「タイパ」時代の日常の中で見つけた、本当の“余白”の話
「タイパ(タイムパフォーマンス)」という言葉を日常的に耳にするほど、今の私たちは常に時間的制約の中にいます。
私自身、二児の父として育児と仕事に追われる日々の中で、常に「限られた時間を何に使うべきか」を自問自答しています。
「今は休むべき時か、それとも生産的な活動をすべきか」
「この空き時間に、何かインプットを詰め込むべきではないか」
そんな風に、できるだけ効率を追い求めて動くことが当たり前になっています。
しかしそんな中で、先日、長男と出かけた際に「時間的制約から解放される」という、かけがえのない体験をしました。
忘れないうちに、その時の心の動きを書き留めておこうと思います。
今日は全部、任せてみよう
その日は、長男のリクエストで二人でいつものイオンへ出かけました。
普段から長男との時間は大切にしていますし、厳密なスケジュールを立てているつもりもありません。
ですが、その日はなんだか、いつも以上に特別な「のんびりした気分」だったのです。
普段の私たちには、お決まりのコースがありました。
3階の遊び場で1時間ほど過ごし、ゲームセンターに寄り、1階のフードコートでご飯を食べて、最後はフードコート内の遊び場で少し遊んで帰る……。
しかしその日は、ふと思い立って、すべてを長男に委ねてみることにしたのです。
「どこに行こうか」という先導もせず、ただ長男の歩く後ろをついていきました。
エレベーターが教えてくれた、目的のない豊かさ
長男が今ハマっているのは、エレベーターでした。
特に用事もないのに屋上まで行ってみたり。反対側のエレベーターまで歩いて乗ってみたり。
あてもなくふらふらと歩き、目に留まった場所で買い物をしてみたり。気まぐれにフードコート内の遊び場で遊んでみたり。
次に何が起きるかさっぱり分からない。すべては長男の気分と、その場の空気次第です。
自分が主体となって動いていたら、決して起きないような出来事の連続でした。そしてそれが、驚くほど心地よかったのです。
ゆったり、シンプルに楽しい時間
これがもしかして「余白」というやつなのかなあ
その日、私は自分のメモにそう書き残していました。
「自分の時間」と「本当の余白」の違い
「タイパ」とよく耳にする一方で、「生活の中の余白が大事」だということも、よく聞きます。
そして、私自身もそれを実感し、大切にしてきたつもりでした。
自分に余裕がなければ家族に優しくなれないし、自分自身が幸せでいることが家族の幸せに繋がると信じているからです。
だからこそ、無理をしすぎず、自分の時間を確保してやりたいことをやる。疲れたら休み、パワーがある時はこうしてnoteを書く。
それが日々の活力になると確信していました。
しかし、長男と過ごしたその一日は、私が思っていた「余白」とは少し違う何かを教えてくれました。
普段の「自分の時間」も、結局はどこかで時間を気にしています。限られた時間の中で「何をしようか」と無意識に効率を考え、何かを得ようとしていたのかもしれません。
対して、先日の長男との時間は「効率」という言葉がもっとも似合わない、完全なるランダムでした。
そして、思い返してみると、これまで長男と過ごしてきた時間で感じていた幸せも、長男の自由な姿を見ることが一番の源泉だったのかもしれません。
突拍子もないアイデアや行動。
予測できない動き。
時間に縛られず、気の向くままに漂うこと。
そんな「目的すら持たない時間」。
それが、これほどまでに心を解放し、エネルギーをチャージしてくれるものだとは、思いもしませんでした。
目的を持たないという、「余白」の本質
余白の本質とは、単に「自分のための時間を確保する」ことだけではなく、「目的を持たないことを許容する」ことにあるのかもしれません。
その場の空気や感情を大切にして、ただ気の向くままに過ごす。時間的制約を忘れ、ただその瞬間を過ごすことを楽しむ。
それこそが、一番の幸せであり、本当の意味での心の解放なのだと気づかされました。
日常にそんな素敵な気づきをくれる長男に感謝しながら、これからはより意識的に、目的も制約も持たない「本当の余白の時間」を人生の中に散りばめていければいいなと思いました。
P.S.
この記事を書いていて思ったのは、心を解放できる「場」の設定も重要なのだろうな、ということです。
いくら「時間」だけがあっても、そこで自由な発想、気の向くままの行動が生まれなければ、単なる退屈、あるいは惰性でコンテンツを消費するだけで終わってしまいそうです。
私の場合は、「長男と、長男の意思を尊重して過ごす」というのが、いい塩梅でその「場」を作ってくれているように感じます。
自分一人では退屈なことも、長男となら驚くほど楽しい。長男目線で考えると、アイデアもどんどん湧き出てきます。
先日は長男と電車旅に出ましたが、二人で話しながら気の向くままに電車を乗り継いでいたら、JRを5路線ほど、次々乗り換えていました。
もうそれだけで、この上なく楽しいんですよね。
あとは、私の場合は入浴施設でしょうか。
「次は露天に行こうかな」
「いや、ここでサウナだな」
「内湯も思った以上に気持ちよかったから、長めに浸かってみよう」
…
かなり気の向くまま、楽しめています。
そんな感じに、自分の心を解放し、気の向くまま振る舞えるような「場」。
それを、普段から用意しておくことが、日常に本当の「余白」を与えてくれるのかもしれませんね。
