詩を学んでわかったこと
私は常日頃、
なにかしらの本を読んでおり、
小説もよく読むのですが、
中には読んでも
よくわからない作品も、
多くあります。
どちらかというと、
私の小説の好みは、
エンタメ寄りの作品です。
純文学にも
挑戦することはありますが、
割と苦手なジャンルなんですね。
この度、詩のことを学んで、
わかったことがありました。
たぶん、私が苦手だと
思ってきた小説というのは、
おそらく「詩」の成分が
強い作品だったんですね。
「詩」と普通の文章の
大きな違いといえば、
表現のしかたです。
「詩」では、
どちらかというと、
直接的な表現が避けられます。
「具体的な表現」
と言ってもいいでしょう。
なんらかの内容を
伝える時に
具体的な語句を用いて、
明快な文章にすることによって、
多くの人に、
それがうまく伝わります。
一方で、詩が表現しようとする
モチーフの対象は、
「自然」であったり、
「心の動き」といった
うまく言葉で
表現できないものであることが
多いんですね。
だからこそ、詩を書く人は、
それを伝えるために
「詩」という表現を
用いています。
文章において、
「詩」と対極にあるのは、
「論文」だと思います。
どちらかというと、
私が得意なのは、
「論文」の方の表現です。
「論文」は読者を説得し、
なんらかの論証を
提示するための文章です。
きわめて、客観的な表現方法で、
相手を説得するための
文章でもあるんですね。
私は長らく、そういった文を好み、
自分でも綴ってきたため、
「詩」が持つ、度量の深い、
ある意味では、
「淡い」とも言える文の
おもしろさが
わからなかったんでしょう。
少し前まで、私は
「言葉」ですべてのことが
表現できる、
それができないのは、
まだ言葉が追い付いていないだけ、
とも思っていました。
ところが、世の中、
すべてのことが言葉にできるほど、
単純ではありません。
不遜だったなぁと思います。
だからこそ、
今までの自分にはなかった、
「詩」という
極めて不安定な言葉の魅力に、
今さながら、
感動させられているんですね。
「詩」とは言葉では
表現しきれないことを
表現した文で、
「学問」とは、
すべての事象を言葉によって、
証明する試みでもあります。
今の私は、
どちらの試みにも
共感を覚えます。
いいバランスのところに
来ることができたなぁ
と実感している、
今日この頃です。
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