操作される感情

『葬送のフリーレン』を見ると(読むと)、「たった10年」どころではなく、たった数十分しか見知っていないキャラクターに対しても、私たちは感情移入することができるし、また、その死に際して感情を揺さぶられたりすることがわかる。

それは、アニメ(マンガ)の製作者が視聴者(読者)の感情をコントロールする術を知っているからだし(魔族が言葉を使って人間をコントロールすることと似ている)、人間の感情がかなりの部分オートマチックな機構で出来ているからに他ならない。

けれども、だからと言って、喚起されるこれらの感情の崇高さを否定する気にはなれない。

そのことは、『葬送のフリーレン』を見て(読んで)不思議に思う。

魔族のリュグナーが「父上」という言葉を使ってグラナト伯爵を騙すのを見たとき、わたし(たち)は魔族に対して良い感情を抱かない。およそ人が父親に対して抱くであろう崇高な感情を汚されたように感じるからだ。

ではなぜアニメやマンガで感情をコントロールされた時に、そうは感じないのだろう。

順番に絵を見せて、セリフを聞かせ、音楽を流せば人の感情は簡単にコントロールできてしまう(魔法みたい)。けれども、愚弄されたとは感じない。

不思議に思う。