中学受験をした僕は”ずっと恵まれている”と周りに思われている。
僕は中学受験をした。
それも、いわゆる「大学まで附属」の中高一貫校に入った。
周りから見れば、かなり恵まれている部類だと思う。
レールは用意されていて、大学受験もない。
落ちこぼれなければ、将来はそれなりに保証されている。
少なくとも、そう言われ続けてきた。
でも正直に言うと、
僕自身がその「恵まれている」という感覚をちゃんと理解できたのは、大人になってからだったし大人になった今でも、親のエゴのせいで人生を犠牲にしたと感じている。
小4から小6までの記憶は、今でも身体に残っている。
塾の空気、テストの順位、親の表情。
「頑張れ」より先に、「落ちるな」という無言の圧があった。
自分のための受験なのに、受験する理由は親が受かって欲しいから。
いつの間にか絶対に失敗できないイベントに変わっていた。
合格した瞬間は、嬉しかったというより
「これで怒られなくて済む、期待されなくて済む」という安堵が一番大きかった。
入学してから気づいた違和感もある。
周りはみんな同じような経歴で、
同じように期待されて、
同じように「できて当たり前」の世界にいた。
附属校は楽なはずだった。
でも同時に、一度つまずくと“逃げ場がない場所”でもあった。
「せっかく入ったのに」
「ここまで来たのに」
この言葉は、直接言われなくても
空気としてずっとそこにあった。
不思議なことに、
当時の僕は「つらい」と思ってはいけない気がしていた。
だって恵まれているから。
だって選ばれた側だから。
だって文句を言える立場じゃないから。
そうやって、
しんどさにフタをしたまま大人になった。
このノートでは、
中学受験を「成功体験」として消化できなかった僕が、
• 何を失って
• 何を引きずって
• それでも何を得たのか
を、できるだけ正直に書いていこうと思う。
中学受験は、悪ではない。
でも、光が強い分だけ、影も濃い。
その影の中にいた一人の話として、
読んでもらえたら嬉しい。
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