ホモ・サピエンス(知性のある人)はホモ・セマンティック(意味をつくる人)になっていく
”つくること”は業が深い。
自ら考え、自ら生み出すという営みは、本能にも近い程度に根深い欲求に値すると思う。
生物学的な機能だけで人を見れば、それはエネルギーの変換装置である。
食物や酸素などのエネルギーを取り込み、運動や身体など別のものに変換をする。
変換した糖で脳を回し、多種多様かつ新たな道具や技術を想像して、創造し続けている点で、人間の生命活動それ自体がマルチモーダルな生成装置とも言える。
哲学的な機能で見れば、自己や人権の成立以降のアレルギー症状とも見える。
そもそも”自己”は近代的な発明であり、一切皆空、無為自然といった無自性を東洋哲学のベースとするならば
輸入された”自己”という概念は、東洋哲学的世界観との間に歪みを生む。
「自己はない、けどある」という矛盾で生まれた生傷を”自己表現”という営みで掻きむしるようにしていると、一時的には麻痺して、楽になる。
そういう意味で”つくること”はアレルギー症状的だ。
経済学的な機能で見れば、WEB2.0以降のアテンションエコノミーから「文章を書く」「写真を撮る」などの”つくる”営みは存在証明、あるいはビジネスと同義になり
つくることはプラットフォーマーらの煽動的なマスマーケティングの甲斐あって「誰もが表現者」のような生暖かい人工の南風が今も吹いている。
未来学的な予感で語れば、人のつくることは遍くAIがつくれるようになる。現時点ですら、小説、絵画、映画、音楽、写真、立体造形、クリエイティブシンキングそのものすらも、AIで生成が可能だ。
常日頃生成AIを使い倒している実感値としては、概ね全ての領域で人間の平均値を超えるクリエイティビティに達していて、専門的なクリエイティブにおいてはその道のプロを凌駕するものもある。(midjourneyv6.1のグラフィックデザイン力や、Claude 3.7のコーディング能力など)
ましてや生成コストや速度で言えば圧倒的で、生成AIでつくられたものたちが過去の文明全てで人間がつくってきたものの総量を超えるのは今後10年もかからないと思われる。
そしてAIが生成したものをAIが学習しAIが生成するという、人のオリジナリティがスキームの外にあるクリエイティブフローが到来する未来もあり得るだろう。
ましてや天文学的な視点で見れば、50億年後に太陽系は崩壊し、なにをどれだけつくっても、全ては初めから何もなかったかのように木っ端微塵だ。
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それでも、人はきっと、つくり続ける。
生きることはつくることであり、つくることは生きることだ。
さらに言うと、今よりもっと、つくりだすと思う。
生成AIによる創作ももちろん爆発的に広がっていくが
AIを(制作自体には)介さないでアナログな創作が同じくらい広がっていく。たぶんそれは、ウェルビーイング的な文脈で。
小説の書き方や、音楽の作り方、絵の書き方、上達の仕方、それらのすべてはAIが教えてくれる。
例えば絵の進捗を写真で撮ってChatGPTにフィードバックを求めれば、改善点やこれからどんな練習をすればいいか教えてくれる。
生成AIで作った方が効率的だが、人は”つくる”を手放さない。
なぜなら”つくること”は業が深い。
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はじめてつくると、楽しい。
もう少しつくると、むずかしい。
さらにつくると、苦しい。
それでもつくると、愉しい。
もう少しつくると、むずかしい。
さらにつくると、苦しい。
それでもつくると、愉しい。
もっとつくると、ちょっと報われる。
つくることはこの繰り返しだ。
つくることをやめていい理由はいつだって100個以上あるけれど
1人でも評価してくれる人がいれば、それらを忘れてしまうくらいに、つくるエネルギーをくれることもある。
つくることは、苦しみや葛藤も含めたそのプロセスのなかに、人間的な悦びが満ちている。
ルックバックにはクリエイターが人生で味わう殆どすべてが描かれている。
— アメミヤユウ/体験作家 (@amemi_c5) June 29, 2024
・井の中の蛙時代
・外に出て周りの才能に挫折する
・それは才能じゃなくて努力の差だと知る
・自分より上の人に褒められる嬉しさと、奮起。
・1人でもファンがいることで強く生きられること。
pic.twitter.com/XhxwWfcdW0
ウェルビーイングと”つくる”
この先、推し活トレンドに代わって「つくること」は「ウェルビーイング」的な文脈で更に加速して広がっていくと思う。
3年以内にはAGI(汎用型人工知能)が完成するというのがおおかたの見立てだが、それはつまり平均的な人間の職能はすべて代替可能になるということでもある。
すでに起きていることでもあるが、人間はそれにより短期的にアイデンティティロスを起こす。
これまで積み上げてきた、自分を社会のツールたらしめてきた、自信や誇りが崩れ落ち「あれ、自分、何ができるんだろ・・・」という状態に陥る。
そして企業も100人分の仕事を1つのAGIでまかなえるようになるため、コストカットのため人材削減が進む。アイデンティティも、仕事も失う人が一時的に増える。
ここでまず、失った自分探しのために、存在を整えるために、自己表現をし始める。
その表現方法、メディアは様々だろうけど、作家として一躍名を馳せてやろうという意気ではなく、まずは海に沈まぬよう、自分のための救命器具を拵えるようにして”つくる”というプロセスを踏んでいくことになる。
その頃には生成AIの表現力は更に向上し、各々の嗜好に応じて、パーソナライズした映画やアニメ、小説、あるいは推しを自然言語で生成できるようになり、作品や偶像は見るものからつくるものに変わっていくトレンドが少しずつ始まっていく。
そして日本は遠くない未来、戦禍に巻き込まれる。
コロナ禍に短歌ブームが起きたように命の危機と表現は蜜月の関係にある。
人は「自分」がいたことの証として遺物を遺すようにつくりはじめる。
老後の俳句グループに似たようなバイブスでアートコレクティブや表現を唆すコミュニティも増えていくだろう。
noteやyoutubeなど表現者のプラットフォームとされていたものはあまりに供給側が増えすぎて誰にも見られないため、小さな界隈の中でクローズなレコメンドを打ち合い承認欲求を満たすしか術がない。
なので「あなたの小説を読んで感想を書きます」みたいな第三者的レコメンドをしっかりするサービスの需要は益々増えていくと思う。無料でAIでつくり、有料で人から感想をもらうという、不思議な構造が着々とできてきている。
”知性”というこれまでのヒューマンアイデンティティが代替される未来
人間らしさは知性でなく主観性に移っていくと思われる。
私という固有性、私とあなたという固有性、私が見るコーヒーという固有性、私と対象物の間、関係線上に現れる認識や、意味は代替されない。
固有性には人のもつ特異な空想力、幻想を共有できる力により「意味」という人間のオリジナルな価値が現れる。
ホモ・サピエンス(知性のある人)はホモ・セマンティック(意味をつくる人)になっていく。
”つくる”ことは「私という意味」を表現することであり、人間の存在証明となっていく。
生きることはつくることであり、つくることは生きることだ。
それがウェルビーイング(よりよく生きる)と重なっていく。
自分にとっての”つくる”
よもやつくることに取り憑かれているといえるくらいに、つくってきた。
イベントやワークショップにはじまり、音楽、立体造形、小説、映像、グラフィック、タイポグラフィ、ビジネスモデル、広告、メディアアート、リレーショナルアート、会社、演劇、DJ、組織、舞台演出、仕組み、未来シナリオ、写真、プロダクト、アパレル、料理、絵画、儀式、書道、生け花、アプリケーション、HP、それら全ての結晶体としてのフェスティバルを中心に、有象無象につくり続けてきた。
”つくる”を生きがいにして、存在理由にして、仕事にして、まなざすものとして、”つくる”場を開きつづけて、自らもつくりつづけて、生きてきた。
自分にとって”つくる”ということは(ちょっと怪しい言い方に聞こえるかもしれないけれど)優れた依代(インターフェース)になることな気がする。
社会的、業界的に「良い」とされるクリエイティブの定義や条件はいくつかある(仕事ではそれに則る)が、ここでは人生的な、そして極私的な見解を話したい。
人は環境、つまりはこの世界の一部を五感などで感受し、更にその一部だけを知識や文化など固有のフィルターを通して、意識的に認知する。
あらゆる概念は自己と対象の関係の結び目であり、記号的にはコモンズの振りをしていても、一定の固有性を持つ点で、世界観には独自性がある。
優れた依代になるということは、まず世界から与えられ続けている膨大な環境データをセンシングし、固有のフィルターを通して認知する意識と、それを外したそれそのものの感覚を併せ持ち、巧みに他者に観察可能な状態まで仕立て上げること、それ即ち”つくる”ということだと思う。
作業スキームのニュアンス的に役割というより物質的であると思うので依代という言葉を選んでいるが、役割的にいうと伝道師という言い方もできる。
固有の世界観を通した世界の在り様を、北斎が浮世絵を描くように、ムハンマドがイスラムを始めたように、村上春樹の書く男女の会話のように、巧みに表すことで、自らという依代の意味を最大波及させていくことができる。
つまりつくることには受け取る力と放つ力が必要で、それは優れた武術が脱力と筋力の塩梅により威力を発揮するように、ただ力を抜いて待つだけでも、力を磨き続けるだけでもない、2つの力を併せ持ち、行使するタイミングが重要だったりする。
良いクリエイティブとは「透き通っていて、煌めいている」ものだ。
最も独創的なものは、最も個人的なことの中にある。
固有の世界観を通して得た、そのものの美しさを保持したまま額縁に入れ、光を差す。
その煌めきを他者は観察し、作品と他者との間にまた別の意味や感覚が生まれる。その一連のプロセスを芸術と呼ぶ。
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