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企画の王様

表紙は、黒澤明監督から来たハガキからの転載です。
かつて、黒澤監督がこんなことを言っていた。
「日本が欧米に比べ一番劣っているのは、監督でも脚本家でも俳優でもなく、プロデューサーだ」
そういう黒澤監督は、本木荘二郎(ブログ『ザ・プロデューサー』参照 http://ameblo.jp/ikusy-601/  2018.9.27)、田中友幸という東宝の両エースプロデューサーに恵まれた幸運な監督でした。 
この短編小説は、映画の企画を実現する為に奔走する、そんなプロデューサーの奮闘を描いた物語です。
 
江島竜次は、映画が作りたくて大東映画に入ったのだが、彼が大東映画に入社した1975年当時、映画は斜陽産業と言われ、かつての輝きを失いつつあったのでテレビ部に配属になった。
野球の格言に、「バットは振らなきゃ、何も始まらない」というのがあるが、この業界も、企画が通らないことには何も始まらない。
元々、読書好きで文章力のあった彼は、企画の通過率は、俗に“センミツ”、つまり、千に三つと言われる狭き門にもかかわらず、百に三つ、十に三つと言われるぐらいの通過率だった。
彼はプロデューサーになるや、次々とヒット作を連打していった。やがて、そんな江島のことを、業界人たちは、“企画の王様”と呼ぶようになった。
しかし、彼がテレビ部で業績を上げれば上げるほど、映画部への異動の道は遠のいていった。
<自分で、自分の首を絞めてしまったかな-----?>と思ったが、ドラマ制作自体、放送翌日には視聴率というバロメーターで、世間の評価が分かるので、それはそれで面白かった。しかし、映画部異動のチャンスは、思いがけない所からやってきた-----。

目次
(一) その男、夏竜
(二) 伝説のプロデューサー
(三) 巨匠
(四) 夏目軍団
(五) 銀幕の女王
(六) 企画会議
(七) エンドロール
 

(一) その男、夏竜

 その日、東京の空は雲一つない晴天に恵まれていた。
 それは、硬骨に『日本の男』を演じ続けたその男を送るのにふさわしいシチュエーションだった。
 その男、夏目竜太郎──。
 人は、彼のことを、『夏竜』と親しみを込めて呼んだ。

 江島竜次は、大東(だいとう)映画の本社のある日比谷の東京ミッドタウンから、社のハイヤーに乗り、夏竜の葬儀の行われる青山葬儀所へと向かっていた。
 江島が夏竜の死を知らされたのは、三日前の夜だった。
 その時彼は、品川プリンスホテルで開かれていた日本映画大賞の授賞式に出席していた。
 最初に、夏竜の訃報を知らせてくれたのは、懇意にしている映画評論家の中川だった。
「江島さん、夏竜-----いや、夏目竜太郎さんが、さっき明和病院で亡くなったそうです」
「------」
 いつかそういう日が来るとは思っていたが、いざその時が来ると、とっさに言葉が出なかった。
「101歳だったそうです。大往生というところでしょう」
「死因は------?」
 そう聞き返すのがやっとだった。
「老衰だそうです」
 101歳、老衰------その言葉が、江島の頭の中で反芻(はんすう)されていた。
 生き切った------ということか。
 江島は、その死因に安堵(あんど)するものを感じていた。
 夏竜は、死の瞬間、思い残すことはなかったに違いない。それほど、彼の人生は充実しきっていた。
 日本映画界、最後の大物スター、ラスト・タイクーン(大君)というところか。
 それに引き替え、今、目の前で繰り広げられている映画賞の受賞者の面々の、なんと小粒なことか。これでは、まるで本番前のリハーサルかと勘違いしてしまうほどだ。
 我々日本人が最後に見た映画スターは、『若大将シリーズ』の加山雄三かもしれない。それ以来、この国の映画界には、本当の意味のスターは存在しなかったといっていい。
 彼ら俳優やタレントは、所詮等身大のアイドルであって、スターの持つ近寄りがたいスケールの大きさ、圧倒的存在感には程遠い。

続きは


 




 




 

 



 

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