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小説『影を投ぐ』

【あらすじ】
あの日、一人の女子高生が姿を消した。

女は、30歳を迎える前に人生を終えることを決めていた。
誕生日前日、最期の場所と決めていた公園へと向かう。
しかし、そこでは見知らぬ少女が首を吊っていた。
そして女は、その遺体を持ち帰る。

遺体を失った少女の自殺は単なる失踪となり、 帰りを待つ家族、焦慮する恋人、取り乱す親友は、思い思いに少女の影を投げかける。
死ねなかった女は、死ねた少女のそばで静かに狂っていく。

死の間際に思い出す、ひとつの可能性。
少女は今も恐怖の中に在り続けている。



第1話


目が覚める。


眠い。

まだ重い体で寝返りをうつ。



何かの夢を見ていたような気がする。
どんな夢だったかは、もう思い出せない。

枕元のスマホを手に取る。


3月20日 10:42。



今日だ。
今日が来た。

喉から胸にかけて、一瞬で冷たくなる。


今日だけはアラームをかけなかった。
寝過ごしてしまうかもしれないと思ったが、午前中には起きられてよかった。


ベッドから足を下ろす。

床は少し冷たい。
立ち上がり、カーテンを開ける。

降り注ぐ日光の眩しさから、春の陽気を体に取り込む。
目を瞑り、深呼吸をして気持ちを整える。


よし。今日を始めよう。


食事の用意。

ローテーブルに、プラスチック皿に乗せた食パン一切れと缶コーヒーを並べる。
バターもジャムもなし。


これでいい。
卑屈なほどの味気なさが、何とも私らしくて安心する。


テレビもない部屋で、パンをちぎって口に運び、缶コーヒーを啜る。
とても穏やかな時間。

時おり外から聞こえる車の走る音が、今日も世界は何事もなく回っていることを教えてくれる。


パンの最後の一片をコーヒーで流し込む。

この食事で丁度なくなるように、きちんと計算して食べてきた。その最後の一口までぴったりだったことに、不思議な満足感を覚えて少し笑えた。



食パンの袋とコーヒーの缶とプラスチック皿をまとめてゴミ袋に放り込む。

そのままゴミ袋を手に立ち上がり、掃除を始める。
と言っても、捨てられるものはもうあまり残ってない。

部屋をぐるりと見渡し、ふとクローゼットが目に留まる。

服も捨てなきゃ。
気に入っていたブラウスも、もう。


そこまで考えて、やめた。
少しでも心が苦しくなることは、もうしなくていい。

半分も入っていないごみ袋の口を縛って、足元に置く。


今日は一体どんな日になるんだろうと期待と不安を募らせていたが、いざ迎えてみれば今更できることはあまりない。

それだけ今日まで満足に過ごしてきたんだ、と自分に言い聞かせる。


とりあえずベッドに腰をかけて気付く。
そうだ、これもか。

薄手の掛け布団は大きめのごみ袋に詰められるとして、マットレスはたしか粗大ごみとして専用の収集に出さなきゃいけないんだっけ?


さすがに面倒に感じた。諦めよう。
申し訳ないが、このままにしておく。


結局、すべてが計画的に片付くことはなく、なんとも中途半端な形で終わりそうだ。
それもまた、私らしいのかもしれない。


まったく、最後の最後まで都合のいいことばかり考えている。
いや、最後なんだから、これくらいはいいんじゃない?


まるで誰も住んでなかったかのような部屋にして去るのもかっこいいかも、なんて考えていたのだけど。
もうこれ以上は頑張らなくていいや。


せっかく起こした体を、またベッドに投げ出す。
しかし、二度寝する気分にはなれない。


天井を眺めていてふと気付く。

この部屋、あそこの角ってあんな形になってたんだ。
こんな身近にも知らないことってまだあったんだな。

おそらく部屋のデザインなんだろうけど、6年も住んでいたのに一度も目にすることがなかったあのデザインに、はたして意味はあったのだろうか。


意味なんて、あってもなくてもいいか。
少なくとも私には、私にわかる意味さえあれば十分だ。



そのために、今日まで生きてこれたんだから。



気がついた時には、すでに息苦しさの中にいた。

いじめられたわけじゃないけど、特に誰とも仲良くなれなかった学生時代。
友達なんて別に居なくてもいい、と思っていたのは強がりや嘘じゃない。

だけど、心の裏側で「別に居なくてもいい」は、どこにも溶け込めない自分自身に刺さっていた。


誰にも何にも固執せず、そして誰からも執着されない人生だった。

障害もなければ、原動力もない。
ただ生まれたから生きてるだけ。

生きる意味なんて無いのが当たり前。
その空虚な諦めが、自分をなんとか保ってくれていた。


そんな日々の中で、じわじわと私の内側を侵食していた”願望”。
ふとした拍子に全てを終わらせてしまいたくなる衝動に、いつしか体の奥がざわつくようになった。


しかし、私の生来の大人しさはこんなところでも発揮するのか、決して突発的な行動を起こすことはなかった。

その代わりに、7年前に決めた。
30歳の誕生日を迎える前に死ぬこと。


そう決めてからは、日々の景色が一回り鮮やかに見えるようになった。
それが私の人生で初めて、そして唯一、自分で決めた大きな目標だったからかもしれない。
その目標が死ぬことなのは、人に聞かせられる笑い話にもならないけれど。




そんなことを考えているうちに、いつの間にか私の瞼は閉じていた。


くそ。
つい微睡んでしまった。

今日はできるだけ大事に過ごしたかったのにな。



窓の外を見ると、少しだけオレンジがかっていた。
夕焼けに染まる街を見てたそがれる。
最後まで思った通りにいかないや。


スマホの画面をつけようと手を伸ばしたが、やめた。

もう何時でもいい。
そろそろ出よう。


体を起こして、浴室に向かう。
誰に見せるわけでもないけど、綺麗にはしておきたい。


脱衣所で部屋着を脱ぐ。
浴室に入りシャワーを浴びる。

生活の中の当たり前だった行為に一々「最後の」を感じて、少しだけ切なくなる。
意識し過ぎないようにはしているけど、仕方ない。人として当然の感情だ。

シャワーを止めて、浴室を出る。
バスタオルで体を拭き、ドライヤーで髪を乾かす。
裸のまま部屋に戻り、下着をつけ服を着る。


いつも通りの工程。
まるでこれから出勤するかのようだ。


もちろん今日のために仕事はきちんと辞めた。
先週末の最後の出勤を終えてからは、あまり家から出ていなかった。

久々に身支度を整える感覚に生活感を思い出して引きずられそうになる。

深く息を吐きだし、気持ちを切り替える。
ここまできて、そんなことはないとは思うけれど、万が一にも決意が揺らがないように。
もうできるだけ何も考えずに、さっさと家を出てしまおう。


メイクをしなくていいのは、楽でいいや。



ロープと足場用の折りたたみ椅子を入れたバッグとごみ袋を手に持ち、玄関に向かう。

ふと振り返ると、そこはまるで知らない誰かの部屋のように思えた。

中途半端ながらも片付けられた様子が見慣れなかったからか。
それとも、もう帰ることのない部屋だからか。
自分でもよくわからなかった。

ただ、なんとなく安心した。


ごみ収集場にごみ出しを済ませて、目的地を目指す。


空にはまだ夕方の色が残っていた。
夜になるまで少し時間があるので、まっすぐ向かわずに寄り道をしてみる。


いつもと何も変わらないはずの風景が、どこか違って見える。

あんなところに梅の木があったんだ。
通勤でよく通っていた道なのに、今初めて知った。

ああ、春の夕方の匂いがする。
少しだけ湿っていて、でも爽やかな空気。


不思議と私の心は子供のように弾んでいた。
もしかすると、体が私を引き留めようとしているのかもしれない。

「こんなに素敵な感情をまだ持っているよ」と。

そう考えると、なんだか申し訳ない気持ちになった。


最後の場所は、ずっと前から決めていた。

家の近くにある、さくら公園。
ベンチに座って見る景色が特にお気に入りだ。

いつも人通りが少なくて、静かで誰にも邪魔されない。
特に夜の時間帯は、滅多に人が通らない。
死に場所が選べるのなら、あそこがいい。



人生最後の寄り道を終え、ついに公園の前まで来てしまった。

ああ。

もう終わるんだ。

新作ゲームを早くプレイしたい子供のように急いてしまう。
思わず足先が絡まり、転びそうになる。


もうすぐ私は、この公園の景色の一部になる。
想像に胸を膨らませて、目星を付けていた場所へと向かった。



人生の最期を考えた時に、自然と頭に浮かんだ桜の木。

あの場所で。

やっと、私は。





その木の前に立った時、世界の音が止んだ気がした。



無音の世界で、私はしばらくただ立ち尽くすしかなかった。



柔らかい春風に、枝は軋み、影が揺れる。




そこには、既に私がいた。


第2話


3月20日 20:35
谷川家のリビング。
冷めた夕食が並ぶ食卓。誰も座っていない。

母、信子は室内を落ち着きなく歩き回りながら、携帯電話を頻りに操作している。

画面に通知が表示される。
信子は慌てて通知をタップして、メッセージを開く。

『聞いてみたけど、知らないみたい。大丈夫?』

画面に表示された文字を見て、小さく息を吸う。
冷たい指先で返信を打つ。

『ありがとう。ご心配おかけしてしまいすみません。無事がわかれば改めてご連絡します。』

メッセージを送信し、携帯電話をポケットにしまう。
深くため息をつきながら、ソファに腰を下ろす。

二階から階段を降りてくる足音。
次女の泉美が、信子に声をかける。

「お母さん。連絡あった?」
「ううん、泉美にも?」
「ない。既読もつかない」
「そう」

しばしの沈黙。

切り出すように泉美が口を開く。

「何もないよね?」
「え?」
「お姉ちゃん。何かあったとかさ、ないよね?」
「そんな、ないわよ。大丈夫」
「うん、だよね」
「梓彩は普通の子だし、しっかりしてるから。すぐ帰ってくるわよ」
「うん」

泉美が自室へ戻ろうと階段を上がりかけた時、玄関からドアが開く音が聞こえた。
二人は玄関に視線を向ける。

「ただいま」

帰ってきたのは父、雄二だった。

「はぁ」

ため息をつきながら二階へ上がっていく泉美。
信子は雄二を出迎える。

「おかえりなさい」
「ただいま、どうしたんだ?」
「メールしたでしょ、梓彩が帰ってきてないって」
「ああ。え、まだなのか?」
「そう、連絡も取れないの」
「もう8時半じゃないか」
「だから心配してるんじゃない」

信子の話を聞きながら、雄二はリビングに鞄を置き、上着を脱ぐ。
そのまま食卓について、茶碗と箸に手を伸ばす。

信子は雄二の対面に座り、話を続ける。

「ねえ、梓彩大丈夫かしら」
「女子高生なんだし、これくらいの時間まで遊ぶのも普通じゃないか?」
「でも、今までこんなことなかったじゃない」
「何も聞いてないのか?用事で遅くなるとか」
「だから聞いてたらこんな心配してないってば!」
「そんな怒るなよ」
「あなた、なんでそんなに落ち着いてるの?」
「いや、心配だよ。でもここで慌てても仕方ないよ。じきに帰ってくるさ」

信子は携帯電話を取り出して、画面を確認する。
新着メッセージの通知はない。

「同級生の子の親御さんにも連絡してみてるんだけどね、誰も知らないみたい」
「え?聞いて回ってるのか?」
「何?」
「いや、まだそんなに話を大事にしない方がいいんじゃないか」

「なんで?」

いつの間にか自室から降りてきていた泉美が、リビングの入口から雄二に問う。

「ねえ、なんで?お姉ちゃんが帰ってこないの、大事にしない方がなんでいいの?」
「泉美、あのな」
「意味わかんない。娘がいなくなるの、大事じゃないんだ」
「そんなこと、言ってないだろ」

雄二が語気を強める。

「てかさ」
「なんだ?」
「よくご飯食べれるね」
「……」

足早に玄関に向かう泉美。
信子が慌てて呼び止める。

「泉美!どこ行くの!」
「探してくる!」

泉美は乱暴にドアを開けて飛び出していく。
俯く雄二に信子が声をかける。

「あなた」
「俺は……万が一の時に警察へ届けを出すことを考えたら、あまり話を広げない方がいいだろ。だから俺は、ただ、そういうつもりで」
「万が一って……やめてよ」
「いや、それは……そうだな、ごめん」

雄二は立ち上がり、鞄を手に取る。

「あなた?」

雄二は鞄から車のキーを取り出しながら答える。

「梓彩、探してくる。とりあえず学校までの道とか見て、その足で学校の先生にも話聞いてくる。学校に連絡はもうしてくれてるんだったか」
「あ……うん」

雄二が玄関に向かう。
靴を履き、信子に振り返る。

「信子」
「何?」
「大丈夫だよ、きっと」
「……うん、そうね」
「行ってくる」
「お願い」

雄二が出ていき、ドアが閉まる。

静まるリビング。
信子はソファに座り、頭を抱える。
携帯電話を開く。

何度見ても通知は来ていない。
梓彩へのメッセージに既読もつかない。

梓彩。
私は何をすればいいんだろう。
梓彩の母として。

私も梓彩を探しに行くべき?
でも、もしかしたらその間に家に帰ってくるかも。

じゃあ家で待ってないと。

帰ってきたらなんて言おう。
ちゃんと叱りつけなきゃ。

だけど、その前に理由を聞かないと。

梓彩は今何しているの?
早く帰ってきて、全部説明しなさい。

梓彩を見つけるのは泉美?雄二さん?
それとも二人より先に梓彩が帰ってくるかも。

梓彩が帰ってきたら二人に連絡しないと。
帰ってきたよって。安心して戻ってきてねって。



翌日、谷川家は警察署に梓彩に関する行方不明者届を出した。

第3話


その日、■■市立■■高校では、3学期を終える修了式が行われた。
2年生徒の河野亮平は、学年最後のホームルーム後、友人達と共に帰路についていた。

「春休み、どうする?どっか行く?」
「ううん、俺来年から進学クラスで課題出されてるから、遊び行ってる暇ないわ」
「うわ、マジで?亮平かわいそ」
「まあ仕方ないよ、めんどくさいけど」

友人の一人が茶化すように聞く。

「谷川さんとは?デートとか行かないの?」
「あー。別に予定はないね」
「てかさ、今日は谷川さんと一緒に帰らなくていいの?」
「んー……まあ、うん」
「え、何?フラれた!?」
「うわ!ついに亮平フラれたの!?」
「違うって!たまたま、今日は……あれなだけだよ」
「いやあれってなんだよ!」

その場は冗談のようなやりとりで話題は流れた。

その日、たしかに亮平は恋人である谷川梓彩と一緒に帰るつもりでいた。
春休み期間中にはおそらく会う時間はない。
今日のうちにできるだけ時間を共にしたい。

しかし、その日に亮平と梓彩が会話をすることは一度もなかった。
違うクラスではあるものの、廊下で顔を合わせれば梓彩の方から話しかけてくるのが日常だった。

今日だって、修了式のために教室と体育館を行き来する間に、一度くらいは話せるタイミングがあると思っていた。
なのに、何故か顔を見かけることすら一度もなかった。

ホームルーム後に梓彩のクラスに向かったが、いない。
クラスメイトに聞くと、学校には来ていたがおそらく既に帰ったとのことだった。

避けられているのかとも思ったが、そのような態度を取られる心当たりもなかった。
梓彩のことが頭の端に引っかかったまま、友人達に冷やかされたくもないので平静を装いながら家に帰った。

帰宅後、自室に戻るとすぐに梓彩へメッセージを送った。

ーー梓彩、修了式おつかれ!家ついた?

しばらく待ったが、返事どころか既読もつかない。
やはり、なにか怒らせるようなことをしたのだろうか。
夕食の最中も、風呂に入っている間も、つい考えてしまう。

その後も、何度かメッセージを送った。

ーー梓彩?なんかあった?

もちろん、心配する気持ちもあった。
帰り道に事故にでも遭ってないだろうか。
しかし、今日一日避けられていたかもという疑いが、漠然とした心配を塗り潰す。

俺は梓彩に無視をされている。

それから何度メッセージを送っても反応はなかった。
もやもやとした感情を抱えたまま、どうしようもなくベッドに潜り込んだ。

結局、あまり寝付けないまま朝を迎えた。
携帯電話の画面を確認する。
メッセージの既読はついていない。

春休み初日の朝は深い溜め息から始まった。

心当たりは無いが、きっと機嫌を損ねてしまったんだろう。
それは申し訳ないと思う。
だけど、無視をされたって何も解決できない。
不満があるなら直接伝えてくれればいいのに。

考えるほど、亮平の苛立ちは増していく。
課題をやらなきゃいけない。
気を散らしたくない。

一旦、気持ちを切り替えよう。

亮平は、携帯電話の電源を切り、机に向かう。
その日はなんとか課題に集中でき、夕方までかかったが計画通りのページまで片付けることができた。
一息ついて、携帯電話を手に取り電源をつける。

メッセージ通知が数件あったが、全て友人達から他愛のない連絡だった。
梓彩とのメッセージ画面は、朝と同じままだった。

嫌な予感に、喉の奥が冷たくなった。
胸の奥に沸く不安は、次第に苛立ちに変わる。
落ち着こうとして深呼吸しても、吐く息が震えた。

何で腹を立てているのかは知らないけど、いい加減にしてほしい。
無視をすることでこちらが下手に出るのを待っているのか?
不機嫌アピールというやつだろ。くだらない。

もしかして、春休み中に会えないことへのあてつけ?
なるほど、俺を試してるのか。
今頃はこちらが苛立っている様子を想像して、気分をよくしているんだろう。
たしかに、梓彩はそういう面倒なところもある。

そっちがその気なら、こっちは何も気にしないでいればいい。

そう思うことで、亮平の気分は少しだけ落ち着いた。
勉強に打ち込むことが、梓彩への仕返しになった。
そのおかげか、それから翌々日までは、課題と受験勉強に向き合うことができた。


3月24日。
亮平の集中力は限界を迎えた。

今まで連絡が来ることを煩わしく思うことはあった。
だけど今は、何の連絡もないことで気が散って仕方ない。

今、俺は忙しいんだよ。
俺の彼女なら、どうして邪魔をするんだよ。

亮平の頭にその言葉が浮かんだ途端、突然ペンを動かせなくなった。
しばらく苦悶した後、課題の冊子を閉じて、家を出た。


亮平は梓彩の家の前に辿り着いた。
インターホンに手を伸ばそうとした時、家の中から怒鳴り声が聞こえてきた。

驚いた亮平は慌てて手を引っ込めて後退る。

女の子の声だ。梓彩?いや、違う。妹か?
母親らしき声も聞こえる。
言葉までは聞き取れないが、どうやら家族間で揉めているようだった。

今インターホンを鳴らして、対応してくれるだろうか。

もしかして、梓彩に本当になにかあったのか?
家族に聞いてみる?
本当に何かあったのだとしたら、同級生といっても会ったこともない他人に説明してくれるわけがない。


だけど。
ここまで来たけど。
どうしよう。
どうしたら。


もう本当に、何なんだよ。


心が冷める音が聞こえた。
糸が切れたように、体から力が抜けた。
もうこの場にへたり込んでしまいたい。


これ以上考えるのはやめよう。
こんなことしてる場合じゃない。

早く帰って勉強しないと。
どうせ新学期になれば嫌でも顔を合わせるし、その時考えればいい。

面倒はごめんだ。
俺には関係ない。


亮平は帰宅して、すぐに机に向かった。
それから一週間、提出課題の半分も終わらせることができなかった。

第4話


心臓と肺が痛い。
腕も足もズンと重い。
汗でベッドが湿っている。

呼吸は少し落ち着いてきた。

すごく疲れた。
このまま寝ちゃおうかな。


目を瞑っていると、耳の奥からざわざわと血管が軋む音が聞こえる。
こんなに汗をかいたのは、いつぶりだろう。

社会人になってから、力仕事どころか走る機会すらほとんどなかった。
私一人で、よく運べたものだ。
火事場のなんとやらだろうか。

久々に体に血が巡ったおかげか、ぼんやりしていた頭が段々と冴えてきた。
目を開けて頭を起こし、ベッドから床を見下ろす。


私、なんでこの子を連れ帰ってきたのかな。


私の人生、最後の場所。

まさかあそこで、誰かに先を越されてるなんて思いもしなかった。
一瞬、私を見てるのかと思ってしまった。
もちろん、よく見たら全然私じゃなかったけど。


桜の木に吊るされて揺れる、知らない女子高生。


その光景を眺めたまま、いろんなことを考えた。

なぜ?私はどうしたらいい?
横並びで一緒に?いや、ないない。
別の場所を探す?最期に妥協なんて絶対やだ。
この子を下ろしてから、同じ場所で?それもなんだか。

今日はやめて帰る?……そうかも。


この子を置いて?



気付いた時には、この子を背負っていた。
そばに置かれていたバッグも拾って。

帰り道の景色は少しも覚えていない。
ただ、マンションの前まで戻ってきた時、まるで長い旅行先から帰ってきたみたいに、ホッとした。

エレベーターに乗って、部屋に入って、この子と鞄を床に下ろして、すぐにベッドに倒れ込んだ。


それからしばらく、こうしている。


変なの。

私の部屋の床に、知らない女の子が寝てる。

片付いてて、よかった。


この子は……この子?
この子この子って、一体誰なんだろう。


重い体を無理やり起こす。腰がとても痛い。
ふらつきながらベッドから降りる。

一緒に持ってきたバッグに手を伸ばす。
ジッパーを開けて、中を覗く。

教科書、ノート、筆箱、ポーチ、財布、スマホ。


遺書のようなものは見当たらない。

何の変哲もない、普通のスクールバッグ。


制服だし、学校帰りにそのまま、あそこで?


その瞬間を想像して、思わず改めて見てしまう。


ごく普通の女子高生。

たしか近くの学校の制服。

どこにでもいそうな女の子。


似合わない、首の跡。



あれ。

私?


一瞬、その寝姿に自分が重なった。
思わず目を背けて、視線をバッグに戻す。

あ、生徒手帳。

谷川梓彩。
谷川さん、か。

2年生、17歳か。
ん?18歳だっけ?

いずれにせよ、私と一回りくらい違う。

一回り、か。
多分、話題とか合わないだろうな。


谷川さん。
あなたはなんでそんなことをしたの?

何か悩みでもあったのかな。
いじめられてたとか。
すごく嫌なことがあったとか。


まあ、人が死ぬ理由なんてわかんないか。


あ、この教科書、私も使ってたかも。
結構書き込んでる、えらい。
ノートもちゃんと取ってて……やめておこう。

バッグから出したものを、元通りに戻す。


ごめん。
嫌だよね、勝手に私物とかいじられるの。

私だったら嫌だな。

まあ、嫌で言えば、知らない家に勝手に連れて来られる方が嫌か。

でもそれを言うなら、私だって不本意だ。
あそこは、本当は私の場所だったのに。

そりゃ、早い者勝ちなのかも知れないけど。
でも谷川さんの方が早かったからこそ、こうして連れて来られても私に文句の一つも言えない。

そう考えると、こういうのは意外と「早い者負け」なのかも。


谷川さんを責めるつもりはないけど。

私と同じ、なのかはわからないけど。
だけど、もしも私の方が早かったら。

あ、でも高校生なら実家住みだろうし、私を連れて帰ることはないか。


むしろ、私の方が早かったら。

それとも、同時にあの場所に着いていたら。


あなたは、こんなことやめてたのかな。


考えてみれば、とんでもない奇遇だ。
同じ日、同じ時間に、同じ場所で、なんて。

ひょっとしたら、とてつもなく気が合うのだろうか。
もしも違う形で会ってたら、仲良くなれていたかもしれない。

こんな不謹慎な冗談を笑い合えるのは、きっとこの世界で私と谷川さんだけだろう。


頭を振る。
さすがに、変だ。


少し気分がおかしくなってるのかもしれない。

また横になって休もう。

ベッドに体を引きずり上げて、沈み込む。



静かな部屋。
スマホの振動音がよく聞こえる。


無視していたけど、さっきから何度も鳴っている。
私のじゃない。誰も連絡なんてしてこないから。
谷川さんのスマホだ。


あなたにはこんなに連絡してくれる人がいるんだね。
やっぱり、私とは違うのかも。

そうだ、汗かいてたんだった。
またシャワー浴びないと。

お腹空いた。
もう何もないんだっけ。

現実的な考えがだんだんと掻き消えていく。
まるで頭の中が溶けるようだ。




瞼越しの明るさに違和感を覚える。
朝日?
違う、部屋の照明だ。


ああ、昨晩は明かりをつけたまま寝てしまったんだ。
開き切らない目をこすりながら立ち上がる。

手探りで壁のスイッチを押す。
室内灯が消えて、早朝の柔らかい朝焼けが残る。


窓から差す光に照らされた部屋の床には、谷川梓彩の死体が寝ている。
私はその状況を何もおかしく思わなかった。



おはよう、谷川さん。

第5話


3月24日 11:15
警察に行方不明者届を出してから、三日が経過した。
梓彩に関する警察からの報告はまだない。


梓彩の部屋。

机。引き出し。本棚。収納ケース。
しまってあった物をすべて取り出し、床に並べていく信子。

その様子を見た泉美が廊下から声をかける。

「お母さん、何してるの?」
「ん?ああ、今ね、梓彩が帰ってこない理由とか手がかりとか、もしかして何かないかと思って」
「……やめなよ。お姉ちゃん、嫌がるよ」
「大丈夫よ。ほら、見て。お母さんが知らないものとか、変なものとか、何も出てこないのよ。やっぱりあの子、真面目だし普通の子なのよ」

満足気に語りながら振り返った信子の表情は、笑っているように見えた。

「……ねえ」
「泉美は気にしなくて大丈夫。お父さんも今日から仕事行ってるでしょ。警察の人が動いてくれてるからね。私達が普通に過ごしてたら、梓彩もそのうち普通に帰ってくるよ」

そう話しながら、床に並べた物を整理する信子。
黙ってしばらく眺める泉美。

「……あのさ。お姉ちゃん、やっぱ家出だと思う」
「え?」

信子の手が止まる。

「何言ってるの。そんなことするわけないじゃない。梓彩は普通の子なの」
「それやめてよ」

泉美が語気を強めて信子の言葉を遮った。
信子は驚き、思わず振り返る。

「お姉ちゃんがいなくなった理由はさ。お母さんのそれなんじゃないの?」
「……何のこと?」
「お母さんいつもそれじゃん。普通普通って。何なの?お母さんの普通って」
「そんなの、普通は普通じゃない。だって、だって梓彩は普通の子じゃない。そうでしょ?」
「だから、それなんなの!?」

泉美が声を荒らげる。

「ちょっと、大声出さないでよ」
「警察の人にも言ってたじゃん!あの子は普通の子なんですって。意味わかんないんだけど!」
「泉美、落ち着いてよ。何を怒ってるの?」
「お姉ちゃん、かわいそうだよ」
「……ご、ごめんね。泉美も突然の事で怖いよね。大丈夫だから」
「何が大丈夫なの!?お母さんはお姉ちゃんが居なくなったのは家出じゃないと思ってるんだよね?だったら、お姉ちゃんが居ないのは何なの!?」
「何……何って、それを今警察の人が調べてくれて」
「家出じゃなかったらさ。お姉ちゃん……絶対大丈夫じゃないじゃん」
「泉美……」
「家出だよ。……じゃなきゃ、やだよ」
「……」

涙を溢す泉美。
信子はかける言葉を探すが、答えが出ない。

「ねえ。なんでお母さんはそんなにお姉ちゃんのことわかってないの?」
「……え?」

泉美の言葉が理解できず、戸惑う信子。

「お姉ちゃん、全然普通じゃないよ」
「さっきからどうしたの?泉美は何がそんなに」
「お母さんの言う普通が何なのか知らないけど、お姉ちゃんは普通じゃない。私も!お母さんもお父さんも!全然普通じゃない!」
「どうしたのよ、泉美……」

その場にへたり込み、すすり泣く泉美。
信子の目線は、答えを探すように彷徨い続ける。

しばらくして、信子は泉美に駆け寄り、抱き締める。
泉美は一瞬体を強張らせたが、信子の腕に手を添える。

「ごめんね、泉美。お母さん、何か間違えてたんだね」
「……いい。もう、いい」
「何が?お母さんに教えて?」
「……お姉ちゃん探してくる」

信子の腕を下ろして立ち上がる泉美。
泉美の手を掴む信子。

「待って、泉美」
「……お母さんのせいにしてごめん」

手を振り払い、家を出ていく泉美。
遠ざかる泉美の背中に、梓彩の影が重なる。

「梓彩……」

信子は、自らが整理した部屋を振り返る。

そこはもう梓彩の部屋ではないように見えた。



同日 20:10


信子はリビングのソファに座り、梓彩のアルバムを見ている。

梓彩が生まれた日。初めて立った時。小学校の入学式。

虚ろな目で写真を眺めて、ゆっくりとページをめくる。

玄関のドアが開く音に、信子は顔を上げる。
雄二が帰宅する。

信子の様子を見て、しばし言葉を選ぶ雄二。

「……ただいま」
「おかえりなさい。お仕事、大丈夫だった?」
「ああ、なんとか。泉美は?」
「お昼に梓彩を探しに出ちゃって、まだ帰ってないの。もう夜なのに……あっ、ごめんなさい。私、ご飯の支度、何も」
「いいよ、いいから。座ってて」
「……ごめんなさい」
「何か、買ってこようか」
「ねえ、あなた」
「どうした?」
「私、梓彩のこと、何もわかってないのかしら」
「……なんで、そう思うんだ?」
「泉美にそう言われたの。そう見えてたんだって、すごく驚いた。私、ちゃんと母親してると思ってた」
「信子はしっかりやってくれてるよ」
「ねえ、見て。梓彩の昔の写真。私ね、よく知ってる、よくわかってるつもりなの。この子のこと」
「ああ」
「それは今でも変わらないはずなのに。なんであの子が居なくなったのか、私わからないの」
「信子、少し休もう」
「私がわからなきゃいけないのに、母親ならわかってあげなきゃいけないのに」

声を震わせ泣きじゃくりながら話す信子。
雄二は今にも崩れそうな信子の肩を抱き支える。

「大丈夫。きっと見つかるから。きっとすぐ元通りになる」
「ごめんなさい……」
「何も謝ることはないよ。今日はもう休もう」

雄二は信子をゆっくり立たせて、寝室へと連れていく。
信子をベッドに寝かせて、手を握る雄二。

「おやすみ」
「ありがとう、あなた」

信子が少し落ち着くまで様子を見てから、リビングに戻りスーツの上着を脱ぐ。

信子が見ていた梓彩のアルバムが目に留まる。
手に取って、ページをめくる。

父の日に雄二の似顔絵を描いた梓彩の写真。

『いつもありがとう。お仕事頑張ってね。お父さん』

込み上げた涙が溢れるのを、歯を噛み締めて堪える。

俺がしっかりしないといけない。
きっと大丈夫。
梓彩も、泉美も、信子も。俺が守らないと。

玄関のドアの音。泉美が帰ってくる。

「泉美、おかえり」
「お母さんは?」
「寝てるよ。少し疲れてたみたいだから。お母さんと喧嘩したのか?」
「別に」
「泉美、遅くまで外に出ないでくれ。お前にまで何かあったらどうするんだ」
「……」

無言で雄二を睨み、自室へと向かう泉美。
雄二はソファに座り、頭を抱える。

「大丈夫。きっと大丈夫」

頭の中で繰り返す言葉が口から漏れ出る。
そのままソファに体を預け、眠りにつくまで何度も繰り返した。

第6話


他人の体や髪を洗うのは初めてだったが、想像以上の重労働だった。

もちろん、相手に意識があれば話は違うのだろうけど。

体が倒れないように支えながら洗うのはとても難しい。
結局自分も濡れてしまったし汗もかいたので、洗い終わった彼女を一度外に寝かせて、シャワーを浴びることにした。


頭の奥がふわふわしている。

体の表面から意識が崩れるような感覚。
シャワーの水圧で溶けて流れていきそう。


ゆっくり浴びてる場合じゃなかった。
シャワーを止めて、急いで浴室を出る。


ごめんね、梓彩ちゃん。お待たせ。
髪、乾かそうか。

ドライヤーのスイッチを入れる。

彼女の体を後ろから支えて、風を当てながら手ぐしで整える。

梓彩ちゃん、髪綺麗だね。
やっぱり若さなのかな。
それとも、最近の子はみんなケアとかしっかりしてるものなのかな。

こうやって、誰かの髪にドライヤーかけてあげるのなんて初めてだ。
私のシャンプーを使ったのに、なんだか違う香りに感じる。
私の髪も、人が嗅いだらこんな匂いがするのかもしれない。


よし、乾いたね。
ドライヤーのスイッチを切る。

じゃあ、部屋に戻ろうか。

梓彩ちゃんを抱えて運び、ベッドに寝かせる。
昨日まではすごく固かった体も、なんだか力が抜けているみたい。

落ち着いてくれたのかな。

そうだ、服を着せてあげないと。

上半身を起こして、袖に腕を通して、寝かせてからボタンを閉める。
下には、ズボンだと足を通すのが大変そうだから、スカートを履かせてあげた。


私の服を着ている、梓彩ちゃんの姿。
なんだか不思議な気分だ。


お気に入りのブラウス、サイズが合ってよかった。
正直、私より着こなしてて、ちょっとずるい。

もう私が着ることはないから、梓彩ちゃんにあげるね。
制服はこっちのハンガーにかけておいたから。


一息ついて、ベッドに腰を下ろす。

ごめんね、何も無い部屋で。
ちょうど色々片付けちゃったからさ。

別に、元々面白いものとかはなかったんだけど。


食べるものもね、もうないんだ。
買いに行こうかと思ったけど、梓彩ちゃん一人にしておけないし。


梓彩ちゃんが家に来て、もう3日が経った。
最初は距離感がわからなくて、少し気まずかった。

だけど、話し始めてからはあっという間だった。
梓彩ちゃんは、私の話を全部聞いてくれた。

大して面白いことなんて話せないけど。

何が好きで、何が嫌いか。
何を思って生きてきたのか。
誰も興味のない私の話なんかに、黙って耳を傾けてくれた。

もしかしたら無理して聞いてくれてたのかもしれないけど、嬉しかった。


そうしている内に、なんだか梓彩ちゃんがだんだんと汚れていくような気がした。
だから、お風呂に入れてあげた。

勝手にするのは悪い気もしたけど、そのままにしておく方が可哀想だったから。


朝まで喋ったり、お風呂で洗ってあげたり。

こんな風に人と過ごしたことはなかった。


梓彩ちゃんの前ではありのままの私でいられた。

だって私たちは、同じ場所で死んだんだから。

気が合って当然だよね。


何より今は、私が梓彩ちゃんを独り占めできる。
誰にも邪魔をされずに。

この家に来た時はずっと鳴っていた梓彩ちゃんのスマホも、次の日の朝からはもう鳴らなくなっていた。
連絡が来なくなったわけじゃなくて、多分充電が切れたんだと思う。

お友達やご家族は、きっと心配してるだろう。
私から連絡してあげることはできないけど、せめて私の充電器で、電源はつけておいてあげようかな。


充電器の貸し借りなんて、本当に友達みたいだ。
スマホの差込口に充電器のプラグを挿そうとした。

だけど、やめた。
いじわるをしてるんじゃない。

それはなんだか、とても不謹慎な気がしたから。


梓彩ちゃん、お風呂に入ってスッキリしてよかったね。
次は、何をしようか?

私の話は沢山したから、梓彩ちゃんの話も聞きたいな。

梓彩ちゃんが、普段どんなことを考えてるのか。
何が好きで、何が嫌いか。
なんでも教えて。

家族の話とか。学校の友達の話もしていいよ。
多分、共感することはできないだろうけど。
梓彩ちゃんのことを知れるのが楽しいから。

私が知ることができるのは、梓彩ちゃん自身と、梓彩ちゃんの持ち物だけ。


バッグの中、少しだけなら見ていい?

うん、ありがとう。


教科書。ノート。ペンケース。

ペン、借りるね。

梓彩ちゃんの文字を上からなぞってみる。
きっと、こんな風に手を動かしてたんだよね。

ノートって、なんか懐かしいなあ。
なんか一緒に授業受けてるみたいだね。

あっ、落書き。
きょうこ、まい、なみち……お友達の名前かな。
どんな子たちなんだろう。



ポーチの中は、メイク道具でいっぱい。
最近の子、すごいよね。
私の時はこんなの持ってなかったよ。

わあ、このパレットいいなあ。どこで買ったの?

へえ、そうなんだ。
いいね。私も買ってみようかな。


ねえ。

他にも梓彩ちゃんのこと、たくさん教えて。

まだまだ知らないこと、いっぱいあるから。


ねえ。

どんな趣味があるの?
どんな所に遊びに行きたい?
どんなシチュエーションで告白されたい?


ねえ。


どんな気持ちで死ねたの?

第7話


別に嫌いなわけじゃない。
ただ、どうしても周囲の生徒が馬鹿に見えてしまう。

これが、小木まゆみの学生生活を曇らせる一番の原因だった。

みんなが笑っていることを、面白いと思えない。
同調して笑って盛り上がるべきだとわかっていても、上手くできない。

そう感じて周囲との距離を取り始めたのは、周囲がまゆみとの距離を取り始めた時期とほぼ同時だった。

元々一人でいることは好きなので、友人がいなくても不便はなかった。
しかし、学校生活では共同体への参加を強制される。

一人きりは平気でも、集団の中で一人になることはストレスだった。
まゆみが自分を守る壁を積み上げるのに、中学卒業までの時間は十分すぎるほどだった。

高校に上がったってどうせ何も変わらない。

まゆみの予想通り、入学してから数ヶ月間は中学時代とさほど変わらない景色が続いた。

どうしても、みんなの空気に合わせられない。
みんなが悪いわけじゃないんだろう。
でも、私が悪いわけでもない。

ただ、違うだけ。
その違いを持ったまま無理して関わろうとすれば、お互いに損しかしない。

適切な距離感で、それぞれ邪魔にならないように過ごせばいい。
この頃のまゆみはそんな割り切りも板に付いていた。


「ねえ知ってる?」

クラスメイトの会話からは、この言葉がよく聞こえてきた。
彼女らにとって新しい話題を知っていることはステータスのようだ。

しかし、その知識欲が勉学や過去の歴史等に向かうことはない。
芸能人のゴシップ、新作スイーツの口コミ、巷の噂、都市伝説。
情報源は主にスマホで見る動画アプリらしい。

まゆみも試しに見てみたが、何故ああいう媒体の情報を鵜呑みにできるのか、少しも理解できなかった。


「ねえ、小木さんはどう思う?」


一瞬、まゆみは自分に話しかけられたことに気が付かなかった。
呼ばれたのが自分の苗字であることを理解して、はっと顔を上げる。

前の席に集まって雑談していた女子グループがこちらを見ている。

「え……」

突然の呼び掛けに戸惑いで返す前に、一人の女子が話を続けた。

「小木さんはさ、人って死んだらどうなると思う?」

その問いかけを聞いた他の女子たちが笑い出す。

「いや梓彩!いきなりその質問すんのやばすぎ!小木さん引いてんじゃん!」

引いている訳ではなかった。

言葉を選び過ぎて上手く話せず、それを説明することもできない。
家では親に対してよく話す方なのに、学校という環境で声を出すことに体が慣れていない。

話しかけてきた女子、谷川梓彩は、ネットで見つけた”死後の世界”の都市伝説についてみんなで盛り上がっていたことを説明した。

「で、小木さんはどう思う?天国とか地獄とかありそう?」

これまでのまゆみなら、こういう手合いには愛想笑いをして誤魔化していた。
しかし、この時は違った。

「死んだら、ずっとそのままなんじゃないかな」

口から自然と出た答え。
意味がわからずぽかんとする女子グループに気付き、慌てて説明を続けた。

「だからその、死ぬ瞬間に見えてた景色とか、聞こえた音とか、考えてたこととか、その最後の一瞬が、永遠に、ずっと続く気がする、ってこと」

それは、まゆみが以前から考えていたことだった。

ある時、自室でゲームをしていると、フリーズバグが起きた。

キャラクターが静止した画面で、その瞬間に鳴っていたBGMとSEが永続的に続く。
どんな操作入力も効かない。


もしかしたら、死ぬってこういうことかも。


だとしたらこのキャラ、何を考えたまま止まっちゃったんだろう。
なんとなくそう思って、怖くなってすぐに電源を切った。


そんなことを思った経験が、まゆみの口を本人の意思以上に動かした。
周囲の引いたリアクションを掻き消すように、梓彩が言った。


「小木さん、面白いじゃん!」


それから梓彩は、度々まゆみに話しかけるようになった。

最初はからかわれているだけだと思ったまゆみも、次第に打ち解けて自ら梓彩に話しかけることもあった。

他の生徒には理解できないような深い話も、梓彩には安心して語ることができた。

初めての友達だった。
まゆみにとって、梓彩はただ気の合う友人というだけではなかった。

自分と話が合うということは、自分と同じように周りの生徒のことが馬鹿に見えているに違いない。
それなのに梓彩は、自分と違ってみんなと仲良くしている。

馬鹿達と上手く付き合いながら、自分とは深い話を楽しむ。
梓彩の存在は、今のまゆみを肯定すると同時に、まゆみが目指すべきだった在り方を示した。

自分には決してできない生き方を完璧にこなす梓彩は、まゆみにとって常に正義であり正解だった。

梓彩がいてくれれば、あんなに苦しかった学校で楽しく過ごせる。
そして、卒業してからも、ずっと。



梓彩と連絡が取れなくなったのは、修了式の夜からだった。

放課後に一緒に帰ろうと思ったら、いつの間にか教室に梓彩の姿はなかった。
先に帰ってしまったのかと思ったが、何故か胸騒ぎがした。

すぐにメッセージを送ったが、返事がない。
夜になっても一向に既読がつかない。
電話も何度もかけたが出ない。

何かあったのかな。
その日は眠れず、朝までLINEを送り続け、電話をかけ続けた。


翌日、クラスのLINEグループが動いていた。

『梓彩帰ってないらしいよ』
『聞いた!うちの親にも連絡来てた』
『やば。家出?梓彩そんなキャラだっけ』
『誰かなんか知ってたら連絡してあげてー』

梓彩が昨日から家に帰っていないらしく、何人かのクラスメイトの親に連絡があったらしい。

行方不明?
梓彩が?
家出?

そんなはずはない。

だって、私は何も聞いていない。

何か悩みがあったのなら、梓彩は私に話してくれるはずだ。


どうして。
誰かに、何か、聞かなきゃ。

心臓が強く鳴り、指に力が入らない。
画面が上手く触れない。
打つべき文章も考えがまとまらない。

その間にもトーク画面は進んでいく。

『連絡したけど既読つかないわ』
『心配だね』
『えーこわー』

なにか、おかしい。

何故この人たちはこんなに落ち着いてるんだ?
あの梓彩が音信不通になっているのに、どうしてこんな呑気な反応なんだ。

不自然だ。


こいつらか?
こいつらが、梓彩に何かやったのか?

私の知らないところで、梓彩はいじめられていた?

いや、梓彩はこんな奴らにいじめられるような弱い人じゃない。


ひょっとして、何か、力づくで?
こいつらはそれを隠してる?

だとしたらこの白けた反応も納得がいく。


既にまゆみの心は沸騰していた。
その熱で固まっていた指が動いた。

『何かやったの』
『誰がやったの』
『お?小木さん急にどした?笑』
『やったって何?』
『変な事言うのやめてよ』

ほら、やっぱりそうだ。
知らないふりをしている。

こいつらの親に連絡がいって、私の親には何も連絡がきていない。
それがこいつらが関与している何よりの証拠じゃないか。

何が心配だ。
ふざけるな。
お前らのせいのくせに。

思わず携帯電話を投げ捨てた。
こいつらがしらばっくれる様子なんてもう見たくない。
犯人たちに聞いたところで答えるはずがない。


頼れる人間は誰もいない。

私が一番梓彩のことを理解している。
私が梓彩の行方を見つけてみせる。


梓彩、梓彩。
ごめんね、気付いてあげられなくて。
私が助けるから。


それから10日間、まゆみは梓彩を探し続けた。

第8話


3月27日 13:31
谷川家のリビング。

信子は梓彩の写真を載せた捜索用のビラを数えている。
机の端から、20枚ごとの束にまとめて並べていく。

泉美はキッチンで水を飲みながら、信子の様子を見ている。
シンクには使用済みの食器が数日間置かれたままになっている。

「それ、街中に貼るつもり?」

信子は泉美の呼びかけに手を止め、顔を上げて薄く微笑んで返答する。

「そうね。ああ、街の人に配る分も用意しないとね」

目元は虚ろな反面、声には不自然な張りがある。
再び作業を始める信子。

まるでピクニックの弁当を拵えるかのように楽しげにも見える信子の様子に、泉美の表情は歪む。

「……お姉ちゃん、嫌がるって」
「あら、そんなわけないでしょ。もう、泉美は変なことばっかり言うんだから」
「変なのはお母さんだよ……」
「ほんとこの子ったら、ああ言えばこう言うんだから」

泉美はどこか噛み合わない会話に不快感を覚える。
コップを置き、足早に自室へと戻っていく。

「ちょっと泉美、お手伝いなさいよ。もう、仕方ないんだから。……あれ、何枚だったかしら」

一度まとめた束を崩して、再び数え始める。
玄関でドアが開く音。
信子がはっと顔を上げる。
声もせず、誰も入ってこない。

ふらつきながらも急いで立ち上がり、玄関に向かう信子。
玄関には雄二が立っていた。
ぼうっとした顔をしていたが、信子に気付くと固い笑顔を作る。

「ただいま」
「あなた……?お仕事は?」
「ああ……帰らされた」
「え?」

靴を脱ぎ、ネクタイを外しながらリビングに向かう雄二。

「いや、ちょっと失敗してな」
「どういうこと?」
「今日の午前に得意先と約束があったのを、すっかり忘れていて、それで……もう今日はいい、と」

表情を失っていくと共に声も次第に小さくなり、途切れた。
ジャケットを脱いでソファに投げ置き、立ち尽くす。

「あなた……」
「……だめだなあ。しっかりしなきゃ」
「あなた、今日は休んだら?」

信子の問いに、しばらく俯いて沈黙する雄二。
大きく一呼吸した後、突然はきはきと話し出す。

「いいや、大丈夫だ!ミスはきちんと反省して、なんとか取り返す。それより今は、梓彩のためにやれることをやらないとな!……おお、これ信子が作ってくれたのか。すごいじゃないか!よし、どうすればいい?とにかく街で配ってこようか」
「あなた……ええ、今準備するわね」

雄二の勢いに少し気圧されるが、笑顔で答える信子。

二人はビラをまとめ直したり、並べ替えたりし、お互いに要領を得ない作業をばたばたと繰り返す。
手を動かしながら会話をし続けているが、二人の目線は一度も合っていない。

バンッ!

音を立てて自室のドアを開き、大きな鞄を持って泉美が玄関に向かう。
机の上のビラを必死にまとめる両親の姿を横目で見て、一瞬足を止める。
二人が泉美の方に振り返る。

「泉美、なんだ?その荷物は。どこに行くんだ。あまり出歩かないように言っただろう」
「ねえ泉美、お父さんもビラ配り行ってくれるのよ。泉美も一緒に行こうね」

バラバラに話しかけてくる二人を一瞥し、泉美は吐き捨てるように言う。

「出てく」

信子は小さく「えっ」と悲鳴のような声を上げて、ビラを床に落とす。
雄二は黙って泉美に歩み寄り、鞄を持つ腕を掴む。

「痛い、離して」
「泉美。どうして、お前はそうやってお父さんたちに心配をかけるんだ」
「こんな家居たくない!私もお姉ちゃんみたいに出ていくの!」
「いい加減にしなさい!……不安な気持ちはわかる。お父さんも一緒だ、もちろんお母さんだって。なあ?」
「そうよ、泉美。お願いだから家にいて。梓彩が帰ってきた時に、泉美が居ないとだめじゃない」

泉美は、雄二を睨みつけながら言い返す。

「……帰ってくるわけないじゃん、こんな家に」
「なんでそんなひどいことを言うんだ?家族じゃないか」
「お姉ちゃん見つからないのに平気で仕事行ってる人に言われたくないんだけど」

雄二の表情が凍る。
信子が二人の間に割って入る。

「泉美」
「てか何で家に居んの?仕事行ったんじゃないの?」
「泉美、やめなさい」
「お母さんにも何も言われたくない」

泉美に睨みつけられ、押し黙る信子。

「泉美!……お母さんに、謝りなさい」
「そういうのいいから、もうやめて」
「……何がだ?」
「そうやって父親面するの。どうせ私達の心配なんてしてないくせに」

泉美がその言葉を言い切る前に、雄二が泉美の肩を掴む。
泉美は体を竦めて、息を飲みながら雄二の顔を見上げる。

「それは、どういうつもりだ」

泉美の肩を掴んだまま、震える声で問い詰める雄二。

「今の言葉は!どういうつもりで言ったんだ!」

怒鳴る雄二に肩を揺さぶられ、泉美は怯えて逃れようとする。

「あなた、やめて!」

信子が慌てて雄二を止める。

「信子、お前、お前がちゃんと!ちゃんと……」

涙を流して自身の腕に縋りつく信子の顔を見て、出かけた言葉を詰まらせる雄二。
その場に座り込んだ泉美が、雄二を見上げて問い詰める。

「ちゃんとって何?お母さんはちゃんとしてないって?そうかもね。お父さんは?ちゃんとしてんの?」
「お前は何もわかってない!」
「はあ?わかってないのどっちよ!」
「もうやめてえ!」

信子の絶叫が響き、静まる。


しばしの沈黙の後、泉美が荷物を手に立ち上がろうとした時、雄二のポケットの中で着信音が鳴った。
全員の視線が音の元に集まる。


雄二は震える指で携帯電話を取り出す。



その画面には「■■警察署」の文字が表示されていた。

第9話


4月。■■高校の始業式の日。快晴。

新学年に上がった生徒たちが登校してくる姿を、校門の桜の木が迎える。
例年に比べて早めの開花により、葉桜が少し見え始めている。

正面玄関に向かって左横に設置されている掲示板には、新学級のクラス分け表が貼り出されている。
自分は何組になったのか、どんなクラスメイトがいるのか。
期待を胸に生徒たちが集まっている。

友人と同じクラスになれて、喜び抱き合う生徒。
これまでの級友と離れてしまい、不安を抱く生徒。
掲示板を確認した生徒たちは、思い思いの心境で新しい教室へと向かう。


「なんで!?なんで書いてないの!?」

突然、一人の女子生徒が叫び出し、周囲の生徒たちの注目が集まる。
声を上げた女子生徒は、その場で頭を抱えて座り込んだ。

心配した他の生徒が声をかけたが、女子生徒は勢いよく立ち上がり、人混みを押し退けて走り去っていった。

一度静まり返った生徒たちはその光景に暫しざわついていたが、気を取り直してそれぞれの教室へと移動し始めた。

各クラスに生徒たちが到着して、新担任から出欠確認が行われた後、体育館に集合して始業式が行われた。
どうやら何らかのトラブルが起きたようで、式の開始時間が少し遅れはしたが、開始後は例年通りの内容で無事に進行された。

式終了後は各クラスに戻り、最初のホームルームの時間となる。
三年生のクラスでは自己紹介等はなく、受験や今後の行事に関する説明が行われた。

始業式の日は午後の授業がなく、そのまま下校の時間となる。
進学クラスでは志望校に関するガイダンスがあるため、他クラスよりも下校の時間が遅くなった。

そのクラスで唯一、規定の課題を提出できなかった男子生徒が学校を出たのは、さらに遅い時間となった。
校門では、男子生徒の友人たち数名が待ちくたびれていた。

友人たちの姿を見て、男子生徒が駆け寄る。

「亮平、遅すぎ。ジュース奢りな」
「ごめん、怒られてた」
「いや始業式から何やらかしたんだよ」
「別に何もしてないよ」
「あ!今朝の職員室で暴れたやつ、あれ亮平じゃね?」

冗談のように言った友人を、他の友人たちが「馬鹿」「まだその話すんなよ」と口々に制した。

「違うよ!ていうか、何それ。その話知らないんだけど」
「……なんか、始業式の前に職員室で生徒が暴れてたらしいよ。女子らしいけど」
「は?こわ。てか女子なら俺じゃないじゃん。あっ、それで式始まるの遅かったんだ」
「多分ね。その子はたしか、小木さんだっけ。2組の」
「へえー。顔わかんないや。その人、何かあったの?」

男子生徒の問いに、周囲は黙った。
言葉を選ぶような表情で、お互いに目配せをしている。

「は?何?この空気」
「あのさ、亮平。聞いていい?」
「何なんだよ」
「谷川さんってさ、何かあったの?」
「えっ」

その問いに、今度は男子生徒が黙った。

「小木さんが職員室で暴れてたってか叫んでたみたいなんだけど、『梓彩の存在を消すな』とかなんとか言ってたらしくてさ」
「ふーん……」
「正直俺らの家にも谷川さんの親から連絡来てたりしてて、何かあったのかなーとは思ってたんだけど、亮平に聞いていいのかみんな迷ってたんだよね」
「んー……俺は知らない」
「え?そうなの?」
「うん。ていうか、どうでもいいかな」
「は?」
「俺は関係ないから、別に興味ない」
「え、あ……そう」

重く気まずい空気のまま、男子生徒たちは下校した。
職員室で騒ぎを起こした女子生徒は、停学処分となった。
しばらくの間はその女子生徒に関連した噂が流れることとなった。

しかし、数日後に教員から全校生に対して行われた説明により、以降その話は誰からも一切触れられることがなくなった。

第10話


どうして。


どうしても梓彩の本当の気持ちがわからない。


私ならわかるはずなのに。

梓彩の制服も着てみたのに。

梓彩が使ってた縄も巻いてみたのに。

こんなに梓彩の匂いに包まれてるのに。

とっくにひとつになってるはずなのに。


私と梓彩は同じはずなのに。



3月20日。
あの夜を思い出す。

梓彩がいた場所に、私を重ねる。

あの日、私は死ぬはずだった。

30年の長い人生をやっと終えて。

あの景色に溶けていくはずだった。

あの瞬間のためにずっと生きてきた。

あそこで終わりのはずだった。


なのに、私は今ここにいる。
あの日に死なずに、今日も生きている。

どうして。
次の日なんてないはずだったのに。


次の日?



そっか。

私、あの後、生まれたんだ。



そうだよ。


だって。



だって、私。



誕生日だったもん。




私は死んで、私は生まれた。

だから私は生きているんだ。




じゃあ、この人は?

私の服を着て、ベッドに寝ている。


ここに来た時とは、すっかり姿が変わっちゃった。

汚れも拭いてあげたけど、あまり意味はなかった。




あの日は私が死んだはずなのに。

どうしてこの人が死んでるの?




私は死んだ。



じゃあ、ここにいる死んだ人は。





私?




ああ。



ああ!



そっか。

そうじゃん!





洗面台。


鏡。



うん。

ほらね。


遅くなっちゃったけど。





お誕生日、おめでとう。








あれ。
いつの間にか寝ちゃってた。
あっ、携帯。
そろそろ充電できてるかな。
よかったあ、ちゃんと電源ついた。
うわっ、めっちゃ連絡来てるじゃん。
そりゃそうか。
さすがにお母さん怒ってるかなあ。

ごめんね、りか。
私そろそろ帰らないと。
充電器、ありがとう。
ここに置いとくね。
忘れ物は、ないかな。
バッグの中身は……うん、大丈夫。

よし。
じゃあね。



私が玄関に向かおうとした時、部屋の呼び鈴が鳴った。









第11話

変死体発見報告書(被疑者付)
事件番号
令和■年 ■■警察署 第■■■号
作成年月日・時刻
令和■年3月28日 ■■時■■分
作成者
■■警察署
刑事課 警部補 □□ □□


1 被害者
氏名:谷川 梓彩(たにがわ あずさ)
性別:女
年齢:17歳
生年月日:平成■■年11月10日
住所:■■県■■市■町■■番地
職業:■■高校2年生
同居人:父、母、妹
身元確認方法:学生証による


2 発見状況
発見日時:令和■年3月27日 13時30分頃
発見場所:■■県■■市■町■■番地
     被疑者 森野りか 居住宅内
発見者:■■警察署 刑事課警察官
発見経緯:
行方不明者に関する聞き込みのため被疑者宅を訪問した際、制服を着用した女性が応対。
室内から腐臭が確認されたこと、当該人物が行方不明者の制服及び所持品と一致する物件を所持していたことから、事情確認の必要があると判断。
被疑者の同意を得て宅内を確認したところ、室内において被害者遺体を発見したもの。


3 現場状況
被害者は室内に横臥した状態で発見。
頸部にはロープ状の索状痕が認められた。
着衣は制服ではなく、別の衣服に着替えさせられた形跡が認められた。
外傷については頸部索状痕以外に明確な外傷は認められず、抵抗または争った形跡も認められなかった。
被害者の身体及び周辺には洗浄が行われたと推察される痕跡が認められた。
遺留品:バッグ、スマートフォン、学生証、教科書等
索条(縄様物件)※縊首に使用された可能性あり


4 死因等
死因:縊死
死亡推定日時:令和■年3月20日以降。腐敗状況から死後相当期間経過と推察。
外傷の状況及び現場状況から自殺の可能性が考えられるが、遺体の状態及び被疑者の関与が疑われる点が複数存在することから、現時点において自殺と断定するには至っていない。


5 関係者及び被疑者
被疑者氏名:森野 りか
被疑者の供述概要:
被疑者は自身を「谷川梓彩である」とし、自宅にあった遺体については「森野りかである」と認識している旨の供述を行っている。
精神鑑定の要否について継続検討中。


6 今後の対応
・司法解剖を含む検視の実施
・被害者家族への連絡及び事情聴取
・事件性の有無について継続調査

以上、報告する。











第0話


今日がいい。
そう思った。


修了式の最中、校長先生の話に飽きて何となく見上げた体育館の二階の窓から見た空が、とても綺麗な青色だった。


だからって訳じゃないけど、それが決め手だった。


悩みがあるとか、病んでるとか、そういうのじゃない。
普通に学校も楽しいし、今の生活に特に不満もない。

ただ、時々ふと考えることがある。
いつ死ぬのが一番いいんだろう、って。


いわゆる、幸せな人生?
好きな人と結婚して子供も孫もできて、家族に看取られて人生最高、みたいなやつ。

そうなれば、誰だっていいだろうけど。
いい人と結婚できるかもわからないし。
事故死とか病死とかあるかもだし。

結局、いつ何がどうなるかわからない。


だったらそれよりも。
もっと確実なのは、今じゃない?

今死んだら、友達も家族も絶対に悲しんでくれる。
悲しませたいってわけじゃないんだけど。
逆に悲しまれないよりは断然いい。

悲しんでもらえる内が華、っていうか。
私の命に価値があると感じられる。



だから、今日にした。

まあでも。
別に、なんとなくだ。

これこれこうだからです、なんて説明したって、どうせ理解されない。
大体、そんな理屈なんてどうだっていい。

誰かを納得させるために生きてるわけでも死ぬわけでもないから。

ホームルームの後、さっさと教室を出て体育倉庫に向かった。
前に体育の授業で使った貸出用の跳び縄を持ち出した。

どこかで自分で買ってもよかったけど、これが一番エモいと思った。

場所も学校のどこかにしようかと思った。
でも、ちょっと想像してみたら少し嫌だった。

絶対何年も噂として語り継がれちゃう。
心霊スポットとして有名になっちゃう。
私、学校の怪談にはあんまりされたくない。


とりあえず学校からは離れることにした。
街中を見て回りながら考える。

まず、人がいるところでは無理。
それに、吊るせる場所がないと駄目。

ちょうどいい場所がなかなか見つからない。
考えてみたら、死ねる場所って意外とないんだなあ。
人が生きる場所って、そういう風にできてるのかもしれない。


ぶらぶらと歩いてる内に、日も落ちて暗くなってきた。
早く見つけなきゃ。


ちょうどそう思いながら通りかかったのが、この公園だった。
公園なら遊具とか吊れるところがあるかもと思った。

だけど、きっと人が死んだ遊具って撤去されるんだろうな。
それはなんとなく、よくない気がする。


そう思って振り返った私の目に入ったのが、この桜の木。
思わず駆け寄り、近くで見てみる。

枝の高さも太さも、ちょうどいい。
ちょっと奥まった位置にあるから、周りからも見えづらい。

あと、桜の木の下で死ねるって、なんかいいじゃん。



早速準備を始めた。
縄をかけるために枝を見上げる。

あっ。

足場のことを考えてなかった。
今から何か買ってくる?


……いや、これがあった。

今日は修了式。
今まで教室に置いていた教科書類をまとめて持って帰ってきた。
いつもは薄いバッグも今日は厚みがある。

試しにバッグ内の教科書やノートを整えて、上に乗ってみた。
よし、ギリいけそう。

バッグから下りて、縄の準備をする。

来る途中に調べておいた、こういう時用の結び方。
説明読んでもよくわからなかったけど、やってみたら意外と簡単にできた。

枝に縄を引っ掛けて、バッグに乗って背伸びして結び付ける。
出来上がったものを見ていると、いかにもって感じがして、ああ今から死ぬんだなって実感した。


縄をつかんで、輪っかに頭を潜らせる。

あとは、バッグの中身を蹴り崩せば。



お父さん、お母さん。 
どんな顔するかな。
泉美も、びっくりするだろうな。

クラスの皆も、お葬式に来てくれるだろうな。
私が、自殺だなんて。



あれ、そういえば。

たしか前に、人が死ぬ時の話、してたような。
誰かが、なんか言ってた。




「人は死んだら、その最後の瞬間が」

なんだっけ。




その時、バッグの中身が傾いて崩れる。


驚いて、慌てて踏み直す。
足場はさらに崩れて、完全に足先が離れる。



体が宙に浮く。



視界が揺れる。



縄が軋む。



首に食い込み、思考を引きちぎる。

痛い。


つま先を伸ばして地面を探す。


ない。



ない。





あ。

もうこれ。



戻れない。




何も見えない。



何も聞こえない。








えっ。











怖い。




(了)

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