【いただきます、をやめる国】──日本文化の消滅はいつも“些細な違和感”から始まる
「給食費を払ってるんだから、“いただきます”なんて言わなくていい」
そんな保護者の声を受けて、一部の学校で“いただきます”“ごちそうさま”の挨拶が廃止されつつある。
あなたはこのニュースをどう感じましたか?
たかが挨拶。されど挨拶。
給食費の支払いと「感謝の言葉」は、本来まったく別のものです。
「いただきます」は、料理を作ってくれた人への礼だけでなく、動物や植物の命をいただくことへの畏敬。
私たちは日々、他の命を糧にして生きている──その事実に目を向ける機会だったはずです。
でも今、その“心の習慣”が消されようとしています。
幼児のボール遊び禁止、公園での声の制限…
このニュースに感じた違和感。
それは過去にもあったものと、どこか重なります。
「公園でのボール遊び禁止」
「子どもの声がうるさい」
「運動会の歓声が迷惑だ」
声の大きい一部の“クレーム”に、行政や教育現場が屈していく。
そのたびに、子どもたちの“育つ場”が削られていく。
今回もまた、静かに、日本の文化がむしばまれているのです。
多様性の名のもとに、文化が消されていく?
近年、「DEI(多様性・公平性・包括性)」や「LGBTQへの配慮」といったキーワードが、社会を大きく動かしています。
もちろん、尊重されるべき価値観です。
でも、それが行き過ぎて、“従来の文化や習慣”が排除されていく現象が各地で起こっていませんか?
──まるで、“日本らしさ”そのものが不適切だと言われているかのように。
これは本当に「多様性」なのか?
それとも、「分断を生むための仕掛け」なのか?
ちなみに、2025年トランプ政権はDEI政策を強く批判し、連邦政府機関や大学での多様性関連プログラムを廃止しました。
日本だけではなく、世界各国でもその違和感に気づき、対策を打ち始めているのです。
なぜ世界は“行き過ぎたDEI”に対策を講じ始めたのか?
DEIの理念は「誰もが公平に扱われる社会を目指す」ものでした。
しかし近年では、「見た目の多様性」ばかりが重視され、実力・思想の違いが軽視される傾向に。
たとえば米国の大学では、「白人男性は昇進しにくい」との訴訟が起きたり、「保守的な意見を口にできない空気」が蔓延しました。
本来の公平性が、“政治的な正しさ(ポリコレ)”の暴走で歪められたのです。
「文化や歴史の破壊」への反発
「LGBTQに配慮を」として、クリスマスの“メリークリスマス”が「Happy Holidays」に統一されたり、
伝統的な性別役割や家族観が“差別的”として、公共の場から排除されたりする事例が急増。
結果、長年育まれてきた地域の文化や宗教的価値観が軽視されるという事態に。
「分断」を生む社会工学的な意図への警戒
DEIやアイデンティティ政治が、「国民を細かく分けて対立させる手段」として利用されている、という指摘があります。
実際、アメリカでは黒人・白人・アジア系・ヒスパニック…と人々を分類して分断が深まり、国民の一体感が失われつつあります。
つまり、本来の多様性尊重が「分断ツール」に変質したというわけです。
トランプ政権がDEIを廃止した背景には、こうした“国家分断の芽”を断ち切る意図があったとも言われています。
多様性は「共存」であり「破壊」ではない
本当の多様性とは、
「異なる価値観を否定せず、尊重し合う」ことです。
もしそこから「文化の否定」や「思想の統制」が始まっているなら、
それはもはや“多様性”ではなく“思想の単一化”です。
このような背景を知ることで、
今、日本で起きていることの意味が、
より深く見えてくるはずです。
学校には、教育の“背骨”があるべきだ
「いただきます」をやめるのは、学校の選択かもしれません。
でも、本当に大切なのは、その“理由”と“覚悟”です。
保護者とぶつかることを恐れて、子どもたちに教えるべき価値を放棄してしまう──
それが教育のあるべき姿でしょうか。
現場の先生の中にも、「廃止でいい」と思う人がいる。
その事実にも、私たちは耳を澄ますべきです。
教育現場にこそ、「文化を守る強さ」と「多様性を調和させる知恵」が求められているのです。
今こそ、日本人の“感覚”を信じるとき
このニュースは、ローカルな話題に見えて、実はとても根深い。
日本の文化が、私たちが気づかないうちに崩れていく“前兆”かもしれません。
いつも始まりは、「どうでもよさそうな違和感」です。
でも、それを見過ごした先にあるのは、「自分たちの文化が自分たちの手で消えていく未来」かもしれません。
「ごちそうさま」も「いただきます」に同じく仏教の感謝の教えからきていると言われています。
生き物を殺して、その命をいただくことに感謝すること、それを調理してくれた人に感謝すること。またこうして食事を一緒にできる家族や友人に感謝するという意味なのです。
こうした食事をするときの定型句があるのは、日本だけだとも言われています。これからも守っていきたい日本の文化のひとつです。
最後に、あなたへ問いかけます
“いただきます”を失って、
私たちは何を得るのでしょうか?
それは本当に、子どもたちの未来にとって、幸せな選択ですか?
耳から学ぶ、新しい知の習慣を。
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