夫ばっかり趣味を楽しんでる気がする──妻と話して気づいた、“機能的に生きる”という感覚
なぜか趣味に出かけるのが「気まずい」
夕飯も片付けも終えて、子どもも寝かしつけた。
やるべきことは、もう全部終わってる。
ぼくはそっと、ギターを弾きに別室に向かおうとした。
でも、なぜか足が止まる。
背中に、じんわりとした“気まずさ”がまとわりついている気がする。
「…今、ギター弾きに行っていいのかな?」
妻は別に何も言ってない。
スマホを見ながら、のんびりしている。
でも、なんとなくその空気の中に、
“ちょっとした不満”みたいなものが漂ってるような気がして、素直に楽しめない。
これってぼくの気にしすぎ?
それとも、ほんとうに何かあるんだろうか?
話し合ってみたら、妻のモヤモヤは「自分でもよくわからない違和感」だった
数日後、思いきって聞いてみた。
「おれがギター弾きに行くとき、なんか不満そうじゃない?」
妻はちょっと驚いたような顔をして、少し考えこんだ。
そして、ゆっくりこう言った。
「うーん…。
不満ってわけじゃないんだけど、なんかモヤモヤするっていうか…。
〇〇がギター弾きに行くとき、“好きなことしてるな”って思う。
それは別に悪いことじゃないのに、なんでかちょっとだけ、ズルいなって感じることがあるんだよね…」
「ズルい」っていう言葉は、意外だった。
でも、そこにはちゃんと理由があった。
妻はこう続けた。
「私のやってることって、全部“やらなきゃいけないこと”なの。
子どもの送り迎え、買い出し、晩ごはん。
空いた時間も、家のことを片付けることで埋まっていく。
でも、〇〇は“やらなくてもいいこと”をやってる。
ちゃんと家事も育児もやってくれてるのに、
最後に“自由なこと”してる感じがして…。
なんか、私だけ“機能的に生きてる”みたいな気持ちになるんだよね」
「機能的に生きてる」って、どういうこと?
その言葉が、ずっとぼくの頭に残ってる。
“機能的に生きてる”。
そうか、妻は「生活のために必要なこと」ばかりをこなしていて、
「やらなくてもいいけど、心が喜ぶこと」には手が届いてなかったのかもしれない。
ぼくはギターを弾く時間を大切にしている。
それは、ただの趣味じゃなくて、精神的な調整装置のようなもの。
仕事のストレスや家庭のあれこれを、ギターを弾くことで“整える”。
でも、妻にはその“整える手段”が、日常のなかにほとんど存在していなかった。
趣味もないし、夜は子どもを寝かしつけて、体力も気力も残ってない。
家のことを「こなす」ことで一日が終わっていく。
だからこそ、ぼくが自由にギターを弾いている姿が、
“自由に過ごしている人”として浮き彫りになってしまったのかもしれない。
我が家の分担は「フレキシブルシェアリング」
ちなみに、我が家は“ぼくがほとんどの家事を担う”タイプ。
洗濯・掃除・皿洗い・風呂掃除など、だいたいぼくがやってる。
妻の担当は、子どもの送り迎え・晩ご飯・買い出し。
これがなかなか大変で、特に“ご飯”はクリエイティブな仕事だから、かなりの精神力を使う。
それに妻は、時短勤務とはいえ、通勤時間が長くて、いつもバタバタしてる。
帰宅したらすぐにキッチンに立って、晩御飯づくり。
子どもの相手もしながら、ぼくが帰るまでは息つく暇もない。
ぼくとしては「役割分担できている」と思っていたけど、
“体力的な負担”だけじゃなく“心の満たされなさ”が妻のモヤモヤの正体だったんだと思う。
今のところの、我が家の答え。
いろいろ話して、ぼくが出したルールは、
「妻が起きている時間は、趣味の時間を控える」
というもの。
とはいえ、毎日かっちりルールを運用してるわけじゃない。
そこはフレキシブルシェアリングの精神のまま、“空気を読む”というか“察する力”に頼ってるところもある。
たとえば、夜。
子どもを寝かしつけたあと、妻がそのまま一緒に寝落ちしていたら、ぼくはそっとリビングを抜け出してギター部屋へ。
このパターンのときは、心置きなく音楽の世界に没頭できる。
でも、もし妻が起きていたら、ギターは一旦お預け。
代わりに、リビングで一緒にYouTubeやNetflixを観ながらゆっくりする。
特に話すわけじゃなくても、同じ時間を過ごすことが大事だと思ってる。
ギターを弾くことよりも、「ああ、この時間を一緒に楽しもうと思ってくれてるんだな」と妻が感じてくれることのほうが、家庭にとってずっと大事な意味を持つ。
その分、翌朝。
ぼくはもともと朝に余裕を持って起きてるから、夜に趣味の時間がとれなかった日は、朝の時間をギターにあてる。
まだ家族が起きてこない静かな時間に、ゆっくり音を鳴らす。
もちろん、その分ちょっと慌ただしくなることもある。
お弁当を作る時間が取れない日も出てくる。
でもそこはおにぎりだけで済ませてもらったり、まぁたまのことならと多めにみてもらう事にした。
だからこそ、ぼくも「夜は2人の時間を大事にしよう」と自然と思える。
この“相手がくれた余白”で、自分のやりたいことをやらせてもらってる感覚はすごく大きい。
「時間はあるけど気まずくて使えない」より、「限られた時間を、お互いの納得のうえで気持ちよく使える」ほうが、ずっと健やかだなと感じてる。
みなさんの「折り合いのつけ方」は?
我が家は「妻が起きている時間は趣味を控える。早朝に朝活でやる」っていう形にしてから、以前よりモヤモヤが減った気がしてる。
でも、これがずっと続く最終形かどうかはまだ分からない。
子どもが増えたり、生活リズムが変わったら、また新しい“折り合い”が必要になるかもしれないしね。
大事なのは、モヤモヤを放置しないこと。ちゃんと話すこと。
言葉にしてみて初めて、「あ、こういうことだったのか」って分かること、すごく多いと思う。
うちのように、「無趣味の妻 × 多趣味の夫」っていう組み合わせの夫婦、意外と多いんじゃないかな。
どちらかが「生活の機能」として毎日を回してるとき、もう一方が「趣味や楽しみ」に時間を使ってると、どうしてもズレが生まれる。
だからこそ、“どんな形で折り合いをつけるか”が大事なんだと思う。
旦那さんの立場の方は、どんな工夫で“自分の時間”を確保してますか?
妻の立場の方は、この「なんとなくモヤモヤする」感じ、なんとなく分かりますか?
よかったら、コメント欄で教えてください!
みんなで話せたら、ちょっとラクになるかもしれません。
