見出し画像

短編小説|これ聴いて生きて|熱帯夜

#シロクマ文芸部
#熱帯夜

これ聴いて生きて
(約7000字)

「熱帯夜なんて、父さんが若い頃はほとんどなかったのにな」

ユイタの父親は、呑気な口調で話をそらそうとした。

「いや、さ、まぁエアコンがほしいのもわかるけどさ、なんとか扇風機で凌げなくもないというか。それに、エアコンを買っても潮風ですぐ壊れるかもしれないだろ。まぁ、有り体に言うとだな、ウチには困ったことにお金の余裕がないんだな、ハハハ」

まったく困っているようには見えない表情で、父親は笑う。

「でも、窓を開けてるとさ、家の中に入ってきちゃうかもしれないじゃん。ウイルスとか」

ユイタが重ねて言うと、父親はしばらく前にテレビで聞いた冗談を口にした。

「心配しても仕方ない。距離をとっていれば問題ないらしいじゃないか。人間じゃなくて、ゴジラが咳をしたなら話は別かもしれないけどな、ハハハ」

父親は最近、この不謹慎な冗談を気に入ってよく使っていた。昔から妙にゴジラが好きで、ユイタが小学生の頃には、島にある「ゴジラ岩」に何度も連れて行かれた記憶がある。

小さなため息をつき、ユイタは二階の自分の部屋に戻った。

開けた窓から虫が入ってこないよう、照明を落とした室内では、デスクトップPCのモニターだけが青白く輝いている。外のどこか遠くから聞こえるヘリコプターの運転音のような低い音と、扇風機の軽い振動音が混じり合っていた。

机の前に座り、ヘッドホンを装着する。さっき録音したキーボードのパートと、打ち込んだドラムのトラックを同時に再生した。

今年の正月のお年玉をすべて注ぎ込んで買ったDTMソフト。YouTubeの解説動画を片っ端から見て操作を学んでいったユイタは、半年ほど経った今、どうにか曲らしい形に仕上げられるようになっていた。

そこに、人工音声が歌う女性ボーカルのパートを重ねていく。

温度が下がらない海に囲まれて~
どこにも行けない島の~
エアコンのない部屋で~
ワタシのカラダはアツくなっていく~
ここはトーキョーのビッグアイランド~

制作中の楽曲「トーキョー・ビッグ・アイランド・ナイト」を聴き返しながら、歌詞がどうも良くない、とユイタは自己評価を下していた。

頭の中にあったのは、もっとクールで、都会的で、洗練されていて、どこか文芸的でエモーショナルな音楽だった。有り体に言えば、YOASOBIやヨルシカ、ずっと真夜中でいいのに。のような曲だ。

どうすればあんなかっこいい音楽が作れるのだろう。高校二年生の夏休みに入ってからも、ユイタそればかり考えていた。

高校卒業後の進路については、これまで真剣に考えたことがなかった。このまま島に残り、配管業を営む父親の仕事を手伝うことになるのだろうと、なんとなく思っていた。

本土の大学や専門学校に通わせてもらえるような経済的余裕は家にない。かといって、島の役場や農協に就職できるほどの学力も真面目さも持ち合わせていなかった。

そもそも、こんな先の見えない世の中で、将来のことなど考えて何になるのだろう。

周りのクラスメイトたちが「オープンキャンパスが中止になった」だの「さすがにいま本土へ遊びに行ったらヤバいよね」だのと騒いでいるのを、ユイタはどこか冷めた目で眺めていた。

世間では「緊急事態宣言」が発令され、不要不急の外出自粛が叫ばれていた。伊豆大島で暮らす者にとって、それは本土との船や飛行機の往来を止めること、つまり「島から出るな」と同義だった。もっともユイタにとっても、配信視聴を楽しみにしていたライブやフェスが軒並み中止になったことは残念ではあったが。

ユイタは椅子から立ち上がり、部屋の隅にあるギターを手に取った。物置の奥で埃をかぶっていたエレキギターを掘り出し、最近になって弾き始めたのだ。かつて父親も弾こうとして友人から譲り受けたものらしいが、「Fコード」で挫折したらしい。ちなみにユイタも、まだFのコードで6本の弦全ての音を綺麗に鳴らすことはできていない。

なんとか上手くなりたくて練習を続けていたものの、さすがに今夜は暑すぎた。

ネックを握る左手から汗が滲み、弦にねっとりとまとわりつく。弾けば弾くほど、不快感ばかりが募っていった。

それから三十分ほど経った、夜の十時過ぎ。

ユイタは家を抜け出し、港の近くにある空き地の護岸コンクリートに腰かけていた。

夜の海から届く波の音を聞く。自室に閉じこもっているよりは、いくらか涼しかった、と思いたかったが、熱帯夜のせいか、海から吹く風も、いつもより生ぬるく感じられた。

用がないなら出歩くな、と言われてはいる。

夜に駆け出すように、あの蒸し風呂のような部屋を抜け出してきたわけだったが、こうして波の音を聴くことも、十分立派な「用事」ではないか、と誰にともなく、心の中で弁明してみる。

だが、次第にその波の音にも飽きてきた。

まだ十七歳なのに、一人で夜の海を眺めて黄昏れているなんて、厨二的というより、むしろ老人的なのかも、と自嘲してみる。

ポケットからイヤホンを取り出して耳に装着し、スマホのBluetoothを接続した。透明感のある女性ボーカルが流れ出した瞬間、ユイタの意識は一気に遠い夜の都市へと飛んでいく。

潮風に吹かれながら音楽を聴くのも立派な用事ではないか……と言えるだろうか。先ほどよりも弁解の余地が怪しくなってくる。

音楽に没頭していたせいか、後ろから自分を呼ぶ声にしばらく気づかなかった。

「おい、ユイタ! 」

振り返ると、二メートルほど離れた暗がりの中に、人影が立っていた。遠くの街灯の光が、わずかにその輪郭を浮かび上がらせている。

それは、ジャージにTシャツ姿のアヤノ先輩だった。

「あ……アヤノさん。すみません、音楽を聴いていて気づきませんでした。こんな夜遅くに、何してるんですか? 僕が言える立場じゃないけど」

「用もないのに外をほっつき歩いている不届き者を、取り締まりに来たの」

「なんだよ、それ。自警団かよ」

敬語とタメ口がまじりあった調子で、ユイタは返事をする。

「まぁ、なんとなく散歩というか……コンビニに行きたかったというか。そしたら海の方に人影が見えたからさ。心配になって来てみたら君だった、ってわけ。だって嫌じゃん、目の前で誰かに海へ飛び込まれたりしたら」

「この島にいつコンビニができたんですか。もしできたら大ニュースですけど。それに、僕は海に飛び込んだりしませんよ。もし死にたくなったとしても、普通は他の方法を選ぶでしょ」

二人を通り抜けるように、夜の海風が吹き抜けていく。

アヤノ先輩は、近所に住む一つ上の先輩だった。この狭い島では、近所の先輩といえば小学校・中学校・高校のすべてにおいて先輩であることを意味する。

小学生の頃は一緒に鬼ごっこのような外遊びをしたり、家でゲームをして遊んだりしていたが、成長するにつれて顔を合わせる機会は減っていた。

「ちょっと、なんでそこで急にツッコミをやめて黙るんですか。本当に僕が死にたがってるみたいになっちゃうじゃん」

「いや、夜に家を抜け出して海に来る人って、多かれ少なかれそういう気持ちがあるのかなって」

「それは偏見が過ぎる……というか、海に失礼だと思いますよ」

「なるほど、海に失礼。そうかそうか、これは失礼いたしました」

アヤノ先輩は海に向かって立ったまま、大げさに深々と頭を下げた。


そんなところに立っていないで、こっちに座りませんか——

そう言いたくなる気持ちを、ユイタは飲み込んだ。幼馴染とはいえ、年上の異性にそんな言葉をさらりと言えるほど、自分には余裕も度胸もない。

そんなユイタの葛藤を見透かしたように、アヤノ先輩が言った。

「真面目な話をするとさ、私にあんまり近づかない方がいいよ。もしかしたら、私もう感染してるかもしれないから」

「えっ?」とユイタは思わず聞き返した。

「カンセンって……例の新型の感染ですか?」

「この状況でそれ以外のわけないでしょ。さっきウチの親が怪しいって分かってさ、ヘリに乗せられて本土の病院に行っちゃったの」

さっきまでのあなたの様子からは、とてもそんな状況には思えませんでしたが、と言いかけたユイタだったが、後半の言葉の重さに返事を見失った。

「それって、つまり……」

「もし、ちゃんと検査して陽性だったら、ウチの親がこの島の記念すべき『第1号』かもね。こないだ父親が、本土に住んでる親戚の葬式に行ったんだよ。最後にどうしても会いたいってきかなくてさ。母親も私も諦めてたけど、強引にでも止めておくべきだったな。『やめとけ、アイツはもう死んでいる』とか言ってさ」

「それは……まぁ、そうかもしれませんけど。だったらなおさら、なんで外を歩いてるんですか。先輩は大丈夫なんですか?」

「病院に行ってた親からさっき電話があってさ、お前は家でじっとしてろって言われた。母親は微熱があって、父親と一緒にヘリで本土の病院に搬送されたみたい。ま、私は今のところ熱はないけど」

「じゃあ、なおさら家にいた方がいいんじゃないですか。あとで『あのとき外を歩いていたぞ』とか言われるかもしれませんよ」

「まぁね。例えばユイタが密告したりしてね」

「いや、僕は言わないけど」

「なんかさ……じっとしてろって言われると、逆に外に出たくなるじゃん。しばらく出られなくなるなら、今のうちに歩き回っておけ、死ぬ前にこの島の景色を目に焼き付けておけ、みたいな感じかな」

「感染したからって、そんな簡単に死ぬわけじゃないと思いますよ。先輩は特に、いつも元気そうですし」

「あとはさ、こうやって歩き回っていれば、私から見えないウイルスが広まっていって、もう全員一回感染すればいいのに、騒いでいる奴らも全員同期の一期生みたいになって、そうすれば誰が最初だったかなんて、どうでもいい、ってなるでしょ? ってそんなこと考えて歩いているうちにさ、最初のターゲットが『みつかったぁ』というわけ」

「それ、冗談だとしても、僕以外の人に言ったら絶対に袋叩きにされますから気をつけてくださいね。あと『逃走中』のナレーションのモノマネ、クオリティ低いです。小学校のときのほうがうまかった……というか先輩は、僕にウイルスをうつしたいんですか、うつしたくないんですか」

「アハハ、ほんと、どっちなんだろうね。どっちも、なのかな」

そう言った後、急に静かになったアヤノ先輩は、遠くの海を見つめていた。

ユイタはまた、かける言葉を失った。

今この瞬間、先輩に近づくことが間違っているのは確かだった。けれど、すぐに立ち去って離れてしまうのも違うような気がした。

「先輩は来年、高校を卒業したら東京の大学に行くんでしたっけ」

「急に脈絡ないな。まぁそうだけど。……ここも一応、東京都だけどね」

「それまでに、コロナが落ち着いているといいですね」

「ユイタは島に残るんでしょ。えらいじゃん、お父さんを助けるなんて」

「助けるんじゃなくて、まだ当分助けられるつもりだから、えらくない」

「ねぇ、ユイタは島から出たいと思わないの? 昔は『出たいよー、出たいよー』ってよく泣きながら言ってたじゃん」

島を出たくないわけではなかった。けれど、父親を一人にしたくないという思いがどこかにあった。いつも呑気な感じにしている父親だが、その胸の奥には深い寂しさがあるのだろうと、ユイタはなんとなく感じていた。母親はユイタが小学校低学年の頃に病気で亡くなり、それ以来、父親はたった一人で自分を育ててくれたのだ。

「最近は、あんまり思わなくなったかな。今はボカロとか音楽制作にハマってて、自分の部屋でいろいろ出来ちゃうから。そのおかげで、外に行きたい気持ちが薄れたのかも。というか泣きながらは言ってないし」

「ふーん。ユイタが作ってる音楽ってどんなやつ? よく知らないけど初音ミクとか?」

「初音ミクも使ってるけど、それだけじゃないっていうか。憧れているのはYOASOBIのAyaseさんが作るような曲だけど、全然そうなってなくて。まぁ、口で説明するのは無理があるかな」

「じゃあ聴かせてよ。それで」

アヤノ先輩はコンクリートの上に置かれたユイタのスマホを指さした。

「ちょっとそのポケモン見せてよ」と、ニンテンドー3DSを持ち寄って遊んでいた小学生の頃と同じノリだった。そのせいもあってか、ユイタはそれほど恥ずかしさを感じることもなく、スマホに保存していた自作の音源ファイルを再生した。

スピーカーモードにして、音量を最大まで上げる。


どこにも行けない島の~
エアコンのない部屋で~
ワタシのカラダはアツくなっていく~


誰でもない誰かが歌うメロディが波音と混ざり合い、二人を包む半径一メートルほどの小さな世界に響いた。

波音混じりの屋外での、スマホのスピーカーという最悪のモニター環境だったが、音が割れて細かいアラが隠されているせいか、普段自室で聴くよりも良い仕上がりにユイタには感じられた。

曲の途中から、アヤノ先輩は地面にしゃがみ込み、スマホに耳を近づけて真剣な表情で聴いていた。

曲が終わると、先輩は言った。

「ふーん。よく分かんないけど、これが初音ミクってこと?」

曲を聴いてもらう前の、口で説明したときから、ほとんど変わってない感想だった。

ため息をつくユイタに先輩は言った。

「でも、すごいじゃん、こうやって何かをつくるのってさ、いいことだと思うよ。周りから酷評されても、自分の信じるように生きていけばいいんだから胸はっていけよな。これで、そろそろ私帰るね。家でじっとしてろって言われてたんだった。バイバイ」

アヤノ先輩はそう言い残し、軽い足取りで去っていった。

一人残されたユイタは、再び夜の海を見つめた。

酷評されている感覚も、落ち込んでいるつもりもなかったんですけど、とユイタは心の中でツッコミをいれた。そして、「でも、すごいじゃん」という、先輩の言葉の一部のみを恣意的に切り取り、脳内でループ再生させた。


「距離をとっていれば問題ない」というのも、本当かどうかはわからない。

「感染したからって、そんな簡単に死ぬわけじゃない」というのも、誰にも本当のところはわからない。

1メートルの距離をとっていたとしても感染して、そして簡単に死んでしまう、ということだってあるかもしれない。

ただ、悪いほうにばかり考えていても、今日を生きていけない。

だから、自分の都合のいいところだけを受け取って、結果的にそれで前向きになれるなら、それも間違いじゃないはずだ。

このへんの楽天的なところは父さん似なのかもしれない。

うん、きっとそうだ、深い歌詞が書けないのも楽天的な父さんの影響のせい、ということにしておこう。


波音を聴きながら、頭の中で考えを整理した後、ユイタは家路についた。

夜が更け、辺りの空気は少しずつ冷めていっているはずなのに、自分の身体は、ここに来る前よりも火照り、熱を帯びているように感じられた。

それから一週間ほど経ち、高校の二学期が始まったが、アヤノ先輩が学校に登校してくることはなかった。家族全員が家から出られない状態にあるのだと、後から父親から聞いた。

ユイタたちが暮らす東京都大島町で、初の新型コロナウイルス感染者が確認されたのはあの年、2020年の8月末のことだった。その後、島では数百人を対象とした大規模なPCR検査が実施された。

対象となったのは感染者と接触のあった者たちだったが、なぜかユイタのもとに検査の連絡が来ることはなかった。あのアヤノ先輩が、夜に外へ出歩いたことを誰にも話さなかったのだろうとユイタは悟った。

その後もポツリポツリと感染者は確認されたものの、懸念された爆発的な感染拡大は起こらず、秋にかけて島内は比較的落ち着きを取り戻していった。

しかし本土からの観光客は激減し、島で観光業を営む人々の収入は途絶えた。そして、そうした人々を主な顧客としていたユイタの父親の仕事もまた、目に見えて減っていった。

翌年の春、アヤノ先輩はひっそりと島を去り、本土の大学へと進学していった。あの日以来、ユイタが先輩と二人で話す機会はついに訪れなかった。

高校三年生になったユイタは、相変わらず島の中で静かな日々を送っていた。平日はなんとなく学校に通い、夜は家の自分の部屋で音楽制作に没頭した。ユイタの頭の片隅には、いつかアヤノ先輩の心にもちゃんと響くような曲をつくれるようになりたい、という想いがあった。だから、音楽を辞める、ということはなかった。休日には、父親と居間のテレビで昔のゴジラ映画の配信を見た。多くの作品において、伊豆諸島などの離島は本土上陸の前座として、真っ先にゴジラに襲撃されるのだった。そして、そのようなシーンになる度に父親はなぜだか嬉しそうな表情になり、「父さんは島にゴジラ像できてほしかったけどなぁ」と呟くのだった。

そうして月日は流れ、人々は日々の感染者数を数えることにも次第に飽きていった。

観光客が少しずつ島に戻り、かつての日常が取り戻されていく。

けれど、どれだけ年が明けても、アヤノ先輩が島へ戻ってくることはなかった。

2026年8月のある夕方。

ユイタは一人で家を抜け出し、あの夏と同じ海沿いの空き地に来ていた。コンクリートの護岸ブロックの上に腰を下ろす。

ワイヤレスイヤホンのノイズキャンセリングを切り、音楽と波の音の両方に耳を澄ませていた。

背後から「おーい、ユイタ!」と、誰かが自分を呼ぶ声がした。

(了)

いいなと思ったら応援しよう!

緑山イナエ よろしければ応援お願いします! いただいたチップはZINE作成等の諸経費に使いたいと考えています。