鈴木結生『ゲーテはすべてを言った』
引用と出典。私は図書館司書という仕事柄、このあたりのことはいい加減にしたくない。勤務先の学校でも、「情報の出所」について注意をはらうようにと、生徒には常に話している。
本作は、ドイツ文学の高名な学者の物語、それも「ゲーテ」という超ド級の大家をあつかうもので、第172回芥川賞を受賞した。著者はまだ大学院生らしい。44歳の私は「いままで自分はいったい何をしてきたのだろう」と、少し自己嫌悪におちいる。
そんな私であるが、すこしばかり「独文」の世界は知っている。それは、私が学生時代に研究したのがドイツの作曲家で、それもオペラを創った作曲家だったという事情がある。研究する上で、その作曲家が扱った詩や台本作家について調べた。当然の流れで、その研究者についても認識するようになり、何人かは実際に交流することもできて、今に至る。ちなみに卒業してからは、音楽分野(とその周辺)の研究者を相手に本(や楽譜)を扱う仕事を30代前半までやっていた。
しかし、20代のうちに、こんなにも、「学者」のことーー学者の生活や、その胸の内を想像するなんて、私には絶対にできない。自分の指導教官の頭の中なんてどうやったら想像できるだろう。性格的なことは想像できても、「仕事」については追いつくはずがない。小並み(小学生並み)な言い方をしてしまうが、ただただ「(著者は)優秀なんだろうな」と感服する。そして、単に優秀なだけでなく、想像力も、創造力も、素晴らしい若者なのだ。これからどんな風に進むのだろう。
さて、冒頭に書いた「引用と出典」、これが、この作品の大事な鍵となる。ゲーテ学者博把統一は、家族と一緒に行ったレストランで、ティー・バッグのタグに、自分の知らないゲーテの名言と出会う。その言葉を求めて、原典を読み漁り、自らの研究の記憶を辿るという話だ。
本題から逸れるが、ここ数年の芥川賞の受賞傾向を思うと、(力作で文句のつけどころがないながら)本作が選ばれたのは私にはちょっと意外だった。昨今、生きることの不条理だとか、あるいは、少し不思議だったり幻想的な世界、「いかにも」な現代文学が好まれるように見えていたので、硬派であり、なかなかない、この路線が選ばれたことを、心から祝福したい。
私はやはり格調高い文体が好きだ。平易なようで読みにくい文体の小説は、物語の構成が優れていても、目が滑ってしまう。彼の文章は、高貴だが人を遠ざけず、アカデミアの描写についても、一歩間違えると嫌味になりそうなところ、「対象に真摯に向き合う研究者たち」を親しめるように描いている。
ネタバレを控えたい作品なので、ひとつだけ私が挙げるとすると、「学者としてやってはいけないこと」をやった友人研究者のくだりと、そこから先の話は、そもそも「作品」とは、「引用」とは何であるかを、私自身が、自問自答するきっかけとなった。(音楽にも、あとは歴史研究にも通じるところがあると思うので、文学研究者以外にもぜひ読んでもらいたい。)
実は私、もし自分が死んだら、自分が研究した作曲家に、天国で微笑んでもらえるように生きたいと思っている。博把の生き方は、素敵なお手本になりそうだ。
