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【日常エッセイ】猫の重力場がもたらす生活圏再編と長期ローンの発生について─ 住宅取得の非合理的決定プロセス─

飼い猫がいなくなったとき、付近の野良猫に「うちの子、帰ってくるように伝えて」とお願いすると帰ってくるという都市伝説があるのをご存じだろうか。
たぶんそれは、確率と願望がうまく結びついた結果なんだろう。
でも私はそんな猫の神秘性を、けっこう気に入っている。

「実は、この星を支配しているのは、猫である」という命題は、猫飼いにはすでに常識として語り継がれている冗談話なのであるが、あながち否定しきれないところがある。

私もその証言者の1人だ。猫は森羅万象を司っているのかもしれない。いないかもしれない。


その子猫に出会ったのは、偶然と天候と地域猫の連携プレイとが絶妙に組み合わさった奇跡的な出来事だった。現在、我が家で彼は気ままな生活を送っている。いや、気ままかどうかは彼に聞いてみないと分からないが。


初対面の彼の顔は、猫風邪のせいで目鼻をキャラメリゼされ、判別不能だった。
体毛は全身ノミのせいで黒い粉まみれ、薄汚れてくすみ、白猫の気配は完全に抹消されていた。
その小悪魔的な外見は、さながら「小さな災厄」という感じだった。

当時、私はペット禁止のマンションに住んでいて、近所の地域猫と触れ合うのを楽しみにしていた。中でも墓地の周りを縄張りにしていた三毛猫がいた。

よく手入れされたごく普通の墓地で井戸はなかったが、私は彼女を勝手に「貞子」と呼んでいた。墓地を訪ねると、彼女はたいてい餌場の近くに陣取り、寝そべって私を迎えた。

水場の水を替えたり、おやつを持って行ったりすると、たまには撫でさせてくれた。彼女の態度は基本的にドライで、一定の距離感を崩すことはなかった。自分のライフスタイルを確立した大人の女性だ。

貞子との付き合いが始まって2年ほど経ったある時、彼女が私を導くように、時折立ち止まって、振り返りながら歩き始めたことがあった。ついていくと、彼女は一本の木の下で立ち止まり、木の根で爪を研ぎ始めた。

「この木、爪の研ぎ心地が最高なのよ」

とっておきの爪研ぎスポットを教えてくれたのだ。たぶん。
信頼の証として。きっと。

そんな関係が続いていたある冬の日、いつもは黙って見送りをする彼女が後ろをついてくるようになった。何日も、何日も。そうして、ついに彼女の縄張りをも超える距離に達した。

例年より寒い年で、次第に私は彼女が自身を保護してほしいと望んでいるのだと妄想するようになった。野良猫がそう簡単に人に甘えるわけがない、という常識はどこかに吹き飛んでいた。彼女は自立した大人の女性なのに。

その晩は、みぞれ混じりの雪が降っていた。私はとうとう冬の間だけでも貞子を保護しようと決心し、段ボールを抱え、いつもの場所に駆け付けた。

しかし彼女は私に気付くなり、それまで彼女を見かけたことのない方向へ軽やかにかけて行った。追いかけて行った先で、例の薄汚れた子猫に出会ったのだ。

子猫はおびえて逃げ回り、取り押さえるのにずいぶん時間がかかったが、衰弱がひどく結局は力尽きて、私の手に小さな重力場を発生させながら、ぽとりと落ちてきた。

貞子は、私が子猫を段ボールに収めるのを見届けると、満足した顔で銀河のような雪の降りしきる中、どこへともなく去って行った。

後日、彼女の元を訪ねると、いつも通りの場所に居て、いつも通りの見送りになり、私たちは元の関係に戻った。

彼女の本心は「この死にそうな子猫をなんとかして!」だったのだ。おそらく。きっと。

すべては私の頭の中の妄想に過ぎないのかもしれない。いや、間違いなく妄想だろう。
もはや妄想でも関係ない。私の脳内では何を信じようが自由だ。

思いがけず、子猫を保護することになった晩、大慌てでドラッグストアに駆け込み、子猫用ミルクを買い求めた。お湯を詰め、タオルでくるんだペットボトルを子猫のそばに、そっと横たえ、見守った。

その日から、私の生活は一変した。冬の間だけ一匹の三毛猫を保護しようと思っていただけだったのが、目の前には満身創痍で、今にも死にそうな子猫。ペット禁止のマンションなのに。

子猫の容態が落ち着くと、私は不動産屋さんでお茶をすすっていた。その半年後には、マンションの売買契約書に捺印していた。


子猫を中心にして私の生活圏の重力場が、急速に歪んでいくのを感じた。

習慣であった夏の沖縄長期旅行にも行かなくなった。
気づくと、マリングッズはクローゼットの奥深くにしまい込まれ、部屋は猫のおもちゃであふれかえった。
レコード、DVD、書籍の山は、その標高を順調に更新し、快適インドアライフの帝国を築き上げていた。

かつて薄汚れてちっぽけだった“ススワタリ”の小悪魔は、今や世界を征服した暴君のように私の皇帝となった。

貞子との交流も依然として続き、引っ越し後も週末には子猫を連れて彼女に会いに行った。一匹の三毛猫との出会いから、マンション購入という、終の棲家を手に入れてしまった私。

貞子は子猫を託すことによって、お互いの帰る場所を示したかのようだった。

私にとっては、惑星直列並みの出来事が起きたというのに、今、かつての子猫はリビングのソファで、悠々と寝そべり、見るともなく窓の外の風景を眺めている。何かを考えているようにも見えるし、何も考えていないようにも見える。

——君臨すれども統治せず。

貞子は、また誰かを木の下に連れて行っているかもしれない。彼女のことを考えると、そんな情景が頭に浮かぶ。

あるいは、誰にも気づかれずに、風の中で爪を研いでいるだけかもしれない。

📘 This essay is also available in English.

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Hicky 最後までお付き合いくださり、ありがとうございます。