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モテアマス三軒茶屋というシェアハウスがあった

2022年1月。リュックひとつで3か月のアメリカ横断旅行から帰ってきて、またネカフェ生活に戻るのもなんだと思っていたところに、1件のLINEが目に留まった。僕は200万PVの記事にQRコードを載せているので、こうして日夜知らない人からご飯に誘われるのだ。白状すれば若い女性とエリート以外まともに取り合っていなかったが、この場合は前者だったのでルンルンで返信すると、私のシェアハウスにいらっしゃいということである。東京都は三軒茶屋駅から歩くこと5分、住宅街に突然ひらけた駐車場の奥に漏れる暖灯と笑い声。ちょうどパークハウス浜田山一丁目が二択を3回間違えたようなファサードである。

女性は人口の1割しかいませんからね

「警察官立寄所」という嘘のステッカーとカットウィッグの生首が出迎える玄関を入ると、広くくたびれたリヴィングで5人ほどの住民がわいわいと夕食をとっていた。招いた本人は早々にどこかへ消え、たまたま僕を知っていた朗らかなお兄さんと打ち解けたと思えば明日バイクで日本一周に出発すると言う。ところへトラックの荷台を改造して駐車場に住んでいると言う別のお兄さんが現れ、ギターの弾き方を教えてくれた。小指と薬指を動かさない4つのオアシス・コードを繰り返すことで“Stand By Me”が弾けるというもので、これは今でも覚えている。聞けば毎日知らない人が訪れると言い、身内と部外者の区別は薄いようであった。家が無いなら住めばいいじゃないと言われ、お金もないからと渋ると、ここのホームページを作ってくれれば半年分の家賃に代えてやると言われた。それ以降は普通に払って、結局1年半住んだ。

『呪詛』鑑賞会

モテアマス三軒茶屋、通称モテアマス(アクセントは「モ」)。このたび8年の歴史に幕を下ろしたこの伝説的なシェアハウスには、いくつか嘘のような語り草がある。

まず、ホームページの作りでも表現しているが、これは検索して辿り着けるようなシェアハウスではない。人が人を呼び、あるいは緩やかに拒むような、有機的に代謝するコミュニティの容れものだった。しぜん住民には一風変わった若者が多く、パリコレでヨウジを歩いたモデル、ボート競技で大学全国優勝を率いたコーチ、プロギタリスト兼トマト農家のアメリカ人、養護施設から東大に行ったダンサー、東大を出てふんどしを布教するマッチョ、別のシェアハウス数件を経営するスナックのママ、ポーカーで1万ドル勝ったエンジニア、趣味で屋台を経営する黒服、ドバイの寿司職人、ウイグルのカメラマン、カンボジアのニート、動物の骨を卸すフリーター、女風セラピスト、元市議会議員、タトゥー屋、僧侶などいろいろいた。僕を呼んでくれたお姉さんもアマゾンで原住民と半年暮らしたフィールドワーカーだったらしい。主任と呼ばれる住み込み管理人のカズキタさんは大手メーカーに勤めるサラリーマンでありながら、ナンセンスな企画を多数クラファンしては住民らに仕事を取り付け、シェアハウス全体の経済を回していた。全員に共通するのは、何かと主体性が高く、人生の困難を知っているということである。

結果として、モテアマスには持ち回りで家事をしたり宿泊者にカンパを求めたりといった明確な規則がいっさい存在しない。4台の冷蔵庫の中身を含む共用部の物品には所有権の主張が禁止されており、すべてがコミュ力に溢れた住民・常連客の多大なるギヴの精神によって形作られていた。それまでサクラ荘や中野小屋、渋家しぶハウスなど何軒かの有名シェアハウスに出入りしていたが、こういう自然で活発な自治が成り立っている例は類を見ない。僕はと言えば、女性ゲストを呼びまくったり麻雀卓を立てまくったりしていただけで、家事はキレイキレイの詰め替えしかしていなかったが、そういうヤツが数人いても回るような人的・空間的余裕があった。

カップヌードルを150個寄贈した日

ある時はダイエッターのランニングに付き合い、ある時は渋谷まで神輿を運ばされ、ある時は家出中学生とCSSを書いた。すべての個室には復帰可能なあらゆる改装が施され、壁は退去者の書き置きで埋め尽くされている。いくつもの肖像権を無視したLINEスタンプと、複数の夫婦、無数の遺失物が発生した。時には闇バイトの下請けが流行りかけたり、違法薬物の気配がしたり、部屋に立て篭もって自殺未遂をする人もいたが、単なる無法地帯にありがちなガラの悪さというのが無く、僕が埋もれられるほどあらゆるマイノリティを受容する温かさがあった。

誰が言い出したのか、「三茶のインド」というのがモテアマスの公式キャッチフレーズだった。多様な人とモノが交差するカオスをある程度自覚的なチープさの中に言ったのだろうが、これが悔しいかなしっくり来る。清濁合わせ呑んでゆったりと流れる空想のガンジスのヴァイブが、そこにある雑然と穏やな時間が、特異点的に表出したような場所だった。100BANCHのプロジェクトによせて、そんな気持ちの映像を作ったこともあった。退去後も「ただいま」と現れる人の多い、現代都心の放浪者が流れ着く第三の居場所だった。

このレヴェルの自主制作物がそこら中にある

それが2024年10月、建物の契約満了により惜しまれながら解散を迎えた。現住民は「爆破フェス」と称してこれを盛大に弔い、伴ってモテアマスの歴史を振り返るアーカイヴページが作られた。よくできている。

ちなみにこの記事はモテアマスの弔い記事リレーのラス4である。僕以外にも錚々たる(元)住人が内輪向けにめいめいの思い出を綴っている。

僕が唯一私的なアカウントでこの記事を書いているのは、多くの人にこの奇跡のようなコミュニティ運営の成功例を知ってもらいたかったからだ。ただまあ、モテアマスはもとより個人が網羅的に語りうる対象ではない。それは場所ではなく、そこにある人間関係だからだ。僕はそこで若い女性でもエリートでもない人々に感化され続け、風呂上がりに脱衣所の扉を閉じて出る人々にキレ続けた。流れないトイレも乾かない乾燥機も、ようやく爆破されてせいせいする。

こうしてまた一つ時代が終わり、伝説が生まれた。一部の運営メンバーを引き継いだ後継シェアハウス「アーバンジャングル」をはじめ、元住人が立ち上げたシェアハウスは川崎・秋田・五島にと数あれど、そのどれもがモテアマスではないし、そのほうがいい。爆破された灰は風に乗って雨に溶け、新たなる現実の肥やしになるだろう。


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