見出し画像

ガリフナの人々の祭を見にカリブ海へ・ホンジュラスのセラケ山麓を歩く(2005~2007)


ガリフナの人々の祭を見にカリブ海沿いの集落へ

トラベシアから東へ

アフリカ・カリブの混血ガリフナはホンジュラスの人口の2.5%を占める。北部カリブ海沿岸に住む人たちは毎年7月の祭りに、バハ・マールに集まる。これを見たいと思った。バスでプエルト・コルテスを経由してトラベシア に泊まった。ここはすでにガリフナの町である。翌朝のバスに乗りさらにカリブ海沿いに東へ、バハ・マールへ向かう。海辺に沿う道はヤシの木と萱葺きの家が並び、海には小船が浮いている。

町に到着した。波打ち際に一頭の馬が草を食み、紅白の旗が風に揺れている。褐色の肌をしたガリフナの青年がジーパンにスニーカー姿で歩きまわる。椅子に座る一人の女を、数人が取り囲み、髪をアフロに結っている。
祭りにやって来た人達はバスを降りると太鼓の男を先頭に行進を始める。キリストとマリアを描いた大きな旗。そろいの衣装で続く女たち。白と黄色のワンピース。頭に黄色い布。白と黄色のビーチサンダル。リーダー格の男は別のリーダーに出会うと、向き合った姿勢のまま腰を前後に激しくゆする。バスは次々と到着し、太鼓とマラカスが鳴り、女は踊りながら行進する。

道端にいた男達が太鼓を打ち始めた。マラカスが加わると若い男女が踊り始める。プンタの切れの良いビートの連続。白い派手なサングラスの女も加わった。強い陽ざしの下、ビール瓶片手の大きな身体が揺れ出し、太鼓とマラカスの音は一気に高揚して、彼女を追いはじめる。

HOT DOGの屋台で風車はカラカラと音を立てる。髪をきれいにアフロに結った幼女が、オタマジャクシの眼差しで私のカメラを視る。ピンクのシャツにピンクのイアリング。小さな指輪もはめている。

舞台の上ではプロの楽団の踊りと演奏が始まった。上から下まで白い衣装に身を包んだ女たちが大きな籠を頭に乗せて踊る。貝のイヤリングとネックレスが揺れて、顔からは汗が飛び散る。一人の男が静かに歌い始め、女たちの踊りは速いテンポのものに変わった。四つのドラムは踊り子たちをしっかり捉えたまま離そうとしない。見えない波れが舞台を包んでいる。

一気に盛り上がる舞台で、各地から集まった人たちがの演舞が続いている。ピンクの衣装の女たち。はだしの足と低く落とした腰。伸びた腕から指先へ一斉に延ばす線。舞台を見上げる人たちの間に流れて行く熱い興奮。

ガリフナの歴史は厳しくそして悲しい。昔、アフリカから奴隷として送られ、農労働に従事した歴史。さらに自分達の島を追われ、ホンジュラスのカリブ沿岸へと移住した歴史。強烈なドラムの炸裂と、声にならない声。バハ・マールの祭りはガリフナの人たちが彼らのアイデンティティーを忘れまいと誓う年に一度の祝祭である。

セラケ山麓の徒歩旅行

セマナサンタ(復活祭)休日は、一人で山地の旅に出た。初めての地方への旅であった。グラシアスはスペイン人が1526年に設立した古い町である。私の好きな温泉も湧いているし、ホンジュラス最高峰のセラケ山(2849m)にも近い。旅はグラシアスを起点にして、セラケ山の裾野を一周してこようというものだった。

グラシアスに着く

4月8日(土)
サンタ・ロサ・デ・コパンで乗り換えたバスは峠を越えて、山に囲まれた人口1万の静かな町グラシアスへ着いた。碁盤の目に区切られた石畳の道が縦横に走り、スペイン入植時代の面影が町には感じられる。
宿は老舗のグアンカスコス一泊225L(1350円)。地方にしてはいい値段だ。案内された部屋は宿の高い位置にあり、白い漆喰壁とオレンジ色の屋根が整然と並んだ町が見下ろせる。ひときわ目立つ純白の建物はサンマルコス教会だ。

市場で会った老女は、若い娘が着るような
白いレース飾りのまっ赤なワンピースを着ていた。

温泉まで4kmの田舎道を歩く。露天の浴槽がいくつもあり、湯量は豊かである。広い自然の中での久しぶりの入浴に身も心も軽くなり、手拭を頭に風に吹かれて町へ戻った。先住民レンカが多く住む。女性が好む色は赤、ピンク、青などの明るい色だ。

4月9日(日)
町が気に入ったのでもう一泊する。今日も温泉へ出かける。明日から、時計の針と反対まわりにセラケ山の裾野を歩き、一周してここへ戻って来るつもりだ。

4月10日(月)
バスでサンタ・ ロサ・ デ・ コパンに戻り、別のバスを待つ。私のスペイン語は通じない。バスは土ほこりをいっぱいに上げてべレンに到着した。標高1600m。陽がかげり夕刻になると寒い。スペイン植民時代の古い教会がある。子供たちが石畳の坂道で遊んでいた。やせた山地にしがみつくように貧相な木が生えている。Hotelito El Carmenという宿に泊まる。入口に名前が書いてなければ民家と間違えそうだ。トイレ・シャワー付きの部屋が60L(360円)。部屋は清潔である。夕食にカップラーメンが出て来たのには驚いた。

4月11日(火)
6時半宿を出て歩き始める。やがて自分のいる場所が分からなくなる。石ころだらけの一本道だが、初めから地図を持たないのだから何とも心細い。めったに人に会わないし、道を尋ねても言葉は通じない。通過した集落はどこも寒々としていた。重い板材を運ぶ馬を曳いて男が歩いて来る。何日も雨がないのだろう、道は乾燥して白い粉のようだ。峠にたどり着いて、一軒家で休ませてもらう。家族11人だ。家にあるトルティーヤ用にトウモロコシを轢く機械は手動である。ここへは電気がまだ来ていない。

トルティーヤを作る
トウモロコシの粉を手のひらでたたく

はるかな昔から、女性たちは、朝眼を覚ますと火をおこし主食のトルティーヤを作った。ホンジュラスの朝は、どこへ行っても、このペタペタぺタペタで始まる。アパートからそう離れていないガミリ―ト市場も、朝は市場のあちこちでペタペタペタペタという音が盛んに聞こえて来る。練ったトウモロコシの粉を手のひらでたたく音だ。ローカルバスで行く田舎町の食事もどこへ行ってもトルティーヤだった。トルティーヤにチーズや玉子、鶏肉を乗せて挟み、口に入れるのである。

峠を越えると美しいサン・セバスチアンの集落があった。14時到着。今日のバスはもうないという。車を頼んでみたが、持ち主はどこに居るのか一向に人の姿がない。日が傾き気温が下がり始める。あきらめて今夜はここへ泊まることにした。幸い、近くに、ホスピダーへと呼ぶ旅人用の一軒宿があった。40L(240円)である。木のベッドにマットを敷き、枕と毛布がある簡易なものである。シャワーを浴びに外へ出ると、澄みきった空気の村があり、輝き始めた星の光は射るように強い。蛇口から出る水のあまりの冷たさに、シャワーをあきらめる。

4月12日(水)
朝5時15分発のバスに乗る(バスは1日にこの1本だけ)。鋼色の空にはまだ星の名残りがある。サン・マヌエルからは、やっと初めに予定したルートとなり一安心する。昨日は道を間違えてしまったが、そのために予期しない僻村を通過できたのも良かった。サン・マヌエルも古い教会やカフェのある魅力的な町である。歩いて行くと道はそのうちセラケ山麓の松林を行くようになった。数人が人家もない道端に立っていた。馬で来たらしい広つばの帽子を被った男や、大きな荷物を持つ女たちがいる。彼らはいつ来るかわからないバスを待っているのだった。

小さな建物の前に女が5人の子どもを連れていた。建物が教会であると気づいたのは入り口に小さくIglesia Evangelicaと書いてあったからである。鳩と花の絵が描いてある。荒涼とした土地ばかりを歩いたせいか、それを見て一息つく思いであった。11時半。早くも今日の宿泊予定地ラ・カンパに着いてしまった。午後ぶらぶらと過ごす。

4月13日(木)
グラシアスに近づくにつれ、道は広くなり人手も加わるようになる。時々車の姿を見る。遠くの一軒家の窓から子どもが「アディオス!」と叫んでいる。
セラケ山は堂々と大きな山容だ。旅はもうすぐ終りである。建物はますます増え、人の数も増え、立派な建物も見え始める。

グラシアスは誰が見てもこのあたり一番の豊かな町である。グラシアス11時半到着。再びグアンカスコスに泊まる。復活祭のためバスは全て運休している。商店も閉店して町は静かである。温泉へ行くと、ここだけは大変な人の賑わいである。驚いて早々と町へ戻る。

4月14日(金)
バスは今日も運休している。もう一泊する。早朝を狙って温泉へ出かけ、ゆっくりと浴びて戻ってくる。
今日は金曜日。復活祭の聖行列が町の石畳の上をゆっくりと進んでいった。白い衣装の人たちの後ろにキリスト像やマリア像の輿をかついだ人々が続いた。

復活祭
天使に扮した可愛い男の子と女の子は
沿道の注目の的である。

住人が全部出て来たのではないか思う程、通りは人で埋め尽くされている。夜、月が登った。町の屋根は穏やかな月の光を浴び、どの屋根もほのかに浮かびあがる。

4月15日(土)
復活祭は終わった。バスが動きはじめる。サンタ・ロサ・ デ・コパンで乗り換え、昼すぎサンペドロスーラへ戻る。



いいなと思ったら応援しよう!