イケメンのこの俺がおじさんなんかに恋をするはずがない 第4話

 ヨドバシカメラ前にけんじと二人でやってくる。
「ごめんね、急に呼び出して」
「いえいえ。空いていたんで」
「隼人君、ご飯は?」
「まだですけど、先にヨドバシでもいいですよ。フラッシュ買いたいんですよね?」
「そうそう」
 軽く昼食を食べることにした。近くの喫茶店に入って、サンドイッチとコーヒーを注文する。
「そのカメラ、フラッシュってついてないんですか?」
「うん。買って外付けしないといけない。ちょっと最近使っていたのが故障しちゃって、せっかくだから買い替えようと思ってね」
「そうなんですか」
 相槌を打ちつつ、隼人はいつ告白をしようか考える。

 やはりこういうことは別れ際だろうか。
 しかしタイミングを逃してそのまま帰ってしまうかもしれない。
 ではどこで?
 適切なタイミングというのはやってくるのか?
 考えたが、何もわからない。
 多くの女性と付き合ってきたはずの隼人だったが、ここまで告白に本気を出すことなどなかった。たいていは女性の方から言って来るからである。
 胸もここまで高鳴ったことはない。
 会計を済ませて、店を出る。もうここで言ってしまおうか。タイミングなど計っていたらいつまでも告白などできないような気がする。

 息が荒くなってくる。顔が紅潮しているのがわかる。ばれないように深呼吸をして、
「あの、けんじさん!」
 隼人はヨドバシカメラに入ろうとするけんじを引き留めた。
「どうしたの?」
「えっと、実は……」
 隼人が言葉を開きかけたとき、
「隼人!」
 後ろから、声をかけられた。桃乃だった。
「桃乃? なんで……」
「いや、ちょっと怪しくてついてきちゃった」
 日曜日なので、桃乃も大学は休みである。だからといって、まさか後をつけられていたとは隼人は思いもよらなかった。
「隼人君、その子は……?」
 女子大生好きのけんじが、まさしく女子大生である桃乃を見て目を輝かせる。
 隼人としては、とても気まずい。
「隼人の彼女です」
 桃乃はどうでもよさそうに自己紹介して、
「でも、女と会ってると思ったけど、そっちなの?」
 隼人に言った。

 男の方と会っていたのか。そんな目で桃乃に言い寄られて、隼人は目をそらした。
「あ、いや……」
「いくら取ったの?」
「え?」
「私の方にはお金返さないで、どうせ別の女と遊んでるんでしょ?」
「そっち?」
「ほかに何があるの?」
「遊んでない」
 隼人は首を振って否定したが、今までの行いが悪かったのか桃乃は納得してくれない。
「人からお金だまし取ってでも夜遊びしたいの?」
 さらに詰め寄って桃乃が問いただした。
 むっとした隼人は答えずに鼻を鳴らす。
「……パパ活やってるやつに言われたくないわ」
「こっちは一緒に食事してるだけで売春やってるわけじゃないし」
 桃乃はとげのある強い口調で言い返した。
「変わらないだろ」
 桃乃は隼人の言葉を無視してけんじに向き直る。
「おじさん、だまされてますよ。こいつ、女のアカウント作ってひっかかった男から金取ってるんですよ」
 愛想よくしていたけんじは、しかし目を見開いた。
「ええ? 隼人君が?」
「そうですよ。お金振り込みませんでした? 詐欺なんで」
「…………」
 はじめに「ルカ」にお金を振り込んだことを思い出しているのか、けんじは沈黙する。
「いや、違……」
 隼人は言おうとして、何も違わないことを改めて自覚した。何も間違ってはいない。桃乃の言っていることは嘘ではない。

 何も言えなくなって、
「――――!」
 隼人は走り出した。
「あっ、隼人!」
 桃乃に真実を言われるのが、けんじに罪を追求されるのが怖かった。けんじから金を巻き上げたのは事実だった。
 嘘なんてばれたら、いつもは適当に流したり暴れたりしてなあなあにしてきたが、そんな姿を隼人はけんじに見せたくなかった。
 電車に乗って渋谷や池袋をあてもなく歩いて、それから桃乃のアパートの前まで来て、それ以上進めず、またあてもなく歩き出した。

 気が付けば夜になっていた。公園のベンチに座って、スマートフォンを確認する。桃乃から着信があったが、折り返し連絡はしなかった。
 それから、写真投稿サイトのスターライトグラフで「ルカ」のアカウントを見る。
 送られてきたメッセージの数があまりに多いので何かと思ったら、「ルカ」のアカウントが炎上していた。
 最初にアップロードした写真が盗用だと拡散されたらしい。批判のコメントやダイレクトメールがたくさん来ている。悪評が広まればどうしようもない。
「訴訟とかも怖いし、もうアカウント消して逃げるしかないか……」
 けんじとの唯一のつながりであった「ルカ」。存在していないその女性が姿を消せば、けんじとのつながりはおそらく完全に断たれる。いや、もうだまされていたとわかった時点でそれは確定的だった。

 あの場から逃げたのも自白したようなものだし、今更どんな顔をして連絡すればいいのかわからない。金をだまし取ったのは事実だが、あなたと撮影したかったのは本当だ。そんな言い訳、信じてもらえるはずがない。
 消そう。
「でも、その前に……」
 フォローしてくれているけんじのアカウントに、
「いままでありがとうございました。大好きでした」
 とダイレクトメッセージを残した。
 これも落とし文になるのだろうか。落として逃げるだけになってしまうが。
 それから隼人は「ルカ」のアカウントを消去した。次に自分の上げていた虫撮影用のアカウント。
「…………」
 それもややためらいながら消した。どうせほとんどいいねもつかない。適当に作った「ルカ」よりフォロワーもいいねも低かった。

 自分なりに本気でやってみた。その結果が五いいねである。
「しょぼすぎる……」
 ベンチの背もたれに体重を預けながら夜空を見た。
 アカウントを二つ削除しただけ。
 たったそれだけで、自分の人生にあったものが全部なくなってしまったように思えた。
 趣味らしい趣味など女あさりくらいだった。楽ができればそれでよかった。だからか、最近積み上げたものがなくなると喪失感が大きかった。
 無気力になり、悔恨だけが残った。
 自分が他人の平和を脅かしたり金や時間を奪ったりする者ではなかったら、けんじともっとちゃんと出会えたのだろうか。

 宿を探すのも面倒だったので、公園で野宿した。
 夜が明けると、隼人は近くのコンビニでおにぎりと飲み物を買って、また公園に戻って来た。無言で食べ、朝食を食べ終える。
 残っているのはスマートフォンにあるわずかなペイペイ残高と、もう不要になったカメラだけ。
 しかしそのスマートフォンもバッテリーがもう少しで切れる。夜も桃乃から着信があった。公園で夜を越しているとは思いもしないだろう。どうせ別の女のところに行っているに違いないと思っている。さすがに隼人に対してもう興ざめしているだろうから、案外自由になったと喜んでいるかもしれない。桃乃にとって自分は、お荷物そのものだ。隼人はようやくそれがわかった。

 ゴミを片付けて、ベンチに横になる。日が上ってきた。まぶしい日差しも、今は気にならない。
 昼になるにつれて気温も上がってくるだろうが、もう何も考えたくない。
 空を見ながらぼーっとしていると、目の前に黒い何かが通った。
 一瞬置いて、その正体に気が付いた隼人はがばと起き上がる。
「ジャコウアゲハ……?」
 アゲハチョウのような姿だが、翅は全的に黒く後翅にうっすらと黄色い紋が見られる。普段なかなか見られない黒い蝶だった。話に聞いていただけだったので断定はできないが……。

 ジャコウアゲハは一度隼人のいるベンチの背もたれに止まろうとして、すぐに飛び立った。
 隼人はそれを目で追う。ジャコウアゲハは蜜を求めて公園の隅にある花壇に向かい、そこにある赤い花の一つに止まった。
 レア昆虫ゲットの好機だった。これを逃したら、今度はいつシャッターチャンスに出会えるかわからない。
 立ち上がった隼人はなるべく気配を殺しながら近づいていき、カメラを構えた。
 瞬間、ジャコウアゲハはシャッターを切る前に飛び立ってしまう。
「あ……くそっ」
 蝶は素早かった。用心深いのか、カメラを近づけようとするとすぐ察知されてしまった。
 逃げるときは空を飛んで行ってしまうので逃げているところを撮るのも難しい。

 隼人は構えていたカメラを下げた。
 もう少しで撮れたのに……やはりこういうときは望遠レンズだろうか。隼人のカメラにも倍率を上げるオプションのレンズがあるが、レンズを付け替えられるようなカメラでもう少し撮影距離を保った方がやりやすいのかもしれない。
 そこまで考えたところで、隼人は我に返った。
「俺、何やってんだ……?」
 全て自分で終わらせた。だからカメラにももう用はないはずだ。べつに昆虫を撮影するのも、けんじの趣味に合わせていただけだ。けんじと会わなくなれば虫なんて撮る必要はない。
「…………」
 それでも、隼人はカメラは手放せなかった。捨てるのはもったいないということではなく、惜しいと思った。もっと写真を撮りたかった。

 隼人は再び歩き出し、いい被写体を探した。先ほどのジャコウアゲハは……いない。だが遊歩道の植木の葉に、カメムシが交尾をしていた。隼人はゆっくりと近づいてシャッターを切る。カメムシは、逃げなかった。
 隼人はそのまま町中を歩きながら、写真を撮った。虫だけじゃなく、いい被写体がいたら、心動かされる風景だったら、夢中でシャッターを切る。とにかく何でも、撮りたければ撮った。散策しながらなのでバッテリーはもっている。
 昼食も食べずにカメラで遊んで、気づいたら夜になっていた。
 公園のベンチで横になって眠って、早朝また写真を撮った。
 髪はぼさぼさになっていた。ひげもだらしなく生えている。自分ではわからないが、身体も臭くなっているだろう。
 それでもカメラを持つ手に手ごたえを感じると、隼人は声を上げて笑った。
 カメラを構えているときの高揚感。シャッターを押した時、いい写真が撮れた時の達成感。それはたしかに、隼人自身の気持ちだった。
 あれからジャコウアゲハには出会えていないが、まあそのうち会えるだろう。
 それでよかった。隼人は、急いで桃乃のアパートに向かった。

「すまん、俺、けんじさんのことが好きなんだ」
 帰ってきて風呂に入ってから桃乃に告げると、桃乃は動きを止めた。
「は?」
「けんじさんだけじゃなくて、カメラもかなり好きだ。似合わないからきもいだろ? 俺もそう思う。でも好きなんだ」
 正直な気持ちを吐露するも、桃乃はぽかんとしたままだ。
「けんじさんって誰?」
「ヨドバシで会ってた人」
「ああ、あの……」
 桃乃にとってはただの気持ち悪いおじさんかもしれなかったが、桃乃はそれきり何も言わなかった。
「ごめん」
「……いいよ。私のこと好きじゃないのはなんとなくわかってた。さすがに男の人が好きだったとは思わなかったけど」
「俺も自分でそう思う」
 桃乃はため息をついた。呆れたというより、安堵したかのような嘆息だった。最近の隼人の言動にようやく得心がいったのだろう。

「でも、じゃあ私失礼なこと言っちゃった」
「仕方ねえよ。けんじさんは女子大生が好きだから許してくれると思う」
「あ、え、そう……」
 桃乃はそれ以上何も言わなかったが、表情は引きつっていた。
「ちゃんとけんじさんからだまし取った金を返したいと思う。それと、桃乃から借りた金も。それで全部リセットできるとは思わないけど、そうしないと俺が納得できない」
 隼人は改めて桃乃に頭を下げた。
「今まで、本当にごめん」
「い、いいよ別に。なんかこっちが戸惑うからやめて、そういうの」
「いつまでもおんぶにだっこされるわけにはいかない。一人暮らししてバイトして、お金少しずつ返していくよ」
「お金返すまではいていいよ。その方がお金たまりやすいでしょ?」
「……ありがとう。でも、部屋決まるまでにする」
「いや、家賃ない方がお金回収の効率いいだろうし途中で逃げることも難しいと思うから、まだいて。ここの家賃と光熱費は折半で。その方が私も得だから」
「お、おう……迷惑になるときは言ってくれ。どこかに行ってるから」
「うん、そうして」
 桃乃は気丈に返した。
「メンタル強いな、桃乃って」
「そうじゃないとここまであなたと一緒にはいられないよ」
 言われて、隼人は苦笑した。


「寒いな……」
 隼人がコンビニのアルバイトを始めてから半年以上が経った。
 アルバイトの休みの日に、隼人はまた写真を撮りに町に繰り出している。
 時期は一月の末で、雪は降っていなかったが気温はかなり冷え込んでいた。
「さすがに冬に出てくる虫なんていねえだろうしなぁ」
 ぼやきながら曇り空を背景にして葉の落ちた街路樹を撮影する。
 そういえば、ジャコウアゲハは蛹で冬を越すんだったか。テントウムシは、成虫で。本当にいるのだろうか。いるとしてもどこか人間の見えないところで冬眠するようにひっそりと過ごしているのではないのか?

「うおお、結構な数で固まるのか」
 スマートフォンで検索してみると、木の幹に身を寄せ合っているテントウムシが出てくる。集合体恐怖症なら一瞬で目をそむけたくなるような画像である。時には建物の隙間などにも固まっているらしい。探して撮影するには難解すぎる。
「まあ、気が向いたら探してみるか……」
 撮影した街路樹を確認してみる。曇天で光が足りないが、それゆえに寂しげな雰囲気が出ている。
「写真って結構光の具合に左右されるもんなんだな……。だからレフ板とかフラッシュとか使ったりするのか」
 光の強弱で、見え方が全然違う。どのようなアングルか、どのような光の具合か……それだけで雰囲気はがらりと変わる。
 虫を撮る分にははっきり映っていた方がいいので光はある程度必要か。

「お金を返したら、一眼買う金でも貯めるか……」
 あれからけんじと連絡は取っていないが、返す金が今月中にたまりそうなので、そろそろ連絡しなくてはいけない。たった十万ほどだが、貯めるのに半年かかってしまった。今まで仕事をしたことがなかった隼人にとっては、この事実は重かった。お金貸して、とか今後気軽に言わないことにする。
 それよりも桃乃へ返す金の方が多く、毎月少しずつ返してはいるが、こちらはもう少しかかりそうだ。独り立ちできるのはいつだろうか。考えたら途方もなく感じる。
 それから写真投稿サイトのスターライトグラフで新しく作ったアカウントを確認する。フォロワーが少しずつ増えている。いいねも十くらいはつくようになった。写真は自己満足で上げているだけだが、それでもフォロワーやいいねが付いたりすると嬉しい。承認欲求はまだ切り離せそうにない。
「帰るか……」
 もうすぐ桃乃が帰ってくる時間である。夕食の支度でもするか。
 隼人が帰ろうとすると、スマートフォンから通知がある。

 ショートメッセージの送り主は……けんじだった。
「久しぶり。冬だけど虫撮りに行かないかい?」
 あまりにいつもの調子だったので、隼人は困惑した。お金がたまるころだったので連絡が来たのはちょうどいいといえばちょうどよかったが。それにしてもあんなことがあったあとで、それでも連絡してくれるとは……隼人は目頭が熱くなった。
「けんじさん、懐が深いなぁ」
 やはりけんじもカメラも、隼人にとっては大切な存在だった。
 この気持ちはまだ持っておこう。少なくとも消えてなくなるまでは。
 しかしこんな冬の中で虫がちゃんと撮れるのだろうか。考えながら、隼人は液体をこぼさないようにグラスを運ぶ子どものような慎重さで言葉を選び、メッセージを返す。

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