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イベントの世界観の考え方

8/1に「世界観構想のススメ」なるイベントが催され世界観の作り方について色々聞かれるとのことで、ちょっと整理しておこうと思い、書きます。

まぁまずは自分の作品群を掲載したHPを眺めていただき、この記事をこれから読み進めるべき筆者なのかどうか、じっくり見極めてください。

・Read moreな方へ
下記より随筆的に書いて参ります。
気づいたことから順に書いていくので、構成が危うくなるかもですが(かつ網羅的、How to的なことにはならなさそうですが)一旦の忘備録程度にご笑覧ください。

観察者と世界観

世界は当然1つじゃありません。自分が観る世界、あなたが観る世界、資本主義から観る世界、社会主義から観る世界、猫が観る世界、2050年から観る世界、火星から観る世界、この世の生命体、あるいはあの世の生命体含めた神羅万象の数だけ世界があって、それぞれが固有に観ている世界、それが世界観です。

なのであなたは既に世界観を持っています。他の人と同じテーブルを見ていても、その色の見え方に個体差があり、それをテーブルだと思うということも全生命的に見れば非常に個性的なものの見方です。

イベントで世界観を構築する上での難しさは、お客さんがいて(商売的なプレッシャーがあって)多様な人たちで作り上げる制作プロセスがある、という2点が主にあるかと思います。

まずよくあるのが満足度の高いものを作ろうと思って、良さそうなコンテンツや演出をあれこれ詰めこんでしまうことです。ごちゃ混ぜが文脈として正常に機能する場合もありますが、多くの場合それは文脈が整理し切れていない言い訳に使われます。

また、多様な人たちで作り上げることそれ自体は大正解なのですが、世界観の交通整理がされていないまま自由闊達に自律分散すると、1つのイベントとしての世界観は統一しづらくなってしまいます。

世界観は前述の通り、まずはだれがどう世界を観るか、ということです。あなたならあなたでいいし、別の人でも魚でもキノコでも(明確にイメージできるなら)構いません。

例えば自分の場合は小説の登場人物を”観察者”にして2045年aiが神になった世界だったり、誰でも理想の来世に転生できる世界を観察して作ってもらったり、令和版陰陽道の祭礼や泥の国など仮想の”世界”を掲げて、それを自分自身や制作メンバーで観察して、詳細を付け足して浮かび上がらせていったりします。

どちらも自分じゃんて思うかもしれませんが、これは微妙に違うのです。

想像上の”観察者”によって作られる世界観と、想像上の”世界”を複数人で多角的に見て作られる世界観。使っているのは自分や制作メンバーの脳ですが、それはあくまで媒体でしかなく、そのどちらでもない観察者や世界が全ての答えと決議権を持っています。

そのどちらにおいても重要なのが文脈です。
どういった背景でその観察者や世界が生まれたのか、どう育ってきたのか、どういう人やものと関わりがあるのか、どういうキャラクターで、どういう性質なのか、およそ私たち自らを自らたらしめるあらゆる事柄が、観察者や世界にも同様に求められます。

その数が多く充実するほど明瞭な視野が開かれ、物語は勝手に動き出します。自分の場合はその文脈整理を小説という形を使って表し、共有しますが、やり方はなんでもいいと思います。

小説は前述のような様々な設定を登場人物や世界に与えてあげると、自ずと物語が勝手に動き出し「そういう方向に行くのね」と筆者の意識が後追いになることも少なくありません。

私たち自身も、例えば朝起きていつものルーティンを済ませる際に、いちいち意識的に行動するでしょうか?「歯を磨きにいくので右足動け」など意識的に指示を出さずとも、身体は自動的に洗面所に行って、勝手に歯を磨いていないでしょうか。

文脈は、観察者が勝手に動き出すための駆動力とも言えます。
全ての現象には因果があって、必然性があるのです。思い描いている世界が自然な状態によって駆動し、現象している必然性を、他者にも感じてもらえるとき、観察者と同じような世界観のメガネを渡すことができたといえます。

コンセプトとイマジネーション

コンセプトは世界観を明瞭な言葉で表したものですが、それが見えた時、世界観も概ね固まっていることが多いです。逆に、コンセプトは決まっているのに世界観が形を成していない時、それはまだコンセプトができているとは言えない状態です。

まずはゆっくり、じっくりとその世界をイメージ、インスピレーションします。

イマジネーションとは何か。
村上春樹はこう言います。

”イマジネーションとは脈格を欠いた断片的な記憶のコンビネーションのことなのです。あるいは語義的に矛盾した表現に聞こえるかもしれませんが「有効に組み合わされた脈絡のない記憶」はそれ自体の直観を持ち、予見性」を持つようになりそしてそれこそが正しい物語の動力となるべきものです。”

前段にて文脈が大事と言っていたので混乱があるかもしれませんが、観察者や世界を構築する前段階となるイマジネーションフェーズでは、脈絡を欠いた断片的な記憶のコンビネーションが、確かにイマジネーションを創発します。

創発とは生物学の用語で、同じ個体が単体では持ち得ない性質が複数体集まることによって現れることを創発と言います。イノベーションは既存の概念の組み合わせ、などとどこかで聞いたことあるかもですが、基本的に世界のあらゆるクリエイティブは既存のもの同士の組み合わせです。僕らが言語や五感に依存する限りは。

ここで重要な記憶とはおおよそ多種多様であることが望ましいと考えます。例えば小説の勉強だけしていても優れた小説家にはなれないでしょう。むしろ小説以外の何をしていたかが、言うなれば筆者のパーソナリティがいかに形成されてきたかが、個性的な思考とそのアウトプットとしての文学を育むでしょう。

イベントは文学より感覚的な体験を共有するものです。そのためには作者自体も2次元上の情報だけを食べてても大きくなりません。3次元的な、体感を作るならその栄養は3次元的な、体感的なものです。(もちろんそれ以外も重要ですが)

味わった体験は因数分解し、自身が得た感情や感覚と因数分解した要素を結びつけておくとスマートにアイディアの収納ができます。例えば「フジロックが楽しかった」では終わらず、楽しかった背景には自然がいっぱいでリラックスできていたから、遠方まで友人たちと車旅したから、好きなアーティストのライブが聴けたから、サブウーファーの重低音を久しぶりに聴いたから、お酒があったから、天気がよかったから、お客さん同士のトラブルなどなかったから、ちゃんと寝れたから、など、イベントとしてのプラス要因の付加とマイナス要因の排除と、様々な原因がそこにはあるはずです。

人は五感で感じる全ての物事に影響を受けて無意識的に操られている生物だと認識し、どういうインプットに対してどういう感じ方をして、それがどういうアウトプットに繋がるか、という行動心理学、行動力学を様々な観点から観察しておくと、イマジネーションのみならず、制作段階において共有したい世界観を感じてもらえるコンディショニングをすることができます。

世界観の構築と同じくせねばならぬ大事なことは、来場者にその世界観を共有するためのモチベーションとコンディションのマネジメントです。これについては乗り越えるべき3つの壁がありますが、まぁこれはまたどこかで。

しかしいざ良いイマジネーションを生もうと頭を捻らせても、なかなかその場で立ち現れてくれないこともあるでしょう。優れたイマジネーションとは流れ星を掴み取るようなことでもあり、そのためには2つの準備をしておく必要があります。

①筋力

筋肉と同じようにイマジネーション力はサボるとすぐに衰えてしまいます。継続的なトレーニング、イマジネーションの習慣を作り、(実際には違いますが)脳細胞を超回復させるようなイメージで、考え尽くした先に今より優れたイマジネーションがやってきます。

②脱力

力を抜いた自然体でリラックスした状態の時に流れ星は降ってきます。何も考えずただぼうっとしている時や、逆に何か別のことに没頭している時、脱力状態のふとした瞬間に降ってきて、それを逃さず掴み取るために筋力をつけておきます。自然体でいるための在り方は人それぞれ異なりますが、まずは呼吸や食事、適度な運動など基本的な生活習慣を整えることから多くは始まっていきます。

多様な体験+想像する筋力+脱力=良いイマジネーションの発生確率が上がります。概ね武術と同じ方程式ですね。

では”良い”イマジネーションとはなんなのか。
そもそも企画とは下記のようなレイヤーでできているのですが、その判断はセンスのレイヤーで行います。

ここは経験則+いろいろな判断基準があるのですが、長くなり過ぎてしまうのでここもまた別の機会で。(例のイベントで聞かれれば話します)

執念と諦め

何より大事だと思うのは想像する世界を作りきる執念と、そのためなら何でも諦める(明らめる)ことができるかどうか、です。

諦めるとは元々仏教用語で「明らかにする」という意味から来ています。イベントでは数々の誘惑があります。例えば会場の備品1つとっても「こちらのほうが安いけどデザインはやや劣る」など金額の誘惑や「こちらの会場の方がアクセスが良くて参加者が増えそうだ」など利便性の誘惑、多数決や影響力の強い人の意見など力の誘惑、などなど。

それらはどれも、どちらを選んでも、何かしらの正解ではあって、その中でバランスをとりながら、最低限の世界観を演出していくという舵の取り方もあるでしょう。

ただし観察者や世界側が求めるルートは明らかなのです。
それを見て見ぬふりすることを否定はしませんが、示されているルートに従順になるほど世界観はより明瞭に光り輝きます。

何があっても、何を失っても作りきる胆力は世界観構築のみならず、世の中の多くのことに共通する成功法則にも思えますが、言うが易し行うが難し、これほど難しいこともありません。

僕自身は自分が作る世界を自分自身が体験したいことも1つのモチベーションになっているのですが、文脈づくりのための文脈づくりというか、なぜその世界があなたや周りの人や世界にとって必要なのか、意味論ではなくて、感情論的に腹落ちさせておくと、必要な胆力がやってきそうな気がします。


とりあえずそんなところです。
あとは実際に作ってきた作品例として、企画〜制作までのプロセスを書いた記事がいくつかあるので、よろしければご参照ください。


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