歴史はひとつじゃない。『火口に立つ。』に寄せて
パズルのピースが見つかった。
そんな感覚をおぼえた。
本書を読み進めていくうちに、空白だった部分に、ふとピースがはまる音がした。それは、ずっと前からそこにあるべきだったのに、なぜか長く抜け落ちていたような、大事な一片だった。
ダーウィン(1809-1882)の進化論に「ミッシング・リンク(失われた環)」という言葉がある。ある出来事が起こったのに、その前後がつながらないとき、抜け落ちたその“環”こそが鍵になる——そんな考え方だ。
この考え方は、進化論に限らず、歴史にも、文化にも、そして文学にも通じると思う。
私たちが学校で学んだ歴史は、たいてい一本の筋道が通るように整えられている。教科書の記述は整然としている。
けれど、もう少し近づいて解像度を上げてみると、ところどころ環が途切れていることに気づく。じつのところ、「正しい歴史」とは、仮留めの環にすぎなかったのかもしれない。
本書に登場する「生田長江(1882-1936)」は、まさにそうした“ミッシング・リンク”から立ち現れてくる存在だ。
一般には、名前すら知られていない人物だろう、というより、見過ごされてきたのだと思う。
たとえば、夏目漱石(1867-1916)の『私の個人主義』という名講演がある。国民的作家の名講演で、講談社学術文庫にも入っていて読んだことがあるという人も少なくないかもしれない。
けれど、この講演がはじめて文章として世に出たときの経緯となると、知らない人が多いのではないかと思う。
その初出は、馬場孤蝶(1869-1940)という政治家を応援するために編まれた書物の冒頭だったという。
企画したのは他でもない、生田長江である。
大逆事件(1911)のあと、世の中の言論活動が急速に萎縮していった時代。
そこに『私の個人主義』を差し出すことが、どういう意味をもっていたのか。
それを想像するだけでも、背筋が伸びる思いだ。
この本を読んでいると、歴史や文学が、まったく別の姿で立ち上がってくる。見慣れた風景の裏側に、こんなにも多くの営みや思考があったのか、と圧倒される。
思えば、私たちが日常的に接する「歴史」や「文学史」は、大きな物語を描くために、小さな断片を看過してきたのかもしれない。けれど、その断片にこそ、たしかな息づかいがある。
語られなかった事実、無名の人物たちの声。あるいは、それをすくい上げることは、地域に根差す、地方出版社だからこそできる営みなのかもしれない。
先ごろ小社から出版された「杉原一司」という人物もまた、戦後の歌壇に大きな足跡を残しながら、世間にはあまり知られていない人物だ。
生田といい、杉原といい、彼らは歴史の表舞台には立たなかったかもしれない。でも、たしかに歴史を支えた「礎石」だった。
建物がぐらつくとき、人はその壮麗さに目を奪われるのをやめ、足元を見るようになる。
礎石はふだん見えない。だが、そこにあれば、建物は何度でも建て直せるのだ。この小説は、そんな礎石を見つけ出すような読書体験だった。
歴史はひとつじゃない。その事実に気づくことは、いまを生きる私たちにとって、大きな希望だと思う。
『火口に立つ。』
著:松本 薫
発行: 小説「生田長江」を出版する会
発売:今井出版
発行日:2024年2月
ISBN:978-4-86611-372-2
判型:四六判
ページ数:526ページ
本書は、民間有志の団体『小説「生田長江」を出版する会』の企画によって生まれました。行き詰まりを見せる現代社会において、生田長江の思想が生きるための指針となり、多くの人に届くことを願っています。
著者紹介
松本薫 (まつもと かおる)
鳥取県米子市生まれ。2000年「ブロックはうす」で早稲田文学新人賞を受賞し、2005年「梨の花は春の雪」が鳥取県西部で制作される市民シネマの原作に選ばれる。
おもに鳥取県内の歴史や、ゆかりの人物をモチーフにした小説を書いている。
『梨の花は春の雪』(2006)、『TATARA』(2010)、『ばんとうー山陰初の私立中学をつくった男』(2017)で鳥取県出版文化賞を受賞。
その他の著書に『謀る理兵衛』(2013)、『天の蛍ー十七夜物語』(2015)、『日南X』(2019)、『銀の橋を渡る』(2021)などがある。
今井印刷では、これまでにも多くの自費出版を手がけてきました。
『火口に立つ。』も今井印刷の自費出版事業より出版されています。
本づくりをお考えの方、ぜひお問い合わせください。
