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#16 編集が日々を面白く過ごすヒント(はじめの一歩)

編集という言葉が自分に身近に感じられる存在になり、自分のことを編集者と名乗ってみようと思う日が来るとは、学生のころには全く想像していなかった。

ここでいう編集は、松岡正剛さんがはじめた編集工学で言われている編集のイメージで、テキストや映像の技術的な編集というよりは、もっと思考のプロセスやその型に重心がある。

https://es.isis.ne.jp/outline/whatsabout/

編集工学では、何かのINPUTがあり、何かがOUTPUTされるとき、その間で行われることについて、すべてを編集だといっていると考えて差し支えないと思う。
編集せずに生きていることはない。

それくらいに自然な行為であるから、通常は特に意識されずに行われている。
これを工学的に取り出して、検証して扱えるようにしているのが編集工学が面白く、興味深いと思った点だ。
通常、無意識に行われている脳内の思考の動きをつぶさに方法論として取り出していることにまず驚きなのだが、さらにそれを習熟していくようなトレーニングプログラムにしているのが、とてつもないなと感じる。

これまで編集工学、ISIS編集学校に関連して、目を通した書籍は以下のようなものだ。

これらの書籍を一言でまとめることはもちろんできないし、特に松岡正剛さんの書籍は非常に広範な領域の話題がでてきて、圧倒されてしまう。

それでも自分が関心のある、毎日を面白くするヒントは詰まっているようなことが、そこかしこから感じられた。

良いことも悪いことも、自身の内面でどう意味づけていくかだし、他者に向けてストーリーを語るときも、もちろん記事や動画といったメディア形態のコンテンツや作品を作る場合にも、編集プロセスは働いている。

これらをうまく扱えること、つまり編集に関して熟達することは、自らの世界を面白くするためのヒントであり、これらについて書かれた記述は、技法集であるように思えている(この点はまた詳細を書いてみたい)。

いまはISIS編集学校のコースを受講してみているところだ。守コースを終えて、破コースを落第ギリギリのラインで走っている最中。
稽古しているのに「こんな文章か?」と思われてしまうと学校に申し訳ないのだが、ここはほとんど思いつくままに書いていて、じっくり推敲はしていないのだ、という言い訳をしておく。

コースの中で伝えられていることや取り組んでいることが血肉になるには、まだまだ程遠い体感ではいるのだが、自分なりに解釈し位置づけてみたりして、"良い誤読" をしていけると良いかな、と考えている。

※誤読のニュアンスはこちら

自分の中では編集と探究はとても近いものだと捉えているし、編集によってアウトプットがされるわけなので、創造性の領域とも重なりが大きいはずだ。そのあたりが現在の自分の関心領域の中心にあるのだろう。

少し加えると、ジョブクラフティングは編集することそのものをいっているように聞こえるし、行為そのものに没頭するフロー、自己決定や主体性、アウトプットを振り返るリフレクション(内省)、アウトプットが他者の知となり循環する知識創造・ナレッジマネジメント、他者とどのようなインタラクションがあることで共同的になるのか・共同体で知はどのようにコモンズとして適切に扱えるか、などなど書ききれないくらいの興味はある。

松岡正剛「知の編集術」講談社現代新書

ひと言で表現してみるとするならば、
「おもしろきこともなき世をおもしろく」
の積極的な技が編集工学だと思っているという感じだろうか。


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