インド長期インターンシップ―高校を休学して単身コルカタ生活で得た学びとその先
「インドに行くと価値観が変わる」——そんな言葉を聞いたことがある方も多いかもしれません。
しかし実際に、その“変化”とは何なのか。どのような時間を過ごし、何を見て、何を感じた結果なのかは、なかなか具体的に語られることはありません。
今回ご紹介するのは、2023年から約6か月間、高校在学中にインド・コルカタを中心に長期ボランティア・インターンとして滞在した夏目陶一郎さんの体験記です。
短期滞在や観光では決して見えてこない、現地の日常、人との関係、戸惑い、そして内面の変化が、非常に率直な言葉で綴られています。
「なぜインドだったのか」「なぜ長期だったのか」。
その問いへの答えを、ぜひご自身の感覚で読み取ってみてください。
初めまして!
2023年~2024年にかけて6か月間インド(コルカタ・チェンナイ)の現地活動団体でボランティア・インターンとして活動していました、夏目陶一郎と申します。
今回は、インドでの様々な経験のうち、特に学びの多かったコルカタでのボランティアとしての生活に焦点を当て、なぜ私がインドで長期ボランティアをしようと思ったのか、生活・活動の様子について紹介させていただきます。
インド長期滞在の1つの例として読んでいただけたら幸いです。
なぜインドに行ったのか?|理由・目的
小さい頃から何となく外国に興味があり、大学の進路を考え始めていた高校2年生の時、親に「海外の大学に進学したいかも」と相談した。すると親はいいねともダメともいう代わりに、「一度そんなに憧れてる”世界”ってどんなところなのか高校生のうちに知って来れば?」というアドバイスをくれた。
確かに、私は今まで海外には家族旅行程度でしか行ったことがなく、何となく海外に憧れてはいたけど、その実態は全く知らなかった。
また、高校など私が日々所属しているコミュニティがどちらかというと均質性の高い「生きやすい」コミュニティだということも自覚していた。でも世界はもっと広いはず。だから、自分が普段暮らしている世界とは全く違うような場所に行ってみたいという思いが強くなっていった。
そんな思いを家族と共有する中で、インドに長期滞在するという選択肢が生まれてきたのだ。
インドは明らかに日本とは対極にあるような国だし、いろんな人がよく「インドに行くと価値観が変わる」と言っている。インドは人口も世界一となり、今世界で一番勢いがある。一方、インドは今なお発展途上の側面も色濃く残っていて、貧困や衛生問題は深刻な問題であり続けている。
格差が大きくて二面性を持っていると言える。経済発展を生み出すそのエネルギーの高さと二面性ゆえのカオスな感じが、先述した「自分が住む世界とは違う世界を体感して知りたい」という思いにマッチしていて、インドに行こうという展開になった。
そして、1,2週間短期滞在するだけでは、異様な光景に衝撃を受けるだけでその衝撃を消化できずに終わってしまう。その衝撃を自分なりに解釈して落とし込み、自分を更新していくためには、ある程度長い期間が必要だろうという理由から長期滞在することにした。
さらに、私は自分とは異なる世界をできるだけ多く体感したいと思っていたので、単なる旅行者では入り込めない・知り得ないインドの現実に直面したかった。そのため、現地で活動するなどの団体でボランティアとして活動し、その活動の中で様々なインドの側面を知ろうと思った。
渡航・活動開始までの流れ
現地のボランティア先を決めるため、留学タイムズ(インドを扱っているおそらく唯一の留学エージェントだった)に問い合わせたところ、インドで活動するNPO法人結び手の代表、福岡洸太郎さんにつないでいただくことができ、代表と面談を重ねる中で東インドのコルカタにある教育系団体Sujata Childにて、ボランティアとして活動をさせてもらえる運びになった。
そうして、2023年10月1日、私はインドに降り立った。

コルカタでの活動・生活
Sujata Childでは、スラムに住む子どもたちと遊んだり、彼らへ基礎教育を提供することを目的にした授業を見学したり、文房具や食料の寄付会を運営したりした。
規模の小さな団体だからこそ、その時の状況に合わせ柔軟に活動を計画しており、そのおかげもあり、私はコルカタの様々な現実を目の当たりにすることができた。
ゴミだらけの空地、異臭漂う川、車両で埋め尽くされた道路など、日本では知りえなかったそういった光景はとても衝撃的で、今の私にも影響している。
ただ、私がコルカタでの滞在中、最も関心を持っていたのは、Sujata Childでの活動そのものというより、活動中、活動前後に生まれる現地インド人との関わり・コミュニケーションについてだった。
私はコルカタ滞在中、Sujata Childが活動するスラムがある地域をほとんど毎日訪れ、スラムに住む子どもたちやその地域の大人たちと一緒にチャイを飲みながら談笑したり、バドミントンをしたりしていた。ある人の家にお邪魔してクリケットの試合をテレビで一緒に見たこともある。祭りの時には一緒に踊ったりご飯を食べたりした。
そうする中で、完全に部外者だった私がその地域コミュニティの一員として受け入れてもらった感覚があった。それがとても嬉しかった。
このような深いコミュニケーションを取れたのは、自分が単なる旅行者ではなく、現地団体の関係者としてそのコミュニティに入り込んできたこと、それから、そのコミュニティに4か月というある程度長い時間で関わることができたこと、これらが大きかったのではないかと考えている。
一方、もちろん他人との関わりがすべてうまくいったわけではない。インド人が日本人とは全く違う価値観や生活様式を持っているにもかかわらず、無意識のうちに日本人的な連携の仕方(時間に正確であることや予定を事前に伝えることなど)を期待してしまい、必ずしもそうではない人々との連携にストレスを溜めてしまっていた。
それは、それまで日本人との関わりでほとんどよい関係を築いてきた私には、まだ私の連携力・寛容性が多様性に満ちた世界では通じないのだと気づくことができた、とても新鮮な経験だった。

コルカタでの日常と食
また、私はコルカタでの生活をシンプルに楽しんでいた。
最初こそお腹を壊すことを恐れ、地球の歩き方に載っている高級めのレストランに入ったり、高めのホテルに泊まったりしていたが、少しずつ慣れてくるうち、インドのストリートフードのとりこになり、一泊500円の物置のような部屋のホテルに寝泊まりするようになった。
特に、私はコルカタのビリヤニ(Biryani)が好きで、3日で4食ビリヤニを食べた時もあった。日本に帰ったら自分で作れるようにと、行きつけのビリヤニ屋に朝8時半から駆け付けビリヤニが完成する2時までその調理の一部始終を観察したりもした。
確かに衛生面は良くなく、私も一度ひどくお腹を壊し1週間ほど寝込んだ。ただ懲りずに屋台飯を食べ続けていたら、数か月たった時から「お腹壊しててもどこかしら近くに公衆トイレがあるからいいや」というマインドに到達することができ、そこからは本当に怖いものがなくなった。
そのようにして、少しではあるものの現地の生活を体験し、インド人に近づけたように思えたことがとても嬉しかった。

厨房などなく店先で料理してくれるのがとても新鮮だった。
帰国後から今まで
インドから帰国後、高校の学年便りにて、私のインドでの活動や活動での学びを他の生徒に共有する機会をいただいた。
そのかいもあり、「夏目陶一郎≒India」という形で多くの人に覚えてもらうことができ、学校内外でインドに関する様々な話題をいただいた。
その中で改めて私が行ったインドでのボランティア経験が貴重であることを実感することができ、同時に、その体験を自分だけのものではなく他の人に共有していくことの大切さも感じた。
私は今、海外の大学の学部課程に正規入学することに決め、その出願を進めている。海外で学ぶことに決めた理由はいろいろあるが、重要な理由の1つは、大学時代も自分とは価値観・生活が根本的に違う人たちに囲まれ、日々が衝撃の連続の環境に身を置くことで、インドで不足していた連携力・寛容性を磨きたいと思ったからだ。
多様な人々と寝食を共にし、授業内外で活発に議論をすることで、相手の立場・行動を尊重しながら、その上で互いに妥協点を見つけ、連携を図っていけるような能力を育みたいと考えている。
私にとってのインド長期ボランティア経験とは
高校2年生の冬まで全く想像もしていなかったインド長期滞在であったが、今となっては私の大事なアイデンティティの1つとなっている。
毎日が衝撃と新しい発見の連続で、帰ってきてからどっと疲れが出てきたが(濃度が高すぎた)、その分成長できたと感じている。
一方、そのように貴重な体験だったと振り返ると同時に、歩みがインドで止まってしまってはいけないと自分に言い聞かせている。インドで得た衝撃をエネルギーにこれからさらに挑戦を続けていかなければと思っている。
だから、今の「夏目陶一郎≒インド」を更新し、次第に私の中からインド色が薄らいでいくことを目標にしている。(もちろん、これからまた新しい出会いがあってさらにインド色を強める方向に動いていくことになるかもしれない)
インド滞在にあたって協力していただいた多くの方々に改めて感謝いたします。ありがとうございました。
最後にインド留学を検討している人へ
インドという未知の国への留学は多かれ少なかれ不安が伴うものです。
その留学が本当に自分のためになるのか迷うこともあると思います。
私は正直、高校を半年休学してインドでボランティアを6か月行ったことがどれだけ正しいかどうかを客観的・論理的に説明することはできません。
インドから帰る瞬間は、「日本で過ごしていたらどれだけ意味があったか・正しかったか分かるかも」と思っていましたが、正直今になってもわからないままです。これからもわからないままだと思います。
でも、少なくとも自分の中ではインドに行くという選択は正しかったと思っているし、インドでの経験に満足しています。
言ってみれば、人生経験に「正しくないこと」はありません。どんな悲惨な経験も無意味な経験も、今後何らかの形で自分自身を構成する良い材料になるはずです。
だからこそ、自分の好奇心や情熱を頼りに挑戦してみるといいのかなと思っています。皆さんの挑戦を応援しています!
編集部より👩
夏目さんは、インドでの活動内容そのもの以上に「異なる世界に身を置き続けること」が人に何をもたらすのかを伝えてくれているように思います。特に、高校生という時期にこれほど長く異なる環境で暮らした経験は、誰かに評価されるための実績づくりではなく、自分自身と向き合い続けた時間そのものだったように感じられます。
進路選択は、どうしても正解・不正解で考えがちです。しかし、夏目さんが伝えてくれるのは、「その選択が正しかったかどうかは、すぐには分からなくてもいい」という視点です。
不安を抱えながら一歩踏み出し、違和感やストレス、楽しさや戸惑いを含めた“生身の時間”を重ねること自体が、その後の人生の土台になっていく。
インドという国は強烈な印象ばかりが語られがちですが、そこで暮らし、人と関わり続ける中でしか得られない学びがあります。それはすぐに言語化できるものでも、すぐに評価されるものでもないかもしれません。それでも確かに、それに触れた人の内側に残り、その後の選択や視野に静かに影響を与えていくものなのかもしれません。
夏目さん、等身大のレポートをありがとうございました!今後の活動も気になります!ご活躍を楽しみにしております。
