日記(魔族から見たフリーレン)
年末に『葬送のフリーレン』を見始めて、マンガも読んだ。マンガ・アニメは久しぶりのことだった。「フリーレン」の前は数年前の「シュタインズ・ゲート」、「Sunny」(松本大洋)だったと思う。Sunnyは今でも一番好きなマンガだ。(『フリーレン』と異なりアニメにはできない漫画の良さがあると思う)
『フリーレン』には夢中になり、冬休み中の小3息子と一緒に見た(彼の理解力がどの程度あるのか確かめたかった)し、感想をここに記したりもして、ずいぶん気が紛れた。
英語話者のリアクション動画もたくさん見た(のべ20人以上は見た)。そこで改めて理解したのは、みな同じところで同じリアクションをするということだった。「なぜこの人はここで笑う(涙を流す)のだろう?」ということは、絶対にと言っていいほど、ない。少なくとも自分は見ていない。
そういうこともあって、感情というものに少し疲れたかもしれない。
リアクション動画の作成者はやたらにたくさんのアニメを見て泣いたり笑ったりしているが、正直言って、それがまともなことだとは思えない。お金のためにやっているのなら仕方ないけれども。
『フリーレン』に話を戻す。
フリーレンがドラート(アウラの手下)を殺すのを見たとき、「まるで虫を殺すように殺すのだな」と思った。(ドラートよりも前にクヴァールを殺しているけど、クヴァールのときはそういう殺し方ではなかった)
リアクション動画では、アウラが自害させられるシーンで「イエーイ!」と大喜びする反応は一つの典型で、アウラのやられっぷりはマンガ・アニメのお約束、よくある様式美だから理解はできるのだけど、自分の感覚とは相いれないと思った。
魔族からしてみれば、フリーレンは自分たちを根絶やしにしようとする殺戮マシーン「葬送のフリーレン」だ。その「葬送のフリーレン」が魔族を殺しているのを見てスカッとしている人間こそが恐ろしい。(人間だって食べなくて良い生き物を殺して食べます)
そんなふうに人間と魔族をパラレルな視点で見るなら、うーん、このお話は何処へ着地するのだろう。
それが分かるのはずいぶん先のことになるだろうから、完結してから読みたかったなとは思う。
