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13年前に作った「日本近現代文学史の俯瞰図」を発掘した話

先日、PCのストレージを整理していたら、13年前(2013年頃)に趣味で作った「日本近現代文学史(明治・大正・昭和)」の俯瞰図が出てきました。このまま埋もれさせておくのも忍びなく、ここに掲載することにしました。

なぜこの図を作ったか

当時の私は、「この作家と、あの作家は、同じ時代に生きていたの? それはどんな時代だったの?」みたいなことが気になっていました。あるとき、「そうだ、一目でパッとわかる図があると便利だし面白そう」と思い立ち、そうして出来上がったのが、今回ご紹介する俯瞰図です。
※ より詳細な経緯はこちら: なぜこの俯瞰図を作ったか (長文版)

とりあえず、以下の「俯瞰図(抜粋)」をご覧ください。
※ 文字が小さいため、拡大してご覧ください。
※ 画像をタップ/クリックすると拡大されます。

図1:俯瞰図(抜粋)

図の眺め方を簡単に説明します。
まず、横軸(画像上部の灰色の部分)は、時間の流れ、つまり明治・大正・昭和へと続く時代の推移を示しています。一方で、それぞれの作家は横長矩形(横幅は生存期間)のオビ(青色)で配置されています。

それぞれの作家のオビの長さや重なりを見比べることで、同時代に生きた作家が誰なのか一目で分かる、そういった具合になっています。また、ある時代に誰の作品が重なっていたのか、その時代の背景や文学の潮流はどうなっていたのか、そういったことも一目で分かるようになっています。

夏目漱石『吾輩は猫である』

少し具体的に見てみます。
まずはこちら。文豪といえばこのお二人。

夏目漱石(1867-1916: 49歳のとき、胃潰瘍により没)
芥川龍之介(1892-1927: 35歳のとき、服毒により没)

この二人の関係は実に興味深く、漱石が、彼の最初の小説である『吾輩は猫である』を連載していたとき(1905年/明治38年)、芥川(1892年生まれ)はまだ中学校に入りたての少年でした。早熟だった芥川のことですから、『猫』をリアルタイムで読んでいたかもしれません(※推測)。

芥川龍之介『鼻』

その約10年後の1916年(大正5年)、漱石は芥川の初期作品『鼻』を読んで、その才能を絶賛する手紙を芥川に送っています。

その後、一年も経たないうちに、漱石(49歳)は胃潰瘍で亡くなってしまいます。(漱石は神経性の胃潰瘍が持病だったと言われています)

芥川は生涯、漱石を尊敬していましたが、その芥川(35歳)も1927年(昭和2年)、「ぼんやりした不安」という言葉を残して、自ら命を絶ってしまいます。

つまり、漱石の作家としてのキャリアの始まりから芥川の死までは、約22年間(明治・大正・昭和のはざま)の出来事なのです。

この期間には、日露戦争、第一次世界大戦、大正デモクラシー、関東大震災がありました。

こうして俯瞰してみると、時代のうねりというダイナミックな動きを感じると同時に、「諸行無常」「寂寥感」のようなものも感じます。

芥川の死後まもなく、大日本帝国(当時)は、恐慌、満州事変、日中戦争、太平洋戦争へと至り、より不安定な時代へと突き進みます。

太宰治『人間失格』

次に、生まれも境遇も大きく異なる二人を見てみます。

太宰治(実家が地主、東大中退、若年時は実家のカネで放蕩)
松本清張(実家が貧困、高等小学校卒業後、10代半ばで働く)

若い頃の私は、「太宰は古い、清張は新しい」という漠然とした印象を持っていました。なぜかというと、太宰の作品は教科書に載るくらい古典的であり、清張の作品はテレビ等でしょっちゅう話題になっていたからです。ですが、実はこの二人は同年(1909年/明治42年)生まれなのです(!)。

清張は平均的な寿命で亡くなりましたが、太宰は戦後早々に亡くなっています。もしも太宰が心中(情死)していなければ、昭和末期からのバブル経済を経験していたかもしれません。

私は、太宰の作品なら『人間失格』が非常に面白いと感じています。ちなみに、私のパートナーは『津軽』がおすすめだそうです。

個人的に『人間失格』のどこがツボかというと、早熟でイビツな内面を持った主人公が、道化に擬態して必死に世を処していく悲劇というか喜劇というか、その心理と事のてんまつが非常に興味深く、同時にどこかユーモラスなのです。

たとえば、文中では「白痴に似た」と表現される「竹一」という中学校の同級生に、主人公(葉蔵)が油汗を流しながら必死に演じ続けてきた嘘のキャラクターが見破られたときの、葉蔵が感じる凄まじい恐怖や絶望の描写が、実に面白いのです。
こちらに一部を引用したので、興味のある方はご覧ください。
⇒ 『人間失格』(一部を引用)

少し太宰の作品に寄り道してしまいましたが、これも俯瞰図からの連想ということで、作品の解像感がぐっと上がり、それが私の脳に定着しました。

松本清張『半生の記』

私は昔、松本清張の小説をよく読んでいました。その中で特にグサッと刺さったのは、じつは小説ではなく、清張が作家として世に出る前、40代前半までの貧困の日々を綴った自伝『半生の記』でした。

この自伝には、九州に生まれ、カネも学問も希望もなく、ただ生きるためだけの生活が淡々と、かつ克明に描かれています。

こうした状況にある人間がどのように生きてきたのか、そして彼が40歳を超えて小説を書き始め、デビュー作が直木賞候補となり(1951年、この年は敗戦後の日本が国際社会復帰へ向かい始めた転機でした)、その翌年には別作品で芥川賞を受賞します。そして、40代半ばにして、ようやく専業作家になります。

その後は周知のとおり、20世紀日本を代表する小説家として知られ、令和になったいまなお読者が絶えません。そうした作家の人間の根っこのようなものが、『半生の記』には記されています。

再び、俯瞰図(抜粋)

ここまでの話を踏まえて、もう一度、以下の図を眺めてみてください。

※ 先ほどと同じ図です。
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図2:俯瞰図(抜粋)再掲

どうですか?
一見、無機質なデータの列挙でしかありませんが、なんとなく、人の歴史や世の移り変わり、息吹き、そういったものが感じられませんか?

余談(この図と、アファンタジアである私の内的世界について)

実は、私はこんなふうに、いろんなことを時系列で俯瞰・把握するのが好きなのです。このような俯瞰図を作る行為は、私にとって単なる資料というよりも、物事を自分に合った形で記憶・理解するための可視化された媒体(外部に延長された脳)なのです。

ここで一つ、私自身の内的な話をします。いま、この「俯瞰図」を私から見えない場所に隠したとします。

そうすると、私はアファンタジアであるため、俯瞰図の視覚的なイメージは、心の中に一切浮かびません。

ですが、俯瞰図に表現されたデータの流れや関係性、象徴的な出来事といった「構造」は意識の中で把握されています。

つまり、私にとっての「理解」は、視覚的な心的イメージではなく、関係性や構造の把握というわけです。

そのため、俯瞰図が隠され、実際には何も見えていないにもかかわらず、あたかも俯瞰図の全体構造を参照しているかのように、全体像から各部分に至るまで、言語を用いておおまかに説明できます。(もちろん、細部の解像感はその部分への興味の度合いで流動的です)

なお、小説に限らず、近現代以降の映画・音楽・漫画(これらは私にとって大切な趣味です)についても、私の脳内ではこんなふうに構造化され、ざっくり把握されています。そして、構造の中の各所の「点(事象)」に連なる「線(関係)」を辿って、芋ずる式に情報を連想しています。

こうしたプロセスが非アファンタジアの方々にとっても普通のことなのか、あるいは私に特有のプロセスなのかは分かりませんが、ひとつの内的体験として記しておきます。

俯瞰図(全景)

それでは、以下に俯瞰図の全景を掲載します。
※ 画像をタップ/クリックすると拡大されます。

少々ボリュームがありますが、もしかしたらあなたの好きな作家や作品があるかもしれないので、探してみてください。

図3:俯瞰図(全景)

この俯瞰図の全景を眺めていると、人々の連なり、歴史、そうした営みが尊いもののように感じられます。

俯瞰図(全景)各種フォーマットのダウンロードはこちら:
PNG画像PDF文書XLS文書ZIP書庫

おわりに

ここまで勢いで書いたうえ、ニッチな内容になってしまいましたが、もしこの俯瞰図から作家や作品の連なりに少しでも興味を持っていただけたなら、13年前の行為にも意味があったと思います。

いずれにしても、この俯瞰図を作る行為そのものが、当時の私にとっては何よりの楽しみであり、充実した時間だったのです。

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