「逃げる」から「生きる」へ
横浜で5年間「逃げ場」として開き続けてきた「逃げBar White Out」は今年の1月末で幕を閉じ、南足柄市で新たな拠点「Ozone荘」が膜を開くこととなりました。
逃げBarもその一角に再び姿を現すわけですが、今回はなぜ逃げBarからOzone荘に至ったのか、逃げBarとOzone荘、何が異なるのか、その結び目や変化のお話をしようと思います。
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Ozone荘は逃げBar White Outだけでなく、これまで惜しまれつつも幕を閉じていった様々な世界が転生します。
Mud Land Festも、鎌倉四響祭も、KaMiNG SINGULARITYも、
完成し役目を終えていった”世界”が、時間を超え空間として再び姿を現します。



Ozone荘はどんな場所で、どんな未来を見ていて、どんな風に関われるのか
ぜひ考えていることをお話ししていきたいのですが、
そのためにはやはりどうしても、2025年1月末に幕を閉じた前作「逃げBar White Out」のお話から始めなくてはなりません。

「逃げBar White Out」は2019年の年末に横浜に開いた”逃げ場”をコンセプトにしたBarです。
社会福祉相談所やシェルターに行くまででもない、あるいは行くことができないけれど「逃げる」が必要なときに、いつでも気軽に逃げに来れるよう、駅から徒歩1分の1階路面店に店をつくりました。
この場をつくる前は、同じく横浜で「リバ邸」という”現代の駆け込み寺”をコンセプトにしたシェアハウスを開いていて、そこもまた夜な夜な様々な事情で人が訪れる場でした。
両者とも、社会にもっと「逃げのグラデーション」をつくるための場づくりでした。
「逃げる」は生き物にとって基本的な行動の1つですが、社会的な動物たる人間は、周囲との関係や、社会的な常識(とされるもの)が枷となり「逃げる」は気軽に選択できる行動ではなくなってしまいました。
僕自身、平凡な人生を歩む中で、逃げられない事情や、逃げることすら考えられない状態など、それなりに体験してきてはいるので「とにかく逃げろ」なんてことは言えません。

それでも5年も逃げ場を開き、逃げの啓蒙をし続けていたのは、逃げられないことが続くと、致命的な選択、つまり自死に直結してしまうからです。
「自死」自体を選択として否定しているというよりは、死後の世界が、それしか選択しようのない最後の希望になってしまう前に「逃げる」という選択肢をどこかで選ぶ機会を平等に広げたいということでした。
そのために、死ななくてもあたらしい人生を始められるように「白葬」というイマーシブ生前葬を行なっていたり、過去に来た人たちから逃がしてもらえる「Escape Ticket」という仕組みをつくったり、その他にも音楽やイマーシブシアターなどのコンテンツを通して、あるいは1日店長制にして人を通して、逃げるという機会をつくり続けてきました。

G7で若年層の最多死因が自死なのは日本だけですが、若いうちはどうしても、家庭や学校など、所属している場所だけが世界だと思いがちで、それ以上に無数に広がっている居場所に目を向けることが難しいです。
さらにいうと、まず大人が「逃げる」ことを知っていなければ、逃さなきゃいけない状態を察知できなければ、状況は好転しません。
逃げ場、とはある種、形而上的な概念です。
警察署やコンビニのように、社会的に共通する機能が定められている場ではなく、複数の人がとある場所を「逃げ場」と認識することで、そこにはじめて生まれる概念です。
逃げ場と思える場所に行くことで「逃げる」を自らに許容して、その共同主観幻想により「逃げ場」の概念はより強化されていきます。これは逃げ場に限らず、世の中で機能する全ての場に言えることでもありますね。
逃げ場も、世界も、自分も、作ることができます。最終的に自分を逃がせるのは自分だけだとしても、逃げ場という世界観を共にして、穏やかな孤独を分かち合えれば、そこには1人じゃない新たな地平が生まれます。
逃げBarでは死後の視点からクリアに自分を俯瞰して行動している状態を「逃げる」としてそれを”星の視点から自らを見つめること”というステートメントで開店当初から表していました。

逃げBarは実際に逃げたい事情がある当人たちに一日店長という形で場を開いてもらい、互いに逃がしあう場をつくってきたのですが、逃げてきたこと、つまり弱さを前提にすると、人はつながりやすくなります。
この場では日常では出会うことがなさそうな人々が縦横無尽につながり、それが結果的に一人一人の世界を広げることになっていました。そして世界が広がると、依存先が分散されるほど、その人にとっての逃げ場も増えていくこととなります。
逃げBar最終営業日、前日。
— アメミヤユウ/体験作家🫧2/12はダンス風呂屋 (@amemi_c5) January 24, 2025
1日店長が何名も、お客さんも何名も。
互いが互いの「逃げ」を抱えながら
逃しあっている光景。
これならばもう逃げBarは
正しく終われる。
ケーキもらったけど
この景色や文化でじゅうぶん。
逃げBarに関わる全員へ
逃げBarをつくってくれて有難う。#逃げBar pic.twitter.com/7sulnv8ihU
「逃げる」と「ゆるす」は近い場所にありました。
逃げる、という状態は逃げたい場所である今ここでも、逃げ切りたい場所であるあちらでもない、その合間のポジションにいること。どちらでもない半端な状態であることを自分自身に許しています。
「逃げ切る」ことを「退却」あるいは完全な「変化」としたときに、まだそこには行ききれないけれど、その場をまなざし、歩みはじめる状態もあれば、逃げ切りたい先から目を逸らし、後退していく様もまた「逃げる」です。
逃げBarはそのゆらぎを許すことができる場でした。

そしてOzone荘は、場自体がゆらぎます。
襖1枚で隔てられた並行世界。
そこにあるのは”逃げ場”という設定のみならず”aiが神になった世界”や”人が植物に輪廻する世界”など全く異なる舞台設定が、小説の段落が変わるくらいなめらかに展開します。

環境の不確かさに併せて、人の実在や現実感も曖昧になっていき、娑婆で定まっていたはずの様々な設定は消えていくこととなります。
だからこそ自分の所在地は自分で作るほかなくなり、そこに最も個人的な(故に最もクリエイティブな)そうぞう機会が生まれます。
星の視点から自らをみつめる場だった逃げBarは、Ozone荘では自ら星をつくることとなります。
逃げ場に行く(こともできるけれど)から逃げ場を自らの中につくる、へ。
自分で自分の世界(居場所)をつくってあげられることは、無常な世界をしなやかに、そして劇的に生き延びるための処世術です。
Ozone荘は「逃げる」を超えて「退却(Retreat)」まで範疇に入ります。肌に合わない世界から退却し「未・住・食」がある異世界生活に住処を切り替えることが可能です。
Ozone荘での滞在制作期間は、ある種の出家でありながら、正しい経典を学ぶのではなく、その世界観自体を自らの手で創り出すプロセスになっていくことでしょう。
つくったもの、ことを外側に発信していく方法はAIに聞いたり、Youtubeを見ればいくらでも学ぶことができますが、既に内側にあるものを0→1の作品していくためには、そうぞう機会を最大化した環境と時間が必要です。
体験作家として無数の世界を10年間作り続けてきた中で、そのような環境や体験づくりはお家芸ですので、安心して環境に身を委ねていただければと思います。
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