父の日に寄せて
父と母の出会いは、勤め先のステーキ屋だった。父が店長で、母がアルバイトのホール担当。
当時、高校を出たばかりの母に、ひとめ惚れでもしたのだろうか。アラサーだった父は、赤いスカイラインを母の家の前につけて、何度も、待ち伏せしていたという。あまりの頻度に、母は仲のいい友人に助けを求めている。
そんな、世が世なら「ストーカー」と言われかねない(思春期のころ、わたしは言った)猛アプローチが功を奏し、2年ほどの交際期間を経て結婚。
翌年、わたしが生まれた。
父31歳、母22歳のころだった。
若かりし頃、父は沖縄が産んだプロボクサー・具志堅用高氏に似ていた。その風貌でスーツを着ると、どういう訳かカタギじゃないひとに見えた。
わたしと妹が小学校低学年だったころ、旅先の空港で、いきなり私服の警官たちに囲まれたのも、その見た目が災いしていたのかもしれない。
当時の家族写真は、楽しい旅行とは思えないほど、全員が仏頂面だった。
小さかったころのことを、あまり覚えていないわたしだが、母と妹は、たいそう驚いて恐怖だったと話していた。
旅先から帰ったあと、警察官を夫にもつ友人に、母は聞いたそうだ。あのひとたちは、なにを基準に「怪しいひと」を判別するのかと。
友人の答えは、こうだったという。
「刑事のカン、だって」
それから2年ほどして、父は関東のある県に働きに出た。当時「単身赴任」と聞いていたのだが、3年前、まさにわたしがお嫁に行く年に、驚愕? の事実が判明した。
父の「単身赴任」は、「出稼ぎ」だったのだ。
当時、家族に送られた手紙には、こう記されていた。
Sazanami、妹さま(実際は、わたしたちの本名)
お元気ですか。
(中略)
○○(妹の本名)、父さんは、借金を返して、かならず帰ります。そのために、はるばる○○県まで来たのですから。
○○ちゃん(妹)もうすぐお誕生日ですね。
給料日が済んでから、プレゼントを贈ります。
(中略)
それから、お母さんに伝えてくれませんか。あわもりやその他、小包にして船で送ってください。
借金のくだりだけでなく、いろいろツッコミどころ満載の手紙で、爆笑しながら読んだ。
ところが、
この手紙が届いてひと月もたたぬある日のこと。
仕事から帰ってきた母は、そのまま呆然とリビングに立ち尽くした。
某県にいるはずの父が、ソファに寝っ転がってテレビを見ていたのだ。
もう爆笑どころではなかった。
抱腹絶倒とは、このことだと言わんばかりに、
わたしは声も出さずに笑い転げ、
ソファの上をのたうちまわった。
借金を返して、家族に豊かな暮らしを!
と息巻いていた父が、
泡盛を送って、と、わが家でいちばんの「しっかり者」である妹経由で、母に頼み込んでいた父が
家族になんの連絡もなく勤めを終え、
リビングで、くつろいでいた。
リアル父ヒロシ……
いや、それ以上のダメさというか、人間臭さだ。
ちなみに、笑いの止まらなかった手紙には、同居していた祖母(母の母)や、飼っていたジュウシマツを気づかい、わたしの「ピアノの試験」の結果を案じる、優しい父も垣間見えた。
そう、父は優しいのだ。
たとえ強面でも、甲斐性に欠けていても。
父は、優しい。
母に怒られたことはあっても、
父に怒られたことはない。
母に叩かれたことはあっても、
父に叩かれたことはないのだ。
10年ほど前だったか、父の大好きな広島カープのオープン戦に、両親を連れて行ったことがある。そのとき母は、1回裏あたりまで試合を観て、あとは寝ていた。
おなじく父の好きな、三線などの古典音楽の演奏会に行っても母は寝ているし、なんなら父が地謡(組踊などの舞台のとき、ステージの後ろで三線を弾く人々のこと)で出演している組踊の舞台鑑賞のときも、母は眠りこけている。しかも最前列で。
こんなにも自分の趣味を分かち合えないだけでなく、母は父に対する物言いがとにかくキツい。
父と結婚するとき、母はこう宣言した。
「暴力ふるったら離婚。大声出しても離婚!」
それを忠実に守ってきた父。
いっぽうの母。
暴力は振るわなくても、大声は出している。
母が父にキリキリしている場面を、今まで数えきれないほど目にしている。
あまりのキリキリぶりに、
「オレがお義父さんだったら生きていられない」
と、夫が狼狽するほどだ。
母だけでなく、娘のわたしたちも、
これまで、父に対してぞんざいに接してきた。
しっかり者の妹にはダメ出しされ、わたしには顎で使われる。
しかもわたしは、田村正和サマや大杉漣サマなどの名優を引き合いに出し、彼らがお父さんだったらいいのに、などとうそぶいていた。
そんな母と娘たちの「当たり」を、日々、のらりくらりと交わしている父なのだ。
食器洗いをしたり、洗濯物を干したりなどして、甲斐甲斐しく働く父。それを実家で見ていた夫に、いちど叱られたことがある。
「こんなに働かされて、お義父さんがかわいそう。ってかSazanamiは何してるの。手伝わないと」
そう言われて、実家で家事を手伝おうとしても、子どもを見ておけといって、母とともにすべてを引き受けてくれる父である。
優しくて、懐の深い父。
女の子は、お父さんと似たタイプのひとを
お婿さんにするのよ、なんて言われて、
そんなはずはない、と全力で否定していた。
だが、夫も優しく、懐が深いのだ。そして強面。
じつは、わたしの好きな役者さんは、任侠映画の似合いそうな方ばかりだ。
カタギではなさそうな、危ないを通り越してゾクゾクする迫力が、たまらない。そして、ときおり垣間見える、彼らの情深い一面。一瞬見せる、恐い顔が清々しく崩れるほどの笑顔。
そのギャップに、くらくらしながら生きてきた。
すこし間の抜けていたりすると、もう最高。
父に、そんな「迫力」はないけれど、
「天然」で飄々とした面はある。
カタギに見えない「抜けている」ひと。
「異性の好きなタイプ」のベースは
父親にあり、ということなのか。
うーん、認めたくない。
いつだって若々しく元気に動き回っていた父も、御年71。むかしより小さくなり、歩みも遅くなっている。
いまでは、月1のゴルフに向けて、少なくなったエネルギーを大事に、温存しているようだ。
父を顎で使っていた自分を捨てて、
「理想のお父さん」を
高々と掲げていた自分も捨てて、
もうすこし大事に、労らなければ。
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