黒い道しるべ 第3話

 体育館の壁に沿って声がした方へ行くと曲がり角の向こうで言い争っている声が聞こえてくる。顔を少し出して覗くと声の主は世羅と、もう一人はペアを組んでいた男子だった。周囲にはほかの書道部員たちもいる。出番を終えてここで一息ついていたらしい。

「結構ミスってもうたぁ! あんなんじゃ一年の子らの心なんか掴み取れんわ、どないしよー!」
「じゃけぇ俺はあんまテンション上げすぎんな言うたんや。お前先走りすぎやねん。ちょっとでも目立ったろっちゅう魂胆も見え見えやわ」
「はー? そういう綾継《あやつぐ》かてステップミスったり汗で手ェ滑らせてましたがー?」
「あぁーん? 俺はバレんように上手く誤魔化してますぅー。そもそも暴走暴れ馬の手綱握るだけで大変なんじゃけもっと部長を敬ってくださいー」
 二人はお互いのツバが散りそうなほど顔を近づけて罵り合っていた。まるでヤカラだ。喧嘩なら止めたほうがいいのだろうが、周りにいる書道部員たちは『また始まったよ』と言わんばかりに冷めているのでどうやら日常茶飯事らしい。
(お取り込み中らしいし、とっととずらかろ)
 そう思ったのだが振り返りざまに木の枝を踏んづけてしまう。それは喧嘩中の二人に気付かれるほど大きな音を立てた。
「ヤッベ……」

 目と目が合う。初めは困惑気味の世羅と綾継だったが次の瞬間、世羅だけが栗栖目がけて猛ダッシュした。
「ヒィッ! デジャヴなんですけどっ⁉」
 完全に出遅れた栗栖は逃げることもできずに捕まってしまった。
「もしかして自分、入部希望の一年生? ウチらのパフォーマンス見てやりたくなった? やりたくなったんやろ? いやー、嬉しーなー。やっぱちょい派手なヤツ選んで正解やったなー。今年は早くも二人目やわぁ。幸先ええなー」
「あ、あの……」
「ちなみに経験者やったりする? や、初心者でも全然問題あらへんけどね。それにしてもおっきーなぁ自分。ただご飯食べるだけやとこんな厚みのある体にはならんけぇなんかスポーツやっとったやろ」
 口を挟む隙がない。それにしてもよく回る口だなと栗栖は呆れ混じりに感心した。これなら部活紹介で挨拶を請け負ったのも頷ける。もっとも、今はそのせいで困っているのだが。

「あ、そういや名前聞いとらんかったわ。なんて言うん?」
「……ないです」
「ナイデス? 珍しい名前やね。え、外国のかた?」
 天然ボケをかまされた綾継はすかさず「んなわけあるかアホ」と世羅のポニーテールを引っ張った。
「いったぁ! もう! なにすんねんアホ継。もげたらどないすんの」
「付け毛とちゃうのにもげるかアホ。そうじゃのうて、お前なんか勘違いしとるで。見てみい。一年坊困っとるやん」
「え?」
「入部希望やのうてたまたま居合わせただけやろ?」
 綾継から助け舟を出された栗栖はこれ幸いとばかりに何度も首を縦に振った。すると世羅は一瞬固まったのちに真っ赤になって「な、なんやのー。そうやったんなら早よ言ってーな。ウチ恥ずかしいやん」と顔を両手で仰ぎ始める始末だった。
「お前が勝手に暴走しただけやろこの天然ボケ」
「やかましいわ! そんだけ嬉しかったっちゅうことやんかボケ継」
 目の前で繰り広げられる夫婦漫才で既にお腹いっぱいの栗栖は「は、はは……」と乾いた笑みを漏らし、背後ではほかの部員たちがやれやれと肩をすくめている。
「でも俺、ちょっと感動したっす。初めて書道パフォーマンスっていうのを見たんですけど、なんていうか……凄かったです」
「お、おぉー! ありがと、嬉しいわぁ。なんやったらホンマに入部してくれてもええんじゃけど」
「そ、それは遠慮します……」
「んー、残念やなぁ。やっぱ運動部とかに入るって決めとる系?」
「いや、俺……高校では部活やらないつもりなので」

 姉、八重桜、そして世羅。何度も同じようなやり取りをしたので栗栖は少しゲンナリしている。だが世羅は今までの連中とは違って「マジで言っとんの⁉ 部活やらんとかもったいないで。高校生活灰色まっしぐらやん!」とオーバー気味な反応を見せた。
「おい世羅。そら言い過ぎや。コイツかて事情があるかもしれんやろが」
「あ、せやったね……。ゴメンな、ウチ興奮したらすぐ周りが見えんようなるんよ」
「あ、いえ、大丈夫です……」
「もう休憩時間終わるけぇ早よ戻りんさいね。遅れたら生徒指導部の先生らがうるさいけん」
「あ、うっす」
 栗栖は少しだけ罪悪感を抱きながらこの場を去った。途中で振り返ると世羅が「来月のフラワーフェスティバルでもっと凄いのやるけぇ良かったら見にきてねー」と大きく手を振っており、栗栖は再び頭を下げた。

 ひろしまフラワーフェスティバルは広島県広島市にある平和大通りと平和記念公園周辺をメイン会場に、毎年五月三日から五日まで開催される祭りのことだ。動員数は毎年一六〇万人を記録するなど、ゴールデンウィーク中の日本の祭りでは最大級の動員数を誇る。
「咲も出んのかな」
 あのちんまい少女も煌びやかな衣装を着て筆と踊るところを想像するとちょっとだけ興味が湧いた。ちょっとだけだが。
 一方その頃、栗栖に勝負服姿を創造されたことなど知る由もない咲は「栗栖くん、トイレ長いなぁ」と呑気に呟くのだった。
 
 部活紹介が終わり、ホームルームを済ませてしまえば高校生活初日は終わりだ。だが仕事がある八重桜たち教員と咲は違う。既に部活を始めている咲は放課後になるや否やすっ飛んでいった。
「先生、咲のヤツなんであんなハイテンションなんです? フリスビーを取ってくる犬みたいでしたけど」
「あぁアレか。発注してた小早川用の勝負服が届いたからそのせいじゃないか?」
「勝負服って先輩たちが着てたみたいな?」
「いかにも」
 栗栖は咲が衣装に袖を通した姿を想像した。しかしどうしてだかあまりときめかない。あんなに輝いていた世羅と何が違うのだろうかと考え、たどり着いた結論はひとつだった。

「七五三みたいだなぁ」
「キミ、今すごく失礼なこと考えてたろ。声に出てるぞ」
「……アイツには秘密で」
「ならその代わりにひとつ頼み事を聞いてくれるかね」
「まさか書道部に入れとか……」
「バカモン。そんな卑怯な手を使うか。今朝言ったのは冗談だよ。これを小早川に渡してくれればいいだけだ」
 そう言って八重桜が差し出したのは一枚のプリント、もとい入部届だった。
「三月から練習に参加してるとはいえ正式入部はまだだからな。部活へ行く前に書いてもらおうかと思ってたんだが……」
「届いた勝負服にウッキウキのアイツに渡し損ねたと」
「そういうわけだ。私はこれからめんどくさい会議があるんでね。頼んだぞ。書道教室は旧館にあるからなー」
「へいへい」
素直に頷いた栗栖だったがこれが思わぬ事態を招くことになる。


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