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最初で最後の葬式/青い目の宣教師【ケの日、ケの国。】

私が小学校5年生のとき、大好きだった祖父が亡くなった。身近な人を見送るのは、それが初めてだった。

生まれ育ったのは、山あいの小さな田舎町。家はお寺を支える檀家総代の家系で、幼い頃から仏様に手を合わせるのが日常の一部だった。

そんな私の町には、もう一つ身近な存在があった。
プロテスタントの宣教師で、青い目をした大柄なドイツ人の牧師・ペーターさんだ。

彼は流ちょうな日本語で『あなたは罪人です!』なんて冗談を言うような、気さくでユーモアのあるおじさんだった。

プロテスタントの礼拝堂は十字架があるだけでカトリックのような華やかさはなく、質素でつつましい空間だった。十字架がなければ普通の民家と見分けはつかない。

両親が少し育児の手を離すためでもあり、私たちはよくその日曜学校に通って聖書の世界に触れた。だからエヴァンゲリオンの出てくる単語もすんなり理解できたし、それが私の創作に少なからず影響を与えていると思う。

そんなわけで、私の宗教観はいつのまにか混ざり合ったハイブリッドになっていった。
正月には神社で神様に手を合わせ、クリスマスにはキリスト教式に祝い、大晦日には寺の除夜の鐘を聴く。
他の日本人の多くがそうであるように無宗教に見えて、実は神様という存在何処か否定し切れないまま暮らしている。



青い目の親友

そして祖父の葬式の日。
その不思議に混ざり合った宗教観が、思いもよらぬ形で交わる瞬間がやってきた。

ペーターさんは、祖父の長年の親友だった。
数十年前。ドイツからこの山だらけの田舎町にやってきた彼は、ある日本人に会う。
それが私の祖父大作だった。

よくペーターさんは私の父に
「あなたが産まれる前から日本にいます。だから日本語は上手なのです。」と言っていた。
そう考えると今から70年以上前に来ていたことになる。

そんな祖父とペーターさんは、その後親友になった。お互い国も宗教も眼の色すら違う彼らは、お互いの家族が増えたり、家を新しくしたり、色々な景色を見てきたのだろう。
そして祖父の今際いまわきわに同席し、私たち家族と一緒に看取ったのだ。



葬儀は我が家の寺でおこなわれた。
そこへ見上げる程の大男がやってきた。それは喪服を着たペーターさんだった。

そして、促されるままにマイクを受け取り、祖父への弔辞を述べた。


ペーターさんは
「私はキリスト教徒で、本来は他宗教の葬儀に出ることはできません。でも大作さんは私にとって最初に出会った友であり、親友であり、今日ここに来たのは私の人生で『最初で、そして最後の…仏教の葬式に参列するためです』」と語った。

彼は、仏様に手を合わせる事はできない。
そして十字を切ることもしなかった。

葛藤もあったろう。それでもペーターさんは親友を悼む為に来てくれたのだ。

きっと神様も許してくれるに違いない、私は小学生ながらそう思った。


彼は、宗教の違いを超えて友情を貫き、互いの信仰を尊重することの尊さを教えてくれた。
世界中で宗教対立がある中、私が子ども時代に見たのは、違いを認め合いながら共に生きる温かなコミュニティだったのだ。

私は思う。真の世界融和とは、世界が同じ色に均一化する事ではなく、違いを抱えたまま互いを尊重し合うことなのではないか。まるで出鱈目に見える万博パビリオンが、大屋根リングの中で一体となったように。
世界をミキサーかけて違差の無いペーストにしてしまうのではなく、個々は絶対に混じり合えない事を前提とした、敬意ある尊重こそ本物の融合なのだと思う。


ペーターさんは、現在故郷ドイツのブッタヴァールという街に眠っていると聴く。私が取材で行ったエッセンという街が、目と鼻の先だった事は帰国してから知った。

彼が私の故郷を見たように、私も偶然彼の故郷の風景を見ていたようだ。
それは少しだけ運命的なものを感じた。

そんな“ケの日”、ケの国の出来事を思い出したので、ここに書き留めておこう。


記事:まるのすけ

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