【エッセイ】やるせなさに居場所を、代物には意義を。
ここにいる。ここで生きている。
自分にそう言い聞かせるためには、他人からそれなりに奪うしかないのかもしれない。
発信源がどこかは覚えていないが、「第三者が専業主婦(主夫)になることを咎める権利はないが、選んだ当人は家の全てを掌握するつもりでパートナーに尽くせ」という趣旨の発言が頭に残っている。
常に価値を保てる金銭面の全てをパートナーに委ねるのだから、絶対の基準がなく曖昧で不安定な「家庭への奉仕」でそれに応えることができなければ、頼みの綱は切れてしまい、自身の生活どころか存在意義さえ危機に陥ってしまう。
同意というよりも、否定のしようがないなと感じる。
形は違えども、私が周りから「奪っている」状態が成立しつつあるからだ。
ビジョンを描けないから、手を付けるのが怖くなる。
正解と成功がよく分からないから、言葉を紡ぐのを拒みたくなる。
成績としての勉強、よりよい文章の追及が頭の内をかき混ぜてしばらく経ったある時、私の目にはどちらも等しく鮮やかさを失いはじめていた。
いくら知見を深めた年上の人であっても批判と愚痴が入り混じった言葉を淡々と吐く。
インターネットには年々ノイズが大きく、そして蓄積されていっているように感じる。
言論の自由を恨みたくなった。
別に私に権利がなくてもいいから、その分だけ必要な人間に権利を集約させてしまえばいい。
そんな叶うはずもない憲法改正案を机上に並べてみたりもした。
少なくとも、そんな空想に浸っているだけの子供が、まともさとロジカルさを心地よい塩梅で混ぜ込んだ言葉を発せるはずもない。
そう決めつけて、口をまち針で留めておいた。
黙っていたところで、その時間を有効活用できたわけではない。
それでも、変わりなく生活することを許されていた。
衣食住の保障された上で、自由に使えるお金も上限はあるが渡してくれる。
「やることはやりつつも、趣味にはお金を惜しまない」スタンスの友達に囲まれる中、数百円の買い物ですら悩む自分は彼らとの感覚の差を感じることがよくある。
無駄遣いはしないが、お金を使い満足感を得ても、どこかに穴が開いているせいか、数日後には漠然と何かが欲しい気がしてならない。
通院費などは、申請をすれば払った分は返ってくる。
大金というほどではないものの、突然病状が悪化して通院回数が増え、その度何らかの検査となると、費用と心労は募っていく。
感謝が第一に来るべきなのに、後ろめたく感じる原因を作っては、お手玉のように止めたらただ惨めに地に付かないよう目につく範囲で宙に舞わせていた。
そして、或る日から、家の掃除や整理整頓を徹底的に行うようになった。
身支度を済ませてから、家中掃除機をかけて回り、カーペットはローラーでホコリ取りはマスト。
午前と夕方の1日2回、机上にあるものの片付け。
定期的な換気。
棚はものが追加されるたびに整頓。
……というように、三大家事のうちの「掃除」をどんどん掌握し、家の中を私流に染め上げていった。
さらには夕食の準備を手伝う、もしくは一通りやってしまうことも増えるように。
埋まらない空虚が、「料理」にも手を出し、浸食していった。
やるべきこと、またはやりたいことに濁りが生まれ、負の感情が渦巻いて群れを成した。
他人に本来差し出すはずだった自分の存在意義の代わりを、目に見える貢献で示そうとしている。
このような状態に陥っている。
そして、差し出す代物は人の得意や習性が強く反映されるのだろう。
差し出す側はカバンの中を漁り、ありったけを与えて満足してもらうしかないのだから。
私は部屋の中だろうが文章だろうが、感じる全てのものが整っていてほしい。
だから掃除や整頓を好むし、それなりに得意である。
こうして、衣食住以上の保障に対する申し訳なさを、「掃除」やその他のタスクを家族から奪い、貢献として差し出すことで少なくとも自分の心の安寧を保とうとしていたのだろう。
最も恐れているのは、「目に見える貢献」すら出来なくなること。
私の場合、代わりを用意しなくていい状態に持っていくことよりも、まずは「後ろめたい」「申し訳ない」といった負の感情をどうにかしたいと思っている。
つまり、「目に見える貢献」を直接家に還元する必要はないということだ。
自分の「得意や習性」を反映しやすく、ある程度の強制力と一定の対価を得られれば良い。
一番身近で手っ取り早いのが、アルバイトをすることだった。
ということで、夏の終わりからアルバイトを始めることにした。
今でも小さなミスをすることはあるが、概ね問題なくお店の小さな歯車として回ることができている。
就いたのは接客業。
正直、接客は苦手だが、清掃や事務でも最低限のコミュニケーションとは切っても切り離せない。
せっかくやるのなら、今後経験として身につく、刺激を得られるものの方がいいだろう。
そう思い、何度か利用したことがあり、ある程度信頼の置ける企業に応募したところ、アルバイト経験がないのにもかかわらず、すんなりと採用してもらえた。
単に自分の少し変わった生活習慣と、企業側が求めている人材が合っていたのが決め手であったのかもしれない。
そこからおよそ1か月の間、店長をはじめとしたスタッフの指導の元、一通り業務内容を学んで、それを実践。
はじめの間は、かなり緊張していた。
役割がちっぽけとはいえど、金銭を得るに等しい責任を被る勇気がない。
高校卒業後からは限られた人としか関わりがないため、所詮「客と店員」「上司と部下」とはいえど、差支えのない対応ができる能力もない。
研修後半からは、雑用は全てのタスクをスムーズに漏れをなくせるよう順番を組み替えて行い、接客はとにかく試行回数を積むことで無理やり慣れさせた。
最低限の業務が済み余裕ができた際は、「自分が利用したいと思える」よう、気になる所の掃除や整頓を行うようにしている。
どうやら「私流に染め上げたい」気持ちは家事から業務となっても変わらないようで、規則を守った上で自分が都合良く動けるよう、余裕があるときは手を止めずに自分の気になった所を、忙しいときは役割分担で得意な方を進んでやってしまう、というように役目をさらっと奪ってやっている。
日頃の行いは表向きは良いためか、特に注意を喰らうこともない。
シフト表の偏りを眺めて、たかがアルバイトの人間に委ねすぎでは……? と頭の中で上司からの視線が信頼なのか利用なのか疑問が漂うこともあるけれど、悪くない関係を築けているとは思う。
アルバイトを始めてからは、家の掃除は必要最低限のみ。
余裕があっても、これまでほどはやらなくなった。
働いた分お金が入り、ある程度まで溜まったところで、「趣味と病院代は自分で負担するから、もういいよ」と言うことができた。
今、こうして文章を書くことに少し目を向けられるくらいには、やるせなさはどこかへ昇華してくれた。
人は形は何であれ、システムの核になる、もしくは既に整えられたシステムをハックして、自分の存在を認識しようとしているのだろう。
たとえ本意によるものでも、代物であっても。
宿主に少しでも「貢献」ができるのなら、まずはその現状を優しく噛みしめれられればと思う。
これまでとこれからで積み上げてしまう「奪う」には不相応かもしれないが、人に「あげる」ことにも、少しずつ目を向けていきたい。
投稿:2026.2.14


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