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50代の最初の一冊に、『人文知は武器になる』を選んだ話

 50歳という節目を迎え、「これからの20年をどう生きるか」を考え始めていたタイミングで、大先輩である松尾谷徹さんから一冊の本を薦めていただきました。それが『人文知は武器になる』(山口周・深井龍之介、文春新書)です。迷わずネットで注文し、届いてすぐに読み始めました。50代で最初に読む本がこれになったのは、たぶん偶然ではなかったのだと思います。

 タイトルの言い切りに、まず惹かれました。教養とか古典とか、そういう言葉では弱い。「武器」と言ってしまうところに、書き手の本気を感じます。AI時代を生きるビジネスパーソンに、なぜ哲学や歴史や文学が必要なのか。その理由を対談形式で噛み砕いていく構成になっていて、新書一冊ですが密度はかなり濃いです。

AI時代に「問いを立てる人」が勝つ

 最初に頷いたのは、AIの登場で「正解を出す力」よりも「問いの質」が問われるようになった、という冒頭の論点でした。これは現場感覚と一致します。

 生成AIを業務に組み込んでから、答えを出すコストは劇的に下がりました。仕様書のドラフトも、報告書の骨子も、コードのスケルトンも、以前なら数週間係の作業がプロンプト一発で30分もかかりません。本当にすごい変化です。

 だからこそ、これからの差は「で、何を作るのか」「なぜ今これをやるのか」「五年後どうなっていたいのか」を問える人にどんどん偏っていきます。これは脅威というよりむしろチャンスに見えてきます。手を動かせる人は揃っている。あとは問いを立てる筋肉を鍛えればいい。それは年齢と関係なく、むしろ経験を積んだ人ほど有利な競技です。

「まだ大丈夫」と思った瞬間こそ動きどき

 「失敗するリーダーや組織の共通点」の章では「まだ大丈夫」と感じた瞬間がすでに危機である、という指摘。そのとおりと思います。

 危機の最初のサインを早めに拾える組織は、まだ十分に余力がある段階で次の手を打てるということ。コダックも日本の電機コングロマリットも、滅びるまでの時間軸が違うだけで構造は同じだという視点は、月曜の経営会議の景色をがらりと変えてくれます。

 「まだ大丈夫」という空気が漂い始めたら、それを「ピンチだ」ではなく「動きどきが来た」と読み替えればいい。同じ事実でも、読み解く軸が変われば打ち手が変わります。歴史を知っているということは、こういう読み替えの語彙を持つことが大切です。

 組織や文明が滅ぶ最大の理由が「内部分裂」だという指摘も、印象に残ります。組織の本当の強さは外部競争力ではなく内部の合意形成プロセスにある。逆に言えば、内部のアラインメントを整えれば、外部環境がどれだけ荒れても組織は持ちこたえられる。これも前向きな話です。

「翻訳者」という役回りを引き受ける

 「日本の経営者はエキスパートの活用が苦手で、翻訳者が足りない」という指摘があります。

 IT出身で経営ボードに関わるというのは、まさにこの翻訳者ポジションそのものです。技術の論理を経営に翻訳し、経営の意図を現場に翻訳する。両側の言語が分かる人間が橋を架けないと、どちらの側も損をします。

 この役回りを引き受けるのは、正直に言えばしんどいものです。技術者からは「経営側の人」、経営層からは「エンジニア寄り」と見られて、どっちつかずになりがちです。

 本書を読みながら、これは孤独な仕事ではなく構造的に重要な仕事なのだと思い直すことができました。日本に翻訳者が足りないなら、自分がその一人として立てばいい。50代は両側の言語を一通り使えるようになった人間が、ちょうど橋を架けるのに適した旬の年代だと思えます。

議論の場に長い時間軸を持ち込む

 もう一つ印象に残ったのは、人文知が個人の頭の中にはあっても組織の議論の場には登場しにくい、というくだりでした。これは特定の会社の話ではなく、日本の多くの組織に共通する現象として書かれています。歴史や哲学の本を読んでいる経営者やマネージャーは実は珍しくないのに、いざ会議になると、そうした奥行きが出ないまま終わってしまう。

50代から始める「長期分散の知」

 個人的にいちばん刺さったのは「学びに近道はない、一生続ける覚悟を」という章。

 50歳。これまでは目の前の業務に関連するものを中心に知識を取り込んできました。技術書、業界レポート、管理会計、人事制度。どれも実務で役立ちましたが、ここから先はもう少し違う取り方をしてみたい。

 人文知は短期では何の役にも立たないであろうと思います。哲学書を読んで明日の売上が上がるわけではない。でもそれは、長く時間をかけて積み上げた人にしか到達できない場所がある、ということでもあります。

 新NISAで20年スパンの資産形成を組むのと同じで、知についても、あらためて長期分散の積み立てを始めればいい。配当が出るのは10年、20年先でいい。そう腹をくくれば、50代スタートはむしろちょうどいいタイミングに思えてきます。70歳の自分が、いま見えていない景色を見ている。それを思うと、この20年がぐっと楽しみになってきます。

 何より、50代の最初の一冊がこれだったというのが、自分にとっては縁起がいいのです。人生の二周目のバケットテーマのひとつに、本書のおかげで「人文知の積み立て」という項目が加わりました。これから読む本も、聴くポッドキャストも、訪ねる場所も、すべてこの項目に紐づけて選べます。

おわりに

 読み終えて、こういう本に節目で出会えたことを素直にありがたく思いました。先輩から後輩へ本が薦められるという関係は、それ自体がささやかな知のリレーだと感じます。今回はその恩恵を受けた側ですが、自分もいずれ、20代や30代の後輩にここぞというタイミングで一冊を差し出せる立場になりたい。そのためにも、これから20年、淡々と、でもより関心をもって、人文知を積み立てていこうと思います。

 人文知は、すぐには武器にならない。10年寝かせて、はじめて武器になる。だからこそ、今日から始めるのが一番得な投資なのだと思います。50代の最初の一歩として、これ以上の一冊はありませんでした。

 同じく節目を迎えている方、AI時代の自分のポジショニングに迷っている方、いつかちゃんと教養に向き合いたいと思いつつ後回しにしてきた方には、ぜひ手に取ってみてほしい一冊です。

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