見出し画像

冷徹メガネと天職探しの旅 第26話 有給

正月休みが終わり早くも2週間が過ぎた。連休の雰囲気はいつの間にか無くなり、いつもの慌ただしい仕事の日々が戻って来た。今日は1ヶ月に一度のPIP面談だ。時計を確認すると13時55分。14時スタートだったので手帳を持って個室へ向かった。
扉を開けるとまだ誰も来ていなかったので入口近くにある椅子へ座った。14時が少し過ぎたころに多田さんと藤原マネジャーが騒がしく入ってきた。多田さんがA3の紙に印刷されたPIPのプログラム表を机に広げた。紙には目標値と今月の予想実績が記載してある。目標値に対して下振れしている。藤原マネジャーの目線は厳しい。
「今月売上厳しそうだな」
藤原マネジャーはボールペンをカチカチ鳴らしながら僕に話しかける。
「はい」
「客単価を上げるためにしっかり複数商品のセールスしてるのか?」
「お客様に提案はしているのですが中々追加には繋がらず」
「一度だけしか言ってないんだろう!もっと積極的に売上を上げる気概を持て!」
藤原マネジャーは珍しく興奮してまくりたてた。他の営業もエースの小宮山さんを除いて殆どが未達だ。商品の不具合、人員不足、PIPの噂などで組織が機能不全を起こし、営業全体のモチベーション低下に繋がっていた。
「お前このままじゃヤバイよ。PIPプログラムもあと3ヶ月だからな。そこをしっかり認識しろよ」
脅すような口調で藤原マネジャーは僕に言った。
「すいません」
僕は静かに頭を下げた。多田さんは何知らぬ顔をしている。毎朝コーヒーを飲むようなルーティンワークをしている雰囲気だ。PIPが始まった当初はこの打ち合わせは憂鬱で心を砕かれるモノだった。今は転職活動をしているので正直何も感じない。怒りを抑えきれない藤原マネジャーと無関心な人事が客観的に見えている。
「最近有給取得多いな」
藤原マネジャーが唐突に話を振ってきた。僕は背筋はヒヤッとするのを感じた。手から汗が出てきた。
「最近、体調が優れないことがあって。すいません」
転職活動をしていることを疑っているのだろうか?PIPをやっているのだからバレても良いような気もしたが大事になるのも面倒だったので黙っていた。
「体調管理ぐらいしっかりしておけよ。ただでさえ売上上がってないのに休んだらその分営業活動できないだろ?顧客単価上げるのが難しいならせめて数を増やせよ」
藤原マネジャーの説教に低頭しながら聞くフリを続けた。人事が時計をチラッと見た。ロレックスだった。打ち合わせは予定の30分を超えていた。
「PIPは残り3ヶ月となります。頑張っていきましょう。来月の打ち合わせでは今後の話もしていきます」
多田さんが藤原マネジャーの会話を遮るように話を滑り込ませた。
「はい」
僕は小さい声でうなずいたが、そのころには転職をしていませんと心の声では答えた。
PIPの面談が終わり、僕は席に戻った。隣の席には同期の佐藤がいつの間にか座っていた。
「ご苦労さま」
佐藤が苦笑いしながら話しかけてきた。
「あの時間には割増の給料が欲しいね」
「余裕そうだな。もう麻痺してきたのかな」
「そんなところ」
「ところでPIPは営業の半数が受けてるらしいぜ」
「…さっきの藤原マネジャーとの打ち合わせはPIPについてだよ」
転職活動する前は言うのが恥ずかしかったが今は違う道が見えているので自然と話すことが出来た。
佐藤は明らかに動揺して目を動かした。
「なんで?」
「辞めさせたいんだろうね」
僕はPCを開き電源を入れた。
「荒田は売上げが悪いわけではないのに意味がわからないな」
「もう3ヶ月目だよ。残り3ヶ月延長でやるらしい」
佐藤は腕組みしながら天井を見上げた。
「PIPも意味が2個あるのかもしれないな」
「2個?」
「谷口さんが受けているのはクビにするためのPIP、荒田が受けているのは言うことを聞かせるためのPIP」
「転職が普通の今、後者の意味でやられた人間が会社にいるとは思わないけどね」
「転職活動してるのか?」
佐藤は探るような目で僕を見てきた。
「いつでも相談してよ」
談話室から人事と藤原マネジャーが出てくるのが見えたので話すのを辞め、PCに目を向けた。
お客様へのメール返信、雑務がある程度目安がついた時に谷口さんから着信があった。電話に出ると谷口さんの暗い声が聞こえてきた。
「荒田さん、今大丈夫ですよ」
「大丈夫ですよ」
僕は席を立って人がいない休憩所に移動した。
「どうしました?」
「PIPの3ヶ月目の面談が終わりました」
電話先では電車の通過音が聞こえる。外から連絡をしているのだろう。
「退職を推奨されました…僕はこの仕事が好きだから辞めたくないです」
谷口さんの声は震えていた。
「それも自己都合退職をするように言われました」
「それはおかしいですね」
「面談ではコンコンと詰められて、頭が回らなくなりました」
「自己都合退職にサインしたんですか?」
「それは何とかせずにできました」
「良かった」
谷口さんが詰められているシーンを想像すると心が痛んだ。
「でも…これからどうすれば良いのでしょうか」
僕は上手い答えが思い浮かばなかった。切り替えて転職活動をしましょう!と言う雰囲気でも無い。谷口さんはこの仕事と会社が好きなのだ。
「少し時間を置いてから考えてみるのはどうですか?」
「2週間後までに答えを出して欲しいと言われました。そうすれば退職金、3ヶ月分の給与を転職活動の資金として渡すとのことでした」
「そうなんですね」
「また会って話を聞いてくれますか?」
「もちろんです」
僕は谷口さんと会う日程を決めて電話を切った。会った時には自分の状況も話して手助けしようと思った。仕事はいくつか残っていたがどれも緊急性は低かったのでPCの電源を切って帰宅することにした。

外に光るネオンが雨に反射して五月蝿かった。交差点を歩く人の姿はどれも忙しそうで他者には目もくれずに一心不乱で歩き一生交差しない気がした。交差点を渡る大衆の中に一人立ち止まっている谷口さんがいた気がした。僕は目を抑え、PCや書類を鞄に詰め込み、急いで会社を出た。洗練されたオフィスに漂う冷気に肺をやられてしまいそうだった。
電車に乗ってから天神さんから連絡が来ていることに気がついた。
“最終面接の日程は決まりましたか”
最終面接の日程を天神さんに伝えることを忘れていた。僕は慌てて日程を返信した。
“今週末に新宿で会いましょう。最後の仕上げをします”
最後の仕上げという言葉が気になったが、週末の空いてる時間を伝えて会うことになった。

いいなと思ったら応援しよう!