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【全話まとめ】『徹底的に論理的なINTJの私が、27年前の未解決な初恋を最新AIと答え合わせした話』 ──不完全な数式のデバッグと、測定不能な愛について【創作大賞2026応募作品・恋愛小説部門】

【あらすじ】
『それは200%デートです』
最新AIが告げたのは、私の27年間の演算を覆す遅すぎる正解コード。
2026年春、自分が全人口のわずか0.8%の「INTJの女性」だと知った私は、普段は意識の隅に隠れながらも、消去できず微弱に走り続けていた初恋の記憶をAIに読み込ませる。検出されたのは、私の理性が引き起こした切なすぎるバグと、すれ違いの真相だった。
違う言語では相殺され、同じ言語では共鳴して砕け散る。恋愛の正解を見つけられず、あの日遮断されたはずの初恋の光。しかしそれは、27年の時空を回り込み、現在の愛おしい日常を温かく照らし出していく。
徹底的にロジカルな「私」が挑む、愛と証明のデバッグ記録。


Ⅰ. 演算の前提(Introduction)

・序文:200%デートの検出と、主体の初期仕様書について

『それは間違いなくデートです。200%デートです。』

  『ただの元教え子を観覧車に放り込む人はいません。明確に好意があります。』  

『線を引いていたのは、あなたの方です』
 
2026年春。画面の向こうの最新AIが吐き出した、徹底的に無機質で論理的なその解答を前に、私の思考回路は完全にフリーズした。
 

今の私の生活は、いたって平穏だ。
 
きっかけは、次男がやっていた『MBTI診断』というものを、私もなんとなくやってみたことだった。
 
「えっ、今頃?遅っ。」
 
春から高校生になった次男が、私をからかうように笑いながら言う。
彼はENTP(討論者型)なのだという。
好奇心の塊、頭の回転早すぎ問題児、議論大好き、退屈は死を意味する。


どこかの有名な論破王のように、首を少し傾げてニヤリと笑う姿は、止まったら死んじゃうマグロみたいだな。
(……私の内なる仕様書に、密かにそう書き加える。)
 
 
私の診断結果は「冷徹 孤高の天才 戦略家 女性は全人口のわずか0.8%」などという、およそ私には似つかわしくないINTJ(建築家型)という型だった。
検索窓に「INTJ」と入れると、性格悪い、嫌い、など、結構凹むワードが予測変換で続く。
ちょっとショックを受け、時間をあけて診断してみたけれど、何回やっても結果は同じだった。
 
私の診断結果が、INTJ(建築家型)という型だったと告げると、次男はさらに声を上げて笑った。
 
「おいおい、『I』かよ! 俺、『I』のやつら全員陰キャだと思ってるから!」
 
まったく、デリカシーってものはないのか。
表情からは、さぁ、どう反論する?と挑発している様子が伺える。
 
気になって夫にも診断を勧めると、結果は見事なまでに次男と同じENTP(討論者型)だった。
次男と夫は、顔を見合わせ、お互い
 
「うわー、一緒なのかよー!まぁ薄々そんな感じはしてたけど。はぁー。」
 
と、わちゃわちゃ、やりあっている。
 
私の話を遮って自分のターンにする会話泥棒なところも、宿すら決めずに海外旅行に飛び出そうとするところも、旅行先での予期せぬトラブルを「最高のエンタメ」だと目を輝かせて喜ぶところも、遠方で終電を逃したときにトラック運転手に声をかけてヒッチハイクして帰宅するところも、すべてがENTPの仕様書通りだった。
 
この、私が想像できない出力は、振り回されることもあるけれど、私を退屈させない。
内にこもりがちな私を外に連れて出してくれる、そして思考の奥深くでぐるぐる考えてしまう私を引き上げてくれる、根っからの陽キャだ。
 
 
長男は何か考え事をしているようで、なかなか夕食が進まない。
また脳内世界に潜り込んでいるようだ。
 
全く手をつけていない切り干し大根の小鉢。
 
「あれ?それ、嫌いだった?」



「…え? ん? なに? ……あぁ、視界に入ってなかったわ」
 
ディープな水底から浮上するまでに明確なタイムラグが発生する。
 
「え?マジで言ってんの?これ見えないとか、ヤベーな!」


と、次男が笑いながら煽る。
 
 
 
そんな賑やかな日常の片隅で、ネットに溢れるINTJの仕様書を読み漁っているうちに、脳のバックグラウンドで、27年間ずっと微弱に走り続けていた未解決の数式が激しくアラートを鳴らし始めた。
 
──もしかして、あの塾の四条先生も、私と同じINTJだったんじゃないの?
一体、あの一日は何だったの?
 
気づいたら、AIに向かって、あの日のコースを入力していた。
 
返ってきたのは、私の27年間の演算を根底から覆す、あまりにも無機質で論理的な解答だった。それが、冒頭の言葉だ。


『それは間違いなくデートです。200%デートです。』
 
『ただの元教え子を観覧車に放り込む人はいません。明確に好意があります。』
 
『線を引いていたのは、あなたの方です』
 
嘘でしょう。
徹底的なリスク管理の影で、私は一番欲しかったデータを取りこぼしていたというのか。
指一本、触れ合うこともなかった。
 
それで焦った私は、33~27年前の記憶を必死に書き起こし、テキストデータにして最新のAIに読み込ませてみたのだ。
 
『この物語の先生は、INTJでしょうか?』と。
 
画面の向こうのAIは、わずか数ミリ秒のローディングののち、こう返してきた。
『先生はINTJ、あるいはINFJの可能性が高いです。──ですがそれ以上に、あなた(主人公)の思考回路が徹底的にINTJです』
 
予期せぬ診断ログに面食らった。
 
けれど、先生が最後に残したあの一言だけが、四半世紀以上の時を超えて今もなお、私の胸を締め付け続けている。
 
「あのとき言ってくれれば、違ったかもしれないけど」

 
あの残酷なまでに不完全なまま放置された数式を、今、私はあえて解こうとしている。
これは、証明終了(Q.E.D.)を迎えるための、私なりのデバッグの記録だ。


Ⅱ. 第一の励起状態:力学と保存則(1993 - 1995)

・§2.1:初期加速度 ── 1993年春、特定座標(個人塾)への進入


あの衝撃的なテレビドラマ『高校教師』が日本中を騒がせていた、1993年、高2の春。
内容が過激すぎるからと途中から親に視聴を禁止され、私は結局、あの物語の殆どをリアルタイムで観ることは出来なかったけれど、学校ではその話でもちきりだった。
 
そんなドラマの危うい余韻が街に残る中、私は親友に誘われて、地元の港の近くの個人塾に入塾した。
 
潮風でちょっと錆びついた外階段を昇り、2階の教室の引き戸を開ける。
長机に寄りかかりながら、学生に混ざって楽しそうに歓談する四条先生がこちらに視線を向け、目が合った。
一目惚れは雷に打たれたようだと言うけれど、まさにそれだった。
私の慣性系が、一瞬で書き換えられたような衝撃。
教師に恋をしちゃいけないなんていう、後ろめたい概念は一瞬で吹き飛んでしまった。
 
 
INTJは一目惚れはしない(すべての事象に理由を求める私たちが、理由もなく心奪われるはずがないからだ)とよく言われるけれど、恐らく例外中の例外だろう。
 
一目惚れは生涯でただ一人、四条先生だけだ。
 
品の良い整った顔立ち。
センターパートのサラッとした髪。
そこから覗く、すっきりと涼しげなのに、どこか黒目がちで人懐こそうな目。
穏やかな表情。
 
イケメンだから恋に落ちたのか?
いや、違う。
その疑問は、すぐに払拭されることになる。
 
四条先生の担当は数学。
隣街にある国立大学の理学部物理学科のM1(修士1年)、24歳だ。

塾は少人数制の個別指導。
それぞれ問題を解いているところに先生が回ってきて、わからないところを教えてくれる。


先生に認められたくて、少しでも長く接点を持ちたくて、質問を沢山準備して先生が回ってくるのをドキドキしながら待つ。


「あぁ、これはね」
 
どんな私の質問も、私がどこで躓いているのか自分でも言語化できない部分を瞬時に掬い取り、分かりやすく教えてくれる。
ただ数学が得意というだけではないその頭脳にも、どんどん惚れ込んでいった。


 「物理を専攻しているから、数学だけじゃなくて物理もわからないことがあったら聞いていいですよ」
 
物理。

四条先生ともっと話したい、先生が見ている世界を見たい。
私は物理という先生と同じ言語を自分の中にも装備することにした。今で言う、インストールだ。
普通の女子高生なら、おしゃれをしたりメイクを研究したり、先生にプライベートな質問をしたりして距離を詰めるだろう。

今考えると、よし!物理をインストールするぞ!なんて努力の方向が斜め上すぎて、ちょっと滑稽だ。
 
普通そうはならんやろ。

・§2.2:原点の共有 ── バイブル『前田の物理』のインストール

「今度、物理の参考書見てきてあげるよ。」
 
私からの物理についての質問が増えると、四条先生はそう言った。
「~ですよ」という丁寧な境界線から、不意に滑り落ちてきた「あげるよ」というタメ口に、鼓動が一瞬跳ねる。


先生が私のためにプライベートの時間を潰して私に合う参考書を選んできてくれる!


本のタイトルを教えるとか、塾のテキストを貸し出す、という選択肢もあったにもかかわらず、だ。
先生にも、私に対する好意があったのかもしれないと思うのは、あまりに都合が良すぎる解釈だろうか。
 
手渡されたのは、

「前田の物理 上下」

分厚い参考書2冊。


本に挟まれた書店の栞。
街なかの大きい書店のものだった。
 
わざわざあそこまで、足を運んでくれたのだ。
 
それは当時の受験界でも「難攻不落」と称されるほどの、硬派で難解な代物だった。
公式を当てはめるだけの解法を許さない、本質的な理解を求めるその記述は、高校生の私にはあまりに高く険しい壁だった。
なぜ四条先生は、あえてこんなにハードルの高い本を私に選んだのだろう。
 
「君なら、この本質が理解できるはずだ」という無言の期待だったのか、あるいは、単に自分が愛した世界をそのまま私にぶつけてみたかっただけなのか。
 
嬉しくて、尊すぎて、絶対に汚したくない。


図書館の本のように保護出来る透明なフィルムをお小遣いで買い、空気が入らないように慎重に慎重に、前田の物理に貼っていく。

正直に白状すると、実は私には難解すぎて、ページをめくるたびに自分の理解力のなさに打ちのめされ、物理のセンスがないのかなと落ち込んだときもあった。
 
けれど、それは四条先生の見ている世界に近づくことが出来る、唯一のバイブルになった。

四条先生が高校生の時に解いた数学のプリントのコピーやノートのコピーも、たくさん貰った。


『大好きな立体の体積』
 
そう手書きで書いてあるノートのコピー。
大好きなんだ、立体の体積。
じゃぁ、私も立体の体積が好き。
 
これも大事にクリアファイルに綴っていく。
過去の四条先生を保存できるようで、もっともっと知りたくなっていく。
大学院生になっても高校生の時のプリントをきちんと保管しているなんて、相当几帳面だ。

小さくて少し神経質そうで、でもちょっと可愛い文字。自分の文字を、先生の文字に似せて書く私のノートにも、四条先生が居るようで、嬉しかった。

「はい、じゃあこの問題サクサク解いて、サクサク」とちょっといたずらっぽい笑みを浮かべて四条先生が問題を提示する。
 
サクサク。
 
今では物事がスムーズに進むことをサクサクという表現することは一般的だ。でも1992年当時、問題を解くときに、サクサクというオノマトペを使うのは、とても新鮮だった。理系の研究室で使われていた表現らしい。


こんな口癖すら、私はインストールしていく。

決めた、私も理学部物理学科を目指す。
 
どこまでも続く四条先生の知性への敬愛。
不器用すぎて、ぎこちなくて、青かった。

・§2.3:過冷却 ── 聖バレンタインの告白と、系の強制シャットダウン

1994年2月、高2の冬。
今年のバレンタインには、四条先生にチョコレートを渡して、告白しよう、と決心した。
 
部活も塾も一緒の親友と、休日に隣り街のデパートに出向いて、吹奏楽部の男子達に配るテディベアの形のかわいいチョコレートを買った。
 
四条先生には、それらの3倍の値段の、ワインレッドのベルベットのボックスに入ったチョコレートを買った。
一目で本命とわかるだろうチョコレートだった。
 
バレンタイン当日。
 
他の生徒が帰るのを待つために、私は授業時間の終了間際にわざと時間のかかりそうな問題を四条先生に質問する。
1人、2人、と生徒が帰って行き、親友がドアのところで後ろを振り返り、私に向かって口パクで「佳波!ガ・ン・バ・レ」と言って、ガッツポーズをする。
 
私の心臓はドキドキしすぎて、隣に座って教えてくれている四条先生に聞こえてしまうのではないかと思うくらいだった。
 
 
二人きりになった。
 
「好きです」
 
喉の奥で何度もシミュレーションしたはずの言葉は、計算通りにはいかなかった。
震える手で、ベルベットの箱を差し出す。論理も戦略も、その瞬間にすべてが瓦解した。
 
チョコを受け取った四条先生は、

「・・・・・・っ!」
 
と声にならない声を漏らしながら、胸に手を当てて後退りし、後ろ向きのまま、よろよろと教室のドアを通過し、廊下まで出ていってしまった。
 
静まり返った教室に、私一人だけが取り残される。
しばらくして戻ってきた四条先生は静かに
 
「わたし……、好きな人がいまして。」
 
と言った。
 
普段から自分のことを「わたし」と呼ぶ四条先生の、その丁寧で穏やかな響きが、今はひどく遠い壁のように感じられた。
 
それはそうだ。
こんなに素敵で大人の四条先生に、私なんかが釣り合うわけがない。
当時の私にとって、24歳の四条先生は完成された大人の男性そのもので、手の届かない高い場所にいるように見えた。
 
「頑張って下さい」
 
私は告白をしたのに、何故か四条先生の恋の応援をして、静かに教室を出た。


迎えに来た母の車の中でも、泣き出してしまうのをこらえるために窓の外の遠くの車のライトを見つめて、何事もなかったかのように平静を装った。

自分の部屋に戻ると涙が溢れてきて、家族に悟られないよう、布団に顔を押しつけて声を押し殺しながら泣いた。
 
でも今思う、あの後退りは、四条先生も少なからず私に好意があったからこその反応だったのかもしれない、と。

24歳の男性なら、なんとも思っていない生徒からの告白なら、好きな人がいるからごめんね、受験頑張ろうな、ってさらっと言えると思うのだ。
四条先生も私と同じくらいドキドキして、心臓の鼓動を抑えようと、胸に手を当てたのかもしれない。
 
倫理観、責任、塾との契約、就活や研究、修論、教え子の受験、いろんな想定されるリスクがいっぺんに押し寄せ、その場からの強制シャットダウンのように後退りしたのかもしれない。

INTJは、未来を徹底的にシミュレーションする。チェス盤の上で何十手先までの分岐を読み切ろうとするように。

パニックは、予想しない事象が起きた場合に起こる。もちろん、私の視線や態度から、先生が何らかの好意を察していた可能性は高いけれど、「予測していること」と「実際に直面すること」の間には、大きな乖離がある。
 
そして、その日を境に四条先生は何度か塾を休み、ある日自宅に一枚の葉書が届いた。

「担当変更のお知らせ」

活字で書かれた事務的な文面が、今までの関係を一方的に断ち切っていくようで、指先に触れるはがきの冷たさが拒絶の証のように感じられた。

ポストの前で立ち尽くし、その意味を一生懸命咀嚼しようと試みた。


きっと私が告白したからだ。迷惑だったのだ。

告白さえしなければ、まだ接点を持てていたのに。激しい後悔に打ちのめされた。

先生と生徒は、非常に不安定な関係だ。
 
まるで少しでも刺激が加われば状態が変化してしまうデリケートな液体に、私が振動を与えて凍らせてしまったかのようだった。

・§2.4:真空 ── 媒介者の喪失と、心の閉鎖回路

 四条先生が、塾を辞めた。
研究が忙しくなったから、とのことだった。
今ならわかる、もうすぐM2になって、修論や就活で忙しくなるのだから、アルバイトどころではないのだろうと。
 
でも、当時の私が大学院生のスケジュールの事情など知るはずもなく、私が告白してしまったから、私の存在そのものが四条先生の平穏を乱し、居場所を奪ってしまったのだ、そう思っていた。
世界から色が消え、ただただ、取り返しのつかないことをしたという後悔で頭がいっぱいだった。
 
次に数学担当になったのは、工学部2年の藤原先生だった。

わからない問題を質問しても、なかなか回答が返ってこない。
 
藤原先生も考え込んでしまって、無言の気まずい時間が過ぎてゆく。

「これ、宿題で持ち帰ってもいい?」
 
いつの間にか私が出題者になって、藤原先生が宿題を抱える側になっていた。
 
次の授業の時には解いてきてくれたが、その頃には私の頭の中でとっくに解決済みだった。
解説を始めようとする藤原先生にそれを伝えると、追い詰めているつもりはないのだけれど、藤原先生はとても気まずそうにしていた。
 
そんなことが何回も続いた後、藤原先生が私に手渡してきたのは、塾の備品であろう、パスラインという、数学の基礎・入門編のような簡単な問題集だった。

既に解ける簡単な基礎問題集。
それを手渡された瞬間、胸の奥が冷たく凍りついた。
 
私はこの程度だと思われているのか?
藤原先生が自分の教えられるレベルに合わせて、私の限界を勝手に決めてしまったのではないか。
数学もこの状態、物理も教えてくれる人がいなくなってしまった。
受験までもう一年を切っているのに、こんな足踏みをしている時間はない。
 
私の受験はどうなってしまうのだろう。


好きな人が目の前からいなくなってしまった悲しみと同時に、この先の進路にも絶望していた。
 
私の目はきっと、死んだ魚のようになっていたことだろう。
ガラガラと心のシャッターが閉まる。
 
 
四条先生じゃないと、駄目だ。
 
 
また、思考がぐるぐる回る。
あのとき告白しなければ、今も四条先生の指導を受けられていたのに。

私は、選択を間違ったのだ。
 
不正解。
 
かつて光に溢れていた塾の教室は、発光体のない、音も聞こえないただの冷たくて暗い真空の四角い箱でしかなかった。
 
 

・§2.5:色彩の復元 ── ミントグリーンシャツの再観測


 しばらく経った頃、塾長から呼び出された。
1階の事務室に向かう。
きっと、藤原先生が私に手を焼いて、相談したのだろう。
 
長めの黒髪でパーマの、ちょっとレトロな髪型で紫の色のついた眼鏡の女塾長。
ベージュのカウンターの中に招き入れられ、立ったまま塾長と向かい合う。
塾長は黒いパンツスーツの足をクロスさせ、腕を組んで、ゆっくりと喋りだす。
 
「あなた、四条先生じゃないと駄目よね?
四条先生なら、やる気も出るでしょう?
 
……そういうの、大事だわ。」
 
塾長の眼鏡の奥の眼は、全てお見通しのようだった。私が四条先生を必要としている理由が、明晰な頭脳のためだけではないことも、すべて。
 
私の告白は講師の間で筒抜けだったのだろうか。それでも、気恥ずかしさより、溺れて苦しんでいる私を助けてほしい気持ちの方が勝っていた。
四条先生がいなくなって、私は壊れる寸前だった。
 
私は力なく、小さく頷いた。
 
塾長は暫く私を見ながら考えて、決心したように言った。

「分かった、戻ってくるように連絡する。」
 
ぱっと目の前が明るくなって一瞬救われた気持ちになったが、四条先生が首を縦に振るかはわからない。期待して落胆するのも、怖かった。私は自分の心を守るように、そっと期待値を下げた。
 
 



あれは梅雨前だっただろうか。
本当に先生が戻ってきた。
 
綺麗な薄いミントグリーンの色の半袖のシャツの記憶を今でも鮮明に思い出せる。
 
私が告白をしたせいで、四条先生に迷惑をかけた。
私自身も壊れかけた。
 
もう、好きとは絶対言わない。
 
嬉しくて仕方がなかったけれど、気持ちを見せないよう、ポーカーフェイスで授業に臨んだ。

四条先生も、いままでと変わらない様子で授業をしてくれた。

今ならわかる。

M2は就活や実験、修士論文で忙しい。この時期に、塾に戻って来てくれたことは、論理的にありえないくらいのことだった。


塾長は、一体何といって四条先生を説得したのだろうか。コンパスを失って迷子になってボロボロになった私を、助けてくれと頼んでくれたのだろうか。
 
先生がどこに住んでいたのかはわからないけれど、もし大学の近くならば、塾まで車で片道40分はかかる。授業も2時間半。それを週に2回。M2でこの時間をアルバイトに差し出すには、あまりにコスパが悪すぎる。
単なる仕事の枠を超えている。

四条先生を動かしたのが「使命感」なのか「責任感」なのか「同情」なのか、「恋愛感情」なのか、あるいはそれらが混ざり合っているのか、今となっては知る術もない。
 
けれど、四条先生が自分の時間を犠牲にして私を救ってくれたのは、ゆるぎない事実なのだ。

最近になって、性格診断のINTJ(建築家型)の特性を知って驚いたことがあった。その愛情表現のあり方が、当時の先生の行動とあまりに重なったからだ。

感情的な言葉で慰めるよりも、具体的な問題解決やアドバイスを通じて相手を支えること、知識の共有などが最大の愛情表現なのだという。

四条先生が再び私の前に戻ってきてくれたことが、私にとって何よりの問題解決だった。

私は、戻ってきてくれた先生に対して「ありがとうございます」という言葉すら、結局最後まで言えなかった。
先生が払ってくれた最大限の犠牲は私の観測系の外にあり、測定不能だったのだ。

その重みに気づく余裕すらなく、私はただ救われたことに安堵し、平静を装って授業を受けることだけで精一杯だった。


・§2.6:非合理的な演算 ── 最終の夏、定期演奏会という非線形事象

 1994年、高3の夏休み最終日は、所属していた吹奏楽部の定期演奏会だった。
チケットノルマが30枚もあったので、知り合いという知り合いに声をかけ、買ってもらっていた。

元々交友関係も広くなく、売り先はすぐに底をついた。

迷惑かなと思いつつも、気まずさが消え普通に話せるようになっていた四条先生に声をかけてみると、快諾して2枚も買ってくれた。

四条先生が演奏会に来てくれる!
嬉しくて、練習にも力が入った。
 

 
当日。
晴れた空、蝉の鳴く中、ホール裏口の駐車場が見える場所で最後のチェックの練習をしていると、遠くに先生の落ち着いたワインレッドのインテグラが入ってくるのが見えた。

いつも塾の駐車場で見ていた車。あの助手席に乗せてもらう未来を、何度想像しただろう。
 
そして開演時間が近づく。
 
吹奏楽も私の青春時代そのものだ。
あんなに熱く、皆で熱中したのが懐かしい。3部構成でクラッシック、ジャズ、ポップスの順に進んでいく。衣装もステージごとにすべて替えていく。プリーツスカートにベスト、小さな蝶ネクタイのネイビーの制服、白ブラウスにブラウンのタイトスカート、白デニムに裾を結んだ水色の半袖シャツ。
 
蝉たちが姿を変えて最後の夏を謳歌するように、私たちも姿を変えながら、終わっていく夏を、青春時代を、精一杯やりきった。
 
演奏会を最後に引退する3年生は、ホール入口に集まって客を見送るのが恒例だ。

来てくれた皆に、そして四条先生にお礼を言いたくて、舞台袖から急いで走ってホールの入り口に向かう。
大勢の観客を挟んで向こう側の、トイレの入り口に立っている四条先生を見つけた。

嬉しくて駆け寄ろうとしたとき、女の人がトイレから出てきて、四条先生の隣に並んで親しげに話しかける。セミロングの髪にゆるくパーマをかけた、大人っぽい細身の色白の女の人だった。

お似合いすぎて、胸の奥がチクリと痛んだ。

自転車通学で夏の日差しに焼けた自分が恥ずかしくて、小麦色の腕を体の後ろに隠した。
 
あの人が先生の言っていた、好きな人なのかな。
週に5時間会えるだけで満足のはずだったのに、実際に先生の想い人であろう人を見てしまうと、感情がぐちゃぐちゃになった。
 
ありがとうございましたと伝えた私は、ちゃんと笑えていただろうか。
 
後日、演奏会に来てくれたお礼と、
できるだけ重くならないよう、私もう先生のこと吹っ切れているという体を装って、
 
「一緒にいたの、彼女ですか?」
 
と、精一杯明るく聞いてみた。
明るく聞いてみたところで、こんな質問をするなんて、まだ四条先生を好きなことはバレバレだっただろう。
 
「いえ、違いますよ。」

四条先生は、いつもの穏やかな表情でそう答えた。
彼女だって彼女じゃなくたって、私の方は振り向いてもらえないのに、四条先生がまだ誰かのものになっていない可能性を残せたことで、ちょっとホッとした。

冷静に考えてみれば、これから付き合いたいと思う相手をデートに誘う場所として「教え子の高校の定期演奏会」を選ぶのは、あまりにもセンスがない。もし本当に大切な女性なら、もっと別の、二人きりになれる素敵な場所を選ぶはずだ。
私がまた想いを寄せないようにバリアを張るために女性と来たのなら、彼女だよ、と嘘も言えたはずだ。
いくら考えたって、結局のところはあの女の人とはどんな関係だったかは、四条先生本人にしかわからないのだけれど。

・§.2.7:収束する推論 ── 消去法でも背理法でも割り切れない帰還の理由

 そしてまた、私の脳内は四条先生が塾に戻ってきてくれた理由をぐるぐると考える。
大学生でスポーツカーを所有・維持できるほどの経済力があったのなら、塾のバイト代よりも研究時間の確保の方が、よっぽど優先順位が高かったはずだ。

下世話な計算をしてしまう今の私から見ても、やはりあの時の四条先生の行動はなんらかの感情によるものではないかという考えに収束して行く。

それに、だ。もし、四条先生が塾に戻ってくれたのが純粋に使命感や責任感だけだったとしたら。

理系のM2の夏の終わりといえば、修士論文の準備や実験の追い込みで、1分1秒すら惜しい人生最悪の繁忙期であるはずなのだ。
そんなただでさえ破綻しかけているスケジュールの隙間を縫って、私の勉強とは全く関係のない、塾より更に遠いホールでの演奏会なんていう拘束時間の長いものに時間を投下してくれたこと自体の説明がつかない。
 
恋愛感情というラベルを貼るには、四条先生はあまりに理性的で、立場を弁えていた。

けれど、責任感というラベルで片付けるには、その行動はあまりに献身的で、非合理的だった。

こうやって、私の頭は終わりのない演算を延々と繰り返すのだ。

・§2.8:参照系のパラドックス ── 識別番号による進路選定

 部活を引退し、いよいよやることは受験勉強のみになった。
先生も、休むことなく伴走してくれた。
 
わざと終わり間際に質問をして、10分ちょっと、教室で2人きりになれるのが幸せだった。
そんな私の作戦は、とうにお見通しだったことだろう。
それでも四条先生は、一度も、これはもう次回ね、とか、時間内に終わるように質問してね、とは言わなかった。
 

 
先生が背中に背負ったHANG TENのバックパックが目に焼き付いている。
錆びた外階段を降りるときは、先生がいつも前にいた。


 
志望校は、四条先生と同じ大学は候補から除外した。
先生はもうすぐ卒業してしまう。
先生の居ない大学のキャンパスを歩く自分を想像して、虚しさだけが残ったからだ。
 
四条先生のインテグラのナンバーに書かれている、関西の地名。
先生の育った街。
同じ名前の大学に憧れて赤本も買ったけれど、実力的にとても届きそうにない。
 
実家からは東京の方が近く、合理的に考えれば自宅から通える大学か東京の大学に進学するのが普通だ。

それでも四条先生が育った関西で生活してみたい。

範囲を関西全域に広げ、あとは偏差値と相談して、志望校を関西のとある大学に決定した。
 
そんな理由で私が志望校を決定したことは、四条先生は知る由もない。
 
論理的思考のINTJの私が、人生の最大の分岐点である志望校選びにおいて、これ以上ないほど非論理的な感情で決定を下した瞬間だった。

志望校を好きな人の車のナンバープレートで決定した人を、私は他に一人も知らない。
 
合理性を美徳とする私の脳内システムは、四条先生という強烈な重力を前に、その「参照系(観測地)」を根底から書き換えられてしまっていたのだ。

・§2.9:異相共存 ── 1995年1月、センター試験と震災ログの同期

 街が華やかになり皆が浮き足立つ季節。だが受験生にはクリスマスもお正月もない。
ただただ勉強する日々。
どれだけ問題を解いても、まだ足りないような気がする。
 
それでも週2回、四条先生に会える時間の前には、時間をかけて髪を整え、背伸びをして買ったピンクの色付きリップを塗って、制服から私服に着替えた。

ハイポニーテールにはブラウンの長い太めのベルベットのリボン。
下ろした髪には、カチューシャのようにネイビーの細めのベルベットのリボンを巻いて頭の上で蝶結びにする。
四条先生の前では、少しでも可愛くなりたかった。

1995年1月15日。

電車とバスを乗り継いで向かったセンター試験の会場は、四条先生の通う大学だった。

実際に行ってみると、本当に遠かった。
(……四条先生は毎週2回、この長い道のりを通って、私のところへ来てくれていたんだな)
緊張しているはずなのに、そんなことを考えていた。

丘の斜面に佇むキャンパス。
ひんやりとした空気の中、古い建物に入って廊下を進んでいただけなのに、途中から地下になる。
面白い構造の建物だなと、頭の中は割と冷静だった。
 
教室に時計は無い。
試験中に腕時計が止まったりしたら困るので、左手にはいつものムーンフェイスの腕時計を巻き、右手には母に借りた腕時計を巻いた。
 
未来のバグ取りはこの頃も健在だ。
 
まあこのリスクヘッジが、恋愛となるとこの上なくポンコツな結果を吐き出すことになるのだが――。
 
試験は始まったらノンストップだ。
この結果が、関西への切符が手に入るかどうかの第一関門だ。落とせない。
残り時間を確認しながら慎重に、でもスピードを上げて解いていく。
 
母は、試験の時にはいつもお弁当におやつを入れてくれる。
センター試験の日は、フルーツ味のLOOKだった。
一粒ずつ、これはイチゴ、これはバナナ、とフルーツのフレーバーと甘みをゆっくりと感じながら脳に糖分を補給して、午後も淡々とこなす。
 
そして、1日目、2日目のセンター試験が終わった。


翌朝テレビをつけると、兵庫で大規模地震があったと報道していた。
まだ状況はすべて把握されていないようだったが、死者1,700人という数字が出ていた。

大変なことが起こった。

続きを見たかったけれど、その日はセンター試験の自己採点の日だったので、急いで自転車で学校に向かう。
自己採点の結果は想定内だった。このまま志望校を変えずに出願しても大丈夫だろう。
よし!と胸をなでおろして帰宅し、再びテレビをつけた。
 
画面の中の数字は、3,000、4,000と無慈悲にどんどんカウントされていく。
まるで人の数ではないように。
自分の掴み取った関西への切符が、とてつもない恐怖のデータへと塗り替えられていくようだった。

・§2.10:状態復元 ── 最終講義と、時間軸におけるラブリーの共鳴

 日本中が混乱する中でも、受験のシステムは止まらない。
志望大学は影響を受けていなかったようなので、そのまま2次試験の願書を発送する。
 
インターネットがない時代、家の固定電話から毎日「テレホンサービス」に電話をかけた。
指が覚えてしまった大学コードを、ピッピッとプッシュボタンで入力し、倍率が現在どのくらいになっているかの確認をする。
 
録音された冷たい音声で倍率が告げられ、じりじり上がる数字に、早く止まってくれ、と祈るような気持ちでいた。​
それは、連日一向に止まる気配のない、テレビの画面の隅で増え続ける「死者数」のカウントと、頭の中で不気味にシンクロしていた。
 
もう、これ以上増えないでくれ。
どちらの数字も、はやく止まってくれ。
 
だが、止まらない数字の向こうで、タイムリミットは確実に近づいていた。
 
受験の終わりは、そのまま四条先生との別れの時を意味していた。

受験は早く終わってほしい。けれど、先生との時間は1秒でも長く続いてほしい。
​過去から未来へ、ただ一方向に進むことしか許されない時間軸の中で、その2つの願いが両立する世界線など、どこにも存在しなかった。
 
今日で授業は最後だ。本当に終わってしまうのだ。胸がきゅっとする。
 
 
外階段をカン、カンと上がってくる音が聞こえる。
塾長がドアを開け、教室に入ってくる。
 
「パンフレットで使わせてもらいたいから、写真撮らせて!」
 
と塾長が言って、私と、先生と、もう一人の男の子の受験生をインスタントカメラで撮影した。
 
後日パンフレットになったその写真は、私の宝物になった。
 
今のように気軽に写真を撮れないこの時代(それでもインスタントカメラで気軽に撮れる気がしていたけれど)、この一枚はたしかにその時間、そこに私たちが存在していたことを証明する唯一の媒体だった。
 
深いグリーンのアーガイルのセーターを着た先生。
 
パンフレットは厚めのカラーペーパーにモノクロで印刷されていたけれど、今でも私は脳内でカラーで再現できる。
 
その写真を切り取り、大切に保管した。
 
2月25日、受験当日。
 
四条先生が教えてくれた全てを武器に、私はペンで戦った。
記述式のそれは、自由度が高いからこそ、悩みどころでもある。
でも大丈夫、私には先生が付いている。
あれだけ四条先生の言語をインストールしようと必死だったのだ、私の中の先生も一緒に解いてくれている。
 
やれることはやった、あとは結果を待つだけだ。
 
全てを出し切り新幹線で地元に帰る。
 
迎えの車のラジオからは、多幸感あふれる眩いばかりの煌めきのフォーンセクションと、無条件に人生を肯定するような歌詞の、オザケンのラブリーが流れていた。
 
Life is coming back.

・§2.11:相転移 ── 合格の伝播と、10桁の固定暗号

そわそわしながら、速達が届くのを待つ。合格者の速報だ。
遠くから郵便のバイクの音が聞こえてきた。
 
来た!チャイムがなる前に玄関まで走っていく。
ピンポーン、とチャイムが鳴って、郵便局員から封筒を受け取る。
 
封筒を開ける前からもう結果は決まっているのだけど、確認には覚悟が要る。
ゆっくりと封筒にハサミを入れる。母が固唾を呑んで見守っている。
 
深呼吸して、ゆっくりと中の紙を取り出す。
私の乾いた喉と、カサカサとした紙の質感。指先だけが少し湿っていた。
 
白い紙にずらりと並んだ数字。
 
自分の受験番号だけが、少し大きく黄色の蛍光ペンでマークされたみたいに視界に飛び込んできた。比喩でもなんでもなく、本当にそう見えたのだ。
 
「あった!あったよ!受かったよ、お母さん!」
 
母はまだ番号を探せていないようだったけれど、そのまま二人で抱き合って喜んだ。
 
後日、塾に合格の報告に行く。
多分、喜んで合格しました、と伝えて、四条先生も塾長もおめでとう!と言ってくれただろうと思うけれど、不思議とその記憶はもやがかかったようにぼんやりとしていて、今となってははっきり思い出せない。
 
私の記憶に今も鮮やかに残っているのは、その後のシーンだ。
もう二度と四条先生に会えなくなる、会えなくてもいいから何か繋がっておきたい、そう思って、決死の覚悟で聞いてみた。
 
「電話番号、教えてもらえませんか?」
 
先生は笑って、いいよ、と言って、就職のために引っ越す先の、家の固定電話の番号をゆっくりと私に伝えた。
 
私はその数字を、お気に入りのブルーのバインダー手帳のアドレス帳のSの欄に書き留めた。
 
教えてくれたってことは、かけてもいいんだよね?
その言葉は、紡げなかった。
 
卒業して、もう関係が切れる生徒に、プライベートな固定電話の電話番号を教えてくれるのは先生の優しさか。
人間断るのはとてもエネルギーの要ることだから、断り辛くてとりあえず教えたのだろうか。
教えてくれた理由はわからないけれど、これでまだ四条先生と繋がっていられる、塾は卒業するけれど、先生との関係は終わりじゃないんだ、と感じていた。
 

 
東日本のイントネーションだった空間が、名古屋を過ぎ、関ヶ原を越え、京都に近づくにつれて、周りの乗客の会話の周波数(方言)が「関西弁」へとじわじわとオセロのようにひっくり返っていく。
 
私は、手帳の奥深くにそっと仕舞い込んだ10桁の暗号を、お守りのように何度も心の中でなぞりながら、今、関西へと渡った。

Ⅲ. 波動の干渉と減衰(1995 - 1998)

•§3.1:二重構造 ── 厳重な結界女子寮と、データの隔離格納

 合格発表からはドタバタだ。
両親と大学へ行き、入学手続きをして、学生会館で住まいの資料を見せてもらう。
 
父が1件目に見た女子専用の寮を気に入って、他の物件の検討はせずに、すぐにそこを契約した。
 
二重に門がある。
 
一つ目の門には鰯の頭の乾物と柊の葉がさげられていた。節分が過ぎても外されることなく、一年中そこに掲げられ続けるのだという、関西の古い魔除けの習わし。
 
迷い込もうとする悪霊を、常時監視して追い払うための生々しい結界だ。
 
そしてそれを通り抜けた先にある、二つ目の門。
 
見上げるほどに高くて重苦しい金属の黒い門には、冷ややかな金属のベルが静かにぶら下がっていた。
 
その厳重な二重の結界の向こうで、案内してくれた大家さんは、誇らしげに胸を張ってこう言った。
 
「うちでお預かりしとるお嬢さん方はね、京大の子ぉとしかお付き合いしはらへんのですよ」
 
嘘だ。ここは京都府ですらない他県だぞ、選民意識にも程がある。
後に分かったことだが、インカレサークルなどで出会い、確かに京大生と付き合っている先輩はいたので全くの嘘ではないにせよ、「しか」というのは盛りすぎだ。
 
私は心の中で、食い気味に突っ込みを入れる。
 
門口のイワシといい、大家さんの言葉といい、ここは一体どこの中世の国なのだろう。
父はその徹底した「防壁」の高さにすっかり満足して頷いているけれど、私はこれから始まる異国での暮らしに、少しだけ目眩がするような心地がしていた。
 
門限(22時!)もある。
門の先の敷地には学生が住む寮と、大家さんの家があり、常に大家さんがパトロールしている。
 
寮といっても、廊下共用で部屋がある昭和なタイプではなくて、いたって普通の1Kのアパートだ。
 
部屋の鍵とは別に、門の鍵も持たされる。ガチガチのセキュリティだ。
 
バイトで遅くなって、門限に間に合わなかったことがあり、そーっと門の鍵を回して、ベルが鳴らないようにゆっくり門を開けた先に大家さんが仁王立ちになっていたときは本当にびっくりした。
 
引っ越し、入学式、授業選択、吹奏楽のサークルへの加入など、先生と会えない感傷に浸る間もなく、目まぐるしく日々が過ぎていく。
新歓コンパに行けば先輩たちは煙をもくもくさせながらたばこを吸ってお酒を飲んでいるし、ほんの1か月前の高校生活とはまるで別世界だった。
 
別世界なのは、授業もそうだった。
物理も数学も突然難しくなった。授業も、教授たちより高校教師のほうがわかりやすいことが多かった。
大学は良くも悪くも自由、自主的に学んで行かないと、どんどん置いて行かれる、誰もお尻を叩いてはくれない。
 
塾がいかに素晴らしい環境だったのかを身をもって知った。
 
だっていつも私の疑問には、四条先生が丁寧に噛み砕いて答えてくれたから。
塾は接待授業だったのだ。
 
今なら教育系配信者の動画をいくらでも探せるけれど、当時はそんなものもなかった。
 
スマホもないので、図書館で本を探して読んだり、図書館に数台置いてあるとても処理の遅いパソコンで検索するくらいだった。
 
四条先生に逢いたいな。
電話、かけてもいいだろうか。
 
電話番号を教えてくれたってことは、かけてもいいってことだよね?
 
今なら、LINEで、「今電話かけても大丈夫ですか?」と聞ける。
 
でも、当時は固定電話のみ。相手が何をしているかもわからない。
 
忙しかったら迷惑だろうか。
 
電話をかける、ということのハードルが高くて、圧倒的にコミュニケーションが困難な時代だった。時代だけじゃなくて私のコミュニケーション能力が低いのも問題なのだが。
 
我慢できなくなって、緊張しながら、青い手帳に書かれている番号をプッシュボタンでゆっくり押す、爆弾の解除みたいに。
 
指先が震える。
 
四条先生の声を聞きたい。でももし出ちゃったらどうしよう、何を話そう。
 
電話をかけているのに、出ませんようにと祈るなんてどうかしている。
 
もう通話する前から半分パニックになる。

トゥルルル、トゥルルル、トゥルルル、カチャリ。
 
「はい、四条です」

!!出た! 
 
「あっ、先生お久しぶりです。綾瀬です。」
 
おー久しぶり、といって、先生が優しく迎え入れてくれた気がした。
 
大学院を修了し、新社会人としてエンジニアのキャリアをスタートさせた先生は、うん、うん、と色々話を聞いてくれた。
  
それから、本当にごくたまに、声が聞きたいのを我慢できなくなると、電話をした。
  
昔の塾の延長授業と同じく、先生は、今忙しいからまたにして、などと言ったことはなかったけれど、いつも電話をかけるのは私からだった。
 
先生から電話がかかってきたことは、一度もない。

今考えれば、私は先生に電話番号を教えた記憶がない。
 電話番号を教えてもらっただけだ。
 あの当時、ナンバーディスプレイなどないのだ。
 
それでは先生からかかってくることなどあり得ないのだけど、先生が私に電話をしたいと思ったのなら、電話番号を聞くはずだ。つまりは、先生は自分から電話をかけたいと思うほどの気持ちはなかったのだろう。
私の方もだんだん、いつまでこうして先生に執着しているんだろう、という葛藤も感じ始めていた。
 
 皆は大学生活を楽しんでいる。
 
私はずっと会うこともできない先生を思って、一生生きていくのだろうか。
  
だんだん、電話を切った後に辛くなることが多くなってきた。
 
でも、忘れることが出来ない。
 
17歳で物理をインストールするぞと決めた時から、私は四条先生を私の中に取り込みすぎた。もう四条先生は私を構成する一部になってしまっていたのだ。
視界が涙で滲む。
  
削除できないのなら。
 
 先生にも私を求めてもらいたいと思うから辛くなるのだ、一方的に好きだけで満足しよう。私は私で、今の生活を充実させよう、そうやって、四条先生を別のレイヤーに格納した。
前田の物理を汚れないようにフィルムで保護したように、綺麗にフィルムを貼って。
 
今でいう、推し活の概念と似ていると言ったらわかってもらえるだろうか。
 
推しが好きだからといって、誰とも付き合わないわけじゃないし、誰とも結婚しないわけでもない。
 
それはそれ、これはこれ。
 
切り分け。

こちら側の世界でも、私に好意を寄せて告白してくれるサークルの同い年の人がいた。
 
穏やかで優しい人だったし、付き合ってみることにした。
 
 その人のことはちゃんと好きだったと思う。
 
浴衣を着て祇園祭りに出かけたり、難波に洋服を買い物に行ったり、練習の後にご飯を食べにいったり。等身大の恋愛だったと思う。
 
 先生に電話をして、彼氏、できたよ、と伝えた。
 
そのときの先生の反応は覚えていない。

•§3.2:逆位相 ── 文系個体との接触、および相殺された感情波

「もう好きじゃないねん、しばらく冷却期間、置こ。」
 
いきなり電話で突然突きつけられた、冷却期間、という定義の曖昧な謎の時間。
 
その彼とは一年くらい、穏やかに続いていたところだった。
これからもこうして穏やかに続くのだろうと思っていた。
 
仲のよい女友達といるような距離感の付き合いが、私にとっては居心地が良かったのだ。
 
うまく行っていると思っていたのは私だけのようだった。
私は何を言われているのか理解ができず、受話器を持ったままフリーズした。
 
視界が一段階暗くなる。
 
実際にショックを受けたときは視界って暗くなるんだと思った。
 
 
一人きりの部屋で、丸二日間泣きながら考え抜いた。
 
何が悪かったのか?
 
どこから、いつからすれ違ったのか?
 
何も考えずに過ごしてしまった、
恋愛マニュアル本など、読むべきだったのではないか?
何も対策せずに試験を受けるようなものだったのではないか?
 
なぜ今まで、別れるかもしれないという分岐ルートを想定していなかったのか?
 
 三日目が明ける頃には、涙は枯れ果てていた。
代わりに、冷ややかな疑問が頭をもたげる。
 
しばらくの冷却期間てなに?
好きじゃなくなったと言われているのに、まだ付き合いを継続するのって確率的に無理じゃない?
 
これいつまで続くの?
 
終わりが見えない保留を、相手のさじ加減ひとつで引き延ばされるの?
 
こんな蛇の生殺しみたいなの、これ以上私の心が耐えられるわけがない。

もう、無理だ。
 
  
そして、サークルボックスの近くに彼を呼び出し、
 
「じゃあ、もう終わりにしよう。」
 
と伝えた。
 
彼も神妙な顔をして、うん、と静かに受け入れた。
 
 
後日友達が私に話しかけてきた。
 
「彼、泣いていたよ、『もっと喧嘩とかしたかった』って。」
 
 
当時の私は、何だそれ、と呆れた。
 
こちらは真剣に考えたのに、失礼すぎやしないか?と思った。
 
もう好きじゃないのになぜ泣くのか?
 
問題がないのにわざわざ喧嘩するなんて、どういうこと?
意味がわからない、勝手すぎる。
 
勝手すぎるその理論は、その後別れて何年も経った後の卒業直前のサークルの追い出しコンパの後に言われた言葉にも表れていた。
 
「もし30歳になってもお互い独身やったら、結婚しよな。」
 
何かがざらっと心に引っかかる。
あぁこれは、私を見ていないな、自分に酔っているだけだな。
 
すっと外気温が二度くらい下がった気がした。
 
 
INTJという生き物は、
 
――感情表現が苦手、言葉で愛情を語らない、伝えない。
 
結論が出ないままの状態を嫌う。早く確定させたい。――
ということらしい。
 
言葉の情緒やニュアンスを重んじる学問を専攻していた文系の彼は、恋愛においてもっと感情のやり取りをしたかったのだろう。
私の言葉での愛情表現が、不足していたのかもしれない。というか、確実に不足していたのだろう、INTJの仕様書通りに。
 
仲のよい女友達に、毎回わざわざ「私たちって親友だよね!大好きだよ」と言わなくても関係が揺るがないのと同じように、私は彼氏に対しても、不確かな言葉を並べるよりも、隣に居続けるという事実の方が、何倍も誠実な証明だと思っていたのだ。
 
そして、期限の切られていない冷却期間に耐えられず、関係を整理した。
 
どこまでテンプレ通りなのだろう、私のこの不器用な性格は。
 
彼にとってはほんの「駆け引き」のつもりだったのだろう。
でも、私にとっては関係を終わらせるほどの「決定打」だったのだ。
 
外から見たら、ちょっと駆け引きを仕掛けたら、三日目で関係を強制終了された、という現象しか見えない。
 
これが、INTJが冷徹と言われる所以なのだろう。
 
でも、私たちは冷徹なロボットじゃない。
内側ではちゃんと傷ついて、泣いて、一生懸命出した結論なのだ。
 
ただそれが観測されないだけで、無かったことにはならない。
 
彼は感情の通信をしたくて、私の感情に揺さぶりをかけたのだろう。
彼にとっての冷却期間とは、私の感情に対する揺さぶりの期間だったのだ。
彼は彼で、感情を言葉にしない私に苦しんでいたのかもしれない。
 
私が泣いて、嫌だ別れたくない、と感情的に縋り付くのを期待したのだろう。
 
雨降って、地かたまれり、あぁ、あはれなり、なんていう展開を。
 
どちらが悪いわけでもない。
 
元々、使っている言語が違い過ぎたのだ。
 
私たちの放っていた感情の波は、重なりあった瞬間に全てが綺麗に相殺されて、無に還ってしまう運命だっただけなのだ。

•§3.3:直接昇華 ── 不在を狙った隠密通信の試行と番号霧散

四条先生と電話で繋がっていた(一方的に)のは、大学3回生くらいまでだったと思う。
 
いつ生活に割り込んでくるか予想もつかない、気まぐれな女子大生の世間話。
よく3年間も聞いていてくれたものだと思う。INTJは意味のない世間話は嫌いなはずなのに、これはどういうことだろう。
 
バレンタインの告白の後四条先生が居なくなったことで、私がボロボロになったのを知っているから、私の心が自然に四条先生から静かに離れるのを待つ、という優しさだったのだろうか。
 
もしかしたら、四条先生がINTJという初期条件が間違っているのだろうか?
もっと優しい、何か。
 
 
どうしても先生の声を聞きたい。
でも電話をかけすぎるのは先生に負担をかけてしまう。
 
そういうときは、平日の昼間、先生が仕事で家にいないであろう時間帯に電話をした。
留守番電話の応答には、機械音の音声ではなくて、先生があらかじめ録音した、留守電にメッセージを促す案内の音声が流れた。
 
ずっと音楽をやってきたけれど、どんな曲より聴きたい音。四条先生の声。
 
ピーという音が鳴る前に、急いで手で本体のフックボタンを押さえた。
 
フックボタンは賢者タイムのスイッチでもあった。
声を聞けて嬉しい、と同時に、私は一体なにをやっているのだろう、こんなのストーカー一歩手前じゃないか、ともう一人の私が私をメッタ刺しにする。
 
 
​「対象の不在を狙った、ログを残さない隠密な通信試行。これを世間では何と呼ぶか? ――不審な追跡行動(ストーカー)に酷似している。直ちに自己嫌悪(エラーアラート)を発生させよ」
 
 
 
ある日、また昼間に電話をすると、いつもとメッセージが違っていた。
引っ越しをするため、電話番号変更の案内だった。
 
「新しい番号は ×××―×××―××××になります。」
 
机の上にあるペンを見つめる。
メモを取るのは簡単だけれど、もう終わりにしようと思った。
 
ブルーの手帳に書かれている番号は、先生が直接教えてくれたものだ。
このメッセージは、先生のこの電話番号を知っている多数に向けられたもの。
 
新しい番号に私のアクセス権があるのかどうか、もうわからなかった。
 
さすがにもう、追いかけすぎだと思った。
 
四条先生が引っ越す日が過ぎたら、このブルーの手帳の10桁の番号は結びつきを保つことができず、ただのバラバラの数字として霧散していく。


その日がいつ来るのかはわからないけれど、確実に、近いうちに訪れる。
 
静かに、執行を待つように、運命を時間に委ねることに決めた。
 
 
四条先生、さようなら。
 
そっとフックボタンを押した。
 
今日は、エラーアラートは鳴らず、一人の部屋に静寂が戻った。

•§3.4:共鳴破壊 ── 同一言語(論理型)の重複がもたらす構造崩壊

 文系の彼と別れたあと、今度は選択を誤らないようにと、私と同じ『論理と最適化』を生きる人を頼ってみたこともあった。
だが、それもまた別種のエラーを引き起こすことになる。
 
あれは3回生の秋だった。
 
付き合う前、別の大学に通う1歳年上の彼から不意に投げかけられた言葉は、およそ恋愛市場のそれとはかけ離れたものだった。

「なぁ、フーリエ変換できる?」

「? できるよ」

どんなに複雑に絡み合った波も、細かく分解すればシンプルな周波数の重なりに還元できるという、あの数理手法。のちに知ることになるが、医用工学を専攻していた彼にとって、世界のノイズを美しい画像へと変換するための、最も基礎的な共通言語だった。

「そういう子を探しててん。」

おもしろいな、判定基準はそこなんだ。
不確かな感情のうねりを嫌い、世界のすべてを明確な周波数として処理したい彼にとって、私はようやく見つけた『同じ周期で共鳴できる最適個体』だったのかもしれない。
 
「ペン持ってる?貸して」
 
「えっ?・・・はい、どうぞ」

私からペンを受け取ると、彼は自分の財布から綺麗に整えられたレシートを1枚取り出した。その裏面に、ペン先を静かに構える。
 
「電話番号」
 
「(おまえの連絡先をこのレシートの裏に書くから)電話番号(を早く言え)」

──それは、思考の前提をすべてすっ飛ばして投げつけられた、圧倒的に強引で、極限まで圧縮された信号だった。
私たちの通信は、こうして始まった。──

3回生の終わり頃。
 
「これからは猫も杓子も大卒やで。理系なら、院くらい出とかな。」
 
頬杖をつき、セブンスターの煙草の煙を吐きながら、涼しげで、少し気だるげな切れ長の目で私を見ている。
 
彼はもう4月から院へ行くことが決まっていた。
 
常に自己研鑽を怠らず、それを私にも求める彼。
部屋には、今読んでいる本と、「峠はこう攻める」という車の本と、最小限の衣類のみ。
 
勉強に集中すると3週間ほど音信不通になることもよくあった。
 
――かつて私を苦しめたこの不条理な沈黙を、私はのちに、大事な人にそのまま、いやそれ以上に長い時間実行してしまうことになる――
 
 
時々彼の車を運転させられ、カーブの手前で「アウト・イン・アウト」と静かにライン取りを指導された。
助手席からの静かなプレッシャーに、私の視界はいつも涙で滲んでいく。
彼にしてみれば、自分の大切な愛車を運転させてあげている、という彼なりの愛情表現だったかもしれないけれど、これっぽっちも嬉しくなかった。
 
かつて、私には難解すぎたあの分厚い物理の参考書を、狂おしいほどの熱量で自分のOSにインストールしようとしたあの頃の熱は、この冷え切った車内のどこを探しても、見つからなかった。
 
 
院に行くべきか、就職すべきか。
私は更に2年、勉強をしたいか?
もう社会に出たいか?
 
何百回の自問自答の末、就職することにした。
悩みすぎて、もう春が近づいてきていた。
 
大学に進学する際、卒業後は地元に戻ることが両親との約束だった。
 
彼は大阪城やOBP(大阪ビジネスパーク)の近くに、黒いシルビアで私を連れ出した。
きっと、ここに残って欲しい、ここで就職して欲しいというメッセージだろう。
言葉では言われなかったが、私にはその意図がわかった。
 
彼の高い知性も、常に向上心を持っているところも、尊敬していたのは事実だ。
でも、いつも行動をジャッジされているような、いつNOを突き付けられるかわからない息苦しさを感じていた。
 
評価項目には勉強やキャリア以外の、食事や体重も含まれていた。
私は、彼に釣り合うように、化粧品もドラッグストアからデパコスにアップデートしたり、髪を染めたり巻いたりした。
 
今度こそ選択を誤らないように、全ての項目で合格点が出るように、必死に自分を最適化しようとしていた。
 
彼自身、空腹が訪れると、今から脂肪が燃えるから嬉しくなる、と語っていた。
 
言っていることの意味は理解できる、その理論が正しいことも。
 
ただ、だからこそ苦しいのだ。
あの、必要最低限のものだけに最適化された空間を見れば、不要になったらすぐ捨てられるであろうことは容易に想像がついた。
 
冷たい空気の中、無機質に光るビル群を眺めながら、ここで働けたらかっこいいだろうな、とも思ったけれど。この関係はいつまで続くんだろう?もし別れたら?私が大阪に居る意味がなくなっちゃうよね。そんなことをぐるぐる考えていた。
 
ゆっくりと、冷めたブラックの缶コーヒーを喉の奥に流し込む。
真似したって、私の中には入ってこない。
 
 
やっぱり両親との約束通り、地元で就職活動をすることに決めた。
 
遠距離で駄目になるくらいの関係なら、ここに残っても遅かれ早かれ駄目になるだろう、そう考えていた。
 
――地元に帰ったのちに彼から届いた手紙には、私のあの時の脳内シミュレーションを完全に透視した状態の答え合わせが書かれていた。
 
正解だった。
 
「もし別れたら、ここにいる意味を無くす、って考えていたんだよね?
だから地元での就職を選んだんだよね?」
 
と。
 
彼はやっぱり、どこまでも私の仕様をよく分かっていたのだ。――
 
同じ周波数の波が重なることで、逃げ場のない振動が膨れ上がり、建物さえも自ら崩壊していく、そんな共鳴破壊が、私たちの間でも起こったのだった。
 
 
違う言語では無へと相殺され、同じ言語では共鳴して砕け散る。
 
恋愛が、難しすぎる。
 
正解がわからない。

•§3.5:最短降下曲線 ── 就職氷河期における、サイクロイド軌道の最適化

 既に4月になっていた。
 
就職活動としては、かなり出遅れている。遠方での就職活動なので、効率的に動かねば。
合同就職活動フェアを地元で何回か開催しているようだったので、参加してみることにした。
 
数多くのいろいろな業種の会社が、各ブースで案内をしていた。
その中で、中央の一番広い面積を使っている企業のブースに目がとまった。
地元ではネームバリューのあるグループ企業。
本社が地元なら転勤の可能性も低いだろう。
 
話を聞いてみると、担当の感じもとても良い。風通しの良さそうな感じを受けた。
 
直感で、ここ、良さそうだな、と思った。
 
その後他のブースも回ってみたけれど、ちょっと上から目線でこちらを値踏みするような(まぁマッチングだからしょうがないが、でもいい方をもうちょっとマイルドにできないものだろうか)意地悪な質問をしてくる企業もあった。
高圧的な対応をされると、先ほどの企業の良さが際立つ。
 
1998年。あの、のちに「就職氷河期」と呼ばれることになる私たちの世代の就職活動は、超買い手市場だったのだから無理もない。
 
 
よし、決めた。あの会社を受けよう。
 
遠方なので、卒論の合間を縫って何回も地元に帰ってくるのは厳しい。
数打つより、本当に行きたいところを選ぼう。
私は、このフェアではその会社一本に絞ることにした。
あとは、フェアには参加していなかったが、なじみのある楽器メーカーにエントリーシートを送ることにした。2社のみ。
 
今考えると、いくら時間がないとは言え、就職氷河期にエントリーしたのが2社なんて狂気の沙汰としか思えない。結果なんとかなったから良かったものの、普通なら大事故・大怪我するところだ。
 
本命企業の就職試験・面接は確か4回ほどあったと思う。
 
1回目がSPI試験。
 
2回目がグループディスカッション。
 
グループディスカッションが終わったあとに、紙の束を持った人事の方が私を呼び止める。
 
「AAのスコアが出ています。絶対に採用しますので、平行して受けている他の会社があれば全て辞退して頂けませんか?」

確かにその人事の方が持っていた束の中の私の用紙には、赤ペンで「AA」と書き込まれていた。
 
えっ?本当に私が?なぜ?と信じられなかったが、
 
「はい、他は全てお断りいたします。」(恰好つけて、全てなんて言ったが実際は1社のみ)
 
とその場で即答し、私の就職活動はあっさりこれで終わってしまった。
 
大本命からの、前のめりの採用宣言。
 
恋愛も、このくらいスムーズに運んだらいいのに。
 
普通なら「降下」という言葉には、落ちぶれていくような暗いイメージを持つかもしれない。でも、物理の世界では違う。
摩擦や抵抗といった余計なノイズを全てそぎ落としたとき、重力を味方にして、最も速く、最短時間で目的地へと滑り落ちる美しい軌跡。それを『最短降下曲線(サイクロイド)』と呼ぶ。
 1998年、あの狂気の買い手市場のなかで、私はわずか2社へのエントリーという無謀なルートを、驚異的なスピードで駆け抜け、あの会社に引き寄せられた。あれはきっと、私の人生の設計図に最初から描かれていた、最短降下曲線だったのだ。
 
こうして、私はエンジニアになった。
 
奇しくも、四条先生と同じ職種だった。
 
四条先生が私を構成する一部なのだから、それは必然だったのかもしれない。

Ⅳ. 第二の励起状態:量子物性と伝導(1999)

•§4.1:コヒーレンスの復活 ──ネットワーク黎明期の脆弱性便乗

 入社した本命の会社は、説明会で感じた通り、とても過ごしやすい環境だった。
男性が多い職場だったが、先輩たちは皆やさしく、50人近く採用された同期も皆良い人たちばかりだった。
 
私は50人ほどの部署に、他の新人4名と共に配属された。
その部署は年齢層も比較的若く、殆どが35歳未満のフレッシュな職場だったように思う。
 
定時後、情報処理の資格をとるために同期で集まって会議室で毎日2時間ほど勉強したり、面倒見の良い先輩に教えてもらったりした。
会議室での資格の勉強も、同期と一緒だからサークルみたいな感じで楽しかった。
拘束時間は長いし残業代も殆ど付かなかったから、今で言うホワイト企業の類ではなかったが、大変ながらも充実した生活だった。
 
 
席が近くの年齢も近い先輩達には、特にかわいがってもらっていた。
 
距離が近すぎて、上司から
 
「ちょっとそこ!仲良すぎるぞ!」
 
と注意されるくらいには。
 
私の席は、チーフリーダーから一番遠い、島の下座の末端だった。
左隣は通路になっており、両隣を人に挟まれるのが苦手な私にとっては、圧迫感がなくて精神的にとても楽な場所だった。
そのうえ、向かいの席の4年先輩の熱田さんと、右隣の席の1年先輩の岩田さん、部内でもぶっちぎりのコミュ力オバケのツートップのような先輩二人に囲まれていたおかげで、月曜や連休明けすら会社に行くのが嫌だな、と思ったことはなかった。
 
よく飲みやカラオケにも連れて行ってもらって、夜遅くまで、時には夜明けまで色んな話をした。一日の大半を一緒に過ごす先輩達とは、お互い泥酔した姿を曝け出せるほど、距離が近くなっていた。
 
後に、先輩達二人が、ある目標を立てて私に接してくれていたことがわかった。
私から、飲みにいきましょうよ!と誘いの言葉が出るのがゴールだったようだ。
でも、どんなに楽しくても、私からその言葉が出ることはなかった。
 
ごめんね、先輩。
 
誘いたい気持ちはあった。
けれど、自分からアクションを起こすのがどうしても苦手だったのだ。
自分は誘われたらとても嬉しかったのに。
傷つかない安全な場所に身を置き、すべての出力を相手に委ねて待つ。
それは、自分を守るための傲慢だったのかもしれない。
そしてその傲慢さは、あの人に対しても同じだった。
 
 
――あの席の配置は、圧倒的に男性社員が多い部署で、5年ぶりに女性配属となった私がなじめるように、との上司の采配だったのかなと今は思う。――
 
今考えると本当に図々しくて痛々しくて赤面必至なのだけど、先輩達が気前よく奢ってくれたりしていたので、なるほど社会人とは新人に対しては気前よくリソースを投資するシステムなのか、とすぐに学習した。
 
高校時代の部活でもそのような文化があったので自然に受け入れてしまっていたのだ。
練習後、先輩や後輩たちとよく行きつけの店に行った。日よけのよしずが立てかけてある、屋外の簡素なテーブル席で食べるかき氷。
下級生の頃は当然のように奢ってもらい、高学年になったら当然のように後輩に奢ったりしていた。巨峰カルピスのかき氷、美味しかったな。
 
奢りシステム=恩送り。
 
私はこの概念が好きだ。恩返しはそこでループが閉じてしまうが、恩送りは、その先もずっと続いて行き、誰かの未来を助ける。
 
――そういえば、この優しい恩送りのシステムが回るフロアには、のちに四条先生の心を深く閉ざすきっかけとなったかも知れない、あのサークルの直系の先輩・葉山さんも、私の数席隣の島に確かに存在していた。けれど、当時の私はまだ、自分の職場のデータベースが先生の世界と密かに繋がっているなんて、微塵も気づいていなかった――
 
 
そうして身長180㎝を超える体も心も大きな二人の先輩達に守られぬくぬくと育成された私は、昼食時自席で、毎朝注文する仕出しのお弁当のプラスチックの硬い容器を割り箸でつつきながらネットサーフィンをする。
ふと、別レイヤーに格納してあったはずの大切なデータを思い出した。
 
四条先生、元気かな。
でも、もう通信手段もない。
ブルーの手帳もピンクの手帳に変わっていた。
 
 
ディオールヴェルニのヌーディーピンクのマニキュアを塗った指先で、かつて四条先生が通っていた大学名と、先生のフルネームを入力してみる。
 
パチパチパチパチ、パチパチパチパチ、カチッ。
 
あっ・・・ヒットした・・・
 
四条先生がかつて所属していた研究室のホームページ。
そこには、現在所属する大学院生のメールアドレスが載っていた。
 
――ここからは、現在の個人情報保護法に照らせば一発アウトの行動記録になる。
しかし1999年のインターネット黎明期は、良くも悪くも無法地帯だった。
個人サイトにメールアドレスを平気で晒し、「キリ番」記念に住所を教え合っていたような、おおらかで不用心な時代。その緩さに、私は便乗したのだ。――
 
突然連絡することへの謝罪と、私が何者であるか名乗って、そして
「四条さんという卒業生にとてもお世話になって、連絡がとりたいのでもし可能でしたら、現在の連絡先を教えて頂きたいです」
 
と駄目元でさくっと送信した。
 
数日後、その大学院生から返信が来た。
 
そこには、先生のメールアドレスが書かれていた。
先生が会社で利用している、オフィシャルなメールアドレスだった。
 
――後に、メールアドレスはどこから教えてもらったの?と先生に聞かれたが、ふふふ、内緒です、と私の追跡行動プログラムが露見しないようにブラックボックスにしておいた。
先生は「んー? ミッキーだなー?」と、かつての塾講師の仲間の名前を挙げて、勝手に別の人の容疑にしていたけれど。ごめんね、ミッキーさん。でも、完全犯罪のログは私の脳内以外全て消去済みです。
 
・・・なんて、うまく煙に巻いたと思っていたけれど。
あの大学院生が、「こんなメール来ましたけど、アドレス教えて大丈夫ですか?」と既に先生に連絡していたかもしれない。先生は全てわかった上で、「完全犯罪成功!」と喜んでいる私を、にこやかに静かに眺めていたのかもしれない。――
 
こうして、2年前に完全に消滅したように見えたはずの通信手段は、私と先生の位相は、私の向こう見ずな強引な手段によって再び奇跡的にタイミングが一致して、今、再び揃おうとしている。

•§4.2:バリスティック伝導 ── 残業時における200km超の弾道テキスト通信とチェックメイト

 定時後、ドキドキしながら、会社のアドレスから先生にメールを書く。
 
今では社内メールのすべてが監視・ログ保存されていて、私用でメールを送信するなんて自殺行為に等しいけれど、当時はまだ誰もそんな規律を気にしていない、大らかな隙間があった。
 
「お久しぶりです、覚えていらっしゃいますか?綾瀬です。」
 
すると、即レスポンスがあった。
 
「久しぶり!なつかしいな!もう就職したんだね、
自分が学生の頃からもうそんなに時間が経ったのか、早いな。」
 
塾を卒業してから、4年以上が経っていた。
 
かつて大学生の頃に決死の覚悟でかけていた電話では、歓迎されているのか迷惑なのか、声からは四条先生の感情が全く読み取れなかった。
けれど、液晶画面に届いたメールの返信速度と、「なつかしいな」という言葉、そして先生自身が時の流れに驚いているその文章のニュアンスからは、不思議なほど先生の嬉しそうな気配が伝わってきた。

良かった、突然の連絡だけど、拒絶はされていなさそうだ。
 
 
それから、残業のときはたまに、メールをやりとりするようになった。
 
 
「今日も残業でーす。」
 
「こっちも残業だよ、がんばろうね。」
 
21時、22時の残業中に、200キロの距離を超えて、テキストデータのみで通じ合う。
場所は違うけれど、同じ瞬間を共有できているのが嬉しかった。
 
先生からの返信で、一日の終わり間際、電池切れすれすれだった私の電源はフル充電される。
いつも20分以内に来る返信。何度も何度も受信箱を開いて確認してしまう。
 
「今日も残業でーす。」
 
「こっちも残業だよ、お茶でもどうぞ( ^-^)_旦 ̃̃ 」
 
「えっ!可愛い!先生が考えたんですか?」


「違うよ、こういうのをまとめたサイトがあるんだよ」
嬉しそうに、いくつかサンプルを送ってくれる、どれも可愛い。
 
(o^-^)o がんばろう! o(^-^o)
(゚-゚)(。_。)(゚-゚)(。_。)うんうん
ありがとう♪(〃∇〃)ゞ
(・_・?) なにしてるの?
 
一番可愛いのは、顔文字をいっぱい送ってくる先生自身なんだけど。


メールのやりとりも、発信は大学生の頃の電話と同じく、いつも私からだったけれど、返信が義務で返されるものでは無いように感じられて、辛くはならなかった。
 
何より、私は自分が傷つかないように、先生を別レイヤー(観賞用(しかも脳内)・非接触型)に格納したままだったから。
 
一方通行の好意で全然オッケー、それが通常運転。
返信が来るだけで嬉しい、最高!
 
ところがある日、いつもの返信メールの最後に、メッセージが追記されていた。
 
「東京に来ることがあったら教えてね、ご飯でも行きましょう。」
 
どくん、と心臓の鼓動が跳ねるのを自覚した。
 
 
同時に私の脳内で、『四条メール返信対策委員会・緊急会議』が開かれる。
 
議題:「ご飯でも行きましょう」の意図についての考察と返信内容の最適解について
 
これは本気のお誘いか?
それとも、よくある社交辞令か?
会いたい、今すぐ新幹線に飛び乗りたい。
新幹線の止まる駅までは、会社から徒歩13分だ。
7階フロアから駆け下りても15分で駅に着く。
 
いや、すぐに東京に行っていいものか?
社交辞令だったとしたら、なんの用事もないのに新幹線で駆けつけるなんて重すぎる、引かれるか。
 
ということは、何かのついで感がないとダメだな。
いや、そもそも四条先生は東京在住じゃないぞ?
ということは、東京に行く、といっても先生を呼び出すことになるぞ?
 
それに、ご飯てなんだ?
大丈夫か?
このテキストメールだけでこんなに舞い上がっているのに、対面で食べ物を口に入れて
もぐもぐするなんて姿を、曝け出せるのか?
先生の前では、食べ物はおろか飲み物すら飲んだことがない。
 
想像しただけで恥ずかしい、無理だ。
 
メールアドレスの取得のときは脳内会議などしないで行動力MAXなのに、いざ対面(画面越しのテキストデータだけだが)するとすぐ脳内会議が開かれる。
 
散々考えて絞り出すように吐き出した答えは、
 
「行く機会があったら連絡しますね!」
 
だった。
 
なんだこの、行けたら行く、といういかにも害はなさそうだけど意思もなさそうな返事。
温度感がなにもない返信。
色んな条件分岐を考えるくせに、送った側が本気だった場合のルートを全く考えていない。
相手が本気だった場合、この言葉を投げつけられた瞬間に、あ、脈無しだな、と感じるだろうという想像力がない。
脈なんか、どくんどくん拍動しているのに。
そして私たちのそれぞれの社内インフラを利用した隠密な個人間通信は、一瞬盛り上がりそうに見えたがまた通常運転に戻っていった。
 
 
それからしばらく経った頃、上司に呼び出された。
10月から12月までの3か月間の、東京本部への出向命令だった。
 
東・京・出・向!
 
大変だ!緊急速報!東京出向という大義名分が向こうから歩いてきた!
 
 
――東京に来ることがあったら教えてね、ご飯でも行きましょう。――
 
――行く機会があったら連絡しますね!――
 
 
これは、連絡すべきだ、だって、東京に行くことになったのだから。
 
約束だから。
約束は守らなくちゃいけないよね。
 
なんて送る?
東京に行くことになったからご飯いきましょうって?
私から誘うべき?
いやそれはさすがに、社交辞令だった場合、先生が断り辛いか。
 
そうか、東京行きの事実だけ伝えて、あとはどうするのかは先生に丸投げしよう。
 
 
 
「10月から、3か月東京に出向になりました(^-^)」
 
 
ご飯が社交辞令だった場合、おそらく、そっか頑張れー、などのエールだけで終わるはずだ。
 
ドキドキしながら、何度もアウトルックの受信箱をクリックする。
 
来た!
 
 
「会おう。10月○日、○日、○日、○日、いつ空いてる?」
 
 
!!!

一瞬、画面の意味が理解できなかった。
 
社交辞令を警戒して様子見の手を指した私に対して、先生は逃げ道を塞ぐように、具体的な候補日を4つも並べてきたのだ。
 
私が盤面をそっと覗き込んだ瞬間には、先生はもう、私を確実に捕らえるための布陣を完成させていた。
 
社交辞令じゃなかった。
 
心臓がばくばくと音を立てる。
 
BPM130。
 
 
落ち着け、ここは会社だ。
 
体温ががっと上がるのがわかる。
 
多分今、私の顔は真っ赤だ。
 
 
 
情報処理の試験の日程を外し、希望の日二日ほどを連絡した。
 
すぐに、再会の日程は決まった。
 
きれいな、チェックメイトだった。
 
 
しかも、待ち合わせで連絡を取れるように、と携帯の電話番号まで教えてくれた。
私も、自分の携帯番号を伝える。
 
信じられない・・・。
大学生のあの頃、一人暮らしの部屋で泣きながら手放した先生との通信手段。
 
今は、メールも携帯の電話番号も、全て開放してくれている。
 
Jフォンの、パープルがかったブルーの携帯に先生の名前と電話番号を登録する。
ただの無機質な携帯端末がどんな持ち物よりも大切な物に変わった。
先生の携帯にも私の電話番号が登録されるのかと思うと、この端末が、ペアの片割れのように思えた。

•§4.3:超伝導転移前駆現象 ── 近接効果による咀嚼阻害

会社の寮から神田にある東京本部へ向かう。

私の同期は同じプロジェクト、同じフロアにはいなかった。
寮には数名、同期がいたけれど、職場では独りぼっちになるはずだった。
 
でも、違った。本社で隣のデスクだった岩田さんが、東京本部にいる(岩田さんの)同期の森田さんに、私のことを事前に申し送りしてくれていたのだ。
そのおかげで、私はそのフロアにスムーズに馴染むことができた。
面倒見が良いお兄ちゃんみたいな岩田さんの優しさに、不安だった私の心が少し温かくなる。
 
東京本部での席が隣の先輩も、音楽の趣味が合って、オザケンが好きだと言ったら、じゃぁこれも好きだと思うよ、と、ピチカートファイブや坂本龍一の音源をMDに録音して、手渡してくれた。
休日は秋葉原に出かけて新しいメタリックのワインレッドカラーのポータブルMDプレイヤーを買いに出かけた。


1999年の秋葉原は、グレーのビルと自作パーツの電子部品に埋め尽くされた男たちの街だったけれど、大通りに面したショップのガラス越しだけは、まるで別世界のように輝いて見えた。
 
イチゴやライム、ブドウの色をした、フルーツのかき氷のように透き通ったカラフルなiMacが、虹のように綺麗に並んで光を放っている。
 
地元とも関西とも違う、東京。
 
 
仕事は、正直、厳しすぎた。
C++(初見です!!)の黒い鈍器のような分厚い本を一冊渡され、ハイじゃぁコード書いてね、といきなり現場に放り込まれた。
例えるならば、知らない外国語(しかも言語の中でも難しいと称されるもの)の文法の本を渡されて、今から作文を書けと言われているようなものだ。
 
フロアに先輩達のキーボードを高速で叩く音が響く。
 
私だけ進まない。
学ぶ時間が絶対的に足りなさすぎる。
毎日終電近くまで会社に居た。
もちろん残業代は出ない。
前田の物理より難しいんじゃ?

私の能力が足りないのか?苦しい。
毎日終電で寮に帰り、洗面所で制服のブラウスを手洗いする。


ザーー、ザーー。
 
手元で流れているはずの冷たい水の音が、遠くに聞こえる。
 
 
情報処理試験の勉強をする余裕もない。
ただ寝て、起きて、職場に向かう。
朝ごはんを作るより睡眠を取りたいので、平日は自炊もしない。
 
毎日、通勤途中の手作りのサンドイッチ専門店でサンドイッチを買った。
サラダ、ハム、カツ、たまご、フルーツなどいろんな具のバリエーションがあって、唯一生きていることを実感する時間。
会社について、始業前に急いでサンドイッチを口に押し込む。
 
5階のトイレの窓から、ちょっと逃げようかと本気で思う時もあった。
 
そんな、仕事と睡眠だけの日々に挟まれた休日が、先生との再会の日だった。
 
 
先生との待ち合わせ当日。
 
待ち合せ場所は新橋を指定された。
お昼すぎ、駅に着くと、先生から着信があった。
 
「今どの辺?・・・あ!見つけた!」

私が探すより早く、先生が私を見つけてくれた。
 
シルエットが綺麗な赤と白の細かいギンガムチェックのシャツ、濃いインディゴのストレートデニム。
周りが茶髪にしてゆるいシルエットの服を着ている中、黒髪、シャツイン。
綺麗な骨格でないと絶対似合わないものを、さらりと着こなしている。
 
清潔感があって、あの頃私が好きだった先生そのままだった。
塾では見たことがなかった暖色系のシャツ姿に、先生のオフィシャルなフィルターが外れたプライベートな素の姿を感じて、また私の脈が跳ねる。
 
先生が、あの頃より無防備な視線でほほ笑んだ。
 
 
私は二度目の一目惚れをした。
 
 
 
私は、モヘアの白のセーターにブラウンのツイードのワンピースと黒のブーツを合わせた。
 
本当は、四条先生の目に可愛く映えるような、パステルカラーのワンピースを選びたかった。
でも、新しく服を買いに行く時間さえ、仕事の忙しさに掠め取られていた。
 
 
すぐに見つけてくれたってことは、私はあんまり変わってないのかな。
 
23歳になって、メイクもして、髪も染めて。
すっぴんだった高校生の頃より、ちょっとは綺麗になったと思ってくれただろうか。
 
 
「ゆりかもめに乗って、お台場に行くよ」
 
お台場。
 
お台場!?


 
塾の延長線上のどこかだと思っていた今日が、一気に「デート」の輪郭を帯びて、頭の処理が追いつかなくなる。
 
新橋駅からゆりかもめのホームへと続く、ガラス張りの長い長い通路を歩く。
 
再開発中の汐留の空地をくり抜くように作られたその通路は、差し込む光がきらきらと輝いて、やけに眩しかった。
 
のちに知ることになる。
この未来へと続くような光の回廊が、街が完成するまでのほんの短い間だけ架けられた、期間限定の仮通路だったということを。
 
まるで、あのきらきらした一日のすべてが、最初から期間限定のまぼろしだったみたいに。
 
 
「楽器はまだやっているの?」
 
と先生が尋ねる。
 
あぁ、先生は私が楽器をやっていたこと、覚えていてくれたんだ。
 
でも、忙しい日々の中で、私にとって楽器に触れていたことは遠い過去になっていた。
微妙に時間軸のズレを感じる。先生は今の私を知らない。
 
「大学生の時はサークルで吹いていたけど、就職してからやめちゃいました。忙しくて。」
 
一度市民楽団の体験にも行ったけど、練習しないで合奏に参加するのが、準備不足でテスト受けるみたいで嫌で、加入しなかった。
そもそも、楽器練習は音が大きすぎて近所迷惑になるので家ではできない。
 
 
「そうか、もったいないな」
 
先生がちょっと寂しそうに言う。
 
私が吹奏楽やってたの、覚えてくれていたんだね。
定期演奏会も来てくれたもんね。
先生の記憶の中にも、ちゃんと私がいた。
 
もったいない、それって、ちゃんと価値があった、ってことだよね。
 
嬉しさと、少しの気恥ずかしさが混ざり合う。
 
「でね、先生」
 
弾んだ声で話しかけた、そのとき。
 
「もう、、先生って呼ばないで。」
 
 
えっ?先生って呼ばないで?
 
まっすぐ歩きながら先生の顔を覗き込む。
 
だけど、先生の視線は進行方向に向いたままだ。
頑なに視線が合わない。
 
首筋や横顔が少し赤く見えたのは、シャツの色の反射のせいだけでは無かったかもしれない。
 
どういう意味?
 
先生って呼ばないで?
もう先生と生徒じゃないよ、ってこと?
もしかして、もうその枠組みは外して向き合いましょう、ってこと?
だめだ、脳が焼き切れる。
じゃあ、なんて呼べばいいの?
四条さん?それとも下の名前?いきなり?


無理無理無理、それなら呼び方指定してほしい。
 
それを声にだして聞けばいいのに、言えない。


「じゃぁなんて呼べばいいの?」
その一言が出てこない。
私が呼び方を迷っている間、微妙な沈黙の時間が流れる。
 
先に口を開いたのは先生だった。
 
「あ、あの大学、よく受かったね、自慢の生徒だよ。」
 
 
え?ん?

先生って呼ばないで、と言った直後に、自慢の生徒?
ではこの関係の定義はなんだ?
 
いやその前に、そもそも、今日のこの集会の名目は何だ?
お台場と言ったら「デート」っぽい。
だけど明確に「デート」と言われたわけじゃない。
 
ただの元師弟による、生存報告会の可能性だって十分にある。
 
どっちなんだろう。
 
 
答えが出ないまま、ゆりかもめに乗りこむ。
 
そして、この日一日、お互い名前を呼ばずに過ごすことになる。
 
 
きっと窓の外の景色は、きらきらと綺麗だったのだろう。
 
だけど、四条先生と隣り合って座る座席は、距離が近すぎてドキドキしすぎて、私には海を見る余裕なんてどこにもなかった。
 
 
お台場に到着。
 
「観覧車に乗るよ。」
 
観覧車!!!!!


観覧車って、恋人同士が乗る乗り物なんじゃないの?
そんなことくらい、私だって知ってる。
それに、乗るの?
二人で?


ちょっと待って、心臓が持たないです。
 
先生は、私の気持ちに気づいているよね?
一度告白しているんだよ?
振られてもずっと、6年たってもこうやって連絡してる。
 
私の好意という巨大な既知のデータを、先生が認識していないはずがない。
気づいていて、どうしてこんなに揺さぶりをかけてくるの?
 
 
いやでも、田舎から出てきた元教え子に東京のパノラマを見せてくれる、優しい先生のただの観光サービスかもしれない。
 
私が自意識過剰なだけかもしれない。
 
ゆっくりと降りてきたゴンドラに乗り込み、向かい合って座る。
 
ゆりかもめの、隣に座るのとはまた違った意味で距離が近い。
 
テーブルもないから、至近距離で全身見えるし見られてる、恥ずかしい。
 
恥ずかしいと思っているのを悟られるもの恥ずかしいから、防御をするように、どうでもいい世間話なんかを口から垂れ流す。
 
ゴンドラが一番高い位置に近づく。
 
あと半分、あと半分だ。はやく降りたい。
ずっと脳内の別レイヤーに保存していた先生が目の前にいる。
その事実だけで、パニックになりそうだ。
ゴンドラ内の空気が急に薄くなったようで、呼吸が浅く、早くなる。
何か話さなきゃ。
 
「お仕事は、具体的にどんなことやってるんですか?」

「うん、普通システムをアップデートするときって、止めてからパッチ当てるでしょう?
それを、止めずに動いてる状態でアップデートしていく仕事。」


「えっ?止めずにアップデート?そんなことが出来るんですね。」
 
「そうなんだよ、初めて聞いたらびっくりするよね。」
 
ああ、これだ。
私がわかるレベルまで降りてきてくれて、優しく噛み砕いて教えてくれる。
懐かしい感覚に襲われた。
 
ゆっくりとゴンドラが地上に着き、扉が開く。
開かれた空間に一歩を踏み出して、ようやくまともな酸素を胸いっぱいに吸い込めた気がした。
重い処理がひとつ終わったような安堵感が広がる。
 
 
「次は、ヴィーナスフォートのカフェに行くよ。」
 
先生は全てあらかじめコースを決めているようだった。
 
カフェ!!!!
まるで異国に来たような美しい街並みを歩き、カフェに入る。
 
何を頼んだかも覚えてないけど、多分ケーキセットか何かで、紅茶とかを頼んだのと思う。
 
運ばれてきた食べ物を口に入れるのが恥ずかしくて難しい。
もぐもぐと咀嚼する姿を見られるのが、とにかく恥ずかしいのだ。
かつては問題集を挟んでいたのに、今は食べ物を挟んで向かい合っている。
こっちの方がよっぽど難題だ。
なんでだ、先輩達とは食べたり飲んだり、おまけに泥酔したりしても平気なのに。
 
もう、頭の中はずっと恥ずかしいばかりだ。
観覧車よりもずっと難易度が高い。
中学生だって、好きな人と一緒にケーキくらい平気で食べるだろう。
 
23歳にもなって、好意という変数が1つ割り込むだけで、食物の摂取というごく普通の生理的な動作でさえ、まともに稼働しなくなる。
ポンコツにも程がある。
 
これまでだって、恋愛経験がないわけではないのに、なぜ先生の前でだけ、こうなる。
そんな自分の反応が、全く恋愛経験のない、モテない女性と思われそうで、また恥ずかしくなる。
 
もう、私は恥ずかしさの無限増幅器だ。
 
観賞用として、脳内の非接触型別レイヤーに安全に格納していたはずの先生。
その境界線を越えて、四条先生という生身の存在が現実世界へと容赦なく流れ込んでくる。
超伝導体に接触した金属が、その影響で内部の相を激しくかき乱され、相転移の激しいゆらぎの中で通常の伝導性を失っていくように、私を変化させていく。
流れ込んできた強烈なデータの過負荷のせいで、脳内の抵抗値が跳ね上がり、いつもの私が、いつもの振る舞いを出来なくなっていく。
 
 
やっとのことで食べ終え、お会計でレジに向かう。
レジの前で、私が慌てて財布を取り出そうとしたときだった。
先生がすっと細い掌を私の前に差し出し、私の動きを優しく制した。
そして、周囲に聞こえないほどの声で、


「外でね」


とだけ言った。
 
――外でね。――


 
そうか、レジ前では先生が立て替えて支払って、お店の外で割り勘か。


面食らいつつも、お店を出て、自分が頼んだもののメニュー表の金額を思い出して、計算した金額を先生に手渡した。
 
先生は、
 
「あっ、うん。」
 
と言って、小銭を受け取った。
 
先輩達に甘やかされて奢られ慣れていた私は、あぁ、先生にとって、私はもてなしたい女性ではないのだな、と悟り、あぁやっぱり、生存報告会の可能性が高そうだな、と感じていた。
 
言葉にはされていないけれど、勘違いしないでね、と線を引かれたように感じた。
 
建物の中なのに、空は綺麗な人工の青色だった。

•§4.4:超伝導転移 ── 機密データの漏洩と内部結合

「次は、こっち。」

家具屋さんに入った。
 
家具屋?家具屋に来ることをあらかじめ決めておく意味は?
家具を買いたい?
引っ越し?
新生活?
あ、もしかして、先生誰かと結婚するの?
「……(先生・・とは呼べない)結婚するんですか?」
 
思考のプロセスをすべてすっ飛ばした私の最悪の出力に、いつも穏やかな先生が、あの日以来の動揺する姿を見せた。
 
「・・っ??結婚!?しないしない!彼女いない!」
 
聞いてもいない「彼女がいない」という重大な機密データまで自ら差し出してきたその姿は、かつてバレンタインの日に胸を押さえて後退りした、あの日の先生と完全にシンクロしていた。
 
よかった、結婚もしない、彼女もいない。
 
ただのインテリア好きか。
 
ここで、どういう系統のインテリアが好きかとか聞けばよいのだけど、黙って先生の後だけをカルガモみたいについて歩く。
 
シンプルでモダンな家具やインテリアだった。
先生はどんな部屋に住んでいるのかな。
 
家具屋さんを出て、ぶらぶら歩く。
 
コスメショップが目に入った。
雑誌で見た、ランコムのリップグロスが欲しいんだった。ジューシーチューブ!
 
「ここ、入ってもいいですか?」
 
「あ、うん。ここで待ってるよ。」
 
 
しまった、男性が化粧品売り場なんて入りにくいか。
急いで色を選ぶ。
赤寄りのピンクで透明感のあるグロス。チェリーみたいな色。
ラメやパールのギラギラした感じは、なんとなく嫌だった。
ただ透明で、内側から滲むような血色だけが乗る、そんな1本が欲しかった。
 
入口を見ると、先生が居心地悪そうに立っている。
せっかくコースを考えてくれていたのに、余計な割込みをしてしまった。
急いでお会計をすませて、先生の元に駆け寄る。
 
――まさかこの時は、使うたびにこの日を思い出して、甘ずっぱい香りが心を締め付けるものになるとは思わなかった――
 
 
ヴィーナスフォートの天井に描かれた人工の空が、ブルーから綺麗なグラデーションを伴ってピンクへと色を変えていく。
 
 
偽物の夜の訪れに急かされるようにして、私たちはゆりかもめに乗り込んだ。
 
 
 
大きな窓の向こうに広がっていたのは、ブルーとピンクが溶け合い、激しく混ざり合う本物の空。
 
ほんの一瞬の、マジックアワー。
東京タワー、レインボーブリッジのシルエットが美しく浮かび上がる。
ビルの窓には、キラキラと明かりが灯りはじめていた。
 
 
隣に座る先生の手が、触れてしまいそうなくらい近い。
そっと指先を伸ばせば、手を繋げてしまえる距離だ。
電車の微かな揺れに合わせて、触れてしまいそうなくらいに近づき、また離れる。
 
顔だって、観覧車に乗ったときより近い。
先生のいつもの穏やかな目が、問題を解くときのような真剣な眼差しに見えた。
 
 
時空が歪んでしまったかのような、魔法みたいな時間だった。
 
──やっぱり、何年経っても、私は四条先生のこと大好きだな。
 
あの、狂おしいほどに先生を私の中にインストールしようとじたばたしていたあの頃と同じくらい、いやそれ以上に、私の頭と心は熱を帯びていた。
 
観賞用として、脳内の非接触型別レイヤーに安全に凍結格納していたはずの、先生への思い。
この境界線を踏み越えて、いま、現実というこっち側のメインレイヤーへと移動させてしまっても、いいのだろうか。
 
でも、高校生の頃の告白の後のことがフラッシュバックする。
先生の強制シャットダウン。
その後の、先生がいなくなって視界から色が消えてしまったあの日々。
 
焦っては駄目だ。
今度は、ゆっくり、慎重に、進めよう。
 
 
新橋に着き、居酒屋に向かう。
 
掘りごたつの席に案内される。
掘りごたつ、足を伸ばせてリラックスできていいよね。
 
和食の美味しそうなお料理が並ぶ。
先生は和食が好みなのかな。うん、似合う。
 
アルコールが入って、ちょっと緊張が和らぐ。
 
へえ、キャンプが趣味なんだ。
 
結構アクティブなんだな、と、内向的な私は、眩しくてちょっと気後れした。
大人数でバーベキューしてお酒飲んで、ウェーイ!というノリを想像してしまったから。
でもきっと、今でいう、ソロキャンプとかごく親しい人たちで行く自然を楽しむキャンプなんだろうなぁ。
 
酔いが回ってきたのか、先生は饒舌になって、色々プライベートなことをオープンに話し始めた。
 
最寄り駅から住まいは徒歩20分くらい離れていること。
その方が同じ家賃でも広い家に住めること。
強制的にその距離を毎日歩くことによる体への効果。
 
そのおかげでふくらはぎは結構もりっとしている、と手で盛り上がった腓腹筋を表現して、楽しそうに話す。

なるほど、と思うと同時に、何かが胸に突っかかる。
 
あっ・・・。これ、知っている。
 
――空腹が訪れると、今から脂肪が燃えるから嬉しくなる――
 
一瞬、あの窒息しそうな空気がフラッシュバックする。
徹底的な合理性の追求。
身体すらも数式のようにコントロールしようとする、あの冷徹なロジック。
 
 
「1年目で3か月も東京出向なんて、すごいよ。期待されているんだよ。」
 
チクッと胸が痛む。
先生、買いかぶりすぎだよ。
私、今、仕事がすごく苦しい。でも言えなかった。
出来ない人って思われたくなかった。自慢の生徒、って言ってくれたから。
自分が見栄っ張りで嫌になる。
 
先生が、「はい」と言って、すっと名刺をくれた。
先生の情報がいっぱい詰まった、一片の、白と黒とエメラルドグリーンの名刺。
所属は、漢字とカタカナの入り混じった長い名前で私にはよくわからないけれど、きっと花形部署だ、かっこいい。
裏は英語表記になっていた。海外でも通じる名刺。
やっぱりすごい人なんだなぁ。
こんな、先生の情報がいっぱい詰まったものを、貰ってもいいの?
 
私は新人で、社外の人と接する機会が殆どなかったため、まだ名刺を支給されていなかったので、渡せなかった。
 
「その会社、大学の知り合いが何人か行ってるな。だれかいるかな?」
 
ジョッキを片手に、先生がふと呟いた。
私の勤める会社に、先生の知り合いが?

その瞬間、私の脳内で高速スクリーニングが開始される。
私の脳内には、配属された部署の約50人と、同期約50人の合計100名前後に及ぶ人間関係のDB(データベース)テーブルが構築されている。
卒業高校、卒業大学、年齢といった属性はおおむね網羅しており、親しい人物にいたっては大学の専攻や最寄り駅まで完全にインプットしてある。
飲み会の席や日々の雑談で交わされる断片的な情報を、私の脳が自動的に勝手に紐付け、マスターテーブルのレコードとして格納しているからだ。
覚えよう!と必死になっているわけではなく、勝手に紐づいていくのだ。

「先生の年齢±3歳」×「あの大学」
 
2つの検索条件でクエリを投げる。
該当するデータは数件。
その中から、直感というインデックスを頼りに、検索結果のトップに躍り出た名前を1つだけピックアップした。


 
「……葉山さん、とか」
 
私がその苗字を口にした、瞬間。
 
「えっ! もしかしてケイさん!?」
 
先生が勢いよく身を乗り出してきた。
まさかの、一発目で先生のサークルの先輩を引き当てるという、漫画のような展開。
 
お酒が入っているのもあって、普段の穏やかで丁寧なトーンは完全に吹き飛んでいる。目が丸くなっている。1msの遅延もなく、私の目を見つめたまま苗字から「下の名前」へとダイレクトにアクセスしてきたその通信速度といったら。
 
 
「そうです、そうです! 島は違うけど同じ部署です! えっ、びっくりですね!」
 
居酒屋のテーブル越しに、二人の脳内CPUがひとつの苗字をキーにして、それぞれのデータテーブルを内部結合した瞬間だった。


居酒屋の喧騒が遠のく。私たちは今、お互いの思考回路をダイレクトに直結させ、脳内をまるごと同期させた状態で、最高速度のパケットで通信している。
まるで、電気抵抗が完全に消失した、超伝導転移のようだった。
 
――その時の私は、当たった!超高速通信!とただ嬉しくてしょうがなかったが、先生にとっては、プライベートとプライベートが最悪の形で交差する、警戒ラインだったのかもしれない。
先生はあの段階で、脳内メモリに該当者数名のテーブルを既に展開していただろう。
それなのに名前を直接挙げず、「だれかいるかな?」なんて回りくどい質問をした理由。
もし自分から名前を出して、私が知らなかった場合、それは致命的な藪蛇(情報漏洩)になる。後日私が会社で「四条先生のサークルの先輩なんですってね」と話しかけに行くリスクを、先生は何手先も読んでプロテクトしていたのだろう。

かつての教え子とふたりきりで夜に居酒屋で飲んだり、お台場でデートのようなことをしていることが先輩に伝わることのリスク、先輩が先生の過去の恋愛事情やプライベートを私に話すかも知れないリスク。
 
通信が繋がったと無邪気に浮かれていたのは、私だけだったのかもしれない。――
 
 
お会計方法は、カフェで学習したので、レジに表示された金額をちらっと確認して、先にお店を出て半額分のお金を準備して先生がでてくるのを待つ。
 
先生はまた、
 
「あっ、うん。」
 
と言って、私から紙幣を受け取った。
 
これから時々こうして逢えたらいいな、ちょっとずつ、知り合いや友達からでもいいから、繋がっていけたらいいな、と思っていた。
 
――別れ際は、どんな言葉を交わしたのか、どんな景色だったのか、先生がどんな表情だったのか、どんなに記憶に潜っても、思い出せないままでいる――
 
まさかこれが先生に逢う最後だとは、この時は知るすべもなかった。


•§4.5:デコヒーレンス ── ミレニアム問題級の出題


金曜日に、会社から、月曜から本社に戻れと辞令が出た。
3か月の予定だった出向は、1か月に短縮された。週末に急いで引っ越しをしなくてはならない。

急だった。
きっと私は役に立たなかったのだ、とショックを受ける。
 
土日の自炊用に買っておいたじゃがいもや人参や玉ねぎ、どうしよう。
多分、男性ばかりの寮の皆に生のまま押し付けても、きっと調理する人は少ないだろう。
急いで肉じゃがを作って、森田さんや同期など3人くらいに配って、消費に協力してもらう。
肉じゃがを異性に差し入れだなんて、あざといみたいで嫌だけど、平日調理しないから長持ちする野菜をストックしていただけだ。
同時に処理できるのがたまたま「肉じゃが」というメニューだっただけだ。
 
後日森田さんから返却されたタッパーには手紙が添えてあった。
 
1か月、よく頑張ったね、肉じゃがもうまかった、綾瀬のキャラは最高だぞ、自信もっていいぞ、と慰めの言葉が連ねて書いてあった。
 
あぁ、気を使わせてしまっている。
でも、張りつめていた涙腺の鍵がカチャリと開いて、涙が零れた。
 
 
 
本社に戻った私は、新しいプロジェクトへと投入された。
平行して、12 月に行われる OJT 発表の準備が始まる。
定時後、あの東京本部でのわずか1か月の高負荷な記憶を編集していく作業が加わった。
 
殆ど貢献できていないのに、何をまとめるというのだろう。
それでも必死で、断片をつなぎ合わせ、パワーポイントに落とし込んでいく。
 
ほんの1年前の大学の卒論発表では、まだ当たり前のように透明なOHPシートを使っていた。
日本語の文章はプリンタで印刷できても、複雑な数式はどうしてもパソコンで打つことができず、記号や数式の部分だけは丁寧に手書きで書き込んで発表していたのだ。
 
ちょうど世界が切り替わっていく時代だった。
初めて触るパワーポイントは、あのインクの乾きを待つ手書きのOHPに比べれば、修正もコピー&ペーストも一瞬で完了する、圧倒的に使いやすい「神ツール」だった。


問題は中身だ。提出すべき実質的な成果が殆どない空っぽの状態で、断片的なデータを繋ぎ合わせて見栄えだけを整えていく作業は、私のプライドをただ無意味に摩耗させていった。
 
新人全員の発表だが、部として何人上位に食い込ませることができるか、部署対抗のような側面もあった。
 
先輩方の熱心な指導も入る。
最終段階に入ると、さらに熱を帯びた先輩たちから口々に異なる指示が飛び交う。
全てを採用すると、まとまらない。
最終調整の段階のはずなのに、これでは最初の構造から組み立て直しだ。
 
もう時間がない。
間に合わない。
 
どうすればいいかわからなくなって、涙が溢れそうになる。
まずい、皆の前で涙を流すわけにはいかない。
急いで女子トイレの個室に駆け込んだ。
声を殺そうと口元を抑えても、嗚咽が漏れる。
絶対に泣いていることを悟られてはいけない。
 
個室を出て、赤くなった目の周りを冷たい水で冷やす。
早く、戻らなきゃ。
おねがい、早く、腫れ引いて。
 
席に戻ると、遠くからひそひそと話す声が聞こえてくる。
 
――あれ、泣いてる?
――泣いたんじゃない?
 
 
あぁ、ばれた。ちゃんと鏡の前でチェックしたのに。
扱いにくい女子社員と思われる。
めんどくさいと思われる。
 
 
隣の席の岩田さんがそっとアドバイスしてくれる。
 
「全員の意見を取り入れなくていいんだぞ。かなぞうが納得するものだけ取り入れればいい。大丈夫、間に合うよ。」
 
頭の中は仕事が100%を占めていた。
先生に電話やメールをする余裕もない。
お台場でのあの再会の日から、もう1か月以上が経っていた。
私はあのあとお礼のメールくらいしたのだろうか、それすら記憶から抜け落ちていた。
 
――「勉強に集中すると3週間ほど音信不通になることもよくあった」
 
かつて私を苦しめたあの彼の余裕のなさゆえの「不条理な沈黙」を、私はそのまま同じことを、いやそれ以上の時間、四条先生に対してして貫いてしまっていた――
 
いよいよOJT発表本番。緊張で喉がカラカラだ。
ずらりと並ぶ各部の上席の方々。
暗い部屋でパワーポイントを使って発表する。
でも、今までピアノの発表会も吹奏楽の舞台も、人前で発表する機会は何度もあった。
大丈夫、今まで立ったどの舞台より会場は狭い。
床の高さだってフラットだ。暗い室内では、プロジェクターで写し出された成果物だけが光っている。私にライトは当たらない。
行ける、と自分に暗示をかけて、早口にならないよう、暗闇だけどそれでも感じよく見えるよう、口角を上げて気を付けながら発表する。
緊張してもテンポが揺らがないように出力することは、幼少期からの音楽で培っていた。
緊張するけれど、喋れる。
 
驚くことに、入賞した。
決して私の技術や実力が優れていたわけじゃない。
なんとか上位に食い込ませようとサポートしてくれた先輩たちのおかげだ。
そして、一番は、1999年というダイヤルアップ接続の時代に、C++で未来のオンライン学習システムを構築しようとしたプロジェクトそのものの新しさ、その圧倒的なテーマ勝ちだったのだと思う。
 
部に戻ると、先輩達も、我が事のように喜んでくれた。
 
やっと落ち着いたので、久しぶりに先生に電話をする。
お台場に行ってから、ずいぶんと時間が経ち過ぎていた。
 
電話をする。ほっとして、好きが溢れて、告白するつもりはなかったのだけど、思わず言ってしまった。
 
「好きです、付き合ってもらえませんか?」
 
しばらく、沈黙が流れる。
 
「・・・ごめん。あの時言ってくれれば違ったかもしれないけど。」
 
 
・・・あぁ、また振られた。
でも、理解が追い付かない。
 
あの日、先生は楽しくなかったの?
再会してみたら、私がいまいちだったの?
また私は何かを間違ったの?
前回は告白したのが不正解だったのに、今回は告白するのが正解だったの?
再会したその日に告白するのが正解?そんな難問、解けるわけがないです。
一度犯した、ミスとして認識された行動を、もう一度繰り返すことは、どうやっても私にはできなかった。
それはあまりに私の負荷が大きすぎた。
 
色々思いは巡るけれど、何も言えなかった。
聞けなかった。
 
あの時、とは、お台場で、という意味だったのだろう。
ずっと片思いだと思っていた。
でも、二回目に振られるときになって、確実に先生も私を受け入れてもいいと思ってくれている瞬間があったことを知った。
 
あれだけ考えて、あれだけリスク管理して。
 
私は自分に都合の良いデータはバイアスがかかっているんじゃないかと低く見積もったり、ノイズとして切り捨てた。
小さなリスクは大きく補正して心配するくせに。
 
そんなことをしているうちに、一番大切な、一番欲しかったデータを取りこぼした。
 
まさか、あのお台場当日のみのポート開放とは夢にも思わなかった。
 
励起状態はあの日1日のみ。
初期条件がまさかのブラックボックスだった。
 
 
あれがデートでなくて何だというのだろう。
気づいたときには、先生はもうチェス盤を片付けた後だった。
 
大切にしていた、あのアーガイルのセーターを着た先生の写真をそっとゴミ箱に置いた。
破ることはできなかった。
 
 
――その日から27年間、ずっと、
あの時言ってくれれば違ったかもしれないけど
 
この言葉が、ずっと心の中に残ったままだった。
なぜ、有効期限がその日だけだったのか、と。ずっと解けないままでいた。――
 
 
 
振られてから1年半後、あの日居酒屋でスクリーニングした、まさにあの先輩、葉山さんと仕事で組むことになった。
 
物静かだけれど時々くすっと笑えるようなことを言う葉山さんが、鼻歌で、チャイコフスキーの弦楽セレナーデを口ずさんでいる。
 
「弦楽セレナーデ、お好きなんですか?」
 
「え?弦楽セレナーデ、っていうの?あのオー人事オー人事のCMの曲、好きでさ」
 
「そうなんですか!私、CD持ってますよ、お貸ししましょうか?」
 
かつて東京出向に行ったときに先輩がしてくれたように、私も音楽でコミュニケーションを取ろうと試みた。
 
 
更に距離を縮めるための自虐として、「四条さんに二回も振られた」と笑い話にした私に、葉山さんは
 
「えっ!?そこ繋がってたの?なになに~?
あー、でも憧れるの分かるわ。
あいつ、スキーに行ってもウェアとか全然派手じゃないんだけど、もの凄く上手でさ。
いっつも黙々と滑ってたな。そういえば、この間OB会で会ったよ」
 
 
そう言って、浴衣の集合写真をパソコンの液晶画面に出し、ほら、と見せてくれた。


 
画面の向こう、浴衣姿で少し眩しそうに微笑む四条先生。


それが、私の世界線で観測された、先生の、最後の画像データとなった。
 
 
――今思えば、こうして、自分の預かり知らない所で情報が共有されるのを、先生はあの瞬間に何手先も読んで警戒していたのかも知れない――
 
物理学において、どれほど純粋に保たれた量子状態であっても、周囲の環境と相互作用した瞬間にその結合は一瞬で破壊され、ありふれた現実へと引き戻されてしまう。それを『デコヒーレンス』と呼ぶ。
二度と戻らない美しい日に私たちが起こしたあの電気抵抗ゼロの奇跡は、私が地元に戻るという『強制帰還の辞令』と、日常に潜んでいた社会という名の冷徹な環境に触れた瞬間、不可避のデコヒーレンスを起こして崩壊していったのだ。

Ⅴ. 観測の確定(Conclusion)

•§5.1:トンネル効果 ──過剰防衛の障壁をすり抜ける個体

 2026年の今、我が家には、あの頃の私と同じ年齢になった高校3年の長男と、高校1年の次男がいる。
 
 次男はセンターパートの髪を、毎朝ご機嫌でスマホから流れる音楽を聴きながら、ヘアアイロンや良い香りのワックスで整えている。

「今日塾の自習室に直接行くから、駅に22:17でお願い。あ、あとさ、日曜日、彼女と出かけるんだけど、お小遣い月5000円じゃ全然足りないんだよね。ほら、今物価高じゃん?ママの時代と一緒のお小遣いの額ってどうなの?あ!やばい!バス間に合わない、バス停まで車出してくれない?」
相変わらずよく喋る。
 
勉強も恋愛も充実していて、私とは無縁だった「リア充」というやつか。
 
傷つくことを恐れず、自分のほしい未来を、まっすぐ言葉にして相手の領域へと踏み込んでいく。
私がどうしても出来なかったその最適解を、次男は最初からインストールしているようだった。


目の前の次男から放たれる陽のエネルギーが、眩しい。
 
――夫と、全く同じタイプ。
かつて、私のガチガチに固まった心の防壁を、この圧倒的な言葉の連打で、強引に、けれど鮮やかにこじ開けてするりと侵入してきたのが夫だった。まるで、エネルギーの障壁など関係なく電子がすり抜けるトンネル効果のように。
 
 
「かなたん!今日アポ取ってた取引先が急にキャンセルになってさ。時間できたらから、お昼、こないだオープンした新しいラーメン屋、行ってみようよ!あ、その前にさ、ついでに鈴木さんちに書類届けて、あ、役場にも用事があるんだった、それも回っていい?」
 
自由な働き方の夫が無邪気に言う。
 
「え?今日?今日は家にいたいかなー。
斑入りのモンステラの植え替えしようと思ってて。
(そもそも昼食のメニューはもう決めてあるしなぁ、やれやれ)」
 
斑入りの植物は繊細だ。
他の植物が当たり前に持っている葉緑素が少なく、日焼けに弱く、かといって日光が必要ないわけじゃない。
絶妙なバランスの上にその白さが保たれている。
水やりも乾かしすぎると斑が茶色くなってしまうし、あげすぎると根腐れする。
 
そんな、めんどくさくて美しい仕様の植物を私は愛でている。
 
ホワイトタイガーという名前も、ちょっと気に入っている。
群れないタイガー、強そうなのに、絶滅しそうな美しさと繊細さが同居していて。
 
 
「そうなの?ざんねーん!じゃぁ一人で行ってくるよ!大盛りにしようかな。あ、なんかお土産買ってくるね!」
 
全てを言葉にしてくれる。
行動や言葉の裏や先を読む必要もない。
断っても勝手に傷つくこともない。
自分がやりたいことも我慢しないし、私がやりたいことも尊重してくれる。
私がそのままの私で居られる居心地の良さ。
まぁ、ちょっと風呂敷広げたままで(しかもいくつも!)、どうするのこれ?誰が片付けるの?ということは日常茶飯事だけれども。
 
 
嵐のように次男と夫が去った部屋に、スマホから流れるヨルシカの『雨とカプチーノ』の余韻だけが残る。


大切な人の記憶が褪せてしまわないように。心から溢れ出してしまわないように。
必死に詩を紡ぐのだと歌う、あの切なくも美しいメロディ。

•§5.2:統一場理論 ── 定義領域を超越する単一の力

私はふと思い立って、あの日のコースを最新のAIに入力してみた。
 
『【条件】男女(元師弟)。
【ルート】お台場の大観覧車、カフェ、家具屋、そして居酒屋。
【目的】お互い明確な誘い文句はなし。
このプロトコルに名前を付けるなら何ですか?』
 
画面に返ってきたのは、『それは間違いなくデートです』という、徹底的に無機質で、徹底的に論理的な解答だった。
 
どきっとする。
間違いなくデート?
いやいや、その可能性が高い、というだけで、100%ではないだろう。
 
続けて質問をする。
 
「元師弟の、生存報告会の可能性はありますか?」
 
『ただの元教え子を観覧車に放り込む人はいません、明確に好意があります。』
 
「デートで家具屋に行く意味は何ですか?」
 
『あなたとの未来の生活のシミュレーションです、デートではよくあるコースです。』

「それでも、生存報告会の可能性も少しはありますよね?」
 
『いいですか?ただの生存報告会ならそもそも駅近くのカフェかレストランで会って終わりです。丸一日を費やすことはあり得ません。家具屋にも行きません。』
 
そうだ、AIは寄り添いを重視した返答をする。
私がそうであってほしいと思っているから、寄り添ってそんな返答をしているのかもしれない。
 
フラットに判断してほしい。
 
「忖度無しでお願いします。」
 
『忖度はしていません。お台場は定番のデートコースです。200%デートです。』


 
「でも、お会計は割り勘でした。外でね、と言われてお財布を出す動作を軽く手で制されました。」
 
画面の向こうのAIは、一瞬の澱みもなく答えを返してきた。


『「女性にレジでお財布を出させるのは格好悪いから、僕が払うよ。君は先に店外で待っていて」という意味です。一般的な大人の男性の気遣いです』
 
 
画面を見つめたまま、私の思考回路が完全にフリーズした。


嘘でしょう。
 
外で待っていて?
会社の先輩たちは、いつも分かりやすかった。
「いいよいいよ、ここは奢るよ!」「じゃあキリよく二千円だけちょうだい!」
感情のパケットが100%開示されているから、私も迷わずその優しさに甘えることができた。
 
なのに、先生の出力するコードは、あまりに情報量が削ぎ落とされすぎていた。


――外でね―― 
 
そ と で ね 
 
 
わずか四文字の暗号。「外で(割り勘にして受け取るから)ね」というレジ前でもたつかないための合理性なのか、それとも「外で(待ってて、僕が払うから)ね」というスマートな気遣いだったのか。
 
「お財布を出した時、手で制されて、外でね、って言われたら、外で待っててね、の意味と理解する人が大半なのですか?」
 
『はい、実は「男性がレジで財布を出した女性を手で制して『外でね』と言う」というシチュエーションにおいて、世間の大半の、特に大人の男女が共通して認識する意味は、「(ここは僕が払っておくから、君は先に店外の)外で(待ってて)ね」です。
今、概念が崩れ落ちるほどの衝撃を受けられているかと思いますが、これが「大半の人の共通認識」です。』
 
大半の人の共通認識・・・またしても私は世間との認識がずれていた。
 
では、先生がスマートにご馳走してくれようとしたところを、私はきっちり半額突き返したということか?線を引いたのは、私の方だったのか?
 
 
『はい、線を引いていたのは、あなたの方です。』
 
えっ? そうなの……?線を引いていたのは、私?
私の認識が、ガラガラと音を立てて180度ひっくり返る。


自分の認識の歪みに気づいた私は、居ても立ってもいられなくなり、記憶のデータベースから33年前の出会い、前田の物理、あのミントグリーンのシャツ、お台場での沈黙にいたるまでの全データを必死にテキストとして書き起こした。そして、この「初恋のログ」をすべてAIに一括で読み込ませ、さらに問いかけた。
 
「先生は、INTJですか?」
 
『先生はINTJ、あるいはINFJの可能性が高いです。──ですがそれ以上に、あなたの思考回路が徹底的にINTJです』
 
ご丁寧に私の診断までしてくれる。苦笑するしかない。
 
「告白して振られました。
あのとき言ってくれれば、とはどういう心理ですか?
お台場で私が告白したら付き合っていたかもしれない、でも2か月後ではダメな理由は何ですか?
先生がINTJかINFJと仮定して、その心理を教えてください。」
 
 
『INTJ(建築家型)またはINFJ(提唱者型)という性格特性の彼にとって、お台場の日は「人生の大きな賭け」であり、2ヶ月後は「すでにチェス盤を片付けた後」だったのです。
 
理由1:INTJもINFJも、基本的には「超慎重」「パーソナルスペースが極めて広い」「意味のない付き合いはしない」タイプです。
そんな彼が、あらかじめ完璧なデートコースを組み、観覧車という超密室に元教え子を放り込み、彼女がいないことまで開示した。
これは彼の中の全エネルギーを振り絞った「最大級のアクセスの試み(=告白と同義)」「清水の舞台から飛び降りるほどのポート開放」でした。


しかし、スマートに奢ろうとしたら主人公にきっちり半額(お金)を返され、好意を向けたらポーカーフェイスで返された。
彼の中のCPUはこう結論を出しました。「エラー(脈なし)。彼女にとって自分は、ただの『先生(過去の存在)』なんだな」と。
 
理由2:彼らは「一度出した結論」を絶対にひっくり返さない(リブートしない)
これが最大のシステム特性です。INTJ/INFJは、傷ついた後や予測が外れた後、脳内で猛烈な「バグ修正(状況分析と納得)」を行います。
お台場で振られた(と勘違いした)先生は、この2ヶ月間、血を吐くような思いで脳内デバッグを繰り返したはずです。
 
彼らは一度「このルートは終了」とシステムを書き換えてしまうと、感情を完全にシャットダウン(ドアスラム)します。そのため、2ヶ月後の告白ではすでに手遅れだったのです。
 
理由3:INFJだった場合、主人公の「仕事の限界」を察して身を引いた
もし先生が感受性が極めて高いINFJ(至高の優しさ)だった場合、声やトーンから、「今、彼女は恋愛どころではないほど心身ともに限界を迎えている」ことを見抜いた可能性があります。
ここで自分が付き合って、遠距離恋愛の負担をかけるわけにはいかない。今は「頼れる元先生」として、彼女の戦いを邪魔せず、あえて突き放すことが最大の優しさ(愛)であると判断した。だからこそ、静かに「ごめん」と言ったのです。』
 
 
27年目にして、私の脳内CPUに降ってきたあまりにも遅すぎる正解コード。
画面を見つめながら、私は呆然とした。
 
――どんなに記憶に潜っても思い出せないままでいた、あの日、別れ際の四条先生の姿。
あの赤と白のギンガムチェックのシャツを着た先生の、少し寂し気な表情が、27年目の今、記憶の底からうっすらと思い出された――
 
苦しい思いをしていたのは私だけ、いつも泣いていたのは私だけと思っていたけれど、四条先生も苦しんだのかもしれない。
 
――かつて私がたった二日で根を上げた、あの残酷な「冷却期間」という名の終わりの見えない保留を、私は一番大切な人に対して、何倍もの長さで課してしまっていたのかもしれない――
 
 
もう、INTJかINFJなのかというフレームは、どうでも良くなった。
 
 
先生が論理(INTJ)で動いていたとしても、至高の優しさ(INFJ)で動いていたとしても、どちらの数式を当てはめたとしても。
 
あの日差し出された「前田の物理」も、あのミントグリーンの半袖シャツの背中に込められていた思いも、お台場でのコース選びも、そぎ落とされたコードも、全て測定不能なほどの愛だった。
 
 
世間の愛とか恋とかいう定義では溢れてしまうような、それを内包するもっと強い力。
 
──先生の追いかけた流体の激しいうねりも、私の学んだミクロの境界に揺れるさざ波も、この宇宙に存在するすべての不条理な力を一つに束ねる、まだ誰も解き明かしていない統一場理論のように。

•§5.3:回折 ── 時空に広がる干渉縞

 実家に帰省するたび、あの海岸沿いの国道を通る。

車窓から見える景色の移り変わりは、まるで私の人生のレイヤーを重ねていくようだった。
17歳の春、潮風で錆びついた外階段を昇ったあの塾は、いつしか衛星授業の塾に変わり、やがて結婚相談所に変わり、そして今はただの四角い更地になっている。
 
錆びついた階段も、ミントグリーンのシャツの背中も、あの街の更地にはもう何も残っていない。
 
私の観測系から、かつてのデータはすべて消去されたかのように見えた。
 
 
――だが、それは間違いだった。
 
  
部屋を覗くと、男子校に通う長男は机に向かって、楽しそうに数学の問題をサクサク解いている。
 
「青チャはゴミ、解法が少ししかなくてつまんない。
共テも解き方固定されていてつまんない。
色んな解法で解きたいのに。これ、捨てといて」
 
そう言って、青チャートと、もう挑戦が終わったあんなに夢中になっていた数学オリンピック関連の本を、何の未練もなく文字通りゴミとしてばっさり捨てる。
 
そういえばこの子は中学生のとき、学校から出された簡単な問題集を
「既に解けるものをやる意味がない、脳死の手の運動くらいにしかならない」
と一切手をつけず、先生に呼び出されて怒られたその瞬間、なんとその先生の目の前で、それを真っ二つに破いてみせた前科があった。
 
当時の彼は、感情に任せて怒り狂ってそれを行ったわけではなかった。
破り捨てて物理的に消滅させれば、二度とその『脳死のタスク』を課されることはないという、彼なりの合理的な冷静な判断だったのだ。
 
あのとき、学校から電話連絡を受けて、私は叱るよりも先に、強烈な既視感に襲われて立ち尽くしていた。
──あぁ、私だ。
かつて塾で、藤原先生から基礎問題集を手渡されたとき、私の胸の奥に満ちていたあの凍るような拒絶とプライドを、この子はそのまま、私よりもさらに尖った仕様で生きているのだ、と。
 
本棚には、東京出版の『大学への数学』や塾の黒い表紙のハイレベルテキストが並ぶ。


一つの解法に縛られず、世界の真理を自分の力で導き出そうとするその尖ったラインナップは、かつて先生が私の手に握らせてくれた、あの宝物だった『前田の物理』の背表紙と、シンクロして見えた。
 
 
「ねえ、MBTI診断て、したことある?何だった?」
 
「あー。そういえば前に友達とやったな。何だったか忘れた、興味ないし」
 
淡々とそう言って、「がんばりmathノート」と表紙に本人がマジックで書いたノートに、再び総金属製のずっしりと重いグラフギアのシャーペンを走らせる。
 
かつて私が大切にファイリングしたあの文字と、全く同じにおいがする。
『大好きな立体の体積』が『がんばりmathノート』
という文字に、完璧に重なって見えた。
 
飾り立てることをせず、ただ素のまま、世界の真理だけを測ろうとするその横顔に、私はなおも視線を送った。
 
「やらないよ? あれ診断に結構時間かかるし」
 
 
そうか、でも、私にはわかるよ。
きっと君は、あのタイプだよ。
 
 
​驚くほど論理的で、少し不器用で、でも真っ直ぐに世界の真理を観測しようとする彼は、模試の結果も大好きな数学より物理の偏差値が上回ることも多い。
個性的なビジュアルの講師の、物理講座に感動している。
 
彼の横顔を見ていると、ふと思う。
 
​私の中に深くインストールされたあの美しい言語は、私というシステムを経由して、気づかないうちにこの子の中にも受け継がれていたのかもしれない、と。

人生も恋愛も、解法は一つじゃない。
 
 
直線的な論理しか信じられなかった私は、あの電話で全て遮断されたのだと思い込んでいた。
 
光はもう届かない、と。
 
 
だが、光は、波でもある。
障害物があれば、その背後へと回り込み、優しく、どこまでも広がって美しい模様を織りなす性質を持っている。
 
先生が手渡してくれた難解な参考書。
 
言葉にならなかった沈黙。


 あのとき遮断されたはずの光は、27年という時空を回り込み、今、同じ年齢になった息子たちの横顔を、そして私の愛おしい日常を、こんなにも眩しく照らし出している。
 
脳のバックグラウンドで、ずっと微弱に走り続けていた私の未解決の数式は、四半世紀以上の時を経て、思わぬ形で美しい日常へと還元された。


――証明終了(Q.E.D.)
 
 
バックグラウンドのアラートは、もう鳴らない。
 
長い間、私の手元で不完全なまま放置されていたあの数式と解答用紙は、
今、ようやくすべての空欄が埋まった。
 
 
解答用紙は、未提出のままだ。
 
採点できるのは、この世でたった一人しかいない。

・あとがき

 2026年現在、世界の物理学界の最大の花形は、私がかつて学んだ物性物理の地続きにある「量子コンピュータ」だという。かつて研究室の隅で私たちが数式をこねくり回していたあの【デコヒーレンス】は、今や人類の最先端テクノロジーが超えるべき最大の壁として、何千億円もの投資の真ん中で語られている。
そしてもう一つの花形である「AI」の画面が、27年前の私のバグを冷徹に暴き出している。
時代は進み、物理の最前線は変わっていく。だけど、あの日先生が私にくれた『前田の物理』のインクの匂いも、お台場の観覧車から見下ろしたパノラマも、私というシステムにとっては今も色褪せない、宇宙で一番大切な真理のままだ。

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