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創作|掌編|雲見師の弟子

「雲見師が来たぞ!」
双眼鏡を目から外した物見の男が,櫓の上から叫ぶ。
子どもたちがわーっと叫び,それまで遊んでいたものを放り出して,一団となって町の門の方に駆けて行った。
僕はのんびりと,その後ろからついて行く。
僕の父は,この町の長だ。だから雲見師は,いつも僕の家に泊まる。
町長の息子,という立場は,何だか居心地が悪くて,いつまで経っても,慣れることができない。
だけど,雲見師と接する機会が他の子たちより多いことだけは,うれしい「役得」だった。
群がる子どもたちの間から,雲見師の制帽の青と,山のような荷物を背負ったロバの背にくくりつけられた幟のオレンジ色が垣間見えた。
子どもたちとさして身長の変わらない,小柄で華奢な身体。
青い帽子によく映える,あちこちがはね上がった,真っ赤な髪。
あれは……アキ?
うん,間違いない。やっぱり,アキだ。
足の歩調が,ひとりでに上がる。
この町に回って来る雲見師たちの中で,僕はアキに会えるのが,一番うれしい。アキは言わば,僕の憧れの人なのだ。
群がる子どもたちと,あれこれ言い交わしながら笑っていたアキが,こちらに気づいた。
ニカッと笑って,手をぶんぶん振ってくれる。
「おー,ユキトかあ? デカくなったじゃないか。父ちゃんも母ちゃんも,元気にしてるかー?」

「今回の『大風雨雲たいふううん』は,ガチでヤバいよ。直撃の可能性がある」
食後のコヒ茶をすすりながら,アキが言う。
「そんなにヤバいのか」
村長である父は,渋い顔で訊き返した。
「まあ,直撃するかどうかは,まだわかんないけど。しなくても,相当の雨風を連れてくるのは間違いないしね。この町は……ここだけじゃなくて,近隣はみんなそうだけど,川から近いし,土地が低すぎるんだ」
「それはわかっているが……」
父は腕組みをして,目をつぶってしまった。
「なあリュウジ,悪いことは言わない,今回は住民全員で避難しといた方がいいって。
そして,ゆくゆくはもっと安全な場所へ町を動かすことも,本気で検討してくれ。
大風雨雲は,年々目に見えて,巨大化の一途をたどってる。昔と同じだと思ってたら,大間違いだよ。
下手すると,今回の大風雨雲だけで,堤が切れて川が氾濫することだってあり得るんだ。
ここ数年で,町々が協力し合って,このエリアの堤をそこそこ補強してきたのは,私も知ってる。だけど,ここへ来て急激にふくれ上がってきた降雨量に追いつけてはいないし,なまじ強化した分,決壊時の流量・流速の予測値も大きくなってるんだ。
あたり一帯が,相当の深さまで水没するってだけじゃない。恐いのはむしろ,溢れ出た水流の強さだよ。最悪の場合,町ごと全部押し流されて,一瞬で終わるぞ」
父がうなる。
「今の外壁では,しのげないって言うのか」
「氾濫の規模によってはね。不安を煽る気はないけど,たとえ壁の厚みが今の3倍だったとしても,安心はできないよ。
仮に今回のが直撃ルートだったとすると,この町が持ち堪えられる確率は,せいぜい半々程度じゃないかと,私は見てる」
「うーん……うちは隣のヤシロよりは,まだマシだと思っていたんだが」
「ヤシロの町は,もう駄目だ。7:3で,あの町は今回の大風雨雲で流されるよ」
「そうなのか!」
「なあ,川向こうのチーバ島あたりにでも,皆で移って行けるような土地はないのか?」
「いい場所はみんな,とっくに取られてるさ。それに,町を失った移住民は,足元を見られるからな。川を越えるとなると,なおさらだ。出方を間違えれば,行った先の先住者の,隷属民にされちまう。
だいたい,うちには腕のいい交渉役がいないんだ。これまではそんな必要もなかったんだがな」
「やらない理由を探すなよ,リュウジ。お前さんのよくない癖だ。隷属民にされないか心配? それがどうした,町民が洪水で全滅しちまっちゃあ,元も子もないんだぞ!」
「簡単に言ってくれるなよ,アキ。この町を捨ててどこそこへ行こう,と俺が提案したとする。どうなると思う? 皆が大反対さ。必ずそうなる。孤立無援,四面楚歌だ。町の連中の説得は,俺の手に余るよ。
まあ,一時避難については,検討してみるが。しかしそれでさえ,話の通じないあのジジイどもが,素直にうんと言ってくれそうな気が,どうしてもしないんだよな……」

夜。僕の部屋のドアが音もなく開き,閉まった。
誰かが寝床のそばに,しゃがみこむ。
「ユキト,ユキト。起きてるか?」
「アキ? 起きてるよ,うとうとはしていたけどね。……どうしたの?」
「ああ,よかった。あのな,ユキト,落ち着いて聞いてくれ。お前,私と一緒に来ないか?」
「えっ? 僕がアキと?」
「このサッテの町は,もう駄目だ。今回の大風雨雲でヤラレなくても,次かその次には,きっと壊滅するだろう。ここまでは何とかなってきたが,幸運がそう何度も続くわけはないんだ。
ここは場所が悪すぎる。それに加えて,言っちゃ悪いが,町の長,お前の父ちゃんに,リーダーシップが無さすぎるのが致命的だ。
悪い人じゃないんだけどな,住民みんなに寄り添おうとしすぎちゃうんだ。町長をやるには,優しすぎるんだよ」
「それは……僕も,そんな気がしてた」
「アキ,お前は将来,私みたいな雲見師になりたいんだろ?
天候災害も異常気象も,年々激しくなり,数も増えている。データを集めて分析し,天候の変化を予測・告知する雲見師の仕事は,責任が重い。
だから,雲見師になる人間は,なるまでも,なってからも,学ばなければならないことが,うんざりするほどある。私だって,まだまだ勉強中のひよっ子だよ。
だけど,お前ならきっと,大丈夫だ。
お前は好奇心が旺盛だし,観察力も洞察力も,子どもだとは思えないほど図抜けている。
何より,お前は雲を見るのが大好きだ。そうだろ?
雲っていうのは,必然と偶然,規則と不規則のせめぎ合いの産物だ。無茶苦茶スケールの大きなせめぎ合いだけどな。
そこに惹かれるっていうのは,きっとお前が生まれつき,高い目線でものを考えるのに向いているってことなんだろう。雲見師こそ,お前の天職だよ。
私と来れば,国中を回って,いろんなものを見聞きすることもできる。もうよそでは残っていない『衛星通信』の特権もあるから,雲見師の組織は,情報の流通も速いんだ。
家族や故郷を見捨てろ,と言うのは酷かもしれない。だけど,早晩滅びるものと決まっているなら……せめてお前だけでも生き残って,この町の記憶を繋いでやれよ。……どうだ,来ないか?」
「ごめん,今は,決められない,かな……」
僕は答えた。
「アキがここを発つのは,明後日の早朝だよね? 返事は……明日の夜にする。それでいい?」
「いや,駄目だ。明日の昼までだな。
もし私と来ることになったら,いろいろと段取りが要る。リュウジを説得しなきゃならないし,それに失敗したら,こっそり抜け出して,私に合流してもらうことになる。その算段の時間がほしい。
昼食後,私は町の主だった長老衆のところに,挨拶回りに行く。そのときに,ユキトは道案内役を志願してくれ。道々,計画を立てればいい」
「アキ,僕はまだ一緒に行くと決めたわけじゃないよ」
「わかってる。でも,来てくれることを願ってる。お前は,こんなところで大水に呑まれて消えるには,惜しい人間だよ。よく考えておいてくれ」
「わかった。ありがとう」

アキが去り,僕は1人,真っ暗な部屋に取り残された。
アキはもう,これまでいろんなものを見てきた雲見師としての冷徹な判断で,この町のことを見限ってしまっているのだろう。
アキにとって,このサッテの町は,訪れたことのある何十もの,いや,もしかしたら,何百何千もの町の1つでしかない。
でも,僕にとっては,たった1つの,生まれ育った町なのだ。
アキのように広い世界のことは知らないけど,この町のことなら,どんなに細い裏路地のことだって,誰よりも知っている自信がある。その住人についても,よく知っている。彼らの喜びも悲しみも,不安も期待も。
今,アキに誘われるまま,町を見捨てて出て行くのは,果たして最善の選択と言えるだろうか。
町を救うために,まだ何か,僕にできることがあるんじゃないか。
そもそも,ここでかけがえのない故郷の町を捨て去る道を選ぶような人間に,これから訪れることになる何百何千というほかの町のために,身にある限りの力を尽くせるだろうか。
アキは僕の知る中で,たぶん一番,聡明な人だ。
でも,さっきのアキの話は,ちょっとアキらしくなかった。
「雲の裏側を見通せ。真っ黒い雨雲だって,上面は真っ白に輝いている」
という言葉を僕に教えてくれたのは,アキだ。
物事を多角的に見ること,無条件によいものも悪いものも存在しないということを忘れるな,と常々言っているアキが,あんなに手放しで僕の資質を褒めたのは,説得に焦っていたからだろう。
だからというわけではないけれど,アキの判断をただ信じてついて行くというのは,たぶん正解ではない,ような気がする。
アキはきっと,僕がアキについて行くか,それとも町に残るかを,ただ決めかねて,答えを先延ばしにしたのだと思っているはずだ。
でもこれは,単純な「あれかこれか」の問題なんかではない,と思う。
「二分法」は,問題を単純化することで考える手間を省き,スピーディーな決断を可能にしてくれるけれど,それは見方を変えれば,思考レベルを下げて,楽をしているだけだ。
今は,「考えること」から逃げていいときじゃない。道は無数にあり,それらを一つ一つ丁寧に吟味するには,時間を要するのだ。
やる前から諦めて手をこまねき,何かのせいにして溜め息をつくことが当たり前になっている父は,その意味で,僕にとっては,いい反面教師であると言える。
広く深いアキの視点において,死角となる部分はないか。
外から来たアキの視界にはなくて,この町のことをよく知る僕の目には見えているものはないか。
アキの判断に欠けている部分を補えるような何かが,もしも僕の中にあるとしたら,それは何なのか。
そこを考えてこそ,アキという遥かなる高みに立つ先達の存在が,はじめて生きてくるのではないだろうか。
考えろ考えろ,考えろユキト。アキという超強力なジョーカーを,このまま逃がす手はない。
一度は切り捨てた,サッテの町の救済という分の悪いゲームに,アキを否応なく引きずり込み,その上で,最も効率的な形で仕事をしてもらおう。
そのためには,何をすればいい?
その晩僕は,自分のなしたいこと,なし得ること,なすべきことについて,頭を巡らせ続け,結局そのまま,明け方を迎えることになった。

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