ショートストーリー|白黒の証し|小説|レシートに
「白黒の証し」
レシートに印字されていたのは、小一時間ほどのタクシー乗車の記録。
文京区関口のスタジオに戻り、ようやく席についた有馬先生は、しばらくして僕の名前を呼んだ。
「江都くん、このレシート、お願い」
「はい」と短く返して、僕は自分の席を立つ。
先生はすでにマスクを外し、原稿のペン入れに意識を集中させていた。
僕は先生のデスクの脇からその紙片を回収し、自席へと戻る。
ヘアアイロンを手に取り、温度を百四十度に設定する。
普段はスクリーントーンの接着や修復に使っているもの。時代遅れのアナログな道具たち。
ヘアアイロンが適度な熱を帯びたのを確認した僕は、レシートを挟み、手早く滑らせる。
その感熱紙は、上部の日時の部分だけを白く残して、一瞬にして黒く染まった。
だが、その暗い背景の中には、淡い白色の線が浮かんでいる。
先生が透明なインクで描いた一コマ。
「ベタ塗り、できました」
先生はこちらを見もせず、Gペンを素早く走らせている。
「ありがとう。でも、もう大丈夫。あとは、適当に処理しておいて」
先生がそう言うとき、それは、物語を導く光と影の輪郭を、先生はもう掴んだということなのだ。
・・・・
不要不急な外出の自粛が求められ、街から人々の姿が消えたあの頃。
先生は時折、デスクを抜け出し、疎らな東京の風景をタクシーの車窓から眺めては、また机に戻ることを繰り返していた。
消毒用のエタノールに浸した筆を、先生は、レシートの上にさらさらと滑らせる。
感熱塗料が溶かされた軌跡がつくる、
見えない線の集まり。
それは不都合な支払記録を消すためだったのか、
あの外出が必要なものだった、と誰かに示すためだったのか。
それとも、単なる遊びだったのか。
もし今先生に尋ねることができたら、先生は何と答えるだろうか。
僕の席の引き出しの中で重なっていった、
あの日々の先生の白黒の証したちは、
いまは、都内に建つある美術館の一室に収められている。
『アーカイブ二〇二〇 漫画家・有馬舞子の場合』
それが、「適当」な処理だったか、今でもまだわからない。
でも僕はたまに、その薄暗い展示室をひとりで訪れる。
「エーテル」に満ちていたあの日々のことを思い出しながら、先生が遺した熱が、まだ僕の胸の中に残っていることを確かめる。
そして、僕はまたデスクに戻っていく。
次は僕自身の、白黒の証しを残していくために。
(了)
こちらの企画に参加させて頂きました。
いつもありがとうございます!
あとがき
レシートって…
一昔前は紫色のインクで印字されたやつでしたよね。。
最近の白黒のものは、感熱塗料が塗られた紙を使うタイプのようです。
そんなことを調べているうちに、
できていった物語です。
お読み頂き、ありがとうございました。
よろしければ、以下のマガジンもよろしくお願いします🙏
(note創作大賞用)
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします! いただいたチップはZINE作成等の諸経費に使いたいと考えています。