バラの記憶が、琥珀色に溶けていく夜
自然派ワイン × レシピ × 音楽
ヴィナールストヴィ・ムニェジンスキーの「クヴェヴリ・トラミン・チェルヴェニー」が誘う、南モラヴィアの石灰岩とグルジアの記憶
目次
プロローグ
大地の記憶を宿す一本:クヴェヴリ・トラミン・チェルヴェニーが語りかけるもの
ヴィナールストヴィ・ムニェジンスキーの哲学:Kvevriが紡ぐ、テロワールの純粋な声
このワインのこと
今夜の食卓へ
今夜つくるレシピ:カチュナ・ナ・ゼリー
ワインと料理、その情景
今夜の音楽
もっと探求したいあなたへ
おわりに
プロローグ
「トラミン・チェルヴェニー(Tramin Červený)」——チェコ語で「赤いトラミン」という意味を持つこの品種名の頭に、「Kvevri(クヴェヴリ)」という言葉が並んでいます。グルジアの8000年前からの醸造容器の名前が、チェコのワインのラベルに刻まれている。それだけで、このボトルは何か特別なことを語りかけてくるような気がするんです。
首札だけのシンプルな装い。余計な装飾は何もない。でもその素朴さが、このワインの哲学をそのまま語っているようで、手に取るたびに少し背筋が伸びます。
週末の夕暮れ、お気に入りのアームチェアに身を沈めて、読みかけの本を手に取るような時間。あるいは、気心の知れた友人とのホームパーティーで、テーブルの真ん中に置かれた少し珍しいこのボトルが、会話のきっかけになる夜。そういう特別な瞬間のために、今夜はチェコ南モラヴィアから届いたクヴェヴリのアンバー・ワインのことをお話しさせてください。
大地の記憶を宿す一本
チェコ共和国の南端、スロバキアとオーストリアの国境に近い南モラヴィア地方。ヴェルケー・パヴロヴィツェという村の畑に、ヴィナールストヴィ・ムニェジンスキーのトラミン・チェルヴェニーが根を張っています。
石灰質粘土、泥灰岩、砂岩が混じり合う複雑な土壌。大陸性気候でありながら日照時間が長く、ブドウはゆっくりと完熟していきます。トラミン・チェルヴェニー——ゲヴュルツトラミネールとして国際的に知られるこの品種——は、本来ならば濃厚でアロマティックな白ワインになるぶどうです。でもKvevriの中で6ヶ月以上を果皮とともに過ごすことで、その姿はまるで変わります。
グラスに注ぐと、朝の木漏れ日のような、深みのある琥珀色。口に含んだとき最初に感じるのは、バラの花びらのような柔らかい温もりと、その奥にひっそりと潜む土のミネラルです。アロマティックな品種が持つ華やかさは、クヴェヴリという器を通り抜けることで、どこか静謐な方向へと変わっていく——それは、賑やかだった庭が夕方に静まり返って、花の香りだけが残っているような、そういう種類の美しさです。
ヴィナールストヴィ・ムニェジンスキーの哲学

なぜ、チェコの造り手がグルジアのクヴェヴリを選んだのか——その問いへの答えは、「テロワールの純粋性」というひと言に尽きると思います。
ヴィナールストヴィ・ムニェジンスキーは、ビオディナミ農法を実践し、殺虫剤・除草剤・化学肥料を一切使いません。大地の生命力を最大限に引き出しながら、醸造においても同じ姿勢を貫く——木樽はワインに樽の香りを与えてしまう、ステンレスは完全に閉じ込めてしまう。でもグルジアから輸入して地中に埋めたクヴェヴリは、安定した地中温度の中でワインを守りながら、素焼きの壁を通じてごくわずかに呼吸させてくれる。
この器の中でトラミン・チェルヴェニーが果皮・種・梗とともに長い時間を過ごすことで、ぶどうが持っていた本来の骨格とエネルギーが、ゆっくりと浮かび上がってくるんです。クヴェヴリという8000年の知恵を、南モラヴィアの石灰岩の大地と組み合わせたとき、どんな声が生まれるのか——その実験への情熱と誠実さが、このワインの「質感(テクスチャー)」の中に宿っています。
このワインのこと
クヴェヴリ・トラミン・チェルヴェニーに使われるのは、トラミン・チェルヴェニー(ゲヴュルツトラミネール)100%。チェコ・南モラヴィア地方ヴェルケー・パヴロヴィツェの、石灰質粘土・泥灰岩・砂岩・礫岩が複雑に混じり合う土壌で育ちます。特にマグネシウムの含有量が高いこの土壌が、ワインに独特のミネラルと芯をもたらすんです。
栽培はビオディナミ農法で、自然のリズムと調和した畑仕事が行われています。収穫はすべて手摘みで、完熟したぶどうだけが丁寧に選ばれます。
グルジアから輸入した粘土製のクヴェヴリを地中に埋めて使用。一部または全房のまま、果皮・種・梗とともにクヴェヴリへ投入し、野生酵母だけによる自然発酵を開始します。その後、約6ヶ月以上という長いスキンコンタクトをかけて、アンバー・ワインとしての複雑なアロマと独特のタンニンを獲得していきます。清澄も濾過もせず、亜硫酸の添加は最小限——ヴィンテージによっては無添加のことも。トラミン・チェルヴェニーという品種が本来持っていた生命力と、南モラヴィアの大地の記憶が、そのままボトルに閉じ込められています。
今夜の食卓へ
Kvevri トラミン・チェルヴェニーが持つ琥珀色と、バラや東方のスパイスを思わせる余韻、クヴェヴリ由来のきめ細やかなタンニンは、スパイスの温かさと脂の旨みを持つ料理と自然に響き合います。南モラヴィアの大地が育てたこのワインは、同じ中央ヨーロッパの食文化と逢うとき、最も豊かに歌いはじめます。
カチュナ・ナ・ゼリー(Kachna na zelí) チェコ・モラヴィア地方
鴨を丸ごとまたはもも肉で、キャラウェイシードとにんにくをすり込んでオーブンでじっくりとローストし、ザウアークラウト(発酵キャベツ)と共に仕上げるチェコの伝統料理です。鴨の脂の豊かさと、ザウアークラウトの酸味が絶妙なバランスをつくり出します。同じ南モラヴィアの食文化が育んだ料理と逢うとき——クヴェヴリのタンニンが鴨の脂をしなやかに受け止め、発酵キャベツの酸がワインの余韻と静かに呼応します。
ムルグ・マクニー(Murgh Makhani) インド・パンジャブ地方
バターチキンカレーとして世界中で愛されるインドの料理。タンドゥールで焼いた鶏肉をトマトとバター、クリームの濃厚なソースで仕上げ、カルダモン・クローブ・シナモンのスパイスが香ります。トラミン・チェルヴェニーが持つエキゾチックなスパイスのニュアンスと、インドのスパイスは不思議なほど親しみを持って響き合います。遠い産地の組み合わせなのに、どこか根っこが同じような必然がある一皿です。
鴨ロースのみぞれ仕立て 日本
鴨のロース肉を低温でじっくりと火を通し、大根おろしとポン酢でさっぱりと仕上げた和の一皿。発酵調味料の深い旨みと大根の清涼感が、クヴェヴリ・トラミン・チェルヴェニーのタンニンとミネラルと静かに対話します。鴨という共通の食材が、チェコと日本の食卓をやさしく繋いでくれる組み合わせです。
→ 今夜は「カチュナ・ナ・ゼリー」を詳しくご紹介しますね。 南モラヴィアの大地で育ったワインと、同じチェコの伝統食が食卓で逢うとき——クヴェヴリと発酵という共通の哲学が、一皿と一杯の間に静かな必然をつくるから。
今夜つくるレシピ
カチュナ・ナ・ゼリー(Kachna na zelí)
チェコ風鴨のロースト ザウアークラウト添え / 4人分
材料
材料分量鴨もも肉(骨つき)4本(約1.2kg)キャラウェイシード小さじ2にんにく4片塩小さじ2黒胡椒適量ザウアークラウト用├ ザウアークラウト(市販品)400g├ 玉ねぎ1個├ キャラウェイシード小さじ1├ 白ワイン100ml├ 砂糖小さじ1└ バター大さじ1付け合わせ用├ じゃがいも4個└ 塩・バター適量
作り方
下準備 にんにくをすりおろし、キャラウェイシード・塩・黒胡椒と合わせてペースト状にする。鴨もも肉の皮目に爪楊枝で数カ所穴を開け、全体にペーストをしっかりと塗り込む。ラップをして冷蔵庫で最低4時間、できれば一晩休ませる。
オーブンを予熱する 200℃に予熱する。
鴨を焼く 鴨もも肉を皮目を上にして深めのオーブン皿に並べ、200℃で20分焼いて表面に焼き色をつける。その後170℃に下げて50〜60分、皮がパリッとするまでじっくりと焼く。途中で出た脂を皮にかけてあげると◎
ザウアークラウトを準備する 鍋にバターを熱し、薄切りにした玉ねぎを炒める。しんなりしたらザウアークラウト・キャラウェイシード・白ワイン・砂糖を加え、蓋をして弱火で20〜25分煮込む。水分が少なくなったら白ワインまたは水を少量足して。
じゃがいもを茹でる じゃがいもは皮ごと塩水で茹でて、熱いうちに皮をむいてバターをからめる。
仕上げ 鴨の脂が十分に落ちてパリッと仕上がったら完成。ザウアークラウトとじゃがいもを添えて盛り付ける。
日本で作るアレンジ案
鴨肉の入手先:合鴨のもも肉が輸入食材店やネット通販で入手できます。マガモやアヒルのもも肉でも代用可能です
ザウアークラウトの代替:市販のザウアークラウトが手に入らない場合は、千切りキャベツを塩もみして30分おき、酢大さじ2を加えたもので代用できます。発酵の深みは出ませんが、風味は近くなります
キャラウェイシードが手に入らない場合:クミンシードで代用できます。風味は少し異なりますが、同じセリ科の香りがチェコ料理の雰囲気を出してくれます
ポイント・コツ
皮目の穴あけを忘れずに。鴨は脂が多いので、穴を開けることで脂が適度に抜けてパリッと仕上がります
低温でじっくりが大切。最初の高温で焼き色をつけた後は、低温でゆっくりと。急ぐと皮がパリッとせずに終わります
翌日も美味しい。ザウアークラウトは翌日になるとさらに味がなじみます。多めに作って次の日に温め直すのもおすすめです
ワインと料理、その情景
オーブンからキャラウェイとにんにくの香りが漂ってきます。
鴨の皮がパリッと焼き上がって、ザウアークラウトの酸味が部屋の空気をやさしく変えていくころ、クヴェヴリ・トラミン・チェルヴェニーをグラスに注ぐ。琥珀色が夜のあかりを受けて、バラ色の光を帯びているように見えます。ひと口含むと、最初にバラの花びらのような温もりが広がって、それからゆっくりと大地のミネラルが届いてくる。
鴨肉をひと切れ、パリッとした皮ごと口へ。脂の豊かな旨みが広がった瞬間、ワインのクヴェヴリ由来のタンニンがそこにそっと溶け込んでいく。重さが消えて、旨みだけが残る。ザウアークラウトをひと口。発酵の酸味がワインの余韻と静かに呼応して、口の中がすっと澄んでいく。
発酵キャベツと発酵の産物であるクヴェヴリ・ワインが食卓の上で逢うとき——どちらも時間と微生物の力で生まれたもの同士が、互いを引き立て合います。チェコの冬の食卓の温もりが、グラスの中の琥珀色に溶けていく夜です。
今夜の音楽
ジャンル:チェコ・モラヴィア民族音楽と中央ヨーロッパ室内楽
クヴェヴリ・トラミン・チェルヴェニーが持つ「バラの記憶と土のミネラルの共存」、南モラヴィアという中央ヨーロッパの豊かな音楽文化——このワインに合わせる音楽を考えたとき、ドヴォルザークの弦楽とモラヴィアの民族音楽が自然と浮かんできました。華やかでも重くもなく、大地に根ざした温かさと哀愁を持つ音楽が、カチュナの香りとともに今夜の食卓を満たしてくれます。
🎵 「Moravské dvojzpěvy(モラヴィア二重唱)」 / Gabriela Beňačková, Věra Soukupová, conducted by Jiří Bělohlávek(1983年) ドヴォルザークが南モラヴィアの民謡をもとに作曲した二重唱曲集。故郷の土地への深い愛情が、二つの声が重なり合う豊かなハーモニーの中に宿っています。ワインを口にしながら聴くと、ヴェルケー・パヴロヴィツェの丘の上に立っているような気持ちになります。
🎵 「String Quartet No. 12 in F major "American", Op. 96: II. Lento」 / Quartet Martinů(1991年) ドヴォルザークの「アメリカ」弦楽四重奏の第二楽章。郷愁と静けさが同居するこの緩徐楽章は、クヴェヴリ・トラミン・チェルヴェニーの余韻に驚くほどよく似た時間の流れ方をします。
🎵 「Z Čech až na konec světa(チェコから世界の果てまで)」 / Jaromír Nohavica(1998年、アルバム Moje naděje) 南モラヴィア出身のシンガーソングライター、ヤロミール・ノハヴィツァの代表曲。チェコ語の歌詞が意味はわからなくても、その声と旋律が持つ大地への愛着は、このワインが持つ「土の記憶」とどこかで繋がっています。
🎧 Spotifyプレイリスト提案:「南モラヴィアの琥珀色の夜に、バラの記憶とともに」——チェコの民族音楽と室内楽で過ごす、土曜の夜のために。
もっと探求したいあなたへ
クヴェヴリ・トラミン・チェルヴェニーの世界が気に入ったなら、アロマティックな品種がクヴェヴリや長期スキンコンタクトを経るとどんな声を持つのか、もう少し探ってみてください。
Gewürztraminer Kvevri(Strekov 1075 / ストレコフ1075) スロバキア・ストレコフ地区、ゲヴュルツトラミネール
ムニェジンスキーの隣国スロバキアで、同じようにクヴェヴリ醸造を実践するストレコフ1075のゲヴュルツトラミネール。南モラヴィアとスロバキアは文化的にも近い土地——同じ品種が国境を越えるとどんな声の違いを見せるか、とても興味深い逢い方ができます。
Traminer(Claus Preisinger / クラウス・プライジンガー) オーストリア・ブルゲンラント、トラミネール
同じ中央ヨーロッパ、オーストリアで自然派を実践するクラウス・プライジンガーのトラミネール。クヴェヴリではなくアンフォラ熟成で、スキンコンタクトのスタイル。ムニェジンスキーよりも果実の密度が高く、ノイジードラー湖の豊かさを感じます。同じ品種が土地を変えるとこれほど違う顔を見せる——その驚きが楽しめます。
Gewürztraminer(Domaine Bott-Geyl / ドメンヌ・ボット=ゲイル) フランス・アルザス、ゲヴュルツトラミネール
ゲヴュルツトラミネールの故郷のひとつ、アルザスのビオディナミ実践ドメンヌ。クヴェヴリではなく木樽熟成で、より古典的なスタイルですが、この品種が持つ最大限の芳香を体験できます。ムニェジンスキーのクヴェヴリ・スタイルとアルザスの伝統スタイル——同じ品種の全く違う二つの顔を比べることで、クヴェヴリという器の意味がより深く見えてくるかもしれません。
おわりに
今夜の食卓には、南モラヴィアの石灰岩と、グルジアから旅してきたクヴェヴリの中で6ヶ月を過ごした時間が、琥珀色の中に静かに宿っています。
鴨肉が冷めないうちに、グラスに注いであげてください。ドヴォルザークのモラヴィアの旋律が空気に溶けて、キャラウェイの香りがまだ漂っているうちに——バラの記憶が琥珀色に溶けていく夜は、思っているよりずっと豊かです。
Dobrou chuť!(ドブロウ・フーチ)——どうぞ、召し上がれ。
