理解ある彼君の優しさが要らない理由
優しい人を馬鹿にするのはダメだという言説に対する反論を描きました。
「優しい人はダメだ」みたいなのが一般論になりつつあるの違和感あるんだよな。
— ウツロたくや (@utsurotaku710) December 5, 2025
ダメなのはその優しい人を雑に扱ったりするクズどもであって、優しい人を馬鹿にしたり否定するような風潮は間違ってるだろ。
その優しさに救われてる人もいるんだから。
正直救われたことがない。優しさをやったんだから何かくれと言う感じであり、押し売り感がある。
— ボッチボッチチャウチャウ (@killedCreater) December 6, 2025
それより金が欲しい。一人で絵を描いていたいのに、勝手な妄想の押しつけと見下しで優しさを振りまいて、やってやったと言わんばかりで内心なにか見返りがあると期待してそうでなんか嫌だ。要らない。
ケアって楽だからみんなやりたがるんだよな
— ボッチボッチチャウチャウ (@killedCreater) December 6, 2025
優しさに価値があると考えて尊敬されようとしている時点で優しくもなんともない。
— ボッチボッチチャウチャウ (@killedCreater) December 6, 2025
私は優しさを馬鹿にはしない。
— ボッチボッチチャウチャウ (@killedCreater) December 6, 2025
実行の原動力である。
しかし不要である。
社会は「迷惑をかけるな」と要求したのだ。
私にとって優しさとは命じられた目的の減点に過ぎない。
理解ある彼君は勘違いしている。
— ボッチボッチチャウチャウ (@killedCreater) December 6, 2025
私は彼の性欲に応えて「与える」側である。
彼の優しさには価値がない。
私の徳のために要求されたことをしただけなのである。
彼からもらったものは何もない。彼の優しさに価値はない。
30歳を過ぎた頃、やっかいな上司についたことがある。
— こすきー (@kosukeyPMP) December 5, 2025
会議中に怒鳴る。
机を叩く。
資料を投げつける。
ただ感情的になっているんじゃなくて、相手を萎縮させるために、意図的にそういう言動をしていた。
ある日の定例会議、若手が提案資料を説明していた。すると途中で上司が遮った。
「で?…
俺、みんなの意見を聞いてやりたいことしかやらせなかったから真逆なんだけど、
— ボッチボッチチャウチャウ (@killedCreater) December 6, 2025
たぶん怒鳴った方が良かったから、
この考えは労働者の意見だよなあと思う。
ゴミができる。
怒鳴ったり机叩いたりする上司の方がセンスがいいから、優しいケアしかしない上司いなくなってほしい。
— ボッチボッチチャウチャウ (@killedCreater) December 6, 2025
いい仕事に現場への優しさは要らない。
本当の優しさは峻厳に似ている。
優しい上司は居場所作っているだけのクズ。
その上司を指示する無能と一緒に早く消えろ。
そんなわけで、優しさは私たち「迷惑をかけたくない人たち」にとっては要らないものなのです。
所謂日本の常識というか、日本教というものは、「人に迷惑をかけなければよい」と言う価値観ですが、「何か実行する義務」などはありません。むしろ他の人の業務を逸脱した以上に仕事をすると、「お前がやると周りもそれができないといけなくなるから””迷惑””だ」と言われてしまいます。
キリスト教は自由に与えてもいい宗教です。
実際聖書には、面白い例えがあり、要約すれば
「仕事がない人がいたので雇用主が仕事を与えた」
「途中から来た者がいたので彼にも仕事を与えた」
「しかし先に来た者も後に来た者も両方とも同じ金額を受け取った」
「それに先に働いたものが怒った」
という内容の出来事があります。
そこで雇用主は怒った労働者にこういうのです。
「お前は私が気前がいいのを妬むのか」
日本だったら雇用主の方がそのまま責められて終るのですが、
聖書では、「好き勝手気前よく与えたり、””他人より秀でてもいい””」と言うところが日本とは違います。
日本で優しくしてもらうことの何が嫌かって、
優しくしてもらったら「ありがとう」で終らず、
あとで何か欲しがられたり、物自体ではないですが、
共通の敵を作って根回しをしてくるのです。
これは一見優しく見えますが、事実上の支配のように働きます。
何せ優しくて暇のある専業主婦や部下の彼女らに逆らえば「普段優しくして面倒を見てあげているのに、指示をしているだけで楽をしているやつ、あるいは絵が上手いからって一人でゲームをつくれているわけではないのに協力してくれない奴」と言われて非難されるのです。
これで部下やおばさんの機嫌を損ねるだけで人非人扱いになります。
しかも優しい対応をしているので本人らは支配しているという自覚が希薄です。
私は心から一人でゲームを作りたいと感じました。何故ならこういう人に限って絵が下手で古くて同じことしかしたがらないからです。
理解ある彼君と付き合ったことはないのですが、たぶん気が合わないなあと思います。最初は私は理解ある彼君に好かれやすいのです。
努力家で働き者で、彼らがやってほしいことに気がつくからです。
しかし一緒に過ごしたら疲れてしまいます。
しかも私ばかり働くのでだんだん疲れて雑になったりイライラしたりしやすくなると、今度は彼は私が性格が悪いのだと喜びます。基本的に人は助けられ続けることに満足しません。自分が与える側になりたがります。とある弱者男性はクラナドと言うギャルゲが好きでしたが、内容がヒロイン全員すごい人やかわいい子だけど、精神に問題があってそれをケアするだけでやたら感謝されて懐かれるというものでした。たぶんあれをやりたいから嬉しそうにするんだろうなと思います。原因はお前だよ。
最近(2025年12月現在)、ズートピア2が公開されていますが、ズートピアのテーマにも似ているかも知れませんね。草食動物のマッチポンプで狂暴化させられ、悪者になる肉食獣。現代の問題をとらえたいい作品です。『大衆の反逆』や『肩をすくめたアトラス』にも近いテーマかも知れません。
草食獣の望みは、実行力がある人間を罪悪感で支配して自分が尊敬されることだろうなと思うのです。
手を汚すのは肉食獣、恩恵を得て何の罪もないかのように過ごす草食獣。
そんなわけで私は人生の手前の方でこいつらに優しくするのをやめたのです。周りから優しいと評判の人間は家庭内では足手まといです。職場内でも足手まといで、ちゃんと人並み以上の成果を出していないので暇だから優しいだけだといつも思っていました。
しかし私は机をバンバン叩いたりせず、寧ろ子供のころはそういった所謂人当たりがいいが仲良くなるとだんだん「○○ちゃんを皆で嫌おうね」という根回しをするような人がいれば、率先してヒーローになりたがり退治するような空気の読める子だったので、彼らの小間使いになっていたのです。
しかし、ある日なんでもはっきり言う魂が美しい子供がいました。女の子なのに髪の毛は男のようで勇ましく何もかも美しかった。彼女以外誰も価値のある者はいたと思いません。
私は彼らが嫌いな人が好きなので彼らが大嫌いです。
「早くいなくなっちゃえばいいのにね」と笑う彼女が早く死ねばいいと思う。
だから、多分、理解ある彼君も大嫌いです。優しくすれば誰にでも好かれると思わないでほしい。
関係ないのですが、セフィロト(カバラ)を少し眺めていたのですが、この図の黒い方が峻厳、白い方が慈悲だそうです。
離すと長くなるのですが、結論を言うと峻厳系のビナー(理解)と慈悲系のネツァク(勝利)は似た存在なんですね。要は慈悲は徐々に峻厳に近くなるというわけです。
要はなんか怒鳴らない程度で優しいと思っている者は本気で我々を大事にしているとは限らないということです。

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