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猫にこんばんは|アマノ文筆クラブ|ショートショート

「私ね,チートしてんの」
すでにミズノさんは,ベロベロだった。頭をカウンターの上にだらしなく預けて,とろんとした目つきで,にへらと笑いながら,婀娜あだっぽくこちらを見上げている。
「だから最強,負けなしなの」
「チートって,何をしてるんですか?」
僕は尋ねた。
「弟子入りしてんのよ,ネコタさんに」
「ネコタさん? それは人間ですか,猫ですか」
「バカねえ,猫なわけないでしょ。人間よ,に・ん・げ・ん! ……っていうのが,普通の反応だと思うんだけど」
ミズノさんは,くすくすと笑った。
「ほんとはねー,ネコタさんはー,猫でーす。私……猫に弟子入りしたのー。ところで君,なんでここにいるんだっけ?」
「こっちが訊きたいですよ。ミズノさんが呼んだんでしょ,さっきケータイで」
「あー,そうだったそうだった。なんかごめんねー,私酔っぱらっちゃってて。
ネコタさんはね,すばらしい師匠で,どんなことでも教えてくれるんだけど,理屈っぽいの。
というわけで,今からネコタさんに会いに行こー! おー!」
ミズノさんは振り上げた拳をぽてりと下ろすと,そのままガタガタと立ち上がった。
「えっ,今から会うんですか? 猫のネコタさんに?」
「そーだよー。いつもだいたい,そこのタコさん公園にいるんだから。私についてきなさーい。レッツゴー!」
僕はおとなしく,ミズノさんについていくことにした。
それにしても,猫? 本物の?
猫に弟子入りした……とは,自由な生き様を見習う,というようなことなのだろうか?
いや,それなら,チートなどと言うことはないのではないか。まあ,そこは,行けばわかるか。……わかるのか?
「ネコタさんはねー,猫のくせに,意外に理屈っぽくて,筋の通らないことが,大嫌いなの。猫のくせに。まあ,会えばわかるわよ。君,ネコタさんにちゃんとご挨拶しなさいよ。私のお師匠様なんだからね。『こんばんは』って」
「……はい」
やはり猫ではなく,人間なのだろうか?
「ししょー,かわいい弟子が来てあげましたよー。お姿をー,お見せくださーい」
ミズノさんが,公園の生垣の下を覗き込みながら呼びかける。
うーん,ここに人間が入るのは,ちょっと無理そうだが。
「にゃーん」
背後から声がした。振り向くと,ほっそりした姿の猫が,ちょこんと座っていた。
黒猫に見えるが,よく見ると,暗いせいでそう見えているだけで,実際の毛色は濃い目のグレーのようだ。
「師匠ー! そちらでしたか!」
ミズノさんが声をかける。
やっぱり,猫だったか。
「ほら,ぼーっと突っ立ってないで,ちゃんと師匠にごあいさつしなさい。こんばんはって」
ミズノさんに促される。
「あ,はい。えーと,こんばんは……」
「声小さいよ。師匠に届いてない! もう一度!」
猫はじっと,僕の方を見ている。
「こんばんは……」
「小さいって! もう1回!」
「こんばんはっ!」
「うるさいな。ちゃんと聞こえている」
ん? 今,誰がしゃべった?
「私が返事を返さなかったのは,君がきわめて意味のない行為をしていたからだ。
挨拶とは何のためにあるか,考えたことがあるか? それは,相手に対して,自分はあなたに少なくとも最低限の敬意を示す用意がある,決して道端の石ころのような扱いはしない,という意志表示だ。
だが,これが意味を持つのは,ある程度の関係性を持つ同士の間柄に限ってのことではないか?
猫は行きずりの人間にどう思われようと,まったく気にしない。だから,君が私に挨拶をすることは,どうしようもなく意味のない行為なのだ。
理解したか?
では,失礼する」
猫は生垣の中に入って行った。
「あ,師匠,さようならー」
ミズノさんがぶんぶん手を振っている。
「今……猫が,しゃべっ……た?」
「うん,今のがネコタさん。しゃべるよ,もちろん。師匠なんだから」
ミズノさんはニコニコしている。
「あ……えっと,僕の挨拶には,意味がないって」
「うんうん,ネコタさんは,理屈に合わないことが嫌いなんだ。イライラするんだって。君,ネコタさんに嫌われたねっ!」
「えっ,だってそれは,ミズノさんが挨拶しろって……」
「うん,そうなんだけど,実際に挨拶をしたのは,君だからね。
ネコタさんに弟子入りするのは,簡単なんだ。気の利いたジョークを3つ,ネコタさんに聞かせるだけでいい。
猫はジョークを言わないから,ネコタさんはジョークに飢えてるんだって。
だけど,君はネコタさんをイラつかせたから,もう君とは口をきいてくれないと思うな。弟子入りの道は閉ざされちゃったんだよ」
「えっ……なん,で……?」
「普通は,猫にジョークを聞かせるなんてことはしないもんだよね。でも,君はなかなか見どころがある。頭でっかちのように見えて,意外に素直かつ柔軟だ。どうかして偶然,ネコタさんに弟子入りがかなわないとも限らない。
私はライバル出現の可能性を,未然に摘んだの」
「えっ……」
「物事には何でも,勘所がある。そこさえはずさなければ上手くいく,という,重要なポイントがね。
ネコタさんは,類まれなる知力でそれを洞察し,訊けば何でも教えてくれるの。
だから,私が仕事をバンバンこなして,会社でやたら評価されてるのは,実はネコタさんのおかげなんだよ」
つまり,僕は,ミズノさんに……ハメられた?
「ミズノさん,ベロベロに酔っぱらってたんじゃ……?」
「ああ,あんなの,フリ,フリ。酔っぱらいの戯言につきあってくれてるつもりだったでしょ? 君の油断を誘い,警戒を封じたんだよ。
まあ,私はチート野郎なんだけど,フェアネス精神を重んじるチート野郎だったりもするから,ネコタさんの勘気の解き方も,ちゃんと教えといてあげるよ。
この街にはネコタさんのほかに,あと2匹,しゃべる猫がいます。その2匹にも挨拶をして,今ネコタさんにしたみたいに怒らせればいいの。
君に対して気分を害した猫が3匹になると,なぜかそれで,怒りは解除されるのよ。そしたら,晴れて君にも,ネコタさんに弟子入りするチャンスが生まれるわけ。
まあ,あとの2匹を見つけるのは,ちょっと無理だと思うけどね!」
「……いや,受けて立ちましょう,その挑戦!」

説明がすっかり長くなった。だが,これは嘘偽りのない,本当のことだ。
だからどうか,大目に見てほしい。
僕は毎晩のようにこの街を歩き回り,初対面の猫を見つけては,「こんばんは」と呼びかけ続けなければならないのだ……


◆はじめてこちらの企画に参加させていただきました。ありがとうございます。

◆ちなみに,ネコタさんのフルネームは,ネコタ・ネコタです。苗字がネコタで,名前もネコタです。
そして,あとの2匹は,ネコノ・ネコノさんと,ネコヤ・ネコヤさんです。

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