見出し画像

冷徹メガネと天職探しの旅 第32話 ゼロ

浅見さんへのラインを送り僕はベンチに持たれかかった。ずっと心につかえていた何かが取れた気がした。ラインを確認したが既読の文字はつかない。返事がある可能性は少ないのは判っていたので、気持ちが沈むことも無かった。
浅見さんの次に送らなければいけないのは天神さんだ。最終面接の対策をあそこまでやって貰ったのに内定が取れなかったのは申し訳ないが、不採用だったことをラインで送った。天神さんへのラインを送り終わりホッとしたらすぐに天神さんから返事が来た。“他に面接は控えていますか?”ねぎらい等の言葉が無いのは天神さんらいなと思った。そしてアメリカにいるのにこのスピードでの返信は凄い。嬉しくも感じた。
もう面接は控えていないこと、正直これからどうすればいいかわからないことを正直に書いて送った。天神さんからはまたすぐに返信が来る“自分軸で会社を選んで、行動”自分軸・・・今回は自分軸では無かったのだろうか?そしてまた天神さんからラインが来た。
“可能性は思っているより広い”何のことかわからなかったが、お礼の返信を送った。既読になり可愛らしい熊のスタンプが送られてきた。天神さんのキャラクターに合わず少し不思議な感じがした。背伸びをしてみる。体がビキビキと音をたてた。その後爽やかさが体を抜けた。考えてみれば辞めようと思っていた会社を辞める。そして転職活動をスタートする。ゼロに戻っただけだった。そう考えると気持ちが楽になってきた。まだ人生が終わったわけではない。可能性は思っているより広い。

月曜日目が覚めても、憂鬱な気分が大きく広がることはなかった。やる事が決まっているからだ。まず会社に行って上司に再度謝罪をした。こちらをチラッと見ただけだったが、前回より少し態度が軟化している気がした。僕は席に戻りお客様のリストを再度確認する。転職活動に意識がいっていたあまり、お客様への対応が中途半端になっていたり適当になっていた部分があった。しかし転職活動とお客様には何の関係性も無い。全力で問題解決をする必要がある。僕は転職活動の事は仕事中忘れてお客様に全力で集中することにした。アポイントの電話を朝からかける。「株式会社××の荒田です。今少しお時間よろしいでしょうか?」
手帳に今週の商談予定を書いていると隣に同期の佐藤が座った。
「方向転換したのか?」
「戻っただけだよ」
「今更遅いと思うけど。転職活動を頑張った方がいいんじゃないかな」
僕は何も答えず、鞄にPCを詰め込んでアポイント先の会社へ向かった。

「お陰様で事務員の仕事効率も上がり、とても満足しているよ」
「ありがとうございます」
AI通話を導入してくれた社長は満足げに言った。深く腰掛けた姿に貫録を感じた。
「AI通話に関して他にもお困りに事があれば何でも言っていただければと思います」
「アプリの使い方でわからない部分があるんだが」
「どこでしょうか」
僕は社長の携帯電話を覗き込む。
「この設定を変えたいのだがよくわからなくて」
「このアイコンを押して頂くと音声設定が可能です」
僕は社長の携帯電話を預かり設定を変更した。
「ありがとう」
「他の社員さんも同じように困っている人がいる可能性があるのでマニュアルをご用意させて頂きますね」
「それは助かるな」
「準備でき次第すぐにメールにて送らせて頂きます」
僕は頭を下げ社長の部屋を出た。まずはお客様に全力で満足してもらう。売りっぱなしにはしない。その気持ちを大切にしようと思った。新規案件と同様に既存案件にも顔を出し、困りごとを聞いてそれが短期の売り上げに繋がらなくても貢献していこうと思った。上司にはまた指摘をされる可能性があったが、自分が対応したお客様には喜んで頂き、この商品を導入して良かったと思って欲しかった。

一日が前よりもあっという間に過ぎていた。全力で仕事と向き合うと不思議な充実感で体が満たされる。一週間も同じように過ぎていった。
金曜日PCに入力作業をしていると人事の多田さんから声をかけられた。
「15時からルームBでお待ちしています」
「わかりました」
声をかけられて面談の日だと思い出した。仕事への向き合い方は変わったが売り上げが大きく変化したわけではない。面談で何を言われるか予想をできたが特に憂鬱に感じることもなかった。
ルームBに入り、手帳をデスクの上に置いて待っていた。数分後に多田さんと不機嫌そうな藤原マネジャーが入って来た。
「よろしくお願いします」
多田さんが感情の無い声で言う。
「よろしくお願いします」
僕も答える。多田さんが月ごとの目標数値が書かれたシートを僕に渡す。
「今月で二か月目が終わりました。売り上げは目標数値を達成していませんね」
抑揚のない声で答える。
「はい」
「三か月でこの面談も終了となります。目標が達成できない場合は他の選択肢を提示させてもらう可能性があります」
まどろっこい言い方をする人だと心の奥で思った。
「他の選択肢とは何ですか?」
「自己都合での退職です。強制ではありせん。勧告となり、受け入れた場合は給料半年分の退職金支払いもあります」
「なるほど」
その言葉を聞いても不思議と動揺することは無かった。
「もちろん三か月目で目標を達成できたり、態度を改めることがあれば継続した雇用となりますので一緒に頑張っていきましょう」
「わかりました」
「他にも何か不明点ありますか」
「無いです」
「それでは二か月目の面談はこれで終了となります。ありがとうございました」
「ありがとうございました」
僕も頭を下げて手帳を手に持ち部屋から出た。残り一か月。仕事はお客様に真摯に向き合い仕事をする。シンプルなやり方が自分の中で固まっていたので迷いは無かった。転職活動のことも頭には不思議と過らなかった。僕は席に戻り既存のお客様に連絡をして丁寧にヒアリングする作業を始めた。その姿を藤原マネジャーが見ている気がしたが特に気にすることは無かった。
全てのアポイントが終わり、一日の仕事が終わった。最近は一日が終わるのが早い。そして既存のお客様の話を聞いていると困りごとがやはり複数ある。それが売り上げに繋がることもあれば、繋がらないこともある。しかし満足していただけることを考えて対応をするように心がけた。

いいなと思ったら応援しよう!