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50代のオッサンが共通テストの現代国語を解いてみた話~「勝手に共通テスト」

毎年この時期になると、私には恒例行事がある。
名付けて「勝手に共通テスト」。国語の評論と小説部分だけを解く、完全なる自己満足の挑戦だ。(古文と漢文は分からないのでパス、、、)

だが今年は、例年とは意味が違った。娘が受験生として、同じ問題に向き合ったからである。

「どうか、簡単であってくれ」
そんな願望を胸に、私は問題をパソコン画面に写る問題を解き始めた。

現代文は暗記科目ではない。
答えはすべて本文中にあり、論理を丁寧に追えば必ず正解にたどり着けるはずだ。
50代まで日本語を使ってきたのだから、「まあ、そこそこ解けるだろう」。
そんな気軽な気持ちで今年の問題と向き合った。

第1問は評論「『 贈与』としての美術』」。
あれっ、しょっぱなから難しい、、、!
文章がほぼ頭に入ってこない。
主語と述語の対応を押さえ、接続詞の流れを追い、筆者の主張を確認していく。
もうちょっと優しく主張を説明できないもんかね、と焦る。

第2問は小説『影に対して』。登場人物の微細な感情の揺れを、これまでの趣味の読書経験をもって、読み取っていく。
他人の心情を想像する。
純文学の小説はこれだから敬遠してしまう。難しい!
普段小説を読むときは、誤解しながら読んでいるのではないかと不安になる。

まず、選択肢から消去法であきらかに違うものを消していくが、二択まで絞れても迷うものが出てくる。
決定的な合理的根拠を見つけ自信を持って選択することが難しかった。

満点の皮算用は、あっさり崩れた。日常で使っているつもりの日本語でも正しく理解できないとはどういうことなのだろう。

娘の自己採点と比べると、点数だけ見れば私の方が若干上だった。
もちろん全く嬉しくない。

私はリビングのソファで、時間無制限、失敗しても失うものは何もない立場で解いただけだ。二択まで絞りそこから勘で選んだものが偶然あっていたものもあった。
一方の娘は、限られた時間の中で、将来を懸けた緊張と不安を背負っていた。

こんな難しい問題に立ち向かった娘をいたわる気持ちが湧いた。
父にできるのは、同じ問題を解き、同じ景色をほんの少し共有すること。
そして、彼女がこれから共通テスト結果をもとに受験校選びの情報を調べてアドバイスすることくらいしかない。

共通テストを受験した皆さん、「本当におつかれさま」でした!

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