アダム・グラント「GIVE & TAKE 『与える人』こそ成功する時代」
この世の人は3つに分けることができるといいます。
テイカー:常に与えるより多くを受け取ろうとする
ギバー:他人を中心に考え、相手が何を求めているかに注意を払う
マッチャー:与えることと受け取ることのバランスを取ろうとする
この中で誰が成功するのか。
一見、成功するのはテイカーかマッチャーであると思われますが、実は、ギバーたちが食い物にされて最下位に位置する一方で、トップの一定数はギバーなのだそうです。
確かに、これまで自分の組織で幹部の職員、また他の組織の力のある人などで、比較的深く話して、その人となりを観察できた人に関して、ギバーだな、と思った人のことを思い浮かべることができます。
成功するギバーと、食い物にされて終わるギバーの違いは何か、それは、常にギバーとしてふるまうわけではなく、テイカーに対しては、無条件にギバーとしてふるまうのではなく、必要に応じてテイカーとしてふるまう=寛大なしっぺ返しをする、ということなのだそうです。
確かに過去の上司の中で、部下である私たちに対しては、ギバー的な要素が強かったものの、他の部署に対しては、強く出てくれたりした人もいました。そうした人は、他から見れば、テイカーとしてうつるのかもしれません。
私は実際のところ、どれに属するのか分かりませんが、とにかくここ2,3年は、いいようにこき使われて、食い物にされているんだ、という被害者的な気持ちでいっぱいでした。
あらゆる人から、というわけではないですが、頻繁に訊かれる、頼まれれば断れない、断ることに罪悪感を感じる。いつ休みを取るか、ということでさえ、いろいろ考えてなかなか休めない。結果として、今年度はものすごく体調を崩すことが多くて、予定して休んだ記憶がほとんどないくらいです。
客観的に見て、私がテイカーということはないのだと思います。完全なギバーであるほどお人よしというわけでもないのですが、必要に応じてマッチャーとしてふるまいたいのに、それができなくて、つまり、無理にギバーとしてふるまわなければいけないような状況になっていたのだろうな、と思います。
無理にというか、ある一方からは断れない、バランスを取ろうとして、他に協力を求めようと思う、けれど、協力を求めたい相手が大変そうなのを見て、頼めなくなる、といったような感じです。
もう少しテイカーとしてふるまうべき時があるのだろうと思います。でも実際のところ、なかなか難しいのです。
この本には、どんな心持ちで対応すればよいのか、ということが書かれています。それは、自分のために、でなく、誰かのためにテイカーになればよいというのです。テイカーであると同時に、その誰かのためにはギバーとして行動できるわけです。
確かに、過去の上司などでギバーだなと思っていた人も、自分のチームを守るためにテイカーとして行動していたんだな、と解釈できます。
それが、ギバーとして成功するコツなのだろうと思います。
ここ数年、他自治体の同業者数人とよくグループチャットで話をしています。最近、その中で、「昔はいい人だったのに、偉くなると戦闘的になる」といった話題が出たことがありました。
この状況は3つのパターンが考えられるのではないかと思いました。
パターン1
同僚として働いていた時は、ギバーだったのに、偉くなったことで、ギバーとして評価される必要がなくなり、テイカーとしてしかふるまわなくなった。あるいは上層部にしかギバーとしてふるまう必要がなうなったので、テイカー行動が見られる状況が増えた。
パターン2
部下に動いてもらうためにチームの責任者として動いていた時にはギバーとしてふるまっていたが、さらに偉くなると、周囲がギバーとして接するので、自ずとテイカーとしてふるまうようになった。
パターン3
基本的にはギバーではあるが、偉くなって自分たちの部署の職員を守るためにテイカーになった。その結果、他の部署から見たら強気にふるまっているように見えた。
パターン1については、これは本の中でも実際に、3ケ月の行動を見て昇任させるという条件を与えた時に、承認後にテイカーになった人がかなりいたという話が出てきています。下には横柄にふるまうけど、上には丁重にふるまう人が少なくないと思うので、こういう人は多いのかもしれません。
パターン2については、意識的ではないけれど、だんだんそうなるイメージです。パターン1ほど筋の通ったテイカーではないけれど、徐々にそれが当たり前になってきてしまうというイメージです。
パターン3は根っこのところはギバーのままでいる感じなのだと思います。「自分のためには無理が言えないけれど、部下(誰か)のためなら強気になれる」という状態です。部下にとっては、とてもありがたいと思います。
まだ係長ではありますが、本来パターン3のようにふるまわなければならないこともあるのかもしれません。けれど、それがあまりできないのは、逆に係員へのギバーとしての思いが足りないからだったりするのだろうか、と考えたりしました。
この本のすごいところは、さらに、ギバーが生きやすい世の中、つまり、ギバーが食い物にされない社会にするにはどうすればよいか、ということまで考えています。マッチャーやテイカーとしてふるまってしまう社会。その一つの方法として、ギバーとしての行動が評価される社会だといいます。
ギバーとして行動しながら成功したたくさんの人が紹介されています。そうした人たちは、一般的な成功とは違う見方をしているそうです。
テイカーが成功を、人を出し抜いて優れた成果を達成することだと考えるのに対し、マッチャーは成功を、個人の業績と他人の業績を公正に釣り合わせることだと考える。
一方、ギバーは成功を、他人にプラスの影響をもたらす個人的なものだと考えるのだ。
公務員になろうという人は、本来はギバー寄りなのだと思います。だから、その天性の性質を発揮できて、安心してギバーとして行動したいと思えるような空気感を、自分の身の周りだけでも作りだせたらいいなと思います。私が食い物にされているなんて思っていたら、周りもギバーにはなれません。ギバーとしてふるまうのは無理をしない程度にして、自分の行動を自分で評価して、自信を持つことから始めてみようと思います。
