かに向けて記事を書くというのも良いかもしれません。
たとえ実際にはその人に読まれなかったとしても。
本の読み方、本との接し方は一つではありません。
暇つぶしのために本を読む人もいれば、情報収集のために読む人もいるし、自己啓発のために読む人もいます。
しかし「なんとなく」「暇つぶしのため」に書評を読む人って少数派じゃないでしょうか?
他人の書評を読む理由は、タイトルに惹かれたとか、何か目的があって読むんじゃないかなと思います。
私が書評を書く理由
私が書評を書く理由は、自分が読んだ本を自分なりにまとめて一つの記事にすることで、より理解を深めたいからです。
さらにその本を読んで感じた「何か大事なこと」を他の誰かに伝えたいからです。
私が書評を書くことで「考えるきっかけ」を読んでくれる人に与えられるかもしれない。
その人が今まで思いつかなかった別の視点を提供できるかもしれない。
共感してもらえるかもしれないし、「それは違う」と思われるかもしれない。
他者の反応を高い精度で予測できれば、バズる記事を量産できるのでしょうが、私にはそんな技術や才能はありません。
私の読書体験が誰かの役に立ったらラッキーくらいの気持ちで書評を書いています。
誰かの心をほんの少しだけ動かしていると信じながら、書評を書いていきたいと思います。
