《葬送のフリーレン》アニメ2期予習 第64話「剣の魔族」

原作最新話(第147話)までのネタバレ及び今後のストーリー予想を含みますのでご了承ください。


貴族たち

第7巻64話「剣の魔族」は、貴族との出会いをきっかけにトラブルに巻き込まれたり、クエストが発生するというパターンのお話です。

この手の貴族(元も含む)には、

  • 第2巻14話 グラナト伯爵

  • 第4巻32話 オルデン卿

  • 第7巻64話 ダッハ伯爵

  • 第8巻70話 ノルム商会長

  • 第13巻122話 アルメー伯

がいますね。グラナト伯爵は別格で、オルデン卿は強く印象に残っていますが、他は小粒なお話です。

今回の第64話「剣の魔族」では、ダッハ伯爵家の家宝の宝剣が魔族によって盗まれるという事件が発生してフリーレン達が巻き込まれます。

しかし、どうしてそう何度も盗まれるのか訳が分かりません。

何となく状況が似ている剣の里(第3巻25話)のエピソードを思い出します。

が、深く考察する意味があるのか、単に笑って済ませる話なのか、それすら良くわからないと感じます。

とりあえず今は、《葬送のフリーレン》らしい肩の力の抜けたお話だと考えておくことにします…。

女性僧侶

女性の僧侶が登場するのは私の記憶ではここだけです。もちろん、これは女性の魔族が僧侶に化けている偽物の女性僧侶ですが…

ここから言えることは「少なくとも北側諸国のこの地方では女性僧侶が存在していてもおかしくはない」ということです。実際、フェルンもシュタルクも女性僧侶の存在に違和感を覚えている様子はありません。

そもそも僧侶という用語はかなり多義的というか厳密な意味を持たない日常用語だと思うので(厳密な定義のある用語は各宗教・各宗派にあるでしょう)、それを念頭に続きを読んでください…

所変わって帝国では、「神父」と「修道女シスター」が登場します(クレマティスとロレ、第14巻132話)。

ですから、帝国においては私達の世界におけるカトリック教会を模した教会制度が敷かれていて、女性神父は存在しないと考えられます。(この辺りはカトリックとプロテスタントの教会制度の話になるので興味のある方は調べてみてください。ついでに教会と修道会についても)

※(追記)フェルンがザインの兄を「神父様」と呼んでいるため、他の地域でも同じ制度と考えるのが自然だと感じます(第3巻27話)。ハイターは「司教」ですし。そうすると、「旅の僧侶」だと言う女性を見てフェルンとシュタルクが何も不思議に感じていない描写には違和感を覚えます。

なぜそんな細かい話をするかというと、聖杖法院のことがあるからです。(第14巻128話)

聖杖法院のトップ(法院長)はお祈りのポーズをしていることから、宗教組織関係者だと推測されるのですが、シルエットからして女性です。(ショートカットの女性エルフで、見るからにミリアルデです)

先ほどの「神父」と「修道女」のことを考慮すると、帝国の教会組織において女性が高位の職位に就けるとは思えません。

そうすると、聖杖法院とは、教会の組織ではなく修道会の組織ではないか?と推測できます。

そういった事情があって、女性僧侶の存在は少し気になるわけです。

なお、修道院については「女神の石碑編」でハイターが詳しく説明してくれます。(第12巻112話)

修道院は、人里離れた所にあることが多く、

昔の文献や神話を現代へと伝えていく役割を持っています。

この二点は帝国編に関わる伏線になっていると思います。

帝国編では図書館が登場していますし(第14巻132話)、

ミリアルデが玉座のバザルトによるエルフの里襲撃の後にどうしていたのかを考える手掛かりになりそうだからです。

修道士=モンクでもあります。となれば思い浮かべるのはクラフトしかいません。ここも大変気になります。

生きるために殺して食べる

剣の魔族は村人達を「食べるため」に殺したと言います。なぜ食べるかというと「生きていくため」です。つまり「生きていくために殺して食べた」わけです。(嘘か本当かはわかりません。人を殺すのが楽しくて殺しているのかもしれません)

フリーレンは「人以外も食べられるのに(なぜ人を殺すのか)?」と反論します。

「人以外を食べて生きればいいじゃないか」ということでしょうか。だとすれば、気持ちはわかりますが、理屈はわかったようなわからないような反論です。

牛肉にされる牛から「牛以外も食べられるのに、なぜ人は牛を殺すのか?」と問われても困ってしまいます。私は牛以外も食べますが、それは牛を食べない理由にはなりません。

つまり、フリーレンの反論が反論として成り立つためには、フリーレンは魔族を人として扱っているという前提が必要です。(先の牛の例で言うと、牛は私を同類だと考えて「殺すな」「食べるな」と私に訴えていますが、私は牛を同類だとは考えていないわけです)

人は人を食べることができます。でも、人は人を食べたいとは思いませんし、食べません。通常は。

「殺す」ことについても同じで、人は人を殺すことができます。でも、人は人を殺したいとは思いませんし、殺しません。通常は。

よく考えてみると不思議なことですが、事実そうでしょう。

なのになぜ・・・・・、お前は人を殺して食べるのか?お前は人ではないのか?(お前は人の心を持っているはずだ)

というのがフリーレンの反論でしょう。

人を食べたり殺したりする人は、もはや人ではなく化け物になってしまいます。ソリテールが語っているとおりです。(第11巻100話)

フリーレンは魔族を人として扱うことを諦めていないように見えます。実際に、フリーレンが魔族を殺す時、フリーレンの心は躊躇ったり痛みを感じたりしています。(アウラやソリテールとの戦いを見てください)

ですから、私はフリーレンの「人以外も食べられるのに?」という台詞を「反論」だと言いましたが、「魔族への反論」というよりは「人から人への問いかけ」であり「呼びかけ」なのだと思います。

この瞬間のフリーレンは人類対魔族の対立構造から降りていて、人と同じ姿をして同じ言葉を使う魔族と同じ地平に立って、人として魔族に呼び掛けているんですね。

さて。

魔族が人を殺して食べることについては、他の箇所でも言及や問題提起がありますので、紹介しておきます。

第8巻71話:ここでも同じ疑問が立ち上がっています。

第8巻72話:魔力の高い人肉は美味しいのでしょうか??

この女の子の魔族は『前奏2』第3話「言葉を話す魔物」にも登場して、魔族が人を殺して食べることがテーマになっています。

おわりに

アニメ第2期のPVを見ると、剣の魔族との戦闘シーンはかなり補強されているようです。そこも楽しみですね。

《葬送のフリーレン》に関する記事は下記のマガジンにまとめています。

180本以上の記事がありますが、最初の考察記事としてお勧めなのはこちらです。

これを読んだ上で、フランメ、ヒンメル、エーヴィヒ、ゼーリエ、大魔法使い、などで検索すると物語の全体像に関わる考察が出てきます。

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