「クロノス・フラグメント」第三話
『時間の誘引』。その能力は強制的に他者の時間を数秒間進めるというもの。
『跳躍』が任意のタイミングで自身の時間を飛ばす能力だとすれば、『誘引』は否応なしに他者の時間を『跳躍』させる能力だ。
「!?」
数多の氷槍が降り注がれようとしていた。和葉はただ、最速で走り抜けるためだけの無防備な姿勢を晒す。
その目前にいるセラは予め、和葉が現れることを前提に氷槍を構えていた。全ては『誘引』の能力を知っていたかどうかの違い。
間髪入れず幾多もの氷柱が降り注ぐ。全速力で駆け抜ける人間が咄嗟の事故を回避することはできない。和葉には全ての氷槍が直撃する────はずだった。
「震脚」
そう呟いた直後、和葉は猛烈な勢いで大地に足を踏み締めた。
視界が揺らぐ。振動そのものは微々たるものだ。それでも、的確に体の要所、心臓、脳天、体幹を揺らしてくる絶技。
セラはそれを真正面から受け止めてしまった。
氷槍が降り注がれる。吹雪のような氷塵が舞った。しかし、狙いが一向に定まらない。
中心に佇む和葉を避けるようにして、氷柱が乱立していく。『震脚』によって、セラの平衡感覚は乱されていた。
「っ!」
セラが人型に戻る。構えるのは一振りの短剣。滑るような歩法で和葉が接近する。そして、短剣と小刀が交じりあった。
火花が飛び散る。繰り出される風の如き小刀の連撃をセラは短剣で弾き返す。
短剣と小刀の応酬は続く。拮抗はしていた。しかし、拮抗しているはずなのに、セラだけの動きが陰りを見せていく。
息は荒くなり、大粒の汗を垂れ流す。対照的に、和葉は涼しい顔で小刀を振るい続けていた。
剣舞のような太刀筋。しかし、流れるような剣筋を見せていた和葉が突然、小刀を滑り落とす。その隙をついてセラが、攻勢に出た。
罠なのは明らかだった。しかし、セラはもうそこに漬け込むしかなかった。
セラが首元に短剣の刺突を繰り出す。和葉はそれを華麗に避け、手首に触れる。
続く横薙ぎも踊るように躱し、首の後ろに触れる。
そのまま、滑るようにセラの腰まで移動し、軽く一押しした。
「っっ!!───────」
崩れ落ちる。口を含め、体の動きを全て封殺された。
和葉が仰向けに倒れる陽凪の方に向かって足を進める。
「だめっ!」
リーンが精一杯、腕を広げて和葉の道を塞ぐが、
「きゃっ!」
和葉が投げ飛ばした縄によって、絡め取られる。そのまま、傍らにいる佐治を一瞥した。
佐治は土下座していた。一心不乱に、微動だにせず、完膚なきまでの土下座だ。
「………賢明…」
和葉が呟く。最後の力を振り絞り、陽凪が立ち上がろうとした。しかし、崩れ落ち、屈むような体勢になる。拳銃が額に向けられた。
「これで終わり」
ここまでか。引き金が引かれ、死を覚悟したその時、和葉の懐から、突如、賑やかなイントロが流れ始める。余りにも場違いなそのメロディーに空気が凍った。そして、
「───あなたのハートにズッキュン!バッキュン!ハッピーキュアリ───」
爆音でアニソンが流れ出した。
「「………………」」
無言の時間が続いた。和葉の頬が少しずつ赤く染まっていく。懐から携帯を取り出すと、アニソンが鳴り止んだ。
「はい…もしもし、葉隠です……はい、はい……了解しました……。……あの…着信の時に無理矢理、あの音楽流すの止めてくれませんか………え?いやだ?……分かりました………」
和葉が携帯を懐にしまう。そして、懐から取り出した袋を陽凪に投げ渡す。
「…これは?」
「薬」
「ということは…?」
和葉が機嫌の悪そうな顔をする。
「……安曇陽凪は保護対象に指定された…」
「い、生きてる?生きてるんだよね?私?」
佐治が呆然と同じ事を何度も呟いていた。
「…これでひとまず、安心だとは思います…。今日一日は和葉が護衛してくれるらしいですし…」
「私としては今すぐ帰ってほしいのだけどね…」
佐治と陽凪が和葉の方に視線を向ける。
ソファに腰掛ける和葉はキラキラとした目を向けるリーンに質問攻めされていた。
「ねぇ!さっきのやつって『フェアプリ』のオープニングだよね!」
「………うん」
「すごーい!私、初めて『フェアプリ』見てる人と会えた!ねえねえ、何のキャラ好きなの?!」
「……シオン…」
「私と一緒だー!前の週の────」
『フェアプリ』とは、毎週日曜日朝九時から放送される女児向けアニメだ。
和葉は少し気圧されていたが、リーンを気に入ったらしく、頭を撫でてみては頬を緩ませていた。
「……そういえば、陽凪」
「僕は『フェアプリ』見てないよ」
いつの間にか発射された銃弾が頬を掠める。
「…ごめんって」
「…よろしい。…明後日、ヴィルテノムから召集が掛かってる」
「!」
「…学長から直々にお話があるみたい」
朝日が登る森の道を陽凪達は歩いていた。
「…あの?陽凪君…確か、安曇の直系とは縁がないって…」
「…最初はその契約だったんですけど、ご厚意で住まわせてもらってます」
「へ、へぇ〜」
佐治なら喜びそうなところだったが、なぜか、狼狽した様子を見せる。
あの一件の後、陽凪はセラの介護と和葉の漢方詰め合わせセットによって、歩ける位には回復していた。今は佐治達と共に、安曇家の屋敷に向かっている。
館は雑木林の奥、都心から少し離れた場所にあった。
「流石、『安曇』本家の館…なんという大きさでしょう…」
「すっごい綺麗!」
黒猫のセラがそう呟き、リーンが目を輝かせていた。陽凪が大きな門を叩く。すると、メイド服を着た次女が数名寄ってくる。
「お待ちしてました、陽凪様!さあ、早く!母君がお待ちになってますよ!」
豪華な庭園を一行はスタスタと歩いていく。
そして、館の荘厳な扉を開けると────
「おかえりなさい、陽凪ちゃん!心配したのよ〜!」
黒髪に紫紺の瞳。陽凪の姉である、沙夜の母親なのだと一目で分かる美人な女性が陽凪を思いっきり抱きしめた。
「ほっほっほ。よく帰ってきたな、陽凪」
安曇の現当主。安曇成久が声を掛ける。
いつ見ても、お札に火をつけて「ほれ、明るくなっただろう」とか言い出しそうな見た目だ。
「良かった…無事帰ってきてくれて…」
「お〜い!陽凪!生きてるか〜!」
「姉さんと…迅?」
「軽く保護しておいたのだよ」
義父の成久が気前良く笑った。
陽凪が大勢の使用人達に囲まれ、労いの言葉を掛けられる中、佐治がどこか忙しなく言葉を発した。
「いや〜良かったね!陽凪君!感動の再会って奴だ!それでは私はお邪魔みたいだから退散────」
「少し待ちたまえ、佐治くん」
一目散に退散しようとした佐治の肩を、成久の腕が掴む。観念したように佐治が項垂れる。
「ははは、お久しぶりですね、先生…」
「え」
陽凪が目を丸くする。しかし、一つ納得がいく事があった。思い返してみれば、あの状況下で、安曇の人間が一人も来ないというのは少し異常な事態だった。しかし、佐治が成久と縁があった故に、安曇は護衛を送らなかったのだ。
「久しぶりだね、佐治くん。ところでだが、踏み倒した借金の事忘れてないだろうね」
「ハハハ…」
佐治が空笑いをする。成久が腕を肩に絡めてくる。
「それに、うちの陽凪を引き抜こうとしたとか…」
「アハハハハハ…」
冷や汗を滝のように流す佐治は成久の腕から逃げようと必死に藻掻いていた。
しかし、仮にも現『安曇』家の当主。見た目がどれだけ成金であろうと、探偵(笑)の佐治とは鍛え方が違った。
「「……………」」
使い魔二人の冷え切った視線が佐治の背中に突き刺さる。
成久がリーンとセラを見やった。柔和な笑みが僅かばかりの驚きに染まり、目が少し見開かれる。
「…さて、佐治くん、これまでのツケを精算して貰うにつれ、二つの選択肢がある。まず一つ、あの死精霊(バンシー)の娘を安曇に奉公に出すか。それとも──────」
「はいっ!はい!それでお願いします!」
もはや、十八番となってしまった土下座が繰り出される。
「凛ちゃん…?」
リーンが信じられないものを見たとばかりに声を絞り出した。
余りの判断の速さに成久も言葉を詰まらせた。そして、少しばつが悪そうに続けた。
「……それとも、このまま、安曇と手を組むか、と提案するつもりだったのだが…」
「え」
「……少し後ろの娘と話し合いなさい」
佐治が恐る恐る後ろを向いた。リーンは微笑んだままだった。不気味なまでに微笑んだままだ。佐治の背筋に寒気が走る。
「ああーえーっと、今度、お菓子買ってあげるから─────」
リーンが口を尖らせてそっぽを向いた。
「Spär mech an de Strofraum!(お仕置き部屋に閉じ込めて!)」
黒い檻が佐治を包み込み、溶けるように姿を消した。
「………………」
その場にいる一同は皆等しく、地蔵のように固まっていた。
「…見苦しいものをお見せしてしまい、申し訳ありません…」
心底申し訳なさそうに、黒猫が謝罪をした。
深夜。
陽凪は自室のベットで横になっていた。カーテンの隙間から差し込む美しい月の光が優しく包み込む。その側には椅子が置いてあった。腰を掛けるのは成久だ。
「陽凪、分かっているとは思うが、あの娘…」
「はい、まさか、あんな形で出会うとは思っていませんでした…」
「…これから、どうするのだ?」
「…この一悶着が終わったら、『彼女』に会いに行こうと思います」
窓から透き通るような風が吹き込んだ。カーテンがふわりと揺れる。窓から覗く白い月に手を伸ばそうとして、止めた。
目を覚ます。そこは青白い空間。
「ごきげんよう、安曇陽凪。ここは夢の中だ」
陽凪は椅子に座っていた。少し先で腰掛けるのは義眼を付けた青髪の女だ。
「学長…」
「手短にいこう、ヴィルテノムが望むことはただ一つ。君が全ての『クロノス・フラグメント』を取り込み、『時の神(クロノス)』へと至ることだ」
