「ニドヤキ 前編」自衛隊極秘部隊火炎放射器遺体焼損説・日航123便墜落事故(9)
日航123便事故に常について回る陰謀論界隈を騒がせる「遺体二度焼き説」、「火炎放射器による現場焼却説」なのだが、これが真実なら自衛隊極秘特殊部隊は同胞であるなんら罪のない日本人を血も涙もない方法で虐殺したことになる。命令に対し、一切の感情を捨て任務を遂行するその非情な姿は国防を任せる上で非常に頼もしくも感じるが、方法論から考えるとその作戦実行はかなり難しい。というかそれ以前に、どうにもこうにもいかんせん現実味がない。そもそも、二度焼き説はどこから出てきたのだろうか。
これら火炎放射器説が生じた原因は、どうも界隈を眺めていると、
①そういえば事故の原因は自衛隊の無人標的機(もしくは試作ミサイル)が当たったとか言ってた。
②墜落現場の特定が14時間もかかった。
③と言うことは、やっぱり自衛隊がなんかした?
④そういえば墜落現場の遺体はまるで二度焼きされたっぽいって誰か偉い人が言ってた。
⑤あれ?自衛隊って火炎放射器持ってたよね?
⑥証拠隠滅のために燃やしたんじゃね?
という内容から嫌疑は来ているようだ(筆者まとめ)現在のところなんの物証もなく、全ては憶測でしかないのだが、陰謀論支持者らが言う火炎放射器による科学的根拠(?)は以下の理由であるとも言え、それらのロジックを整理してみると、
①ジェット燃料は人間を炭化するほど燃やさない。
②現場からガソリンらしきものの気配がする。
③遺体は燃えている(高温にさらされた)のに木やぬいぐるみが燃えていない。
主に以上の内容となる。この3点についてじっくり調べてみたい。
「①ジェット燃料は人間を炭化するほど燃やさない」ことについて
そもそも、墜落現場の遺体はどのような状態だったのか。
検案遺体2,065体のうち、完全遺体は492体(23.8%)であり、それ以外は離断遺体等(分離遺体・移柩遺体含む)であった。完全遺体は頭部が残るものをいうが,頭部といっても頭皮のみが残るものも多かった。死因は「全身打撲、離断など」が57.5%、次いで「脳挫滅など」が36.3%で、この両者で94%という大部分を占めた。炭化していた遺体もあったが、死後に火災に見舞われたものと判定された。
間違えないでいただきたいのは、まず遺体は確かに炭化したものもあったが、確定した死因のほぼすべては衝突時の衝撃によるものだ。火災もあったが、それは死後に見舞われている。死因は火災によるものではなく、その94%が「全身打撲・離断・脳挫滅」ということであり、全てを断定はできないが、生きているうちに火をつけられた可能性は、ほぼないと考えられる。
検屍総数は、二〇六五体である。このうち、完全遺体は四九二体となっているが、五体満足な遺体は、一七七体であった。ほかは、完全体でありながら、第三〜第四度の火傷、炭化をともない、または四肢の先端部が焼失しているもの、炭化をともないながら、四肢のいずれかを欠損しているもの、死体が、一〜数カ所において離断されているもの等である。
離断遺体は、一一四三体となっているが、身体の部位を特定できるものは、六八〇体であった。他は身体の部位がわからない骨肉片である。すなわち、五二〇人の身体が、二〇六五となって検屍されたということである。検屍もできずに飛散した肉体の部分はどのくらいあったのだろうか。見当もつかない。
死因の全てが高エネルギー外傷によるものであることがわかっている。この事故では520体の身体が2065個以上に分割されるほどの衝撃だったのだ。
遺体は墜落時、前列のシートに頭を打ちつけた衝撃により、上顎から頭側が粉砕されたため、下顎だけが残り、それに頭部及び顔面の皮がつながっており、眼球も飛び出しているか、失っている状態であることが多かった。またシートベルトにより腹部が離断され、内臓が飛び出した状態で、全身の骨折、四肢の離断喪失をともなっていた、墜落後のジェット燃料の火災による高熱で炭化した遺体も多かった。
遺体の炭化は、ジェット燃料による火災によるものだとはっきり書かれている。これに対して「ジェット燃料による燃焼死体を誰も見たことがないからわからないはずだ」と絡む人間もいるが、ジェット燃料による焼死など、当時現場で検死や処置に立ち会った大半の人が経験したことはないだろう。少なくともこの段階で、二度焼きなど誰も疑っていない。

それでもゲル状ガソリンによるものと言いたいのなら、不思議な疑念を挟む前に、まずは明確な根拠を示すべきだ。界隈の方々は口々に怪しいとは言うものの、物的証拠が全くない。しかも自分の説が明確に否定されると、忍者のごとく消え失せる。
「私が最初に直面した遺体は、頭部だけの部分遺体であり、顔面の損傷がひどく、男女の区別すらつかない状態でした。また炭化していてどこから検死の手順をふんでよいのかわからない。ただ呆然としてしまいました。」
「上半身の炭化した遺体において、口腔所見のために開口しようとしても、炭化のために開口が困難であった。また、口腔内にまで油類が入り、焼けたため、歯牙の検査の際、歯がもろくなりぼろぼろ欠けて、適当な判断が出来なかったことが、苦労でもあったし、残念なことでもあった。」
「検死した遺体のほとんどが部分遺体であり、脳挫滅により顔面損傷がひどく口腔内は外傷性打撲により歯牙の大半は欠落し、上、下顎骨折が多くま た、炭化がひどくて、歯冠修復物、補綴物など、歯ブラシでみがいて識別するのが大変困難でした。」
墜落現場では、特にシートベルトによる腰部や腹部での離断死体が多かったそうだ。
どれほどの衝撃がかかったかというと、事故調査報告書の「3.2.10.1 前部胴体内の乗客•乗組員の死傷について」に以下のように書かれている。
BS1480~1694付近より前方の前部胴体内にいた乗客・乗組員は、墜落地点への衝突時の数百Gと考えられる強い衝撃及びその時点での前部胴体構造の全面的な破壊によって、即死したものと考えられる。
BS1480~BS1694付近より後方の後部胴体内にいた乗客・客室乗務員のうち、前方座席の者は、墜落地点への衝撃時に100Gを超える強い衝撃を受けた可能性もあり、ほとんどが即死に近い状況であったと考えられる。
後部の遺体は損壊は比較的少ないが、頭部の打撲による頭蓋骨や脳挫滅散逸が目立ち、生存者は頭部の確保が生死を分けたものと考えられる。
数百Gなど人間の耐えうる数字ではない。訓練を受けていない人間はわずか6Gで脳への血流が途絶え意識を失うのだ。かかった力が100Gだとしても、体重60kgの人間の筋骨格に6000kgの自重がかかるのだ。
すでにこの段階で、「生存していた人間に火を付け殺す」という行為がいかに滑稽かわかって頂けるだろう。「事故原因に繋がる目撃証言を闇に葬るため生存者を焼き殺す」という目的は、かなり頭の悪い奴が言い出したに設定にしないと整合性が全くない。それでも「夏の湿度の高い山中で発火などしない」とか、「ジェット燃料はそれほど燃えない」という方々も散見されるのでさらに調べてみたい。死後、遺体はどうやって炭化したのだろうか。
医学では熱による皮膚への障害で炭化以前の状態を「熱傷」と呼ぶ。熱傷は1〜3度の分類があり、数字が増えるほど高温に曝されたか、または長時間に渡って熱源に晒されたということになる。炭化状態は4度とも呼ばれ、その状態は最も悪いものだ。炭化状態について、法医学の資料で明確には定義されていないようだが、どうも「火炎による熱の作用で骨が炭化し脆くなる」ことに加え、「四肢骨内にある骨髄中の水分が蒸発する際に発生する圧力によって骨が壊れてしまう状態」を指すようだ。人間の炭化について、どれぐらいの温度で、どれぐらいの時間が必要か、環境条件などが研究されたものはない。しかし、参考とできるものはある、戦争だ。
〜米空軍は気象状態からして風向北北西・風速約30m/sの昭和20年3月10日の真夜午前零時を無差別爆撃に最適条件と見て、深川の風上の浅草、その風下の城東地域の木場に焼夷弾降下させ火災を発生させた上で江戸文化の中心地深川地域地表近くの空気中にガソリンを浮遊させ火事嵐を発生させた。その上昇気流は風速30m/sの北北西方向の自然風を変質させ約8万以上の一般住民を約2時間30分で炭化させ焼死させた」と報告している。
志尾 彌 https://doi.org/10.32150/00004112
東京大空襲では、わずか2時間半で人間を炭化させたと報告されている。その温度はどれほどのものだったのだろうか。
白金である原形の一部を残しているので焼死体の温度は1000°C~1500°Cの間に有ったものと推定される。
白金(プラチナ)の融点は1768℃、白金が溶けていなかったため、1000〜1500℃で人体を焼けば3時間弱で炭化するようだ。高熱で熱しても、動物の身体の大部分は水分でできているため、すべての蒸発のためにはある程度時間が必要だ。
動物死体は多量の水を含み難燃性である。 そのため、灯油あるいはプロパンガスなどの助燃材の添加が通常必要であり、その結果試料の燃焼ガス以外に助燃材の燃焼排ガスが多量に排出される。たとえば、10kgの死体を燃やすには通常3l程度の重油を必要とし、そのほとんどが死体の重量の大きな部分(約70%)を占める水分の蒸発に使われるわけである。
では、「炭化した遺体があった」という事実は、「墜落後の遺体は高温に一定時間さらされた」ということを意味する(「1000℃前後の高温に2〜6時間晒された」とも言える)。では、遺体を高温に晒したのはジェット燃料なのか、それともゲル化ガソリンなのか。
ここで再び命題に戻るのだが、陰謀論者からは「ジェット燃料はそんなに簡単に燃えない」という指摘がある。
日航123便に搭載されていた(というか航空機の燃料はどれも同じ)ジェット燃料は、主に「ケロシン」という成分でできており、ガソリンではない。ケロシンは原油から200〜300℃で分留されて得られる成分の一つで、ガソリンは30〜180℃で分留されたナフサを原料としている。

ケロシンということはつまりは灯油なのであるが、航空燃料としてのケロシンと灯油の大きな違いは、純度や水分の含有率、不純物の量のようだ。
なお、ケロシンはガソリンに比べて揮発性が低く、引火点が高いという特徴がある。漏れ出しても外気中では簡単に火がつかないため、航空燃料として使用されているのだ。

日航123便の搭載燃料は「航空用燃料JET-A/40」でエンジン潤滑油は「モービルJETOIL-2」であった。「JET-A」の最小引火点は38度で、比重は0.775〜0.840、析出点は-40℃である。つまりは38℃以上にならないと引火せず、-40℃以下にならないと凍らない。

さらに含有されている成分は以下のようだ。

確かに引火点−40℃のガソリンと比べて、外気では燃えづらい。
しかし、ジェットエンジンは、エンジン内に取り入れた空気をタービンで圧縮し、燃えやすい状態を作り出してからエンジン内に燃料を噴射している。ケロシン系の燃料は、引火性はガソリンより低いが、空気と混ざった状態では火がつきやすく、燃焼効率が高いと言われている。というか、ジェット燃料は引火点が高いというだけで一度液温が38℃を越えると普通に引火するし、霧状になっても簡単に引火する。

38〜48℃のJP-1またはJP-5を大量に積んでいるジェット機に、もし火がついたら、消化器の1本や2本で消せるはずがなく蛋白消火剤や泡消火剤のごとき新鋭消火剤を大量にふりかけても、燃えさかる飛行機には無力にひとしく、ジュラルミンの塊に化すのを手をこまねいて待つよりしようがないのである。
ジャンボ・ジェット機B-747を例にとると、この飛行機は満載時には総重量の332tの41.3%に当たる177kl(ドラム缶で930本分)の燃料を積んでいて、まさに石油タンクをつけて飛んでいるようなものである。もし、満員の客を乗せたジャンボに火がついたら、想像を絶する惨状を呈するであろう。
ジェット燃料としてガソリン、ケロシンを主体とする炭化水素を用いる限り、火がついたら一瞬のうちに火炎に包まれることは必定である。
また灯油は墜落時の発火の危険を少なくするが、タンク内貯蔵には航空ガソリンよりかえって爆発し易い場合のあることを知るべきである。
一度火がつくと燃えますね、ジェット燃料。この状況でわざわざ二度焼きしに行く意味、ありますか?焼きに行った人たち、かなり危険ですよ?
さらに、過去の航空機炎上について調べると、いとも簡単にジェット燃料は燃え出すことがわかる。記憶に新しいのは2024年1月2日の羽田空港地上衝突事故だ。誤って滑走路上に侵入していた海上保安庁の航空機と着陸しようとした日本航空516便(エアバスA350-941)が衝突した事故で、すぐに機体は炎に包まれた。
17時47分ごろに衝突した516便は火災が発生、その後胴体上部まで猛火に包まれた。100台以上の消防車による消化活動にも関わらず、ほぼ消し止められたのは翌日の0時10分ごろ、完全鎮火は2時15分であった。6時間以上燃えており、着陸機の燃料量でこれだけ燃えるということがわかる。
着陸時に約7000lb(約3900L)の燃料を搭載していたが、機体を解体する際、翼内部の燃料はほとんど残っていなかった。



他にも、1996年に福岡空港で起こったガルーダ・インドネシア空港865便離陸事故では、離陸時にエンジン内のタービンブレードの疲労破断により第3エンジンが故障、オーバーランし右翼のランディング・ギアが燃料タンクを貫通したことで機体は炎上した。


この事故では火災の鎮火のために約10000リットルの泡消火剤を使用している。
1994年に滑走路に墜落した中華航空140便墜落事故も機体が炎上した。火の気の無い滑走路上でも衝突の衝撃でジェット燃料は燃える。


この事故では滑走路上の事故であったため墜落直後の20時42分に消化活動がすぐに開始され、1時間後の21時48分に鎮火したにも関わらず遺体は炭化していた。
なお、救出・搬送された乗員・乗客の状況は、最初に搬送される人は頭部、顔面の外傷の他全身打撲、次に搬送される人は全身打撲と顔面、手、足等の火傷、最後に搬輪送される人は全身火傷で炭化し性別も判別できない程であった。
つまりは、航空機のジェット燃料は墜落の衝撃により燃えるということだ。そして、燃えてしまえばおそらく短時間で高熱を発する。
墜落の衝撃だけでなく、故障による発熱など発火の条件はいくらでも満たすことができる。
点火源にはこと欠かない。地面との摩擦で金属部分は高熱になり、粉となって散らばったジュラルミン粉が発火することさえある。
2008年、成田空港で起こったベトナム航空VN-A146火災事故は焼損状況から右エンジン・ジャンクション・ボックス付近の温度が450°C~1450°Cまで上昇したことがわかっているし、2000年に起こったエールフランス4590便墜落事故の火災では、火炎の温度は1100度に達し、それによって2番と6番タンクの外壁の温度も300度まで上昇したことが分析でわかっている。
熱空気を用いているためジェット燃料火炎の火炎温度は2000K以上高い値 となり〜
2000Kは1726.85℃、人間を炭化させるには十分な熱源をジェット燃料は持っているのだ。
日航123便には墜落時どれほどの燃料が積まれていたのだろうか。
なお、中華航空公司の飛行実施計画書によれば、出発時に燃料を約50,70 0lbs搭載したことから、事故時の残存燃料は約22,000lbsと推定される。(中略)燃料は航空燃料ジェットA-1、潤滑油はエッソ・ターボ・オイル2380
(MIL-L-23699)で、いずれも規格品であった。
22000lbsは9979.0321kg。226席のエアバスA300-600は日航123便の半分の大きさにも関わらず、人体が十分に炭化する燃料を着陸時でも載せていた。日航123便、B747SR-100の燃料総容量は181940l(リットル)で、SR機は3時間ほどの航行を想定して設計されている。
燃料は必要最低限だけ積むのが常識であり、大型機の燃料効率はざっくり1時間で10000l(7750kg〜8400kg)とされており、3時間+予備2時間分の燃料を積んだとしてもおおよそ50000l、ジェット燃料は比重0.76〜0.8なので約40000kg、離陸時は中華航空墜落事故の4倍の燃料が積まれていたはずだ。18時4分に離陸し、18時56分に墜落、1時間の飛行を差し引いても40000l(30000kg)の燃料が墜落時に一気に周囲にばら撒かれたと考えられる。
どのように燃料が流出したのだろうか。
まず衝突時の速度であるが、DFDRデータによると時速488km(263.7ノット)とされているが、墜落直前に総電源を喪失したため、フライトレコーダーは停止し墜落時の正確な速度は不明だ。事故調査委員会の計算では衝突時の速度は時速624km(337ノット)とされている。生存に望みを託すには絶望的な速度だ。


失速した123便は「一本から松」とのちに呼ばれる松の木に第4エンジンを接触させ、その後第4エンジンと水平尾翼を脱落し、次の尾根に右尾翼を接触(のちに「U字溝」と呼ばれる)させ、横回転しながら裏返しになり、御巣鷹の尾根斜面に衝突した。
一般的には下図のように裏返しのまま激突したとされている。

しかし、書籍「フライトレコーダーは語る」では微細な計算の結果、ぐるりとひねり一回転していたと推定している。


飛行機の飛行状況を記録していたフライトレコーダーの最後の記録は「縦揺れ角 -42.2度」「横揺れ角 131.5度」「対気速度 263.7ノット」となっている。御巣鷹の尾根に墜落する直前に「U字溝」に衝突したことによって123便は電源を全て消失し、フライトレコーダーも記録を停止した。そのため、最後の記録は「U字溝」から僅かに墜落現場方向へ飛行した空中のものであり、墜落の1~2秒程度前のものと考えられている。
私も、下図のように落ちたと考えている。

墜落現場を見ると、第1、2エンジンが脱落し、右側から沢に流れ落ちたように見えるからだ。


そして機首から機体中部、第3エンジンは斜面に直撃し、燃料が流出したと考えられる。それは、火災の状況からもわかる。
胴体、翼が接地すれば、燃料がもれるのは覚悟しなくてはなるまい。少しずつもれるだけならば大したことはないが、おおかた燃料はどっと流れ出し、急速に空気との接触面積を拡大し、霧状に四散するであろう。
航空機の燃料タンクはエンジンの直上、翼のなかに大小12存在する。容量の大きなものはエンジン直上にそれぞれ1つずつ4つのタンク、胴体中央部分に1つのタンクの計5つのタンクがある。
ただし、相模湾洋上でAPUを脱落した際にNo.2メインタンクから供給されているパイプも破断しており、No.2メインタンク内の燃料はかなり減少していたと思われる。

燃料タンクはそれぞれも接続されており、中心のセントラルタンクを介している。123便は異常後、No.2のエンジンに燃料を供給するために、飛行中はNo.1あるいはセントラルタンクから燃料を供給していたはずだ。

つまりは衝突時にはNo1、2のタンクにはNo.3、4ほどの燃料はなかっただろう。そしてインパクト前に第4エンジンは落下、インパクトの衝撃により第1、2エンジンは外れて沢に落下、セントラルタンクとNo.3タンクが第3エンジンと機体と共に尾根に直撃したと考えられる。おそらく20000kgほどの燃料タンクが地面に叩きつけられ一瞬で粉々になっただろう。燃料の流出はまるで水風船を投げつけたかのように割れたはずだ。

そして高速で叩きつけられた燃料は一度空中に舞いその後地面に降り注ぐと同時に、地面にも大量に流出したはずだ。

そして衝突の衝撃で熱せられた金属や電子機器のショートなどにより燃料はすぐに引火し、火災となったことだろう。


機首部から胴体中央部の遺体は、燃料タンクからの燃料の流出をもろに受けたはずだ。
破断し沢まで飛ばされた機体後部は、アカマツがクッションとなり生存者を奇跡的に出したと考えられている。さらに、翼がバラバラになったことで多くの燃料を集中的に浴びなくて済んだはずだ。実際に、スゲノ沢の遺体は火災もなく完全遺体が多かった。
五二〇人という数字も大変だが、実際に回収される遺体は数千体にもなっている。約四万平方メートルの広範囲に散乱した遺体は、搭乗者の座席位置により、
①機体後方の乗客は、墜落地点から北斜面を約二四〇メートル下ったスゲノ沢付近
②機体中央の乗客は、北斜面
③機体前方の乗客及び操縦士などコックピット乗務員は、南斜面
と大きく三つに分布されていた。
生存者四名が発見された位置はいずれも①のスゲノ沢付近で、機体の最後方部に搭乗していた。この付近からは約二〇〇体がまとまって収容されたが、完全遺体は一六〇ともっとも多かった。
離断遺体の最も多かったのは北西斜面で、七〇〇体以上が三つの地点にほぼまとまって飛散していた。
また、南斜面を中心に収容された遺体はエンジン部に近く、機体が垂直に尾根に激突していることから、骨や肉が押しだされ皮だけになったり、真っ黒に炭化してバラバラになったりしていた。
そして、尾根の斜面に火災が集中していた。斜面が燃料タンクを受け止めたのだから当然だろう。
遺体の収容状況は、便宜的に座席列番号により機体を次の5部位に分け記載する。
A: 2階席及び座席No.1~No.8(8列)
B: No.10~No.18(9列)
C: No.19~No.31(13列)
D: No.32~No.42(11列)
E: No.43~No.60(18列)
A及びB部位の遺体は、墜落激突地点を中心にその近辺より収容され、C部位の遺体は損壊した機体の激突とともにB部位を乗り越えた状態となったため尾根上方から収容された。さらに、D部位の遺体は、尾根右前方斜面より右方の広範囲の場所から収容された。 また、E部位の遺体は、破損した機体とともに沢に落下しており、比較的損傷が少なく狭い場所に集中した状態で収容された。なお、4名の生存者もこの部位より救出された。機体の損壊による強度の衝撃と火災発生による火熱を受けたため、機体A~D部位の遺体には離断・焼損・炭化による損傷が著しかった。 E部位搭乗者の遺体の中には外見上比較的損傷の少ないものも認められたが、遺体検案によると、激突による衝撃のためほぼ全員に全身打撲・脳損傷・内臓破裂などの所見が あり、生存者4名を除いた他の者は即死若しくはそれに近い状況であった。
なお、衝突後の火災は3.3ha(ヘクタール)にも及んでいる(サッカーのフィールドがおよそ0.7ha)


なお、客観的に観測されているだけでも、墜落現場にはすぐに火災が起こっていたことがわかる。以下3枚の写真はすべて自衛隊機より19時20分ごろ撮影されたものである。この時点では自衛隊員がゲル化ガソリンを持って入るのはどう考えても不可能なため、確実にジェット燃料による火災のはずだ。



さらに、朝日新聞記者の藤森 研氏は20時30分ごろ、新聞社のヘリ「ちよどり」で墜落現場の取材に飛んでおり、21時6分に墜落現場に到着し写真を残している。墜落後2時間経過の時点で、まだ強い炎が上がっていた。

「ちよどり」はさらにもう一度飛んでいる。さらに22時50分の映像ではほぼ火災は鎮火していたようだ。

つまりは墜落から2時間以上、斜面は火に包まれていたのだ。引火点がどうとか、湿度がどうとか、腐葉土がどうとか、机上の話ではない、墜落からおよそ3時間ほどのあいだ、映像からわかる通り、斜面での火災は続いていたのだ。これほどの炎を維持できるものが貨物にあったとは到底考えられない。つまりは、ジェット燃料による火災が2時間以上続いていた、という時点で遺体が炭化していた原因はそれ以外にない、と考えるのがごく自然だ。
それでも燃えないと言ってる方は、私の勉強不足のせいなので、ジェット燃料がなぜ燃えないのかをぜひ科学的に教えていただきたい。
可燃物とか貨物が長時間燃えるという方も、なぜあれほどの長時間の業火になるのかを教えていただきたい。
そしてあの写真がジェット燃料でないというなら、一体何が燃えているのか教えていただきたい。
なぜならあの時点でゲル化ガソリンを現場に持ち込める者はいないからだ(すでに撃ち落とすつもりでそこまで準備していたというなら、この文章を読む必要もあるまい)だがしかし、それでも「二度焼き」なので「ジェット燃料の火災の後にもう一度焼いた」ことの否定はできない。
中編へ続く。
