久生十蘭『奥の海』|堀金十郎の罪と罰
◆例によって,特に書きたいことも思いつかないので,好きな小説のことでも書いてみようかと思う。

久生十蘭の短篇,『奥の海』。
初出は1956(昭和31)年4月の「別冊週刊朝日」。
今は亡き社会思想社・教養文庫の「久生十蘭傑作選V 無月物語」という本で,はじめて読んだ。
今は入手困難だが,もう版権も切れていて,「青空文庫」にも収録済みなので,手軽に読むことができる。
◆以下,あらすじ。
天保のころ,京都所司代で渡り祐筆という下役を務める,堀金十郎という三十路の侍がいた。
今で言えば,非正規雇用の(または臨時採用の)事務職員といったところか。
のんびりとした性格で,気楽に独り暮らしをしていたが,務めで貧乏公家の烏丸中納言の屋敷を訪れた際,図らずも,几帳の陰から覗く姫のことを見初めてしまった。通い詰めるうち,首尾よく縁談がまとまり,知嘉というその姫を,女房として長屋へと迎えることになる。
金十郎の嫁となった知嘉姫は,食うや食わずの生活が長かったためか,長屋に収まった夜に,呆れるほどの白米を食べ,ニッコリと笑った。金十郎は,その笑顔が忘れられなくなった。
折しも飢饉で米が出回らなくなると,嫁の実家にも米を送っていた金十郎は,前借りで首が回らなくなり,知嘉にも薄い粥しか食べさせられなくなる。
知嘉の顔から,笑顔が消えた。
やがて,彼女自身も姿を消す。
方々探し回っても,行方は杳として知れなかったが,ある嵐の夜の明け方,部屋に小判の包みが投げ込まれるという不思議があった。
やがて,陸奥に売られて行った貧乏公卿の娘たちの中に烏丸中納言の息女がいた,との噂を聞き,金十郎が女衒を探し当てると,売られた女から文と金を預かったが,文はひどく濡れてもう読めないかと思われたので金だけを放り込んだ,と白状した。幸い捨てずに取ってあったという文を見れば,果たして知嘉から金十郎に宛てた手紙であった。
勤め先から前借りしてまで実家に付け届けをし,自分に米を食わせようとしてくれるのが心苦しかった,苦労を共にするのが夫婦ではないのか,あの夜はどれだけ帰りたかったかわからないが,あなたが朝まで起きたまま待っておられたので,ついに帰りそびれてしまった……といった内容であった。
帰るに帰れなくなった知嘉は,思い余って自ら身売りして金を作り,金十郎に気遣わせてきた借りを返したのだ。
すぐに知嘉を求めて,大飢饉で飢餓地獄となっている陸奥へと旅立ったが,その足取りはつかめない。
途中,谷川のほとりに行き倒れている数人の男女があり,何か知らないかと話を聞いてみると,烏丸さまのおむすめは,険しい海沿いの道を上総の方へ逃げると言うので別れてきました……と物陰から教えてくれる人があった。
言われた通りに進んだが,知嘉は見つからず,金十郎は,ああ,虫の息の下から嘘を教えたあの行き倒れこそが,知嘉姫その人だったのだ……とようやく思い至る。
帰途の手配を頼もうと訪ねた知人の伝手で,そのまま小藩の小役人に収まった金十郎は,不逞の漁民たちによる,つまらない罪科に巻き込まれる。
正式な沙汰が下るには時日を要するから,すぐに逐電すれば腹を切らずに済むが,との示唆を言外に受けた金十郎は……
◆これは,カタルシスの物語ではない。
余韻の物語である。
人として生きていると,時に,ああしまった,さっきはこういう言葉を相手にかけるべきであったか,とか,あのときああしていれば,とか,後になって気がつくことがある。
これは金十郎という善良な男が,恋女房の心を読み損なって,行き違いを修復できぬまま,取り返しのつかないことになる話だが,この「ああ,どうにも取り返しのつかないことをしてしまった!」という,我々が生涯に何度か経験することになる,やり場のない思いを,ぎゅっと結晶化したかのような掌篇であると思う。
僕自身,やあしまった,と人間関係で後悔の臍を噛んだときに,決まって本作のことを思い出すが,あるいは作者も,自身がそういう体験をした折に,この気持ちを,読み手の心に鋭く傷痕を残せるような,ソリッドな作品に昇華することはできまいか,と着想したものでは,という気がする。
◆いろいろな読み方が可能だろうが,僕が思うに,金十郎という男は,人間関係のややこしいところを煎じ詰めるようなことはとうに諦めた男で,世塵とは縁を切ったつもりで気楽に暮らしていたのだが,かけがえのない人を得てから,そうして人の心の忖度を怠ってきたことのしっぺ返しを受けたのだ。
金十郎の知嘉への思いが一途で純粋なものであったことは,全てを捨てて陸奥に旅立った行動からも,また物語の結末からも,疑いようがない。だが,人間,ただ純粋であるだけでは,きっと足りないものがあるのだろう。
長屋に収まった夜の知嘉の笑顔の意味も,金十郎は読み違えてしまっていたのに違いない。
自分などが一人の人間として相手を幸せにできるはずもない,あるとすればただ安定した食を提供できるこということくらいか,という決めつけは,一見,謙虚さの表れのようにも見えるが,その実,自己卑下によって心の問題から目を逸らし,(自分が相手を愛しているように,相手も自分を愛してくれるかもしれぬという)要らぬ期待が潰えることで自身が傷つけられることから逃げているのであり,相手の胸の内に対する真摯な眼差しを欠いている。
純粋で善良であるだけ,という在り方を自らよしとして,そこに甘んじている人間には,そういう人に特有の怠惰と不遜があるのかもしれない。
本文ではいちいちふれられていないが,せっかく再会した知嘉をみすみす見逃してしまったことに後になって気づいた金十郎は,痩せ衰え,垢と埃にまみれた姿で金十郎に名乗ることを選ばなかった知嘉が,本当はどれだけ自分こそがその人であると名乗り出たかったことか,どれほど金十郎に気づいてもらいたかったか,その寂しくせつない思いにも,無論のこと思い至ったのではないか。そして,そこまで含めたものが,金十郎の受けた「報い」であった。
そのときに,(金十郎のように)これを従容として受け容れ,静かに絶望の淵に身を沈めることを選ぶかどうかは,ひとえにその人次第であろう。
