L'verre feuille とGRASS×GLASS
L'verre feuille(ラヴェールフィーユ)
ガラスのように鋭利で美しく、儚い葉
私の造形コンセプトから作った造語(造発音)である。
L'verre feuilleはアート寄りな活動の屋号とした。
もう一つ同じ意味を持つギルドを作った。
GRASS×GLASS(グラス×グラス)
こちらは、模型をメインとした活動の屋号とした。
そして、より泥くさい強さと、ガラスの草という危うさと危険性、美しさを名前に込めた。

GRASS×GLASSを作ってから10年以上活動できなくなった。
もうその想いも無に帰そうかとも思った。
神社巡りをし始めて、読書も始めた
それらの時間を確保する為に、余計なものを削り落としていった。
最後に模型制作は捨てるのか?
何も完成させないままで?
たかが模型、所詮模型
それは言い換えるならばアートにしても、
たかがアート、所詮アートである。
では、全部やめればいい。
全ての造形をやめて、死の間際に何を思うだろう。
何も残せなかった、無価値な躯、亡骸。
生きる必要はあるのだろうか?
死ぬまで。
そんな無価値な躯や亡骸になることが確定しているなら、明日死んでもいいだろう。
一旦、全力でものづくりをしてから死んでも遅くないだろう。

死ぬまでやって死んだ人を見たことないと言いたいところだけど、志半ばで先輩や大師匠が亡くなった。
それも突然だった。
それから私は長期の計画はやめた。
今もてるすべての力で作ってみよう

神社巡りをし始めたのは突然だった。
去年の夏頃から、気がつけば、ほぼ毎週どこかへ行った。
今年行かねば、来年はもう存在しないかもしれない。
それは、自分が壊れてなのか、神社が外部圧力で破壊や毀損されるかもしれないと、強く思うようになり、焦るように予定と希望を詰め込んだ。


旅館を予約してゆっくりお詣りしたいものだが、予算も時間もない。
1週間程かけて、車中泊不可能であろう小型車で車中泊を実現させた。
知らぬ間に身についた木工技術とカラクリのアイデアが結びついて、不可能が可能となった。


この頃、急に産土神ということばをよく見たり聞くようになった。
なんだろう、それは?と特に気にもしてなかったのだけど、調べてみた。
生まれたところの近くにある神社の御祭神が、産土神の可能性が高いとわかった。
生まれた場所の土地は、姿を変えていた。
生まれた当時の地図を取り寄せた。
幼少期の記憶がほとんどない為、親や親戚にも色々聞いた。
どうやらこの辺りだろうとわかった。
そこから1〜2キロ圏内の神社が4つほど見つかった。
実際に地図と親戚からもらったヒントで全ての神社をお詣りしてみた。
なんとなく、そうとしか言葉にできないが

全然神社に詳しくないが、奈良にある大神神社さんの分祠だとわかった。
大神神社さんの分祠は珍しいらしい。
なんだか、そう、奈良に行かねばならない気がした。

大物主大神の荒御魂をお祀りされる狭井神社さん。
ここから御神山へと登拝に至る。
そう、登拝しなければならない気がした。
私の体力ではとても厳しい登拝となった。
御神山で起きた出来事は一切語る事はできないが、下山してからの三輪そうめんは
格別に美味かった。

なぜか、行かねばならない気がする
なぜか、やらねばならない気がする
その感覚だけで1年走ってみた。

神仏さえも斬ってやると、神は存在しない、助けを求めても誰もいない
全部自分一人で乗り越えなければならない
少なくとも18年間は地獄の日々だった。
頼れるものは何もない。
私にとっての藁は、タロットカードだった。
それを信じる信じないは自己責任。
随分危ない判断をタロットに全委ねしたこともあった。
いつしか集めたタロットやオラクルとは、フランクな付き合いになってきた。
軽い気持ちで占う、特に自分は占わなくても良いという状況までたどり着いた。
そうだなぁ、この力は誰かの為に使うターンなのかもしれないね。
私も人に頼らないで生きてきた。
最近、人にお任せしても良いんじゃないかと思えるようになった。
自分では思いつかないアイデア、センスなどが良い感じになっている。





L'verre feuilleだけで良いかなと思ったけれど、GRASS×GLASSも一緒にやるよと、言ってくれる人も現れた。
ならば、眠らせてそのまま埋めるつもりだったGRASS×GLASSも再生しよう。
本気のジオラマや模型を作ってみようじゃないか。



神社巡りを通じて、自然との対話もあっただろう。
無意識に取り入れた景色が
紡ぎ始める 新しい物語
L'verre feuille
GRASS×GLASS
代表 イニシエノミコト
令和7年吉日
