デジタルサービスの選択肢は短期最適と長期最適が違う話
どうもこんにちは!
2026年6月16日にタクシー配車アプリで知られる「GO株式会社」が想定時価総額1,825.5億円の大型IPO予定となっています。
このGOのIPOそのものについては、ニュースレターの方で記事を書きました。
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さて、このGOのIPOについて考えてみると、日本の交通業界ではライドシェア解禁の遅れが目立ちます。
だからこそライドシェアではなく、タクシー配車アプリが高い評価を受け、今後の自動運転時代も見据えて高い評価でIPOとなっています。
もちろん、日本のライドシェアの遅れには大きな課題もあると考えられます。
ですが今回は、少し視点を変えてGOから考えるデジタルサービスの時間軸というテーマで書いていこうと思います。
というのも、ビッグテックが世界中で圧倒し、勝者総取りのビジネスモデルの中で、日本はいわゆるデジタル敗戦が、さまざまな分野で続いてきました。
検索も、SNSも、スマホのOSも、その多くを海外の巨大プラットフォームに握られています。
そうした中で、配車の分野では国内企業である「GO」がトップシェアとなりました。
規制による偶然の側面が大きいとはいえ、配車プラットフォーム、つまり人々の移動データを、国内に残すことができています。
交通の分野に関してはUberなどに全面的には取られなかったことには、「短期的な遅れとは別の価値があったのではないか」と考えることができるはずです。
そこで、今回はデジタルサービスにおいて最先端のものを使うという短期最適、これは長期最適と違うのではないか、デジタル技術の時間軸はどのように考えた方がいいのか、そんなテーマで書いていこうと思います。
これは、過去の話だけではなく、今まさに最先端モデルを海外に頼っているAIにも、つながる話です。
ここ20年で学ぶべきは、コモディティ化の速さ
さて、ここ20年ほどでデジタルの産業が急速に拡大しましたが、改めて振り返ってみるとその変化から学ぶべきことのひとつは、技術がコモディティ化する速さなのではないかと考えています。
かつては、検索エンジン、SNS、ブラウザ、ネット通販、配車アプリ。
こうしたサービスを作れること自体が、最先端の技術力の証でした。
ですが今になってみると、それらの機能そのものを作ることは、当時ほど難しくありません。
地図も、決済も、マッチングも、レコメンドも、技術的には多くの企業が作れるようになっています。
デジタルサービスは、工場のような設備投資が必要ではありませんから、本当に作ろうと思ったら作れるのです。
それでも、Googleの検索から別の検索へ、iPhoneやAndroidから別のOSへ、InstagramやYouTubeから別のサービスへの乗り換えが起きるわけではありません。
これが多くのデジタルサービスの特徴です。
技術はコモディティ化しても、勝者はほとんど変わらないのです。
Uberの優位は、もう「技術」ではない
それこそ、ライドシェアの最大手のUberもそうです。
Uberが登場したころ、その優位性の多くは体験そのものにありました。
スマホで呼べる、位置情報で近くの車が来る、アプリ内で決済できる、相互評価で品質を保つ。
出始めの時点では、これら自体が新しく、技術的な優位でした。
もちろん、Uberだけが可能だった技術ではなく、厳しい競争は存在しましたが、技術はひとつの優位性や参入障壁になっていたということです。
ですが今となっては、その機能はほとんどコモディティ化しています。
配車アプリ自体は技術的には多くの企業が作れます。
では、なぜ今も強いのかというと、それはもう技術ではなく、データ、ブランド、需給調整の経験、法人接点、規制当局との交渉経験。こうした、積み上げがあるからです。
優位性が、技術から「蓄積」へ移ったということです。
ここでいう「蓄積」とは、利用者の習慣、データ、事業者との接点、決済網、ブランド、規制対応の経験、ネットワーク効果のようなものです。
これはUberに限った話ではなく、多くのデジタルサービスで見られる傾向です。
だからこそ、デジタルサービスの多くは「ウィナー・テイク・オール(勝者総どり)」のビジネスモデルだとされています。
技術の差は縮み、蓄積の差は開く
つまり、新しいデジタル領域が登場したとき、後発から見た「差」には二種類あります。
「技術」の差と「蓄積」の差です。
技術の差は、時間とともに縮みます。コモディティ化です。
一方で蓄積の差は、時間とともに開きます。
先行者が使われ続けるあいだに、データも、利用習慣も、ネットワークも、積みあがっていくからです。

そして、この二つは逆方向に動きます。
技術で追いつくころには、蓄積の差が開いていて、もう乗り換えられません。
技術はコモディティ化します。
しかし、技術がコモディティ化するまでに積み上がった蓄積は、コモディティ化せずむしろ開き続け代替不能となります。
結果として技術的には国内で十分な水準のものが提供できるはずなのに、その代替は起きず、お金やデータをプラットフォーマーに流れ続ける構造が生まれます。
蓄積の差は世代をまたぐ
さらに、時間軸をもう少し未来まで長くとってみると、失うものは一世代分の時間にとどまらない可能性があります。
デジタル技術の蓄積は次の時代の新しいサービスの元手になり、次のパラダイムでも先行を許しやすくなるからです。
現在のAIは、この典型例だと考えられます。
検索で集めたデータや利用習慣が、そのまま次の世代のAIの学習資産や配布チャネルになっています。
そして、この繰り越しは現在から未来へも続いていきます。
たとえば、AIエージェントに買い物を任せる時代を考えてみましょう。人がサイトを見比べて選ぶのではなく、AIに「これ買っておいて」と頼む世界です。
このとき、商品の比較や評価にまつわるレビューのような評価の情報がたまりにくくなっていきます。
では、それがどこにたまるのかというとエージェントを運営するプラットフォームです。
例えば購入後にエージェントが「あれどうでした?」と聞いて満足度を学習し、その評価がエージェント網の中で共有されたり、返品率や再購入率のような行動データが評価の主役になったりする、といった形です。
今は誰でも読めるレビューという形で公開されている評価の情報が、エージェント運営企業が多くを持つ資産に変わっていくということです。
そうなれば、その購買データと評価データを握った企業が、次の時代の消費の入り口を握ります。
つまり、現在は後発組であっても公開されたレビューをもとにAIエージェントを作ることが可能です。
ですがその情報が少ない時代になると、それは蓄積されたデータを持つ一部の企業だけができるものになる可能性があるということです。
今のAIへの依存は、AIの利用データという形で、この次の世代の蓄積にそのままつながっていくのです。
このように、蓄積で生まれた差は次のパラダイムの元手になっていきます。
デジタル技術においては、敗北が複数世代にわたって継続しやすい可能性があります。
AIでも蓄積の差が生まれている
そして、AIにおいても蓄積による差が生まれています。
現在もモデルの差や進化は続いています。
ですが、デジタル技術、つまりAIのモデルそのものの性能やアルゴリズムは、比較的速くコモディティ化しています。
一方で、それを支えるリアルな基盤、たとえば最先端の半導体や、大規模な計算資源、膨大な電力は、巨大な設備投資と実証実験などによる長い時間が必要ですぐに作れません。
AIで先行した企業や国は、その下のリアルな基盤の確保において主導権を握ることが可能で、それがAIにおける差として機能しています。
蓄積による差が顕著に出ていると言えるでしょう。
このように、蓄積の差が広がり代替不能になり、その蓄積が次のパラダイムを産み、負けは次の世代へ複利的に繰り越されやすくなるのです。
そしてAIでも蓄積による代替不能化が進んでいますから、それが次の世代へ繰り越されやすくなっているということです。
短期最適は長期最適なのか
ここで重要なのは、この代替不能となるロックインは、合理性によって生まれるということです。
新しい技術が登場した時点では、技術の差は大きいわけです。
となると、最先端の海外サービスを使うのが、純粋に合理的で使わなければ短期の競争で不利になります。
つまり、一つひとつの場面では、誰もが短期最適に正直に従っているだけなのに、その積み重ねとして、気づいたときには代替不能になっています。
ロックインは、全員が短期的に正しく振る舞った結果として起きるのです。
そして、それが数世代にわたり代替不可能な領域を持たれ続けることになる可能性があります。
つまり、短期最適と長期最適の不一致が起きるということです。
GOから考えるデジタル時間軸
このような視点で「GO」について改めて考えてみます。
日本はUber型のライドシェアでは規制によって、明確に遅れました。個人的にもこれは非効率な遅れだったと感じています。
ですが、その遅れのあいだに、技術のコモディティ化が進みました。
結果として今の「GO」のUIやUXは「Uber」や他国の配車アプリに劣ったものにはなっていません。
もちろん、規制によってそれがライドシェアかタクシーかという差はあります。
ですが、アプリの質的には遜色ないユーザー体験を提供しつつ、国内の移動データを国内に残せているということです。
そして、この移動データの蓄積は、次のパラダイムである自動運転の時代にも効いてくると考えられています。
つまり、短期的に最先端に乗り遅れたことと、基盤を国内に残せたこと。この二つは、短期と長期で評価が逆転しうる可能性があります。
待てばいい、という話ではない
ここで、一度確認しておきたいことがあります。
これは「待っていればいい」という話ではない、ということです。
日本は自由競争の社会です。技術的に遅れたものを使えば、競争に負けます。
AIでいえば、性能で劣るモデルを使えと言われても、現実的ではありません。
今いちばん優れたものを使うのは、個人にとっても企業にとっても当然のことです。
ですが、その当然の選択の積み重ねが、これまで見てきたように、コモディティ化したあとも世代をまたいで続く、敗北の連鎖を生んでいきます。
最先端を使わなければ、今の競争に負ける。
かといって、最先端を使い続けるだけでは、長期で基盤を失い、敗北の連鎖を繰り返します。
この二つを両立させるために重要になるのが、「すべてではなく、部分的に残す」という発想なのではないかと思います。
最先端は使う。その便益は今すぐ受け取る。ですがそれと同時に、いざというときに別の選択肢へ移れる力を、一部の領域だけでも残しておく。
いわば、保険のような発想です。
どこに保険をかけるのか
具体的な制度論的な話をしたいわけではないので、ここでは細かい線引きには立ち入りませんが、保険を掛ける価値のあるいくつかの領域は思い浮かびます。
軍事や防衛、金融や決済インフラ、医療、行政。
こうした、機微な情報を扱い、かつ国の基盤に関わる領域です。
これらの領域には、共通点があります。
一度データや基盤を海外プラットフォームに握られると、その蓄積が世代をまたいで効いてくること。
そして、効率や性能だけでは測れない、別の価値、たとえば安全保障やデータ主権が関わっていることです。
つまり、すべてを守るのではなく、こうした領域のいくつかで、短期的な性能やコスパとは別の軸で、国内の選択肢を支援し、代替できる力を残しておくことが重要なのではないか、ということです。
実際に、世界では似た動きが始まっています。
各国が「ソブリンAI」という考え方のもとで、自国のデータやインフラの上でAIを動かす体制を整え始めています。
日本でも、行政が使うAIについて、機微な情報を国内の環境で処理する仕組みが作られ始めています。
完全な国産化を目指すのではなく、データと運用の場所を国内に残す、という選び方です。
個人的にも、これは長期的には非効率な選択肢ではないと考えています。
必要なデータを国内に残すという考えもそうですし、性能的なコモディティ化の時代に備えて、国内技術を残しておくというのも、将来の代替性や次のパラダイムの際に有効に機能する可能性があるからです。
まとめ
最先端を使うことは、間違いではありません。今、最も優れたものを使うのは、短期的には常に正しいです。
ですが、ここ20年ほどを振り返ってみるとデジタル技術はコモディティ化が速く、コモディティ化の速度はむしろ上がっています。
一方でデジタルサービスは「蓄積」によって差が開き続けます。
なので、「現在」の性能差だけで決めてしまうと、数年後には技術が追いついているにも関わらず、もう代替できなくなっている、ということが起こります。
そして、その差は次のパラダイムにも影響し数世代にまたがる可能性があります。
だからこそ、デジタルサービスにおいては短期最適だけでなく、少し長い時間軸を取って考える必要があると考えられます。
具体的には、現在の最先端は使いながらも、コモディティ化したときに代替できる力を、一部の領域だけでも残しておくことなのではないかと考えています。
最先端を使うことと、最先端に支配され続けることは違います。
デジタル技術は、いずれコモディティ化します。
しかし、その間に積み上がったデータ、習慣、ネットワーク、事業者との接点は、簡単にはコモディティ化しません。
だからこそ、短期では最先端を使いながら、長期では代替できる力を残しておく。
GOの上場は、規制による偶然とはいえ、その時間軸の重要性を考えるきっかけになる事例なのではないかと思い書いてみました。

