気遣いを拒む陰キャ夫に、私はイラ立っていた
夫(キョヘ)は、人付き合いにあまり重きを置かない人だ。
誰かに何かしてもらっても、多くの感謝を伝えようとはしない。
誰かの困りごとに気づいても、進んで手を差し伸べることもない。
もちろん、自分が何かしてもらうことにも、あまり喜びを見せない。
キョヘのそういうところが、私は気になっていた。
気遣いはしないし、受け取らない
そういう態度に、私は度々苛立ちさえ覚えていた。
人と関わることそのものを、できるだけ最小限に留めようとしているように見えた。
「より以上にしない夫」に思うこと
例えば、誰かにちょっとした手土産をもらったとき。
私は、「ありがとう、うれしい!これ好きなんだよね!」と分かりやすく嬉しさを表現するし、「次に会うときに何か返そうかな」と考える。
お家にお邪魔させてもらう時には、感謝の気持ちを込めて手土産を持参する。
それが“最低限の人づきあい”だと思っていたし、そうすることが私にとっては当たり前だった。
でもキョヘは、していただいた時の反応が薄い。
より以上に嬉しそうにもしないし、そこから会話を広げることもない。
「ありがとうございます。」
それでいいんだよ?でも、なんかさ…もっとあるじゃん…!
と、私は内心モヤッとするのだ。
私は、仕事が終わらない同僚が居れば、「手伝おうか?」と一応声をかける。
キョヘからすれば「それは自分の仕事でしょ?」と割り切る事項らしい。
もちろん相手は、より以上の感謝を目的に手土産を持ってきてくれたわけではないし、終わらないのはあくまで同僚の仕事である。
ちゃんと感謝を伝えて、自分の仕事を時間内に終わらせたキョヘは何も悪くないのだ。
ただ、どこか心が通じていないような寂しさを感じないのだろうか。
大げさかもしれないが、気遣いや人付き合いを大切にして生きてきた私にとっては、「心遣いを軽視された」「ピンチをガン無視された」ような感覚になってしまうのだ。
苛立ちの奥にあった羨ましさ
しかし、その感情を掘り下げてみたとき、私はあることに気がついた。
私は、キョヘの“割り切った距離感”が、どこかうらやましかったのではないか。
「この言葉が正解だよね」「常識がある人、気遣いができる人だって思われているかな?」
このように、私はいつも、相手にどう思われるかを考えている。
元々、人に何かを頼まれたり、お節介したり、ちょっとした気遣いを贈り合ったりすることが好きなタイプではある。
しかし、そこには誰からも「良い人である」とか「出来た人間である」と思われたいという気持ちが常にあったように思う。
それで、思ったような反応が返ってこないとしょんぼりしてしまうという、けっこう面倒くさい女なのだ(笑)
それに対してキョヘは、最初から必要以上の親切はしないし、誰かに良く思われなくても別にいいというスタンスである。
誰かに期待されることはないけれど、自分も最初から人に期待しないから傷つくことも無いのだ。
それが冷たく見えることもあるが、実はすごく真っ直ぐで、自分に忠実な生き方のようにも思える。
常識に縛られる私、自分の世界を生きる夫
挨拶、気配り、ちょっとしたお礼、場の温度を下げないための言葉選び。
それが“常識”だと思っていたし、そうしない人には「社会性がない」と思っていた節もある。
でも、キョヘはその“常識”を守らない。
というより、そこに意味を感じないことはやらない。
さっぱりとした人付き合いで、自分の心を守ることを優先できるキョヘに比べ、正しく生きているつもりの私は、自分の心を置き去りにしていたかもしれない。
それぞれの“気遣い”に、正解はない
私は、気遣うことが悪いとは思わない。
人のことを察して動けること、優しさを持って接することができることはとても素敵なことだと思う。
でもそれと同時に、気遣いをしないことや、気遣いを受け取らないことを、「冷たい」「社会性がない」と簡単に片づけるのは間違っていたような気がする。
キョヘの中にも、キョヘなりのやさしさがある。
無理に近づかない。余計なことをしない。
それは、「相手を煩わせたくない」という誠実さなのかもしれない。
見えにくい優しさを見つけたい
出会って8年経つ今でもまだ、キョヘに対する興味が尽きない。
時に苛立ち、憧れ、自分を見つめ直すきっかけをもらう。
その静かな優しさが、まだ私には全部は見えていないと思う。
今日もまた、愛すべき陰キャ夫を観察します・・・。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
陰キャな夫との日常の中で見つけた“内向的な人の魅力”や“ふたりのすれ違いと歩み寄り”等を、これからも綴っていけたらと思っています。
▶︎TikTokでは「陰キャ夫」シリーズを投稿しています
▶︎ InstagramやYouTubeでは日常を発信しています
よかったら、そちらも覗いてみてください
