自転車と逆上がりとプログラミング 第1回:私が「教えること」を苦手だと思っていた理由 〜SEが新人研修と出会って見つけた最初の気づき〜

「わからない奴が悪い」と本気で思っていた新人SEの私

今でこそ専門学校で教壇に立ち、企業で新人研修を担当し、果ては小学生や中学生にまでプログラミングを教えている私ですが、実は「人に教える」ことには全く向いていない人間だと思っていました。いや、むしろ「絶対に教えるなんてしない」と固く誓っていたんです。

新卒でSEとして働き始めた頃、私は心底「わからない奴が悪い」と思っていました。プログラムの仕様を説明しても、「なぜこんな簡単なことが理解できないんだ?」とイライラすることがしょっちゅう。そんな態度だったから当然でしょう、同期からも「お前の説明はわからない」と面と向かって言われる始末です。

当時の私にとって、彼らが理解できないのは、私の説明が下手なのではなく、彼らの理解力が足りないからだと本気で信じていました。
人に何かを教えることなんて、まっぴらごめん。そんな風に考えていたんです。

「先生」という道を避けてきた、私の半生

実は、私の家系は先生だらけなんです。祖父、伯父、伯母、従兄弟、そして実の弟まで、みんな教師の道に進んでいます。まさに「教師の血筋」とでも言うべきか。
ですが、私は両親が教師ではなかったこともあり、特に「先生の道」に進むことへの強い反発があったわけではありません。むしろ、子供の頃は人見知りで、大勢の前に立って話すことなど想像もできませんでしたし、先生という仕事自体に大きな興味を持てずにいました。私の関心は、もっぱら「コンピューター」へ向いていました。将来は、このコンピューターを使った仕事に就きたい。それが私の幼い頃からの夢だったのです。
だから、まさか自分が今、こんなにも「教える」ことに情熱を注ぎ、多くの人の前に立っているなんて、当時の私には想像もできなかったでしょうね。

突然のミッション:社長からの新人研修カリキュラム作成と、最初の発見

私の「教える」ことへの考え方が変わり始めたのは、今から約20年前、2005年のことでした。私は1999年に就職し、2001年に一度退職。そして2002年8月に、今の会社の社長たちと一緒に会社を立ち上げました。
会社を立ち上げて数年経ち、私は現場でSEとしてバリバリ働いていたのですが、ある日、社長から突然こんなミッションを言い渡されたんです。
「中途で未経験を採用するから、プログラミング研修のカリキュラムを、考えてほしい。2ヶ月で現場に出せるようにしてね!」
「なぜ、私に?」というのが正直な最初の気持ちでした。あの「説明が下手」と言われ、「教えることに向いていない」と自分でも思っていた私に、なぜそんな大役が?戸惑いはありましたが、社長からのミッション。断るわけにはいきません。しかも単に教えるだけで無く、2ヶ月と言う短い期間でプログラミングが出来るようなカリキュラムを?!
そこから、私の「教える」ことへの長い試行錯誤が始まりました。

本屋に通った日々

私は現場の仕事をこなしながら、来る日も来る日もカリキュラム作成に没頭しました。何をどういう順番で教えれば、効率よくプログラミングを習得できるのか。寝る間も惜しんで取り組み、完成までに丸2年を要したと記憶しています。最初に作ったのは解説付きの問題集です。作った問題集は、新入社員だけではなく、既存の社員にも見てもらいました。そこで彼らから返ってきたのは、かつて同期に言われたのと同じような言葉でした。
「説明がわかりづらい」
「もっとこうしてほしい」
正直、心臓がえぐられるような思いでした。しかし、新人たちがスムーズに業務に入れるように、会社の未来のために、なんとしてもこの研修を成功させたい。その一心で、私は彼らのフィードバックに真摯に耳を傾け、ひたすら問題集を作り直しました。
この「わかりづらい」というフィードバックに直面したとき、私は必死でした。会社から自宅へ帰る途中、毎日のように本屋に立ち寄り、棚に並ぶ様々な「プログラミング入門書」を読み漁る日々が続きました。「どうすれば、もっと分かりやすく説明できるのだろう?」その問いに、私は本気で向き合い始めたのです。

通じない例え話

特に頭を悩ませたのは、「例え話」でした。いくら説明しても、「その話だとピンとこない」「何言ってるの?」といった返事が返ってくる。私の言葉が、彼らの中でイメージと結びついていないのが痛いほど分かりました。しかし、試行錯誤を重ねるうち、パズルやゲームでピースがピタリとはまるように、ある例え話がすとんと相手に理解された瞬間がありました。その時、「やった!」という、これまでにないほどの達成感と喜びが込み上げてきたのを今でも鮮明に覚えています。
この「伝わる」瞬間の面白さに気づいてから、私の中で「教えること」は、まるで違う世界に見え始めました。そして、ある重要な発見に至ったのです。それは、人によってピンとくる例え話は違う、ということ。その人の経験、趣味、好きなこと、興味のあることを使って例えることで、驚くほどスムーズに理解してもらえます。この気づきは、私の教え方を根本から変えました。
もちろん、集合研修の場では、一人ひとりに合わせて話すわけにはいきません。だからこそ、私は「どの例え話が、最も多くの人に分かりやすいか」という視点でも、話を組み立てるようになりました。この両面からのアプローチで、私の「教える」技術は格段に向上したのです。
このカリキュラム作成期間が、私の「教える」ことへの意識を変える、最初の、しかし決定的な転換点だったのです。まだこの時は、自分が将来「先生」として生きるなんて思いもしていませんでしたが、この経験を通して、私は「伝えることの難しさ、そして伝わることの先に広がる可能性」を、うっすらと感じ始めていたのかもしれません。

ちなみに、「自転車と逆上がりとプログラミング」という不思議なタイトルの理由は……実はこれからお話ししていく中で、少しずつ見えてきます。

次回、自転車と逆上がりとプログラミング 第2回「信念の衝突 ~なぜ、大人は『理屈』に固執するのか~」では、私が「教える」ことへの信念を確固たるものにするきっかけとなった、ある若手との「理屈か、実践か」を巡る衝撃的な衝突について、詳しくお話しします。彼の真っ直ぐな反発が、私の教育観を根底から揺さぶった出来事とは何だったのか。そして、その衝突が私自身の「教える」ことへの哲学をどう深めたのか。単なる衝突では終わらなかったその出来事が、私に何をもたらしたのか──次回、お楽しみに。

さて、ここからはおまけです。
「なぜ、人見知りで教えることに関心がなかった私が、この大役を引き受け、そしてその奥にあった『血』を感じ始めたのか?」
私の個人的な「裏話」と、内面の変化をここでお話しします。

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