足の裏で、地図を描く ─50歳から、もう一つの25年
五月のひかりが、部屋いっぱいに流れこんでいた。
子供のころから、50歳で人生は終わると思っていた。その節目の朝に、私は生きて目を覚ましている。ちょうど50回目の、五月の朝だった。1976年に生まれてから、五月を50回、数えてきたことになる。終わるはずの人生が、何食わぬ顔で続いている。それがすこし、可笑しい。
カーテンを引いた。よく晴れていた。晴天というのは、ときどき不幸に似ているものだ。江國香織さんの『ホーリー・ガーデン』のなかで、果歩がそんなふうなことを口にしていた。穏やかすぎる空に、ふと滲んでくる影。あの感受性のことを、この朝、すこしずつ思い出していた。
本棚から、ひさしぶりにその本を抜き取った。表紙のカバーがすこし日焼けしている。20代のころに買って、何度かページをめくった本である。果歩はいま、何歳になったのだろう。私はあのときよりも、もう少し、果歩のことが分かるようになっただろうか。
本のなかの人は、年をとらない。読みかえす人だけが、年をとる。
なんとなく、手のひらで本を持ったまま、しばらく立っていた。
朝のひかりのなかで、私は50歳になっていた。
ノープランで、目が覚めた
きのうのnoteで、新卒のときに手帳に書いた5つの目標が、25年かけて全部叶ってしまった話を書いた。「お疲れ様でした、俺!」と自分を労って、文章を閉じた。それで、私の人生は、ある意味で完結してしまったのだった。
そして、目が覚めたら、机の上に白紙の手帳があった。
これは想定外だった。50歳で終わるつもりで設計してきた人生だったのに、終わらなかった。借りた時間、というのともすこし違う。ただ続いている時間が、ふつうに目の前にある。完全にノープランだ。どうしたものか。
とはいえ、目標なく生きるのもつまらない。せっかく生かしていただいているのだから、また書いてみよう、と思った。手帳に書いた5つは、結果としてすべて叶ってしまったのだから。言霊は二度三度と効くものだと、信じてみたい。
ということで今日のnoteは、これから先の、私自身のための覚え書きである。具体的ではなく意気込みや抽象的な意識によるエッセイですが、よろしくお付き合いください。
コーヒーを淹れた。
立ちのぼる湯気のむこうに、五月の窓があった。
まず、10年先まで
すこしだけ、前提の話を。
50代というのは、世間ではよく「下り坂」と呼ばれる年代らしい。身体も頭も衰えはじめる、と。これは、たぶん事実なのだろう。30代の私と同じ体力で動けるとは思えない。徹夜で資料を作って翌朝の会議に出る、みたいな無茶も、もうきっとできない。20代のころのように新しい技術書を一晩で読み切る集中力も、たぶん戻ってこない。
それを認めるところから、50代は始まる気がする。あらがって若いふりをせず、衰えていく季節として、いったん受け入れてしまう。
そのうえで、私はこの季節を、こんなふうに捉えなおしたい。
50代は、収穫期である。
同時に、新しい種を蒔ける、最後の本気の季節でもある。
25年かけて、いろいろなものを蒔いてきた。技術、人、コミュニティ、書物、登壇、信頼。それらがいま、いつのまにか実っている。だからこの先の10年は、まずその実を受け取って、必要としている人に分けて回る時間にしたい。
同時に、新しい種も蒔きたい。50代に蒔いた種は、運がよければ60代、70代で実をつける。30代でやろうとしてできなかったこと、20代でやりたかったのに先送りしたこと。それを、いま蒔いておかないと、もう間に合わない。身体が動くうちに、というのは、たぶんそういうことだ。
衰えと豊かさは、おなじ季節のなかで、ちゃんと同居できる。私はそう信じることにした。
そして、目標期間の話。
新卒のときの目標は、「50歳まで」という25年スパンの設計図だった。じゃあ、こんどはどのくらいのスケールで描くか。75歳まで25年、と置くこともできる。けれどそれは、すこし遠すぎる。50代の身体と頭で、25年先の自分を真剣にイメージするのは、現実味が薄い気がする。
まずは10年。60歳に灯台を一本だけ立てる。10年なら、肌の感覚として届く距離だ。
その10年の先に、もう一つの15年が続いていく。合わせれば、もう一つの25年。新卒から50歳までで一つの25年を走り切ったのなら、50歳から75歳までで、もう一つの25年を歩いていきたい。
走るのではなく、歩く25年として。
このタイトルを「もう一つの25年」としたのは、そういう意味である。
二杯目のコーヒーを淹れた。
窓のそとで、雀が一羽、樹の枝に降りた。
靴のはなし、海のはなし、伴走のはなし
新卒で組込み開発者から始まり、テストエンジニアに転じ、SaaSの世界でQAや経営に関わり、独立してQA分野の伴走支援を続けてきた。25年で、エンジニアとして必要な経験は、ある程度ひと通り積めた気がする。これ以上、自分のために積むものは、もうそんなに多くないかもしれない。
50代は、自分のために積むから、誰かのために返すに、すこしずつ重心を移したい。
前記事で「受け取ったものに利子をつけて返す」と書いた。ふりかえりのキーワードのつもりだった。50代では、それを動詞そのものにしたい。受け取り続けてきた25年から、返し続ける10年へ。
返したいものは、たぶん、本に書きにくく、講演で伝わりにくいもののほうだ。技術の知識やフレームワークではなく、現場での判断の機微、失敗の手触り、プロジェクトが折れる瞬間の感覚。そういう、暗黙のままになっているもの。これを誰かに渡そうとすると、どうしても長い時間が要る。一回きりの講演や本では足りない。隣を歩きながら、折々の場面で、すこしずつ手渡していくしかない。
伴走、という言葉を、私は丁寧に使いたいと思っている。答えを渡すのではなく、答えに至る思考の隣を歩くこと。依頼者が「答えをください」と言ったとき、伴走者の仕事は、答えを渡すことではない。「いま、あなたのなかにある問いは、本当にそれですか」と、もう一度、問いの位置を一緒に確かめる。問いが正しい位置に立てば、答えはたいてい本人のなかにある。それを引き出す手伝いが、伴走者の仕事なのだろう。
伴走をしているとき、私はいつも、自分のなかの「答えを持っている人」を、すこしだけ脇に置く。置いた答えは、その日はもう、使わない。隣の人の問いの輪郭が浮かびあがるのを、ただ待つ。それは、思っているより、時間のかかる仕事だ。
いつかフェリーで、日本をぐるりと回ってみたいのである。
なぜフェリーなのかと言われると、うまく説明できない。新幹線でも飛行機でもいいはずなのに、フェリーじゃないと、たぶん駄目なのだ。フェリーには、移動と滞在の中間みたいな時間がある。船室、デッキ、食堂、湯けむり。乗っているあいだじゅう、自分はどこにも到着していない。けれど、確実に動いている。
夜のデッキ。海の暗さ。船尾に消えていく航跡。遠くの船の灯り。ああいう景色のなかでは、肩書きも、実績も、誰も問わない。
伴走の仕事と、夜のデッキは、たぶん、似ている場所だ。
独立の話を、すこし。
独立して冠を外したら、世界が広がった、と前記事で書いた。それは本当にその通りで、いまも独立は私の働き方の基本である。
50代で心が燃えるような出会いがあったときには、最後にもう一度、どこかの組織に身を置くのもアリかもしれない、と思っている。独立は、旗ではなく、靴のようなものだ。歩くために履いているだけで、必要なら脱ぐ。靴を脱いで、もう一度誰かと同じ船に乗る選択肢も、最後の10年なら、あっていい気がする。
これは独立を撤回したいわけではない。逆である。独立してきたからこそ、選んで戻る、という選択ができる。最後の所属は、最初の所属とは違う重さを持つはずだ。
そういう出会いが来るかどうかは、分からない。来たら、たぶん、私はためらわず行く。来なければ、それも縁だと思う。
靴を脱げる人でありたい、と50代の入口で思っている。
二杯目のコーヒーが、すこし冷めていた。
朝が、午前のなかに、ゆっくりと溶けはじめていた。
火のはなし、汗のはなし、棚の上のあれこれ
火を見て黙る数時間が、私には足りない。
ここ数年、キャンプは大流行している。それ自体は素敵なことだ。私がやりたいのは、すこし違う方向である。もっと静かに、火と向き合う時間。インスタグラムに上げる焚火ではなく、誰にも見せない焚火。
人間というのは、火を見ているだけで何時間も過ごせるものらしい。スマートフォンを置いて、本も置いて、人とおしゃべりもせずに、ただ火を見て、黙る。「みんなの焚火」ではなく、「自分の焚火」をひとつ、持ちたい。
火の前で、何も決めない時間。
それから、汗の話を。
ある夏の日のことを、思い出している。コートに立っていた。先輩が、手すりにもたれてビールを飲んでいた。「お前、走れよ」と笑っていた。私はコートを駆けまわって、ボールを何度か落とし、息が切れて、最後にもう一度笑った。
私はずっと運動不足のエンジニアで、自分でも自覚していた。私の運動不足を見かねた業界の大先輩が、バスケットボール大会を企画してくれたのだった。技術書をくれたわけでも、講演の機会をくれたわけでもない。汗をかける場を、丸ごとひとつ、贈ってくれたのだ。
あの日のコートの感触を、いまも、ふと思い出す。
スポーツを再開したいと思うとき、私のなかにあるのは、たぶんあの日のコートの記憶である。勝ち負けではなく、上達することでもなく、身体を動かす楽しさそのもの。それをもう一度、味わいたい。
そしていつか、自分も、誰かに「汗をかける場」を贈れる人になりたい。技術や知識を渡すのも大事だけれど、汗をかける場や、笑える時間というのは、それ以上に貴重な贈り物だと、あの大先輩から教わった。50代では、それを自分の側からも、ちゃんと贈れるようになりたい。
いちばん深く受け取ったものが、いちばん渡したいものになる。
しばらく、ボールの音を、頭のなかで聞いていた。
そして、すこし冒険めいたことを。
IT業界とはまったく違う業界で、働いてみたいのだ。バイトでもいい。
なぜそんなことをしたいのか。25年積み上げてきた肩書きや専門性を、いったん全部脱いでみたいのである。前記事で「冠を外したら、世界が広がった」と書いた。今度は、冠だけではなく、専門性そのものを脱いでみる実験のつもりだ。
「先生」と呼ばれず、「ねえ、そこの新人」と呼ばれる場所に立つ。50歳の自分が、そこでどんな顔をするのか、自分でもまだ分からない。たぶん、けっこう怖い。情けない瞬間も、たくさんあるはずだ。
その怖さを通ったあとにしか見えない景色が、たぶんある。
業界も職種も、まだ決めていない。これは、決めない方がいい。決めすぎると、幅が狭くなる。
正直に言うと、頭のなかで、もう何度か面接の予行演習をしてみたりしている。「年齢はおいくつですか」「IT業界以外で働かれた経験はありますか」と訊かれて、私はそこで、何を答えるのだろう。考えると、すこし、たじろぐ。たじろぎながら、それでも、行きたいのである。
棚に上げてあるあれこれの話を、すこし。
20代、30代、40代の自分が「いつかやる」と言ったまま、棚に上げてしまったあれこれ。それを棚から下ろしていく時間が、50代だと思っている。読みかけの本を読み切る。行きそびれた町に行く。会いそびれた人に連絡してみる。買って弾かなかった楽器に、もう一度触れる。
これも、決めすぎないでおく。リスト化したくなる気持ちは分かるけれど、全部書き出してしまうと、回収作業のような無味乾燥なものになる。そうじゃなくて、ある日ふと思い出して、そういえばあれをやってみよう、と動き出せる柔らかさを、ちゃんと残しておきたい。
最後に、ひとつだけ、思想転換を書いておく。
新卒からの25年は、軸を一本に絞れたから走り切れた、と前記事に書いた。情報処理技術者になる、という軸を一本立てて、そこから動かさなかった。判断のコストが下がるぶん、行動量が増えた。これは本当にそうだった。
50代は、その逆を行きたいのである。
軸を一本に絞らない。あれもこれも、ゆるくやってみる。フェリーも焚火もスポーツもバイトも、それぞれが目標として整然と並んでいるわけではなく、思いつきで動く幅を残しておきたい。
25年で、太い幹は育った。50代は、その幹から枝葉を四方に伸ばす時期。枝葉は、整然と伸ばすものではない。光のあるほうへ、風のあるほうへ、勝手に伸びていけばいい。
ゆるくする、と書いてみて、自分で笑ってしまった。
私には、たぶん、いちばん向いていないことだ。それでも、書いておかないと、いつまで経ってもゆるくできない。だから、書いておいた。
手帳のなかには、いま、たくさんの「決めない」という決意が、書きつけられていく。
なんだか可笑しなことだ。
三杯目のコーヒーを淹れた。
窓のそとから、ゆるやかな風がはいっている。
大事なのは、誰のために淹れるか
50代を支える四つの言葉を、すこし考えていた。Gratitude、Contribution、Respect、Enjoy。ありふれた言葉だ。頭のなかで、いつのまにか英語のラベルが先に立つようになっている。25年、エンジニアでいたせいかもしれない。
日本語にすれば、感謝、貢献、リスペクト、エンジョイ。どちらの言葉でも構わない。自己啓発本の見出しのようでもある。けれど、この四つを、四つに分けて考えるよりも、おなじものの四つの面として捉えなおしたい。
感謝は、過去への姿勢。貢献は、未来への姿勢。リスペクトは、隣人への姿勢。エンジョイは、自分への姿勢。過去・未来・他者・自分。四つの方向に、いつもすこしだけ手のひらを開いていたい。
正直に告白すると、貢献は、これまでもそれなりにやってきたつもりだ。コミュニティを立ち上げたり、書いたり、話したり。それなりに業界に何かを残してきた自負はある。
感謝とリスペクトとエンジョイは、足りなかった気がする。
感謝については、いつも「ありがたいなあ」と思ってはいたものの、ちゃんと言葉にして伝える機会は、多くなかった。「いつかちゃんと伝えよう」と思っているうちに、機会を逃してしまった人が、たぶん何人もいる。
リスペクトは、特に50代の人間として意識したい言葉である。年齢を重ねると、知らずしらずのうちに「教える側」「分かっている側」に立ってしまいがちだ。けれど、若い人たちが見ている景色は、私の見ている景色とは違う。彼らから学ばせてもらう姿勢を、忘れたくない。
エンジョイは、いちばん下手だった気がする。何かをやるとき、すぐに「どう成果に結びつけるか」を考えてしまう癖が、長年でついてしまっている。フェリー旅も、焚火も、業界外バイトも、たぶん何かの成果には直結しない。それでいい、というか、それがいいのだ。
村山由佳さんの『おいしいコーヒーのいれ方』のなかに、こんな一節があった。
大事なのは、誰のために淹れるか。
この言葉を、私は何度も思い出すようになる気がしている。
仕事でも、文章でも、コミュニティでも、結局のところ、誰のためにそれをやっているのかが問われる。
そして、自分のために淹れる時間も、ちゃんと持ちたい。今朝、私はもう、自分のためにコーヒーを三回淹れた。一杯目は、ノープランの自分のために。二杯目は、五月の窓のために。三杯目は、これからの10年のために。
エンジョイというのは、たぶんそういうことなのだろう。
本棚に、もう一冊、別の本を見つけた。
須賀敦子さんの『ミラノ 霧の風景』だった。
遠くに、灯台がある
文学の話を、すこしだけ。
冒頭で、本棚から江國香織さんの『ホーリー・ガーデン』を抜き取った話を書いた。私の本棚には、江國さんの本がほかにも何冊か並んでいる。『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』というタイトルそのものが持つ覚悟。『すいかの匂い』の手触り。それぞれの本が、それぞれの記憶のなかに、ちゃんと場所を持っている。
50代になって読みかえすと、20代で読んだときには見えていなかった何かが、たぶん見える。本というのは、何度でも読みかえすためにあるのだろう。
おなじ棚のとなりには、村山由佳さんの本も並んでいる。『天使の卵』『天使の梯子』。あの感受性は、50代になっても錆びつかせずにいたい。年齢を重ねるということは、感受性を鈍らせることではなくて、感受性をより静かに、より深く使えるようになることだと、信じたい。
もうひとり、灯台のような人の話を書いておきたい。
須賀敦子さんは、50代の終わりから60代にかけて、本格的に書きはじめた人だ。『ミラノ 霧の風景』が世に出たのは、61歳のときだった。それまでに積み上げてきたイタリアでの生活、翻訳、人との出会いを、遅くなってから、ようやく言葉にした人である。あの澄んだ、深い文章は、若くしては書けなかった気がする。
50代の入口に立つ私にとって、須賀敦子さんという存在は、遠くに立っている灯台のような人だ。灯台のような人がいる、ただそれだけで、心強い。
私には、須賀敦子さんのような透明な文体は書けない。けれど、遅くから始めることを恥じない、という姿勢だけは、受け取れる気がする。
50代は、何かを始めるのに、まだ早すぎない年齢である。
四杯目のコーヒーはやめておく。
部屋のひかりが、すこしだけ眩しくなっていた。
二度目の言霊
長くなった。50歳の宣言として、書きたかったことは、だいたい書けた気がする。
最後にもう一度、言霊の話を。
前記事の最後で、こう書いた。「言霊ってあるね、というのが正直な感想です」と。新卒の手帳に書いた5つの目標は、25年かけて、結果的にすべて叶ってしまった。願えば叶う、という単純な話ではない。書いて、口に出して、人に伝えると、行動が引き寄せられるし、支援が集まってくる。それが言霊の正体だと思う。
であれば、今日のこの記事も、たぶん言霊として効くはずである。書いた以上、私は引き寄せられる。読んでくださった方々のなかにも、機会や声をかけてくれる人が、いるかもしれない。10年後、60歳になったときに、私はこの記事をもう一度読みかえして、「ああ、また叶ってしまったな」と苦笑する。そういう未来を、すこし期待している。
書くことは、儀式のようなものだ。頭のなかで漠然と思っているだけのことを、文字にして、外に出す。出した瞬間、それは自分の手を離れて、世界の側に立ちはじめる。世界の側に立った言葉は、勝手に動いて、勝手に人を呼んできてくれる。これが言霊の働き方だと、私は信じている。
だから、書いた。
二度目の言霊が、また誰かの手を借りて、ゆっくり動きはじめてくれることを、願いながら。
昨日の俺へ、今日の私へ
最後に、ふたつの宛先に、短い手紙を書く。
──昨日の俺へ。
25年間、本当にお疲れ様。新卒の手帳に書いた5つを、よくぞ全部叶えてくれた。途中で何度も折れそうになりながら、よく走り切ってくれた。受け取ったご縁を取りこぼさず、利子をつけて返そうと、ちゃんと足掻いてくれた。おまえがちゃんと走ってくれたから、今日の私がここに立てている。本当に、ありがとう。ゆっくり休んでくれ。
──今日の私へ。
ノープランの50歳、おめでとうございます。手帳の白紙のページが、こんなにわくわくするものだとは、すこし意外でした。これから10年、いや、もう一つの25年。走らなくていい、歩いていい。足の裏で地図を描きながら、ゆっくり歩いていきましょう。途中で道に迷っても、構いません。決めすぎないで、ゆるく、明るく、エンジョイしながら、誰かのためにコーヒーを淹れる人でありたい。そう、願っています。
いってらっしゃい、私。
窓のそとで、五月の風が、ゆっくり樹を揺らしている。
