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幸手の「将門の首塚」について|#幸手権現堂秋祭り

◆ さて,「#幸手権現堂秋祭り」関連で拝読した,「このまちが好き幸手市」の記事の話を,もう一つ。
「【幸手の伝説】平将門の首塚」である。

◆将門の首塚と言えば,東京の大手町の「将門塚(しょうもんづか,まさかどづか)」が有名だが,幸手の首塚は,幸手市大字神明内の「通光山浄誓寺(じょうせいじ)」という寺院(浄土真宗東本願寺派)の,本堂の裏手にあるという。
塚は高さ約3メートル,そこに風化した古い五輪塔が安置されている。
平将門の本拠地は,下総国の豊田・猿島両郡であった。そして,かつての猿島郡に含まれる,茨城県坂東市岩井は,最期に将門が拠って立った地であり,そこにある國王神社は,将門の三女である如蔵尼が,将門終焉の地に,その遺霊を祀るために創建したと伝えられる。
「【幸手の伝説】平将門の首塚」の記事によれば,この國王神社付近から浄誓寺までは,利根川を隔てて,直線距離にして,わずか10~15キロメートル程度の距離でしかないという。
ウィキペディア「平将門」の記事の「関連寺院」の項でも,浄誓寺の首塚については記載から漏れているが,戦没地近隣の遺跡として,もっと知られてもよいように思う。

◆時に,承平天慶の乱は,当時の朝廷を震撼させた一大事件であった。
都の東市にて梟首されたという将門の首は,生前の彼を知る者たちを呼んで,入念に首実検を受けたことだろう。
であれば,どこにせよ他所に将門の首が埋葬された可能性は低い,と見る。
ただし,どさくさに紛れて将門ゆかりの者が首を密かに持ち去るなり,別の首と入れ替えるなりした可能性を考えることは楽しく,仮に将門の首を紛失したとなると,これは征討軍の大失態ということになるから,似たような首を用意して,何食わぬ顔で糊塗隠蔽を図ったはずであるから,実際にそういうことが起こった可能性は,ゼロではない。
とすれば,将門戦死の地から利根川の国境を挟んで3,4里という浄誓寺の位置は,将門の首を何らかのやり方で奪い返した者たちが,密かに埋葬して弔ったかもしれない場所としては,なかなかいい線を行っているのではないかという気がする。
馬がくわえて来た,というのも,人が叛逆者・将門の首を持ち去ったのであれば,不届き極まりない不逞の行為だが,動物がやったということであれば致し方なし,というエクスキューズのようにも見えるのだが,さて,どうだろう。

◆ところで,浄誓寺の首塚の写真を見て驚くのは,そこに建てられた「五輪塔」が,「6層ある!」ということである。

浄誓寺の首塚の「五輪塔」
一般的な五輪塔(奈良市西大寺の叡尊塔)

そもそも五輪塔の「五輪」とは,インド哲学から仏教に取り込まれた「五大」即ち,地,水,火,風,空(くう)の5つの要素の,密教における呼び名であって,これらのそれぞれを表す5層から成る「五輪塔」は,日本独自の建造物であり,平安後期から,供養墓や供養塔として,さかんに作られるようになった。
石造の五輪塔は,石の土台の上に,下から順に,方形(直方体・立方体)の地輪,球形の水輪,宝形屋根形の火輪,半球形の風輪,宝珠形(または先の尖らない団形)の空輪,が順に重ねられるのが一般的である。
しかるに,首塚の五輪塔は,方形の地輪から数えて,6層構造で作られているように見える。
どうも第3層の丸石が余計な気がするのだが,各層の形も曖昧で,火輪と思しき第4層が辛うじて上方に収束し,風輪と思われる第5層はかなり半球形に近いが,第6層の宝珠形は,やや覚束ない。というか,第5層と第6層の境界を曖昧にして(一体の石で作られているようにも見える),結果として「5層っぽく見せている」ようでもある。
何だか,専門の石工ではなく,五輪塔の何たるかについても曖昧にしか知らないような人が,うろ覚えで石を積んで,何とかそれらしく作ったもの……のように思われる。
他に類を見ない形状の五輪塔であり,これはこれで,その素朴さがたいへん味わい深く愛らしい,とも言える。

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