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ゼーリエと花の距離

最初に見るのは、ゼーリエがフランメを思い出している回想シーンのカットです。ゼーリエは幼いフランメと手をつないで森の中を歩いています。(S1-EP25。正確にはフリーレンの回想の中でゼーリエが思い出を語っているという重奏的なものになっています。)

この場面では、フリーレンやフェルンと同じように「全てを失う」ような喪失を経験しているはずの子供時代のフランメが、にも関わらず、ゼーリエの下で子供らしい快活さを湛えた笑顔で過ごしている様子が見られます。ここからはゼーリエのフランメに対する深い愛情と二人の信頼関係を読み取ることができ、アニメS1屈指の美しいものになっています。

次に、ゼーリエがフェルンに出会い、その才能に見惚れて自分の弟子になるよう誘う場面を見てみます。(S1-EP27)

ゼーリエは怪しいほどに目を輝かせています。ゼーリエの直感が正しければ(「ゼーリエの直感はいつも正しい」のですが。)、フェルンはフランメと並んで魔法史を画期するような大魔法使いになるのでしょう。ちなみに、フリーレンとの出会いの場面(S1-EP21)では、ゼーリエはこの時ほど感情を露わにしていません。

フェルンとの出会いの場面からもう一つ。

ここで、ゼーリエは庭園を歩きながらフェルンの髪色を思わせる紫色のルピナスに似た花に触れて行きます。(ルピナスの花言葉の一つに「母性愛」があります。また、ルピナスの花は小さな花が集まって大きな花穂となっており、ゼーリエが育てたたくさんの弟子達を想起します。)

最初に引用した、「手をつないで森を歩くゼーリエとフランメ」のシーンを彷彿とさせます。(フランメを亡くしたことはゼーリエにとってかなり大きな「喪失」で、現在もその悲しみのもとにあると想像します。)

しかし、ここでは、ゼーリエは歩みを止めず一つ一つの花にしっかりと触れることができないので、花がゼーリエの手からすり抜けて後ろへ後ろへ(過去へ)と逃げてゆくように見えます。(カメラはゼーリエの歩みに合わせて左(未来)方向へ進みます。)

ルピナスの花をゼーリエの弟子達に見立てるなら、フェルンが弟子になることを拒むことの暗示でもあり、また、かつての弟子たちが皆早世してしまったことを示しているように見えます。

さて、花に触れるシーンと言えば、印象的なのは「蒼月草」です。(S1-EP2)

ここでは、フリーレンが亡くなったヒンメルを思い出しながら蒼月草の花に優しく触れています。

対して、ゼーリエはたくさんの花に囲まれて花を眺めて過ごしているにもかかわらず、花に触れることがほとんどありません。

この花との距離感も、遠くから眺めるのではなく近付きはするのだけれども、かといって花畑の中に入ったり花に触れたりはしない、という絶妙な加減になっています。

広い庭園でただ一人花を眺めるゼーリエの様子から感じ取れるのは孤独と悲しみです。

数少ないゼーリエが花に触れるシーンで印象的なのは、老魔法使いデンケンに対して「燃えかすには興味がない」と言う場面です。水面に浮かんだ花弁を足ですくい上げています。(その後拾った花弁をポイっと投げ捨てます。)

花が大好きで花に囲まれて過ごしているゼーリエの、花への距離感や花を扱う態度の不器用さは、弟子達への届かない想いや、「弟子にさえ素直に気持ちを伝えられない」ゼーリエを表しているようです。

メモ

『葬送のフリーレン』では、こういった師弟関係(親子関係)における言葉によるコミュニケーションの欠如(言わなくても愛していることは伝わるだろう)がよくモチーフになっている。(そこを言外から読み取ってキャッチボールを成立させることが作品を読む快楽の一つになっている。)

これに関しては、英語話者のリアクション動画を見ると、アジア系の動画制作者が「アジア人の親を持っている人はわかると思うけど…」と言及することが多い。

逆に " I love you. " が日常語になっている文化圏では、どうとらえられているのだろうか。(日本では「愛」という言葉は日常生活では使わない。)