医療が善意のまま人の人生を侵食していく瞬間
PSA検診による過剰診断、過剰治療のブレーキ役として生み出された、前立腺MRI診断のPI-RADS(パイ・ラッズ)。
前回記事では、これにより恩恵を受ける人もいれば、やはり、害を受ける人もいるということをお伝えしました。
今回は、前回記事の続きになります。
PI-RADSのカテゴリーは1から5の5段階での評価になります。
PI-RADS 1: 臨床的有意癌が存在する可能性は非常に低い
PI-RADS 2: 臨床的有意癌が存在する可能性は低い
PI-RADS 3: 臨床的有意癌存在するかどうかは不明確(どちらとも言えない)
PI-RADS 4: 臨床的有意癌が存在する可能性が高い
PI-RADS 5: 臨床的有意癌存在する可能性が非常に高い
PI-RADS 4,5 では「臨床的に有意な癌(clinical significance Prostate cancer: csPCa)」が存在する可能性が高いとされていますが、「臨床的に有意」とは何のことでしょうか。
ここでの「臨床的に有意」とは、多くの場合、グリソンスコア(GS)が 3+4 以上」を指します。
つまり、「将来命に影響するか」ではなく、「病理学的に悪そうか」を代替指標で評価しているに過ぎません。
実際、PI-RADS 4・5で何が見つかっているか
現実のデータでは:
PI-RADS 4
csPCa検出率:おおよそ 40–60%
PI-RADS 5
csPCa検出率:70–90%
ここまでは「確かに高い」。
しかし重要なのは次です。
「臨床的に意義がある癌」≠「治療すべき癌」
ここが最大の誤解ポイントです。
多くのPI-RADS 4・5癌は:
局所限局
進行は非常に緩徐
高齢者では寿命に影響しない
にもかかわらず、
「4か5だから」
「Gleason 3+4だから」
という理由で
生検 → 診断 → 治療 が連鎖的に起きます。
その結果:
尿失禁
勃起障害
「がん患者」という自己認識
を背負う人が少なくありません。
PI-RADS 4・5で見つかった癌は、“見つけなければ不幸だった癌”なのか?
過去のデータは、治療された人のデータしかなく、放置された場合の自然史がわかりません。
また、医療は「やりすぎ」の害よりも「見逃し」の責任を恐れます。
結果として、本当に治療が必要かどうか分からないまま治療されているのが現状です。
PI-RADSは、癌を治療すべきかどうかを教えるものではないので、患者の人生にとっての意味は評価できないのです。
多くの議論は「PI-RADS 4・5は当たるか?」で止まります。
「当たったとして、それは本当に良いことなのか?」は問われていません。
PI-RADS 4・5という数字は、あくまで「画像上の怪しさ」の指標であり、病理学的に悪そうだという代替指標です。それが患者の人生においてどのような意味を持つかは、全く別の次元の話です。
現実として、GS 3+4 の癌が見つかったとしても、それが10年、15年というスパンでその人の命を奪う確率は、高齢者の場合、他の死因(心血管障害や老衰)でなくなる確率よりもはるかに低いことが多々あります。
(さらに言うと、GS 3,4 の中には、ほぼ3, ほぼ4 と幅があり、生物学的多様性は極めて大きい)
PI-RADS の仕事は、怪しい場所を特定することです。医者の仕事は、その怪しいものを、あえて今、リスクを冒してまで治療する必要があるかを判断することです。
しかし、一度カテゴリー4・5と判定されると、半ば自動的に生検→確定診断→手術・放射線治療と進む流れに乗せられます。
「治療しないほうが、この人は残りの人生を幸せに過ごせるのではないか?」という哲学的な問いを挟む余地はないのでしょうか。
カテゴリーでラベリングされると、人は「病人」になり、心理的QOLが低下します。
PI-RADSや前立腺MRI自体を否定するつもりはありませんが、いつの間にか、「画像上の確率」が「治療の必然」になっているのではないでしょうか。
私たち医師は、他人の人生にそこまで踏み込んでもよいのでしょうか。
